日韓関係論文
その他論文


1.異民族支配と民族主義
2.北方領土などいらない
3.北方領土問題を考える
4.マスコミへのお願い
5.弱腰外交を叱る
6.民族自決より五族協和を
7.民族自決について(2)
8.修身教育の復活・重視を
9.低開発国援助のあり方
10.民族主義について
11.満州事変・支那事変で教えて貰いたいこと
12.東京裁判の授業に関連して
13.支那事変開戦記念日
14.中国の主張する「侵略の美化」なる虚構 理不尽な要求は断固はねのけよ
15.ETV2001「女性国際戦犯法廷」についての朝日新聞虚偽捏造記事を論破する
16.南京事件論争のポイント
17.お茶の間に忍び込む自虐史観
18.植民地化、戦争責任について
19.「600万人の強制連行、20万人の従軍慰安婦」という大ウソ
20.「拉致問題」と東アジアにおける冷戦構造の崩壊
21.朝日新聞は答える義務がある
南京戦時に現場から報じた記事は嘘だったというのか
22.『暗黒大陸 中国の真実』に学ぶ
23.NHK「慰安婦」番組と朝日新聞報道を検証する


異民族支配と民族主義

 今日、民族自決の原則と民族差別の解消は共に当然の事のように思われている。しかしこの二つは本来は対立する概念である。コソボでは民族自決の原則により、アルバニア人に自治権を認めた。この結果セルビア人が迫害されている。そもそもこの紛争の原因はセルビア人によるアルバニア人の差別から発したものであり、更に遡るとアルバニア人の勢力拡張にセルビア人が反発したことに起因する。従ってこの解決は民族自決ではなく、どうすれば民族差別をなくせるかでなければならなかつた。その知恵を国際社会が出す事こそ重要だったのである。

日本でも民族分裂の危機があった。明治維新である。当時日本は勤皇派と佐幕派に分裂した。もし将軍慶喜がまだ戦力を残していながら、天皇に絶対恭順の意志を表明しなかったら、今日の日本はどうなっていたか分からない。イギリスに支援された勤皇派とフランスに支援された佐幕派で日本は真っ二つに割れ大変な事になったと思われる。この慶喜の決断は日本では不評であるが、この決断こそ日本を救ったと私は考える。しかし幾つかの藩は最後まで抵抗した。当時の国民は藩に対する帰属意識と、日本国に対する帰属意識は相半ばしていたのではなかろうか。従って敗者は被差別グループになる危険があった。

当時の日本のリーダーは破れた幕府側の優秀な官僚を早期に要職に起用した。最後まで函館に立てこもり、幕府に抵抗した榎本武揚は外務大臣他数多くの要職を歴任している。更に最後まで戦った東北地方への鉄道を、東京と京都・大阪を結ぶ東海道線より、早期に着工した。(完成は東海道線が先)東北の中心・仙台には、師団、高等学校を設置し、東京の第一に次ぐ第二の栄誉ある名称を与えている。一方官軍の中心となった山口、鹿児島には師団も帝国大学も設置しなかった。このような配慮により、日本の中の地域対立は免れたのである。それに反しほぼ同時期に統一を果たしたイタリアでは、主導権を握った北部の搾取により南北格差が生じ、今日に及んでいる。又イギリスでもアイルランド問題の根元は、アイルランドを征服したクロムウェルの圧制に起因している。そのような勝者が敗者を罰する、ヨーロッパの思想が今日の民族対立、民族差別を生んでいるのである。

 次に異民族支配は悪であると言った観念がある。しかし2000万人もの犠牲者を出したと言われる文化大革命時の中国人は、香港在住の中国人とどちらが幸せだったろうか。私は国民の生活を安定させ、差別をなくし、自由に発言できる社会をつくる事が国民の幸せだと思っている。ただ同一民族の支配者の方が、差別が少なく、自己実現の機会が多いという希望的観測から、異民族支配より、同民族支配が望ましいと一般に考えられているのだと思う。この事は業績の良い外資系企業に勤めることと、業績の悪い日本企業に勤めることがどちらが幸せかと言う事につながる。一般的にはやはり日本企業に勤める方が良いと思う。いかに給料が良くても差別されたのでは決して幸せではない。しかし外資系でも実力を評価してくれ、きつちり処遇してくれれば、資金がないため、やりたいこともやらせてくれない日本企業に勤めるより良いのではなかろうか。

 第一次世界大戦の後のパリ平和会議で、アメリカは民族自決を主張し、日本は民族差別の撤廃を主張した。今日アメリカは肌の色、言葉の違いを超え、アメリカ人として、アメリカに対する忠誠心を求めている。ようやく建前としての民族差別が解消された。当時日本が主張していた五族協和が実現しつつあるのである。

 一方日本は民族差別の撤廃を主張しながら言っていることと、していることは違っていたと非難されている。日本は確かに、併合当初朝鮮人を差別した。総督府には議会は設置されず、朝鮮居住者は内地人を含め、参政権は認められなかった。台湾人に対する政治的差別は、当時中国との関係が終始ぎくしゃくしていた事もあり、朝鮮人に対する差別以上であった。特に当時会員百万人を号した韓国最大の政治勢力であり、日韓合邦を積極的に主張し、韓国併合の道筋をつけた一進会までも、政治活動を禁じたことは、日本の最大の失敗である。

 しかし内地では朝鮮人にも参政権を日本人と同等に与えたのである。東京からは朴春琴が衆議院議員に2回も当選している。貴族院議員にも何人か任じられている。洪思翊は陸軍中将まで昇進している。終戦で実現しなかったが、次回総選挙では衆議院に朝鮮から18人選出される事になっていた。アメリカで黒人に参政権を認めたのはいつだろうか(1965年?)。ジャッキー・ロビンソンが黒人として始めて大リーガーになったのは戦後である。日本は朝鮮人差別を非難されているが、アメリカより遙かに差別は少なかったのである。

 併合当時の朝鮮は識字率といい、所得といい、インフラの整備といい、内地に比べ大幅に遅れていた。税収が上がらず、金ばかりかかる地域である。日本人が、朝鮮人に同等の権利を与えなかったことは、日本人の立場から考えると当然のように感じられる。

 更に不幸だったのは初代韓国統監・伊藤博文が暗殺された事である。韓国では犯人の安重根は英雄視されているが、総合的な理性的判断を欠いた暴挙と言わざるを得ない。というのは当時のリーダーの中で伊藤ほど民主的な考えを持った政治家はいなかったのである。伊藤は日本の憲法を作り、自ら政友会を組織し政党のリーダーとなった人であり、選挙の重要性を知った政治家であった。又性格として人の意見を良く聞いた。反日的だった西北学会の鄭雲復会長も一九〇九年には、伊藤への手紙に「吾人も国会議員となり東京に出て議会に列することになるべきや」と書いている。安重根は日本で最大の民主的政治家を暗殺したのである。更に最後まで韓国併合に反対した第2代統監曽祢荒助が胃ガンで亡くなった。この文治派の大物二人の死亡後、第3代統監(初代総監)に就任した寺内正毅はこの二人の対極にある武断派のリーダーだった。彼は几帳面で細心、反日活動の温床となるのを恐れ、すべての政治活動を禁じたのである。

  健全な民族主義は国の発展に欠かせないとの意見がある。確かに今日の韓国の発展は朴正煕大統領が「日本だけには負けるな」と煽った強烈な民族主義が一因となっている。ただここで注意しなければならないのはNationには2つの意味があることである。一つは国であり、一つは民族である。ここではNationの意味は国家と規定する。日本が求めたのは朝鮮人も台湾人も、同じ日本国民として日本国への忠誠であった。今日のアメリカが肌の色、言葉の違いを乗り越えてアメリカへの忠誠を求めているように。多民族国家では民族の為は国の分裂を企むものであり、百害あって一理もない。必要なのは和の精神であり、民族差別の解消である。朴正煕が主張したのはむしろ民族主義と言うより国家主義と言うべきものである。

 国の発展には国民の自立精神、健全な国家主義は極めて重要である。しかし行きすぎた国家主義は、国際的な孤立を招く。多角経営の民間企業で、会社の発展には自社製品愛用運動は極めて大きな力となる。しかし同時に他社の情報が入りにくくなり、技術の発展を阻害する面もある。そのバランスが必要であろう。

最後に私の意見をまとめる。

1.今日世界には多くの民族紛争がある。この解決に被差別グループは民族自決を求め、実施されている。しかしこれにより新しい被差別グループ生まれる。従って民族紛争の解決は民族自決ではなく、和解でなければならない。必要な事は和の精神であり、森首相が主張する「すべての宗教に寛容で敬虔な神の国」である。
2.求められる社会は「生活が安定し、差別がなく、自己実現のチャンスが与えられる社会」である。支配者の国籍、人種は無関係である。異民族統治は悪であるとの偏見を捨て、どのような政策が成功し、どのような政策が間違っていたか考えることである。貧困からの脱出、民族紛争の解決に先進国の助けを要する国は多い。
3.Nationalismには2つの意味がある。国に起因するものと民族に起因するものである。そこで国に起因するものをNationalism、民族に起因するものをRacismと定義する。国の発展にNationalismは必要だが、Racismは多民族国家では百害あって一利もない。また行き過ぎたNationalismは決して得策ではなく、国際主義とのバランスをとることが必要である。



