質疑応答
日本の朝鮮統治(2)


■始めに  この質疑応答は前掲「日本の朝鮮統治について」についての質問についての回答です。
回答者はすべて理事)杉本幹夫です。

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■命題  当時の朝鮮は大変貧しかった。だから日本はまず彼らの生活の安定を図りました。 併合時の総督府の予算(1911年)は52百万円で、その内12百万円は日本政府の補助金で、10百万円は日本で調達した公債でした。 この補助金は終戦まで続けられました。
■質問  この補助金が何に使用されたかが問題ですよね。
土地調査事業により日本人地主が増加、会社令により日本人資本家が増加、この結果日本人の為の補助金になったのではないですか?
■回答  1911年の歳出47百万円の内、最も比率の高いのは鉄道と通信設備の建設費で16.6百万円です。次いで一般行政費8.7百万、治安費6.4百万、産業振興費4.5百万、地方費3.9百万、土木費3.2百万、の順です。教育費はその前年3.5百万使い、小学校を大量に作りましたが、この年は1.3百万に減っています。日本からの補助金がなければ、役人の給料を払うのが精一杯で、とても国土の建設に回すお金が無かったのではないでしょうか。
貴方は土地調査事業は日本人地主のためと思っておられるようですが、国土の建設には土地の使用状況を調べることが、何よりも大切なことです。どのような改善計画を立てるにも、まず現状調査、改善計画の立案と進むわけであり、現状調査である土地調査こそ、朝鮮内政改善の第一歩ではないでしょうか。 会社令は日本人の進出を阻害しているとして、渋沢栄一などは非難しています。

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■命題  個人所得税が朝鮮に導入されたのは、一九三四年であり、この時の税率は内地の半分でした。
■質問  朝鮮は大半が農民であった。1930年ごろから日本資本により軍需工場が多く建設され、小作農から労働者へ朝鮮人が転落した。 その結果朝鮮人労働者から税金をとりたてる為だったのでは
■回答  1939年の所得税の免税所得は3600円ですので、労働者は税金を払うほど給料は貰っていなかったと思います。

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■命題  終戦時日本が朝鮮に残した資産は連合軍総司令部の調査によると民間資金を含め、52億5000万ドル(790億円)でした。 国家予算の比率で、今日の価値に換算すると80兆円を超える巨額です。
■質問  ものの値段が現在とまるっきり違いますから、現在の価格になをすと巨額になります。 この資産は朝鮮人労働者を安い賃金で使ったり、穀倉地帯を日本人が取り上げ朝鮮人に必要以上の米を輸出したり 朝鮮人犠牲にして作り上げた資産ではないですか
■回答  労働者の給料は日本の半分から6割程度しかありませんでした。同時に労働者の生産性も同じ程度でした。この事は同じような鉱山の実績で明らかです。
私はインドネシアへプラント輸出をするとき、人件費の安いインドネシアで出来るだけ作るようにと言いましたら、日本では数人で出来る仕事が数十人かかり、トータルの人件費は余り変わらないと言われたことがあります。
貴方は人件費の安い中国や東南アジアへ日本企業が進出するのは搾取するためと思われますか。 鉄道、道路、発電所、学校、これらの資産は日本人だけの為に作られたのでしょうか。私はそうは思いません。
米の飢餓輸出は、日本の農林省の猛反対を押し切って行われたものであることを確認してください。

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■命題  日本はこの資産に対し、何の補償も受け取っていません。それどころか、日韓基本条約で経済援助まで行っています。
■質問  1965年に締結されましたから、戦後20年も経過してからやっと出した援助ですよね。 しかも10年均等払いで、無償は3億ドルですから3億ドルしか提供していない。 有償の経済援助は利息がつきますから、日本は利息で利益を上げている。よって有償分は援助とはいえない。 日本政府は補償とはいってませんよね。独立の祝い金といっている。つまり現在に至るまで日本は朝鮮に対しなんら補償していないのでは。
■回答  私は朝鮮に補償する必要を認めていません。インド、インドネシア、ベトナム、フィリピン等すべての植民地は独立に当たり、宗主国の個人資産は勿論、接収した資産に対して、宗主国に補償しています。宗主国から補償して貰った国などありません。なぜ日本だけが、他の国と反対に植民地に補償しなければならないのですか。
有償援助について担保なしにお金を貸してくれる事が如何に有り難いか、貴方は知らないようですね。日本は終戦後アメリカからガリオア資金とかエロア資金とかを借り、アメリカの余剰農産物を買い、かろうじて食いつなぎました。食料援助と言われますが、すべて借金です。もしこの資金を借りれなかったら餓死者がもっと出たのではないでしょうか。