北方領土などいらない  杉本幹夫 99.11.29

 連日コソボの空爆が続き、数十万人の難民が発生している。何故民族が異なると、こんなに憎み合わなければならないのだろう。ヨーロッパでは小国が分立し、民族の違い、宗教の違いを主張している。聞けば言葉が違うと言っても、鹿児島弁と津軽弁の違いより少ない位と言う。一方中国では北と南と全く言葉は通じないが、同一の漢民族と言っている。どうしてこのように違うのか。色々原因があると思うが、他の神を認めない一神教と、多様な神を認める多神教の違いが大きいと思う。特に中東では宗教原理主義が、政治を支配している現状を考えると、仏教各派を叩きつぶし、政治優位を確立した織田信長のすごさに感心する。

 日本も戦前異民族支配の難しさを痛感した。期間が短かったせいもあるが、朝鮮では大量の資金を投入したにも関わらず、失敗した。又アイヌ、沖縄では同化に成功したとは言いながら、時折ちらりちらりと民族問題の陰を感じる。

 今日本では北方領土返還に大きな期待が寄せられている。私も感情的には「返還は当然」と考えるが、この異民族支配の難しさを考えると、「北方領土はいらない」と言わざるを得ない。北方領土が実質的にロシアの支配下に置かれてから、既に50年を超える。ここで生まれ育った人も50歳を超えたのである。今更日本に施政権が移っても、ロシアに帰れとは言えない。人口的に僅か2ー3万人と少ないから心配がないとの意見もあるが、福岡県ほどの面積に、それだけの人口ではそれなりに難しい問題がありそうだ。施政権の返還と共に、大量に入ってくると予想される日本人と、差別感なしに共生出来るだろうか。特に言葉の全く異なる民族に対する教育において、差別感なしに教育できるだろうか。

 北方領土が日本に帰ってくるメリットは何だろう。漁業資源と防衛問題であろう。漁業については、労働賃金の安い現地人から買った方が、このような過疎地域で、現地人の所得やインフラを日本並に引き上げ、環境整備するより、遙かに安上がるのではなかろうか。防衛問題については、主権の放棄と引き替えに、非武装地帯化を交渉すべきであろう。

 戦後日本は満州、朝鮮を放棄することにより、経済的には身軽になり、それが経済再建を大いに助けた。アメリカは昭和不況でフィリピンを切り捨て、10年後の独立を認めた。沖縄返還もあっさり認めた。領土の拡張が国益であると考える時代は終わったのである。個人の土地の所有権は、例え非合法に取得したとしても、10年たてば時効で実行支配者に移管される。異民族支配の難しさを考えるとき、何時までも領土問題にこだわっているより、北方領土は時効でロシアに渡し、日露間の経済交流を活発化した方が得策と考える。

 尚これはあくまで杉本個人の意見であり、自由主義史観研究会の意見とは何ら関係ない事を念のため申し添える。



北方領土問題を考える。  杉本幹夫

 北方領土交渉が行き詰まっている。原因は双方の感情である。ソ連は「一回手に入れた領土を離すべきではない」とし、日本では「我が国固有の領土である」としている。特に日本ではシベリア抑留問題が底流にあり、このしこりをほぐすことが必要である。しかしこの対立は既に50年も経過し、そこで生まれ育った人も50才を超えた。今更追い出すことは不可能である。又何時までもロシアとの関係を現在のように不正常のまま継続するのは如何なものか。

 ここで今一度冷静に北方領土返還のメリット、デメリットを評価してみるべきではなかろうか。メリットは防衛問題と漁業資源であろうか。防衛問題については双方ともこの四島には基地を設けないことで合意すべきであろう。漁業資源は労務費の安いロシア人に獲って貰い、それを買う方がよっぽど得である。昔の農業主体の時代には、択捉島の広大な過疎地は魅力だったが、今日の経済でどのような利用価値があるだろうか。日本並みにインフラ整備をすれば金ばかりかかることになるように思う。

 最大のデメリットは、残留が予想されるロシア人の子弟の教育問題等、異民族支配の問題である。彼らの教育をどのようにするのか。今日のように少数民族の権利・文化の保存が問題となる時代では、ロシア語と日本語のバイリンガル教育をしなければならないだろう。更にロシア貿易の利益喪失である。小生は今夏ロシアへ旅行したが、円の交換手数料が高く、殆ど通用しない。国交が正常化すればもっと双方の往来の活発化が期待できる。

 そこで私は民間で言えば合弁会社のようなシステムを研究することを提案する。この四島を経済特区とし、共同で統治することができないであろうか。と同時に日本の民族感情を緩和するため、プーチン大統領に靖国神社に参拝して貰うことを提案する。これはあくまで千鳥が淵ではなく、戦没者全員が祀られている靖国神社でなければならない。これにより中国の不当な要求に水を差す狙いもある。

 利用価値の殆どない北方領土に何時までもこだわるより、一日も早い国交の正常化を望む。



マスコミへのお願い

 二〇世紀も終わり、二一世紀に入りました。二〇世紀の日本を振り返って、今や第一権力者である、マスコミのミスリードに今更ながら愕然とします。

ポーツマス条約を終えて帰ってきた、小村寿太郎を待っていたマスコミはどうだったでしょう。日本の国力も考えず、賠償金を取れなかった弱腰交渉に非難ごうごうでした。

 満州事変の後、国際連盟を脱退して帰国した松岡洋右を待っていたのは歓呼の声で、どのように非難されるかと危惧していた松岡を驚かせました。
 満州事変、支那事変、大東亜戦争とマスコミの論調はすべて行け行けどんどんでした。国民は常に元気良く前進を期待します。戦争でも事業でも撤退することは極めて勇気が必要で、決断がなかなか出来ないものです。マスコミも商売です。売るためには威勢良く、 行け行けどんどんが一番だったのです。

 所が戦後はどうでしょう。常に国家を否定し、政府の悪口を言うのがマスコミの使命だと考えているようです。
サンフランシスコ平和条約では政府の単独講和に反対し、岸内閣の安保改訂にも反対しました。その後の流れを見て、どちらが良かったかは一目瞭然です。

 近くは消費税の導入時です。マスコミの圧倒的な反対の中、竹下内閣は消費税を導入しました。その時は参議院で過半数割れに追い込まれる大変な犠牲を払いました。所が今はどうでしょう。将来の税源は消費税の増税しかないとの論調に変わっています。

 最もマスコミに責任をとって貰いたいのは教育問題です。マスコミは日教組と共に、一貫して学校での道徳教育に反対してきました。その結果未だに文部省認定の道徳の教科書が作られません。その道徳軽視の教育で育てられた世代の子供が今問題を起こしています。最近の青少年犯罪の多発により、さすがのマスコミも道徳教育の必要性を主張するところも現れてきましたが、まだ大勢を占めるまでには至っていないようです。

 最近では加藤紘一の反乱事件です。加藤がギブアップした事は事件にならず、従って新聞の売れ行き増に結びつかないためか、一斉に非難しました。しかし加藤が強行したらどうなったでしょう。仮に不信任案が通っても、自民党を除名された加藤は少数野党の党首に過ぎず、第一野党の民主党が総理を簡単に譲るとは思えません。小沢一郎と同じような立場になるだけではないでしょうか。

第一権力者でありながら、反政府運動にばかり肩入れしていることは困ったものです。最近の一〇年間に八人も首相が代わっています。これでは落ち着いて自分の政策が実現できる筈がありません。閣僚のあら探しばかりで、引きずり下ろすことしか考えないのが、現在のマスコミではないでしょうか。先日の新閣僚に対する記者会見でも、「大臣になって何をしたいか」聞かずに、「泥船に乗ってどう思われますか」と貴重な時間にワンパターンの質問を繰り返す馬鹿な記者がいました。どこの記者か公表して貰いたいものです。

 マスコミは政治家について「二世、三世の議員ばかり増え、優秀な時代をになう議員が少ない」と嘆きます。それならその対策を具体的に提案すべきでしょう。民主主義はお金のかかるものです。又小選挙区は新人にとって極めて厳しい制度です。現在安定した生活をしている人間が、立候補して落選した時のことを考えると、極めて厳しい選択です。その危険性を押して立候補するには、今の制度は余りにもメリットが少なすぎるのではないでしょうか。立候補に当たり、最低在職のまま立候補を許すか、落選時の現職復帰を許容すべきだと思います。

又クリーンばかり追求して、昔の友人と飲みに行っても叩かれるのでは、良い情報が集まるでしょうか。確かに程度の低い、お粗末な事件が多かったことは否定しません。しかし昔から「英雄色を好む」「清濁併せのむ」といった諺もあります。マスコミはもっと優秀な人を政界に引き出すにはどうしたらよいか、そしてその人たちをどうして育てるか、抽象論や、現実離れした空想的な理想論でない案を是非出して貰いたいと思います。

 二一世紀を迎え、「マスコミの主張の逆を行えば良い」と言われない、マスコミに是非育つよう願います。



弱腰外交を叱る

 産経新聞に「日中再考 歴史の教え方」として中国歴史教科書のすさまじいまでの歪曲、捏造が連載されている。この記事を読みながら感じたのは、戦前の中国の教科書による、排日・侮日教育である。

 日中戦争の原因は、日本資本・朝鮮農民の中国進出に伴う民族摩擦、それに伴う領土の拡大願望が第一原因である。それに対し、中国は法の無視、排日・侮日キャンペーンで対抗した。その最大の武器が教科書であった。この日中戦争の悲劇の再来を防ぐには、お互いの歴史認識を共有することが何より大切である。勿論歴史認識が完全に一致させることは不可能である。しかし徹底的な話し合いにより、近づけたり、違いは違いとして認めあうことは可能だと確信する。

 中国が主張するように歴史認識を近づけることが、日中友好のためには最大の課題である。しかしその認識は中国の一方的な認識に従うことではなく、議論により作り上げるものである。

中国は現在急激に発展しつつある。それと共に日本企業の中国進出は増加し、各種摩擦の増加が考えられる。その場合現在のような反日教育で育てられた中国国民の対応はどうなるであろうか。不幸な歴史は繰り返してはならない。この点日本の外務省の弱腰外交には全く腹立たしい。

外務省の弱腰外交では対米外交も情けない限りである。対米関係でアメリカに要求すべきは、法治国家になることと、犯罪発生率の低下である。

 日本は開国時、治外法権を押しつけられ、その解消に三〇年要した。その最大の理由は、法制度、裁判制度が整備されていないため、安心して商売ができないというものであった。先月号の高山氏の講演要約を読んでもアメリカの裁判制度は全く未開国の裁判そのものである。即ち刑の程度は法律でなく、陪審員の恣意で決まる。いかに上手く陪審員を煽るかであり、まさに野蛮国の民衆裁判そのものである。日本は他のヨーロッパ諸国と協調し、この裁判制度を先進国並の法治制度に戻すことを要求すべきである。

 次に犯罪率の引き下げ要求である。日米間の最大の問題は安全補償問題であり、ひいては基地の存続維持である。一方沖縄県人にとって最大の要求は基地の撤去縮小である。なぜこのような要求が出るのか。答えははっきりしている。米兵の犯罪発生率が高いからである。日本の自衛隊並であれば、必ず共存共栄が出来るはずである。米兵の犯罪発生率が高いのは、兵士のみの問題ではなく、米国民全体の犯罪発生率が高いからである。

アメリカは日本の経済運営に色々注文を付けてくる。時には数値目標まで設定し、その達成を要求する。日本も又アメリカの犯罪発生率の引き下げを強力に要求すべきである。これは日本の為であると共にアメリカ人の為でもある。

 力の差は如何にあっても外交は対等である。外務省はもっと自信を持って言うべき事をしっかり主張して貰いたい。



民族自決より五族協和を

 一九一八年アメリカ大統領・ウィルソンは世界平和への理念として民族自決主義を提唱した。その結果、民族独立は当然の権利のごとく考えられ、コソボ、東チモール等民族紛争が絶えない。他民族が共存するコソボのような土地で、本当に異民族に支配されることが、それほど不幸なことであろうか。

明治時代、樽井藤吉は「大東合邦論」を書き、多くの人の心を掴んだ。この思想の根本は「日本と朝鮮が合邦し、清国と力を合わせて、欧米の侵略を防がなければならない」というものである。合邦の例として、イギリス、アメリカ、ドイツ等の例を挙げている。確かにイギリスはイングランド、ウェールズ、スコットランドの三国が合邦したものであり、アメリカも多くの州(ステーツ)が合邦したものである。ドイツがプロシアを中心に連合王国となったのは一八七一年である。又スイス、ベルギーでは異民族が一つの国となっている。「異民族であるからとか、永年別の国であったから合邦するのは無理だ」という考え方にはならない。

我々日本人は敗戦後アメリカの支配を受けた。アメリカは食料を援助してくれ、個人の権利の重視、民主主義の普及を計った。道徳教育の軽視等問題点はあったが、まず善政であったといって良いだろう。その為国を守るための武力の行使に疑問を感じ、戦争放棄の憲法は未だに改正されない。

 又二千万人もの犠牲者を出したと言われる文化大革命時の中国人は、香港在住の中国人とどちらが幸せだったろうか。毎年のように何百万人も国民が飢餓線上に苦しむ北朝鮮国民は本当に同民族支配なるが故に幸せだろうか。

 マルクスは、資本家は労働者を搾取する者であり、労働者の敵と位置づけた。同様に宗主国は植民地を搾取する存在とした。しかし現在の経営学では最大利益の追求のためには、労働者の働く意欲を引き出すことが最も必要とされている。又激化する企業間戦争を勝ち抜くためには、資本家、経営者及び労働者は同一チームの戦友である。宗主国と植民地の関係も同様であり、国の発展のためには、植民地を搾取するより、力を合わせる事が何より重要な事である。独立運動が頻発するようでは、宗主国の負担が増えるだけである。

私は支配者がどの国の人であれ、国民の生活を安定させ、差別をなくし、自由に発言できる社会をつくる事が国民の幸せだと思っている。ただ同一民族の支配者の方が、差別が少なく、自己実現の機会が多いという希望的観測から、異民族支配より、同民族支配が望ましいと一般に考えられているのだと思う。この事は業績の良い外資系企業に勤めることと、業績の悪い日本企業に勤めることがどちらが幸せかと言う事につながる。一般的にはやはり日本企業に勤める方が良いと思う。いかに給料が良くても差別されたのでは決して幸せではない。しかし外資系でも実力を評価してくれ、きつちり処遇してくれれば、資金がないため、やりたいこともやらせてくれない日本企業に勤めるより良いのではなかろうか。

 第一次世界大戦の後のパリ平和会議で、アメリカは民族自決を主張し、日本は民族差別の撤廃を主張した。今日アメリカは肌の色、言葉の違いを超え、アメリカ人として、アメリカに対する忠誠心を求めている。ようやく建前としての民族差別が解消され、肌の色が違っても同じアメリカ人として、国に忠誠を誓っている。当時日本が主張していた五族協和が実現しつつあるのである。

 今日世界には多くの民族紛争がある。この解決に被差別グループは民族自決を求め、実施されている。しかしこれにより新しい被差別グループ生まれる。従って民族紛争の解決は民族自決ではなく、融和でなければならない。必要な事は和の精神であり、森・元首相が主張する「すべての宗教に寛容で敬虔な神の国」である。

そのように考えると民族自決は、共産主義と共に、二〇世紀を支配した、二つの大変間違った理念だったのでは無かろうか。



民族自決について(2)

 先月民族自決についての疑問を書いたところ、二、三の人からチベット問題をどう考えるかと質問された。

 私はチベットの独立を支援するより、中国にチベットの生活レベルの改善、参政権の拡大等を通じ、チベットとの融和を求めるべきだと考える。
中国は北と南では全く言葉が通じない国である。ヨーロッパの民族の概念では、極めて多くの民族が同じ漢民族と称している。漢民族を支配した満州族は清王朝時代にすっかり漢民族に同化されたようである。チベットも同化できない筈がない。

日本は満州国を建設し、満州を支配下に置いた。その結果それまで匪賊が横行していた満州の治安は急激に改善された。五族協和を主張し、工業化を図り、すっかり住みやすい土地に改善した。

 朝鮮でも初期の武断政治には問題があったとは言え、三・一独立運動では、最高刑は僅か懲役三年で、有罪者三七人に過ぎない。そして彼らをマスコミのリーダーに育て、日本との融和をはかった。その一人崔麟などはアイルランド等へ視察に行かせている。

 又宇垣総督の農村振興運動、水力発電と産金奨励金を起爆剤とした産業革命により、生活レベルが向上し、昭和一〇年代始めにはすっかり日鮮一体化のムードが盛り上がった。
 日本の敗戦により、先人の努力は灰燼に帰したが、後一〇年続いておれば、日本の統治はもっと評価されたであろう。

台湾でも施政当初の激しい反日運動を克服したのは、後藤新平の徹底的な話し合いである。第四代総督児玉源太郎により民政局長官に任命された後藤が、現地に赴任した頃はまだ官舎にても銃声が聞こえたと言われる。

 児玉総督が国内の要職を兼務していたため、後藤は実質的な総督であった。その要職にも関わらず、帰順の可能性のあるグループに対しては、彼自らが現地に乗り込んで説得に当たったのである。しかしそれでも応じないグループには軍隊を使った。 首刈り族として有名だった高砂族の平定に努力したのは第五代総督の佐久間左馬太と、多数の警官の家族である。