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■命題  慰安婦は単なる娼婦です。当時は日本も朝鮮も貧乏でした。多くの女の子は親により娼婦として売られました。 しかし彼女らの年間所得は陸軍中将とほぼ同じでした。
■質問  当時朝鮮人の娼婦は平均どれぐらいの年収で 陸軍中将の年収はいくらだったのですか。(資料の出所を希望します。)
娼婦というのはたいてい前借してなっていますから、給料全部自分のものになったのではないですよね。しかも利息分も徴収されますから、いつがきても娼婦を辞めることができなかったのでは。
■回答  一九九二年五月一二日の毎日新聞に、補償を求めて裁判を起こした文玉珠の預金通帳についての記事が載っています。その通帳によれば、一九四三年から一九四五年の間に一二回振り込みがあり、その預金残高は二六、一四五円に上っています。これは今の金額にすると数千万円に相当します。
当時日本軍の陸軍大将の年俸は六、六〇〇円でした。文玉珠がビルマで稼いだのは2年余りですから、陸軍大将の約二倍稼いでいたことになります。陸軍の俸給表は平成11年12月10日の昭和史研究所会報に載っています。 下記は平成11年11月10日の昭和史研究所会報から要約したものです。
元海軍中佐重村実は「彼女らの前借金が四千円から五千円であったと言っている。そして彼女らはこの前借金を三ヶ月から半年で返し、平均的な貯蓄額は五ー六千円から一万円持っていたと言っている。その中には三万円も持っている人も居て、皆驚いていた。アメリカの反撃が予想以上に早く、彼女らの中には爆撃で死んだ人も居た。又前借金の返済が終わったにもかかわらず、船がなくて帰ることが出来ず、前線で亡くなった人も居る。しかし終戦と共に彼女らの大半は日本に帰った。」
この前借金の数値は一寸高すぎるように思います。戦争末期の前線と言うことで、かなりインフレになっていたように思います。私の認識ではその気で一生懸命返せば、2−3年で自由になったと思っています。しかし一般的には女性の虚栄心を利用し、次々に着物や装飾品を買わせるのでなかなか抜け出せなかったというのが私の認識です。

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■命題  支那事変の始め、金錫源少佐は日本兵を率い大活躍していました。マスコミはその活躍を連日報道しました。 3.1独立運動のリーダーだった李光洙や崔南善らは熱狂的に、打倒米英を叫びました。その熱気に煽られて、志願兵の募集に最初の年が7倍、終わり頃は50倍以上の応募者がありました。
後に駐日大使になった崔慶禄は陸軍士官学校に合格しながら、士官学校へ行っていては時期を失すると、所属の連隊と共にニューギニア戦線に出征、重傷を負いました。
■質問  朝鮮兵はほとんど戦闘よりも兵站部門が多く、捕虜収容所の監視業務を指された結果BC級戦犯が多くでたのでは 朝鮮人は労働者か兵隊になるしか生きる道がなく、その結果志願兵が多かった。金少佐の活躍なんて聞いた事ありませんがそのような情報が朝鮮人に知らされていたという資料があるのですか。
■回答  朝鮮兵が主として兵站部門にいたのか、前線の戦闘にかり出されたかは知りません。 金錫源、崔慶禄の話は名越二荒之助「日韓2000年の真実」国際企画平成9年発行、ジュピター出版発売を見てください。この本は大変な名著と思いますので是非一度目を通すことをお勧めします。

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■命題  改名について、南総督は3回も通達を出し、強制を禁じました。
■質問  朝鮮総督令で禁止したということですか?そのような総督令全文教えてください。
■回答  総督令ではありません。通達です。文面は見ていませんが、御手洗辰雄の「南次郎」に書いてあります。