 佐久間総督は七〇才の高齢にも関わらず、自ら出陣し、名勝タロコ峡谷の上流で滑落し、重傷を負っている。 帰順を表明した部族の元には、警官が派遣された。彼らの居住地は獣道しかない山中である。山を越え、谷を越え、何日もかかって新居にたどり着いた新妻の不安は大変なものであったろう。彼らはそこで警官として、先生として、仲間として、農業を教え、家事を教え、読み書き算盤を教え、彼らと共に苦労したのである。それと共に一寸したことで彼らとトラブルを起こし、多くの警官とその家族が首を取られている。彼らの命がけの努力により、高砂族の共通語は日本語になったと言われる。

それに対し、フィリピンでは遂にモロ族を同化できなかった。
彼らは未だにフィリピンのテロリズムの中心である。

 又アメリカの主導する国際社会は人権・人権と騒ぎ立て、テロリストを支援してきた。東チモールの独立運動のリーダーにノーベル平和賞を与えたりしている。あのような小さな何もない国で、他の支援なしに果たしてやっていけるのだろうか。独立運動のリーダーとインドネシアの双方に和解と協調、そして東チモール住民の生活向上の支援を要請すべきではなかっただろうか。

 アフガニスタンではソ連の影響力を排除するため、ビンラーデングループを支援した。彼らは国際テロリズムの中心に育ち、何とその矛先はアメリカに向かったのである。そこで始めてアメリカはテロリズムの悪に気づいたのである。なんたる皮肉だろう。

 人権の重要さは否定しないが、低開発国では最も重要な事は生活レベルの向上である。そのためには独裁政権の方が能率がよい。そして最も必要な事は治安の確保である。

 もしアメリカが昭和一〇年代にこの事に気づいていたなら、大東亜戦争は起きず、アメリカが中国を失うことも無かったのではなかろうか。



修身教育の復活・重視を

 近年教育改革の必要が叫ばれている。その中心は「ゆとり教育」の見直しと道徳教育の重視である。

 戦前の教育で最も重視されたのは修身であった。どんなに学科の成績が良くても、修身の点が悪ければ一流校に進学できなかった。しかし戦後連合軍の指令により修身教育は禁止された。その後道徳教育として復活されたが、規定された時間は守られず、しばしば他の目的のため流用されていると伝えられている。

 しかし道徳と修身とは語感が多少異なる。道徳とは人が守るべき規範の意味であり、努力といった人間の資質の向上の意味が<道徳には薄いように感じる。やはり「人間の資質の向上」の意味の強い修身教育を是非復活し、且つ教育の中心に置いて貰いたいものだ。

 一寸古いデータだが、左記に世界各国の犯罪の発生率を示す。この発生率は人口十万人当たりのものである。

(日本国勢図会二〇〇〇年)
年次199519961997
日本1,4201,4401,506
アメリカ5,2765,0874,923
イギリス9,4299,3608,543
ドイツ8,1798,1258,031
フランス6,3176,1105,972

日本が如何に安全な国であるかが分かる。

次にこの犯罪の発生率の推移を示す。戦後の経済の発展に伴い次第に犯罪の発生率は減ってきた。所が一九七五年、昭和五〇年を底に増勢に転じ、一九九九年平成一一年には何と、終戦後の混乱がまだ終わらない一九五〇年代前半、昭和二六,二七年の値まで後退した。

(日本の百年)
年次発生
19501,756
19551,607
19601,476
19651,368
19701,234
19751,102
19801,151
19851,328
19901,324
19951,420
19991,710

 この原因の分析はどうなっているのだろうか。昭和五〇年はまだまだ経済の伸張期である。経済の悪化に因るものとは思えない。 外人による犯罪の増加が言われている。確かに外国人犯罪の検挙件数は一九八〇年二万九千件から九〇年一万八千件に減り、九八年には四万四千件に急増している。八〇年の主体は定着外国人であったが、九八年は四万四千件の内、三万二千件も来日外国人であり、この対策が問題であることに違いない。しかし全体の検挙件数は一九九八年七七万二千件で、外国人犯罪は6%に過ぎず、やはり日本人の犯罪率そのものが増えているのではなかろうか。

 一番犯罪の発生率が少なくなった一九七五年は、終戦時二〇才だった人が五〇才になり、人口の主流が、戦前教育を受けた人から戦後教育を受けた人に切り替わってきた時期である。戦後教育の悪い面が出てきたのではなかろうか。
日本の戦前教育と戦後教育の最大の違いは前述の如く修身教育である。日本の戦後教育の師匠はアメリカである。アメリカの支配を受けたフィリピンは未だに停滞し、犯罪の多発から観光業者も不熱心である。一方日本の統治下にあった台湾・韓国は先進国入りし、治安もまずまずと言われている。

韓国・台湾の教育は日本の戦前教育を色濃く残している。過日植民地教育史研究会で韓国の呉成哲氏の「学校規律の植民地性と近代性」についての発表を聞いたが、天皇中心のナショナリズムが国家中心のナショナリズムに代わっただけのように感じた。今日の韓国の発展には、「為せばなる、」の強烈な自立の精神が原動力となったことは間違いないと思われる。

 又台湾では今日でも木彫り、紫檀、黒檀、大理石等、多くの二宮金次郎の像が売られているとのことである。戦前日本の各小学校に置いてあった二宮金次郎の銅像は、戦後殆ど撤去され、お目にかかることが無くなった。彼の「入るを量って出るを制す」の理念は、日本の発展に大きく寄与した。又韓国でも農村振興運動・セマウル運動を通じて大きく貢献した。

 戦前の日本の修身教育こそ、日本の発展の原動力となり、韓国・台湾の生活を豊かにし、治安向上の原動力になったと考える。



低開発国援助のあり方

この一年取り組んできた『韓国・北朝鮮に謝罪は不要(仮題)』を先日脱稿し、ほっとしながら溜まっていた雑事の片づけをしている。その中で、戦後の韓国のことを調べていて、びっくりした事は李承晩時代の無策である。

戦前の朝鮮は日本に米を売ることにより、衣料品その他日用必需品を購入していた。戦後日本と長らく断交していた間、どうしていたのだろうとかねて考えていた。調べてみるとすべてアメリカからの援助に頼っていたのである。

 この援助は並ではない。一九四五年から六一年までの一六年間に三一億ドルに及ぶ。年平均二億ドルであり、五七年にはなんと一年で三億七千万ドルに達している。当時は一ドル三六〇円である。一千三百億円もの大金である。それがすべて無償援助であった。この金額は韓国の一般歳出の三割ー五割に及ぶ。

所が六〇年くらいになるとアメリカの国際収支の悪化により、援助の削減が通告されたのである。韓国にとってはアメリカからの援助の削減分の補充は日本に頼るほか無い。その情勢の変化と、李承晩大統領の失脚により、始めて韓国は本気に日韓国交回復を考えるようになったのである。
しかし日本が日韓基本条約で韓国に提供した無償の経済協力は一〇年間に三億ドルであるから、日本にとっては大金であったが、アメリカの年間援助額の一割にすぎない。韓国人にとって、期待を大きく裏切られたものであったことが想像できる。

所がこの日韓国交回復により、韓国経済は一気に立ち上がった。折からのベトナム特需もあったが、日本からの資金がどっと流れ込んだのである。日本は丁度高度成長期であり、安価な日本語が通じる労働力は大変な魅力であった。この頃の韓国の一人当たり国民所得は、北朝鮮やフィリピンの六割ー七割しかない貧乏国だったのである。

元々朝鮮は温暖な南朝鮮が発達しており、冷涼な北朝鮮は山も多く農業には不向きな土地であった。一方水力や鉱物資源に恵まれた土地であった。一九三〇年代、電力開発と産金奨励金に触発された産業革命により一気に南朝鮮を追い越したのである。又独裁政権により政権は安定し、着実に発展していた。

 一方韓国は親日派の追放、共産党による激しい反政府運動、独裁を目指す李承晩による政敵の排除等政争に明け暮れていた。 肝心の農業までも壊滅し、食料は輸入に頼らなければならなくなっていた。原因は肥料の輸入が途絶えたこと、日本・満州からの帰国者による人口増であった。しかし何よりも農村を疲弊させたのは、アメリカからの食料援助であった。アメリカは国内の余剰農産物を無償で、韓国に持ち込み、それを韓国内で売却し、売却で得た資金で財政を運営したのである。アメリカからの無償の小麦の輸入は、米の裏作の麦作りを壊滅させた。又無償の綿花は、日本が必死に育てた綿栽培を壊滅させたのである。

ここで学ぶべき事は、低開発国に対する援助の場合、相手国の自立を阻害する方向での援助は絶対すべきでないと言うことである。この農村の疲弊を救ったのがセマウル運動である。このモデルは宇垣総督時代の農村振興運動であり、原点は二宮尊徳の心田開発であった。

今日こそ彼の「入るを量って出るを制す」は「消費は美徳」と相容れず、彼の名を聞くことが少なくなったが、明治から昭和に掛けて、日本の発展に対しての彼の貢献は大きい。今は見ることが無くなったが、彼の銅像は全国の小学校に据えられていた。台湾では今でも大理石、黒檀等々各種素材による彼の像が売られていると言われる。

今は消費は美徳と、使い捨て文明が幅を利かせているが、地球の資源は無限ではない。必ず「入るを量って出るを制す」の教えが重要となる時代が来ることであろう。

日本が低開発国に供給すべき最大の援助は、米百俵の精神と、この二宮尊徳の自立の精神ではなかろうか。



民族主義について

 金完燮を囲んだシンポジュームの後、藤岡代表のご厚意で金完燮に面識を得た。その折、彼の所有する出版社春秋社より 小著「植民地朝鮮の研究」の韓国での翻訳出版する事を提案された。その後何の連絡もないので、半ば諦めていたところ、過日連絡の電話があり、金完燮と都内でお会いした。さすがに韓国では住み難くなり、家族を引き連れ、生活の根拠をオーストラリアへ移したそうである。韓国・日本・オーストラリアを股に掛けて行ったり来たりの生活で、今回も東京・沖縄での講演や、韓国での所用で来日したとのことであった。

翻訳出版しても売れないのでは話にならない。そこで彼の本の売れ行きを聞いた。既に二千部くらい出たとの事である。有害図書の指定は解けたのかとの問に対し、有害図書でも販売禁止ではない、従って大きな書店では、ビニールをかけずに置いてくれているとのことである。全く宣伝はしていないが、このような問題に興味がある人は多いとのでそこそこ売れているとの話である。やはり韓国は民主主義の国と言うことであろうか。

  私と彼の主張の最大の共通点は民族主義の否定である。彼は「韓国はアメリカの五十何番目かの州になった方が良かった」とか、「日本・韓国・台湾・オーストラリア・ニュージーランドで、大東亜連邦を作り、アメリカ・EUに対抗すべきだ」等主張する。
私は国としてのナショナリズムは否定しないが、民族の意味でのナショナリズムは共産主義と並んで二十世紀の思想の最も間違ったものではないかと思っている。

 先日某所でこのような発言をしたところ、「台湾、チベットは民族自決に従って彼ら自身で中国の支配下に入るかどうか決すべきであろう」と指摘された。 中国は同一民族だから、同一国家でなければならないと主張するが、台湾は百年以上中国本土の支配を受けておらず、その内五十年以上は独立国であった。清朝時代も本格的に清が統治したのは、日本の台湾征伐後の二十年くらいである。その前は渡航を禁じられていたが、生活苦に陥った福建人が密航し、住み着いたのである。従って中国本土の支配下に入るにはそれなりの合理的な理由がなければならない。合理的な理由とは、民族が同じだからと言う事ではなく、併合される事により、生活が向上し、自己実現の可能性が増えることである。

 所が中国本土は台湾に比べ、遙かに貧乏であり、自由のない国である。そのような国が、台湾を併合しても、台湾人に何のメリットもない。もっと中国が豊になり、自由な国になったときには、今日のEUのように統一される可能性が出ると考える。もっと国際社会も、中国のご機嫌を取るだけでなく、この事を主張すべきではなかろうか。

 チベット問題については私は良く知らない。しかし世界は次第にEUの如く統合の方向に進むべきであろう。その為に中国は、チベット民衆が「中国の支配下に入って良かった」と思わせるような統治をすべきである。所が毛沢東以来、中国の支配は逆であった。一旦こじれた関係を修復するのは困難であるが、チベット民衆を豊にし、独立運動のリーダーと和解する事が何より重要である。

 日本は三・一独立運動のリーダーであった崔麟、李光洙を皇民化運動のリーダーに育て上げ、民族融和に努めた。この努力を見習って欲しい。そして一九三〇年代に朝鮮で、日鮮一体化のムードが盛り上がったように、チベットでも中国との一体化、共に力を合わせた新国家建設ののムードを盛り上げるよう努力すべきであろう。



満州事変・支那事変で教えて貰いたいこと

 春の授業研究会のテーマの一つは「満州事変から敗戦までをどう教えるか」であった。私は満州事変からの支那との戦いについて次の三点を是非教えて頂きたいと思う。

1.支那との戦いはテロとの戦いであった。
2.マスコミの主張は素直に信じてはならない。
3.スクイズのサインを無視して、ホームランを打った打者を誉めるか、叱るか。

1.支那との戦いはテロとの戦いであった。

一昨年の九月一一日の貿易センタービルへの自爆テロを契機にアメリカはテロとの戦いを宣言し、アフガニスタンへ攻め込んだ。

イスラエルとパレスチナとの戦いもテロとの戦いである。弱者が強者に対し戦うにはテロしかない。日本と支那との戦いはまさにテロとの戦いであり、単なる征服欲による侵略とは異なる。

 満州事変は関東軍の参謀・石原莞爾の謀略による柳条溝の満鉄線路爆破から始まった。しかしそこに至るまでの中村大尉殺害事件、万宝山事件と呼ばれる朝鮮人農民と支那人農民の衝突事件他、日本人に対する無数のテロ事件があったことを無視してはならない。

 支那事変も僅か一発の蘆溝橋における発砲が何故あのような大事件になったか。それに先立つ無数のテロ事件と、これに続く通州事件、大山中尉殺害事件があったからである。特に通州事件では日本人一八〇人が極めて残虐な殺され方をした。日本が憤激するのは当然であった。

では何故そのようなテロが起きたか。日本は日清戦争・義和団事件・日露戦争・第一次世界大戦で次々と中国における権利を獲得した。一方中国はナショナリズムの高揚と、地方政府主導による反日プロパガンダで対抗した。特に反日教科書によるプロパガンダは効果を発揮した。当時の中国は戦国時代で、中央政府の威令は無きに等しかった。地方政府は日本が外交交渉で獲得した権利を無視し、権利の行使を認めなかった。更に国際共産党による画策が重なった。これでは日本が怒るのは当然であり、まさにテロとの戦いだったのである。

2.マスコミの主張は素直に信じてはならない。

マスコミは「当時は言論の自由が無く、軍部の支配下にあった」とし、マスコミの責任を認めていない。しかし満州事変、支那事変とも政府及び軍部のトップの方針は戦線の不拡大であった。もしマスコミの主張通り、言論の自由がなかったら、マスコミの主張は不拡大でなければならない。しかしマスコミの論調は行け行けドンドンで、現地軍を煽ったのである。このマスコミの論調に勇気づけられ、現地軍は戦線を拡大したのである。

 このような大衆迎合主義は、消費税問題でも発揮された。平成二年(一九八九年)竹下内閣は消費税を導入した。この時のマスコミの論調は消費税反対一色であった。その結果参議院選挙で自民党は惨敗したのである。しかし今日のマスコミの論調はどうだろうか。「将来的の税制として消費税の引き上げは、必要不可欠」というものではなかろうか。

3.スクイズのサインを無視し、ホームランを打った打者を誉めるか、叱るか。

満州事変で現地軍は中央の指示を無視して、ドンドン戦線を拡大した。その結果ソ連の反発もなく、予想外のスピードで全満州を支配下に納めた。

 ここて問題となるのは、中央の指示を無視した関東軍幹部、特にこのシナリオを書いた石原莞爾を罰するべきか、誉めるべきかである。もし罰したら大変なことになったであろう。日本政府は無難な道を選び、現地軍幹部に褒賞を与えたのである。

 運命は皮肉なもので、支那事変発生時、石原莞爾は参謀本部作戦課長として現地軍による戦線拡大を押さえようとした。しかし現地軍は「貴方のした事を真似ているだけだ」として、石原莞爾の指示に従わず、泥沼の中にはまりこんだ。

一九九〇年代幾つかの企業で、内規を破り投機に失敗して、会社の存亡を問われる事件が発生したが、その責任者はすべて、その前に同じような投機で大成功し、栄進した人であった。



東京裁判の授業に関連して

『学校で学びたい歴史』を学ぶ会で、東京裁判の授業を聞きながら、「アメリカは何と不勉強のまま戦争に突っ込む国か」と思っていた。

 東京裁判では東條英機等七人が死刑となったが、なんと後にウェッブ裁判長は「東京裁判は誤りだった。米英共に日本と同じ状況に置かれたら、戦争に訴えたろう」と語ったと言われる。
 又日本糾弾の急先鋒だったキーナン主席検事も「東京裁判は公正なものではなかった」と発言したと言われる。
 石原藤夫著『靖国神社一問一答』展転社発行に記載されている多くの人の「日本無罪論」「東京裁判不公正論」を是非読んで頂きたい。

 アメリカの最大の失敗は共産主義に対する無知であった。アメリカは中国市場における機会の平等を求めて、あれだけの多くの犠牲を払ったが、結果は完全に中国市場から追い出されたのである。
 又日本・朝鮮で獄に繋がれていた共産主義者を釈放し、戦後の混乱を招いた。
 又ヨーロッパ戦線でもドイツを非難するあまり、敵の敵は味方として、ソ連と手を組んだ。完全にスターリンの「アメリカを戦争に引きずり込み、日独が潰れた跡地をごっそり頂く」戦略にはまったのである。