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■命題  だから洪思翊中将や金大羽慶北道知事等は日本名を持ちません。
■質問  届けをしなかったものは朝鮮名がそのまま日本名になるのでは。戸籍には洪が日本名として記載され、奥さんも洪さんとなったはずですが。
■回答  戸籍には日本名という項はありません。届けをしなかったものは朝鮮名がそのまま氏になり、おっしゃる通り奥さんの氏は洪になりました。それと同時に本来の姓名も戸籍に残りました。
私が日本名と書いたのは、日本風の姓(氏)にしなかったと言う意味です。

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■命題  熱心だったのは地方官僚だったといいます。当時郡守、面長は基本的に朝鮮人でした。従って強制の主体は朝鮮人の地方官僚だったと考えられます。
■質問  日本に支配されているのですから、朝鮮人は意見など自由にいえないはず。たとえ文書で残っていても、自由意志を主張できないのであるから、本来の朝鮮人の意思ではないはずです。
■回答  そんなことはありません。朝鮮人の国会議員もいますし、総督府の学務局長や道知事のような要職にも朝鮮人が任命されています。
又台湾では、寺廟整理(在来宗教の圧迫)を中止に追い込んでいます。
更に3.1独立運動のリーダーの崔麟や独立宣言の作者・李光洙等がマスコミで内鮮一如を煽り立てていました。創氏改名については日本人は、「日本人か朝鮮人か分からなくなる」と言って冷ややかに見ていました。一方李光洙等は創氏改名や義勇兵への応募率を高めることにより、内鮮一如の実を示し、その実績により、参政権や義務教育を勝ち取ろうと考えていました。
この李光洙等の主張に共鳴した地方官僚が強制に走ったと私は考えています。

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■命題  スターリン、ヒトラー、毛沢東、金日成等に支配された国民は幸せだったでしょうか。毛沢東に支配された中国国民より、イギリス支配下の香港市民の方がよっぽど幸せだったのではないでしょうか。
■質問  それではなぜ毛沢東は現在の中国でもそれなりに評価されているのでしょうか 人間の幸せは搾取のない社会でしょう。現在の資本主義社会のように自由競争の名のもと、スタ−ト地点が生まれながらにして異なっている。 裕福な家に生まれたものは、それほど苦労せず社会の頂点を目指すことが出来る反面、貧しいものは生まれながらにして社会の不公平差を受けねばならない よって香港市民が幸せとは単にいえないのでは。
■回答  何百万人も虐殺された中国、ソ連が幸せな国と思っておられることに驚きました。毛沢東が現在もそれなりに評価されているのは、現在の中共の創設者だからです。しかし彼の文化大革命を評価している人は現在ではいないのではないでしょうか。
今年の春、中国で勤務している友人を訪ね、中国にものすごい差別があることに驚きました。それは都市戸籍と農村戸籍の格差です。中国では農村から都市への流入を阻止するため、この二つを明確に差別しているそうです。例えば都市戸籍の人は月給であり、長期雇用を義務づけられる、一方農村戸籍の人は日給であり、1年以上の雇用を約束してはならないのだそうです。その結果、都市戸籍の人には社宅を与えるが、農村戸籍の人には社宅は与えられないし、重要な役職にも就かせることが出来ないのだそうです。 共産主義とはこのような差別のない社会と思っていましたが、びっくりしました。
中国・ソ連の高級官僚の横暴ぶりも有名ですよね。自由主義社会で貧富の差による、生まれながらのハンデがあることは認めます。しかし中国の農村戸籍と都市戸籍ほどのハンデはありませんし、アメリカンドリーム、ジャパニーズドリームと言われる立身出世の人も多数輩出しています。
又競争のない社会は、停滞を招き、戦後の40年で大変な経済格差が生まれました。その為ソ連は崩壊し、中国は自由経済を黙認せざるを得なくなったのでは無いでしょうか。
貴方は日本が朝鮮を搾取したと思っておられるようですが、日本が朝鮮を併合した理由を何だと思っておられますか。経済的に搾取して日本の利益になるような資産は朝鮮には全くありませんでした。(一寸言い過ぎかな) 日本が朝鮮を併合した理由は軍事上の問題です。朝鮮がロシア領になった形と日本領である形を考えてみれば一目瞭然です。軍事上が理由とすると朝鮮人を搾取したらどうなりますか。1+1は2です。しかし1−1は0です。日本は朝鮮人を味方に付けるための方策を必死に模索したのです。