 冷戦が始まり、共産党追放のマッカーシー旋風が吹き荒れたとき、やり玉に挙がったのは、財務省のハリー・デクスター・ホワイトとホワイトハウスのロークリン・カリーであった。ホワイトはルーズベルト大統領の右腕と言われるモーゲンソー財務長官の信頼を得、財務次官補まで昇進している。ホワイトがソ連の工作員パブロフの影響を受けていたことが明らかになっている。
 カリーは中国問題特別補佐官であった。更にルーズベルト夫人エレノアは共産主義のシンパであった。

 アメリカの無知は朝鮮問題でも戦後の混乱を招いた。アメリカは朝鮮人の能力について全く無知であり、長期間の国連信託統治を考えていた。そして共産主義者を解放し、日本統治の一翼を担った有力行政官を追放した。この結果各地でパルチザン活動の激化を招き、朝鮮戦争の引き金になった。
 トップに立ったのはアメリカに亡命していた李承晩である。李承晩は権力欲だけ強く、国家の発展策について考える事は、如何にアメリカから金を引き出すかだけであった。

 今回のイラクでも戦後の青写真をどの様に描いていたのであろうか。アメリカへ亡命していたチャラビ等をリーダーとして考えていたとすれば、韓国の二の舞となるであろう。戦後の日本統治に見習う等の声があったが、これなど勉強不足の最たるものであろう。

 日本はフィリピン占領に当たって、マニラ市長として起用したバルガスはアメリカ統治下のフィリピン政府官房長官であり、独立時選出された大統領・ラウレルは、内相・上院議員等歴任したフィリピンの有力政治家であった。フィリピン独立運動の闘士であり、日本に亡命していたリカルテを政府要職につける事はなかった。
ラウレルは日本の傀儡政権と言われる事を恐れ、日本人の顧問は実質的にはGM極東地区総支配人であった浜本正勝しか起用しなかった。日本はそれを許容したのである。それでも地方でのゲリラは押さえきれなかった。

 アメリカはイラクでフセイン政権の幹部をすべて追放したが、果たして正しい選択だったであろうか。フセイン追放後早一年以上たつ。その間治安は回復するどころか、ますます悪化している。これはアメリカの占領政策の失敗である。ようやくフセイン政府の一部高官の復帰が検討されている。
 フセイン逮捕の時の惨めな扱いは、いやな予感がしたが、イラク人捕虜への虐待が明らかになりつつある。この問題は今後のイラク復興に当たっての最大の問題となろう。
 アメリカはフセインを裁判に掛けると言っているが、この混乱時たとえイラク人による裁判であっても、東京裁判同様勝者の裁判となり、公正な裁判は期待できない。
私はフセインは政情が完全に安定するまで丁重に監禁し、イラクの将来について徹底的に話し合い、彼の知恵も活用することを考えるべきだと思う。フィリピン独立運動のリーダー・アギナルド大統領は後に上院議員として活躍している。その故知をもっと学ぶべきではなかろうか。



支那事変開戦記念日

 七月七日は支那事変の開戦記念日である。何故廬溝橋の一発が局地的な事件で止められず、あれだけの大戦争に発展したのであろうか。日中両国政府は共に不拡大を唱え、局地紛争に止めようとした。しかし両国政府の意志は次々に破られ、泥沼の戦争に入らざるを得なかった。何故か。次に事件の経過を示す。

七日日本軍夜間演習終了時、数発の銃弾が撃ち込まれた。犯人は特定できなかった。
八日早朝四次にわたる銃撃に日本軍反撃
日本閣議、不拡大決定
九日午前三時松井特務機関長ー秦徳純副司令間で休戦合意
しかし中国軍、合意事項を守らず、小紛争続発
蒋介石四個師団北部へ派遣決定。一九日までに三〇師団集結
一〇日夕刻中国軍砲撃再開
一一日夕刻松井ー天津市長張自忠間で停戦協定成立。この中には「反日的な青シャツ隊と共産党の活動を抑制するための適切な処置をとること」との項目がある。
この協定と行き違えで近衛首相による「北支派兵に関する政府声明」が発表された。しかし上記の停戦協定により、内地軍の派兵は見送られ、 関東軍と朝鮮軍のみ派兵。尚当時の兵力は日本軍五六〇〇人、支那軍一五万三千人であった。派兵はやむを得なかったのではなかろうか。
一二日中央政府外交部長、南京の日本大使館に「中央政府の同意なしに結ばれた協定は無効」と通告
一三日参謀本部不拡大方針確認
支那駐屯軍七項目要求
この日以降も中国軍停戦協定違反続く
一八日宋哲元ー香月司令官会談、宋哲元謝罪の上、七項目要求受諾
一九日細目協定成立
蒋介石、最後の関頭声明
中国軍迫撃砲で砲撃
二〇日中国軍砲撃・日本軍応戦
内地軍三個師団派兵決定
二二日中国軍一部北京から撤退開始する。
現地軍よりの連絡で内地軍派兵見合わせ二四日 中国軍北京からの撤退中止。中央軍指示と言われる。
二五日廊坊事件
北京ー天津の中間にある廊坊で、現地支那軍司令官の了承を得て、通信線の補修を終えた。夕飯の食事中、支那軍に襲われ、一個中隊全滅の危機に陥った。補修したばかりの通信線を使い、救援を依頼し、辛うじて助かった。 二六日 広安門事件
北京入城を命じられた一大隊が二六両のトラックに分乗し、支那軍と打ち合わせた午後四時広安門についたが、門は閉ざされていた。折衝の上、午後七時開門した。先頭の三両が通過したとき、城壁上から一斉射撃を受け、日本軍は分断された。
二七日この2つの事件が決定打となり、内地からの三個師団派兵が決定された。 二八日 通州事件
日本軍の飛行機が、冀東防共自治政府の保安隊を誤爆した。これに怒った保安隊は、日本軍守備隊と居留民を襲い、居留民一二四人、兵士一八人を惨殺した。この殺し方は残虐そのものであり、日本人の強い反感を買った。

 この経過を見ると、日本軍も支那現地軍も戦線拡大の意図は全くなかったことが分かる。そこには明らかに停戦を阻止し、全面戦争に引きずり込もうとした勢力があった。

一九三五年七月第七回コミンテルン(国際共産党)大会で、世界中の共産党の敵は日本とドイツと規定し、それ以外の勢力と連携し、日独打倒に専念することを決定とした。これに呼応して中国共産党が八・一救国宣言を出し、国共合作し対日戦争の遂行を呼びかけた。

 この呼びかけが実現したのは翌一九三六年一二月の西安事件である。一九三四年瑞金で破れた中国共産党は大長征と呼ばれる流浪の果て、延安に根拠地を定めた。この延安攻撃を命じられた張学良が寝返り、激励に来た蒋介石を軟禁したのである。毛沢東は恨み骨髄に達する蒋介石を殺すつもりでいたが、スターリンの指示により、蒋介石を釈放し、国共合作がなったのである。廬溝橋事件発生の前年末である。

 廬溝橋事件の翌日、コミンテルンは「あくまで局地解決を避け、日支全面衝突に導かなければならい。」と指示を出し、中国共産党は即時開戦の電報を出した。この電報は中国各地の軍事博物館に掲示されているだけでなく、歴史教科書にも書かれているとのことである。(防衛庁広報誌『セキュリタリアン』平成一二年七月号・永江太郎「支那事変への突入」)

更に支那軍の中核をなす、宋哲元軍には、ソ連の教育を受けた馮玉祥軍の残党が多数入っていたと言われる。

この経過を見ると、明らかに中国共産党により、日本も支那も自らの意志に反して、戦争に引きずり込まれたのが支那事変開戦の真相であろう。



中国の主張する「侵略の美化」なる虚構 理不尽な要求は断固はねのけよ
くらしき作陽大学助教授 会員 小笠原幹夫

ご注進で始まった妨害工作

 来年度からの使用を目指して「新しい歴史教科書をつくる会」が提案し、扶桑社が作成した中学校用「新しい歴史・公民教科書」が四月三日、文部科学省の検定を無事通過した。これで日本の教育は救われる、とまことに慶賀の思いにたえない。

 しかしながら、昨年四月に検定申請をしてからの一年間は、決して平坦な道ではなかった。昨年の七月から早くも特定マスコミによる中国、韓国へのご注進≠ェ始まった。八月には、中韓両国のメディアによる批判報道が開始された。この間、水面下で日本の政府や政治家への中国政府の働きかけがあった。十月には、検定調査審議会の元外交官のメンバーが検定不合格をもくろんで事前工作を働くという一件が明かになった。

 今年に入って、検定作業も終りに差し掛かった頃、朝日新聞は二月二十一日付一面トップ記事で、中韓両国の外圧誘発を企てる報道を行い、それに応えて、両国から不合格を求める内政干渉が始まった。検定合格後も中韓両国の「再修正要求」という名の内政干渉は繰り返され、教育現場が同教科書を採用しないよう露骨な圧力をかけている。

 採択の過程にまで踏み込んでくる中国の傍若無人ぶりには驚くばかりだが、国によって、あるいは個人によって、歴史の見方と解釈が違うのは当然のことである。サンフランシスコの講話条約や日韓基本条約の締結によって過去の問題はすべて解決済みであって、中国や韓国の公式見解と異なる歴史の教科書を発行してはいけないというのは何の根拠もない。(韓国、北朝鮮への対応については、昨年の授業づくりセミナーで既述のため省略する。)
 そもそも中国が執拗に、感情的表現で誹謗中傷するところの「歴史の歪曲」や「妄言」などの事実は存在するのだろうか。もとになる事実がないのならば、当然主張の全体が崩壊する。

 中国外務省の朱邦造報道局長は二月二十二日、定例記者会見で日本の教科書問題、現在検定中で内容が公表されていない特定の歴史教科書について、日本政府に「侵略を美化する教科書の登場阻止(検定不合格)を求める」との公式見解を表明した。自国の軍事行動を「侵略」と呼ぶのは語法としておかしいのだが、ここでは百歩譲って「侵略」の事実があったのか、なかったのかを検証したい。

シナ事変を起こしたのは中国側

 日本と中国の歴史ではっきりさせておかなければならないのは、シナ事変を起こしたのは向こうなのだということである。当時、国民政府軍は強烈な北伐により中共軍を延安に追い詰めていた。コミンテルンに指導された中共は、この窮境を脱するために張学良を寝返らせ、西安で蒋介石を拘禁して脅迫し、中共軍への攻撃を中止して対日戦を開始することを約束させた。

 ところが蒋介石がなお対日戦に踏み切らないために、さらに駄目押ししたのが蘆溝橋事件の謀略である。中共軍の副主席劉少奇は北京大学の学生党員を使って、闇夜に夜間演習をやっていた日本軍の豊台守備隊と隣接する国民政府第二九路軍の兵営との双方に弾丸を射ち込み、両者を無理やりに戦闘させて、まんまと両軍をシナ事変に引きずり込んでしまった。こうして両軍を共に消耗させることにより、中共は漁夫の利を占めてシナ大陸を制覇したのである。

 従って、その後、シナ全土に広がって住民を苦しめたシナ事変は、現在日本を非難している中共自身が起こしたものであって、事変の泥沼に引き込まれ、永年大陸で戦わされて苦労した日本軍は、その犠牲者だったのである。その証拠に、日本を断罪する目的で開かれた東京裁判でも、シナ事変に関しては開戦責任が日本にあることを立証できず、ついにこれを訴追事項からはずしたではないか。

 ところで、反日派が考え出した俗耳に入りやすい議論として、蘆溝橋の一発を誰が放ったかということよりも、そんなところに日本軍がいたこと自体が問題だというのがある。ぼくは、斎藤邦彦・前駐米大使が同様の発言をしたのを聞いてびっくりしたことがあるが、この大使は、アメリカのテレビで、アイリス・チャンに一言も反論しなかった人である。

 それはともかく、わが国は明治三十三年(一九〇〇年)の義和団の乱(北清事変)後に、居留民保護のための軍隊の駐留を清国との条約により認められていた。日露戦争のポーツマス条約においては、日本はロシアから南満州における権益を譲られている。これは、その当時のシナ政権も承認したことであり、とくに南満州鉄道の沿線については、一キロ当たり何人という駐兵の条件を結んで決定している。当時の満州は匪賊、馬賊の横行する荒野だったわけだから、居留民保護のための駐屯は当然であろう。

 ここまで分かっているのに、中国からの申し入れに対して、なぜ日本の外務当局は事実調査のうえ返事をすると答えなかったのか。そしてまた外務省は、ただちに文部科学省と連絡して実情の把握に努めなかったのか。中国や韓国の抗議は「内政干渉ではない」などというのは、国家の自立を害し教育の根本を傷つけるものだったと言わなければならない。

 歴史を知らない外務官僚

 さらに今回の不手際には、外務官僚が歴史を知らないことがあると思う。日本は戦争で中国に大きな被害を与えた、ということが頭にこびりついてしまっているようだ。それが、何か言われればすぐに謝る発想になっている。政治家はもちろん、官僚もジャーナリストも評論家も、世論の形成に関るような立場の人たちは、国の重大事に無知であってはならないのだ。

 満州国建国は不当であり悪いこと、という刷り込みも外務官僚には強いようである。そもそも満州という土地は、本来シナの領土とは言えない。たしかに満州は清国の一部であった。しかしこれは清朝を建てた女真族(満州族)が満州の出身であったからにすぎない。本来、シナ人(漢民族)と満州人はまったく別の民族なのであり、別の言語系統に族している。辛亥革命で紫禁城を追われたラストエンペラーの溥儀が民族発祥の地、満州で再び帝位につくというのは、彼の血筋を考えれば当たり前の話である。

 もちろん、日本政府の方針をまったく無視し、出先で勝手なことをやった関東軍将校の行動は暴走としか言いようがない。互いに武器を持って戦ったからには、片一方だけに原因があるという、そこまで極端なことはぼくも言わない。が、満州に満州族の本来の皇帝である溥儀が来て統治者になるというアイデアは、やり方を間違わなかったならば、日本がその手助けをすること自体は、別に悪いことではない。

 それに、その頃の満州は軍閥が割拠し、また中共軍、雑軍(匪賊)もいて、混乱をきわめていた。それらのシナ軍が、ソ連の共産軍に煽動され、それまでの条約を一切無視して反日行動を起すようになっていた。満鉄の運行を妨害したり、日本人の子供が暴行を受けたり、日本の商品を買わない運動が起きたり、日本の軍人が殺されたりといったシナ人による事件が三百件以上も起こり、満州にいた日本人が危険な状態にあったのは動かしがたい事実である。満州事変を関東軍が起したのも、このような危険な状況を解決するためにシナの軍隊や匪賊を満州から排除するという目的があった。

 条約を守らないシナ

 シナが条約を守らないのは、アヘン戦争以来のお家芸である。清国は徳川幕府よりも早い時期に欧米との通商条約を結んでいる。イギリス人の所有するアヘンを焼いた林則除(清国の大臣)は、生麦村でイギリス人を斬った奈良原喜左衛門のごときものであり、引き続いて起こったアヘン戦争は薩英戦争と同じパターンである。

 清国は、この戦争のために南京条約(一八四二年調印)で香港を失うなど、ひどい目にあった。ところが、清国政府もシナ人も、その後、同じパターンで大規模、小規模の生麦事件を繰り返し続けた。アロー号事件、清仏戦争、壬午・甲申事変、義和団の乱などを起しており、この条約破りが満州事変の直前まで続いていたというのが実情である。

 どんな不利な条約であっても、いったん結ばれたらそれを誠実に履行するのが常識というものである。完全にイーブンな立場で結ばれなければ正当な条約と言えないというのであれば、歴史上にまともな条約はひとつもあるまい。例えば、幕末の通商条約も列強の方が圧倒的に有利な状況で結ばれた条約であるが、だからといって「日本が安政条約を受諾したのは軍艦や大砲の驚異の前に、しぶしぶやったことであって、あれは無効だ」と言ったら、世の中の誰がまともに取り上げてくれるであろうか。

 当時の国家間の条約・協定等は原則として不平等なものだった。平等な条約が結ばれるのは、二か国間の実力が伯仲し、どうしてもバランス・オブ・パワーを保つ必要があると認められる場合のみである。日米修好通商条約(安政条約)や日朝修好条約(江華島条約)は不平等条約であるが、そのことはいささかかも国際法に抵触するものではなかった。

 この不平等条約締結が拒否された場合には、武力に訴えることは正当であり、また一度結んだ不平等条約が守られない場合も同様であった。これが当時の世界を席巻していたパワーポリティックスの実体なのであり、歴史を学ぶものはいちいち感傷的になってはいられないのである。

不平等条約をも履行した日本

 シナはアヘン戦争以後、百年間も諸外国と条約を結んでは、それを守らずに武力衝突を繰り返し続けた。ところが日本では、徳川幕府の締結した国際条約を明治政府が受け継ぎ、外人の治外法権や、関税自主権の喪失のような不平等条約をも誠実に履行しつつ、漸次国力を蓄え、国制を整備し、半世紀以上もかけて欧米と対等の外交関係を樹立するに至ったのである。

 日本人には辛苦して一等国になったという自負心があるが、シナ人が日本に対して抱いているのは、いわれのない蔑視感情である。日本から最近二十年間で六兆円以上に及ぶODA(政府開発援助金)を受けていながら、その感謝も表わさない礼儀知らずの中国や、共産主義たちにあやつられた教育者やジャーナリストはもちろん、一部自民党の政治家による売国的行為が今も続けられている。李鵬全人代常務委員長のごときは、「日本はあと二十年もすれば消えてなくなる泡のような国だ」と暴言まで吐いているのである。

 この度の「新しい歴史(公民)教科書」の検定合格により、教科書運動がここに一つの確かな結実を見たことは、前途に一抹の光明を見出す思いである。しかも今度の教科書検定で救われるのは政府の態度である。森首相(当時)も町村文部科学相(同)も日本の教科書は日本のやり方で決めていくと、中国や韓国の抗議にはまったく応じなかった。十数年前の『新編日本史』の時と比べて、政府の姿勢は大きく変ってきた。ようやく日本は「普通の国」に近づいてきたということであろう。

 歴史を歪曲しているのは中国

 中国の主張する「侵略の美化」は根拠のない嘘である。しかし特定マスコミはこの嘘をばらまき、一部の文化人や学者もその尻馬に乗って大騒ぎをしている。これを見ていた中国や韓国が、日本はここをつつけばグラグラすると悟り、しつこく戦前の問題を蒸し返して謝罪を迫っているのである。

 歴史を歪曲しているのは中国の側であることは明らかだが、わが国が中国の歴史教科書に抗議し、内容の変更を迫ったことは一度もない。自国の歴史解釈を他国に押し付けることは主権の侵害である。つまり、自国の子弟にどのような歴史を教えるかはその国の自由であり、それを侵すことは内政干渉なのだ。このような圧力に対して政府は断固拒否し、逆にその行為の非を指弾すべきである。

 それとともに、今回の検定では、部外秘である白表紙本が外部に流出し、教科書の内容が中国や韓国政府にまで漏洩していたことを忘れてはならない。朝日新聞は、中韓両国の外圧誘発を企てる報道を敢えて行い、また、検定制度の廃止を唱えてきた社民党が、「新しい歴史(公民)教科書」を標的として検定強化を求める姿勢を公にした。これらは検定のルールに対する重大な挑戦である。

 とりわけ目に余るのは、外務省の姿勢であり、検定調査審議会での元外交官の事前工作の背後には、外務官僚の組織ぐるみの関与があったことはほぼ確実だ。いずれの国に対しても、歴史解釈権は独立国家として絶対に譲歩してはならないのであり、その意味でぼくらの戦いはまだ終ってはいない。

《参考文献》
・田中正明「歴史教科書への中国の干渉を許すな」(『大吼』五月号)
・総山孝雄『共有生命の哲学』(平成十年、国書刊行会)
・渡部昇一「歴史の教訓」(『致知』五月号)
・藤岡信勝「ついに挫折した検定不合格の策動」(『月曜評論』四月号)
・吉原恒雄「教科書検定への中韓の介入を許すな」(『祖國と青年』四月号)
・伊藤哲夫「良識教科書検定合格」(『世論』四月号)
・石川水穂「教科書問題の発端」(『正論』六月号)



ETV2001「女性国際戦犯法廷」についての
朝日新聞虚偽捏造記事を論破する
      非会員 法学士グレアム グリーン

NHKのETV2001が松井やより達が主催した「女性国際戦犯法廷」なる人権蹂躙の似非法廷を特集しました。しかしこれに対して市民からの抗議が殺到し、当然ながらNHKが抗議を受けて、内容をチェックし適正化したことに対して、3月2日付け朝日新聞にとんでもない記事が掲載されました。

「 NHK、戦時検証及び腰、右翼の抗議殺到/相次ぐ削除、幹部が試写・企画案、骨抜きに 」と大々的見出しで記事にしています。

ETV2001の「女性国際戦犯法廷」の放送に関しては雑誌「諸君」や「正論」で投稿者の皆様が繰り返し指摘されているように、削除訂正されて当然の極めて悪質かつ唾棄すべき人権蹂躙内容です。
寧ろ、公共放送NHKに取り上げられたこと自体が異常であるというのが正しいでしょう。
公共放送では絶対に取り上げられるべきではない程、悪質かつ下劣極まりない内容です。

  高級オピニオン雑誌「正論」の桑原 聡氏はこれを「暗黒裁判」と評し更に、「詰まるところこの「法廷」は、「元従軍慰安婦」をさらに傷つけ、人間同士、国家同士の憎しみを増幅させるだけではなかろうか。はっきり言おう。「女性国際戦犯法廷」は人類に対する犯罪である。」とまで言いきっておられます。

外交評論家の加瀬英明氏は、「NHKよそれを売国行為と呼ぶのです。」とNHKを厳しく批判している。

朝日新聞は自分たちは教科書問題に関しては平気で、言論弾圧攻撃を繰り返す一方で、左翼的活動への抗議に関しては、全てを「右翼活動」とレッテルを貼って「言論弾圧だ」等と妄言を繰り返しているのです。

NHKのETV2001がこのおぞましい人権破壊行為を特集すると言う情報が流れた時点で、多くの市民からの抗議がNHKに寄せられたのです。多くの大学教授や「女性国際戦犯法廷」を憂慮する市民団体、個人からの抗議が山ほどNHKに届き、そのためNHKの海老沢会長自らが番組のビデオを見たところ、そのあまりの反日偏向とおぞましい内容に腰を抜かさんばかりに驚き慌てて結果として内容が修正されたのです。
(この経緯は獨協大学中村教授論文:雑誌「正論」4月号209頁に詳しい)

この番組は正常な人権感覚を持つ良識ある日本人ならば誰でも抗議する内容であり、「抗議者の一部に右翼」が含まれていたという事実を、「右翼による抗議」などと事実をすり変える汚いトリックこそ朝日新聞や左翼全体主義者が常用する言論弾圧手段です。

  こう言った捏造報道を垂れ流し、正常な言論報道を破壊しつづけている朝日新聞は、やはり正常な言論維持の観点からは朝日新聞は徹底的に合法的ボイコットで叩き潰す以外には方法はないように思われます。

以下に似非法廷「女性国際戦犯法廷」への完全批判を詳細に論証いたします。

1.いわゆる『女性国際戦犯法廷』の非正統性
(1)存立に関わる合法性の欠如
  @存在自体に関して何ら法的裏付けが存在しない。単なる任意団体による任意的示威活動に過ぎない。
  Aそれゆえ「判決」や「判断」は何ら法的権威ならびに拘束力を有さない。
【結論】いわゆる『女性国際戦犯法廷』の法廷としての存在ならびに判決は何ら法的執行可能な権威並びに合法性を有しない。
(2)裁判形式上の重大な瑕疵
  @一切の弁護活動が許されていない。したがって西欧近代法上の法廷成立要件を 全く満たしていない。
  A証言や証拠と称するものに客観的検証と裏づけがなされていない。 したがって証言、証拠と称するものに何ら法的効力は生じない。
  B第二次世界大戦の事案を法的に裁けるのは、当時存在した国際法によってのみであり、 現在存在し当時存在しなかった如何なる「事後法の適用」も法的には無効である。
【結論】いわゆる『女性国際戦犯法廷』は裁判形式上も法廷としての体裁を全く満たしていない。
(総括)@Aの決論においていわゆる『女性国際戦犯法廷』は存立根拠上も裁判形式上も、法廷としての根拠を有していない。それは法廷ではなく前近代的な私刑(リンチ行為)、あるいは欠席裁判(カンガルーコート)に該当するものである。
(3)いわゆる『女性国際戦犯法廷』が近代的民主主義に与える侵害行為
  @上記のように法的根拠の存在しない特定の集会での結論を、あたかも正当な裁判におけるかのように主張する行為は、明かに人権と民主主義に対する重大な 敵対行為を構成する。
かかる、私的私刑的な一方的な「法廷」は明かに全体主義国家...ナチスドイツ や北朝鮮や共産主義中国の法廷と同一のものであり、西欧民主主義国家に対する脅威である。
個人が何ら法的根拠の無い機関に「法廷」として召集され弁護士も許されず、相手方の一方的な「証言」のみに基づき「有罪」と宣告され新聞やマスコミに 大々的に名誉を辱められる記事を掲載されるがごときに等しいものである。
  A名誉毀損行為(Defaming Activity)の構成
何ら法的根拠の無い「法廷」と並びに検証の無い一方的な「証言」のみに基づく「有罪」宣告をあたかも「合法的な法廷の判決」の如く主張する行為は明白な名誉毀損(Defaming Activity)を構成する。
  B人種差別的行為(Hate Crime)の構成
特定の人種(Race)、国籍(Nationality)個人、国家、組織を上記の如く何ら合法性正当性を有さない根拠で明白且つ大々的に批判することは、明らかに人種差別犯罪を構成する。

2.これを公共放送NHKが報道することの不当性
(1)法的裏づけの無い「法廷」「判決」と称するものを報道することは、あたかも他の正当な法的機関並びにその判決のごとくに視聴者に重大な誤解を生ぜしめる。
(2)事実検証の成されていない証言や弁護人の反証も無い結論を一方的にあたかも合法的かつ事実の如く報道する行為は下記の2つの犯罪行為を構成する。
  @名誉毀損(Defaming Crime)
  A人種差別(Hate Crime)
(3)昭和天皇に関しての責任や日本についての法的問題は東京裁判(その合法性には多々問題はあるが)とサンフランシスコ講和条約で国際法上の全ての決着がなされており、このような国家元首を表題にした報道は特定個人の人権への侵害であり、 国民および国家の名誉への侵害行為であり、報道活動上の冒涜行為である。
裁判は「一事不再理」が原則であり、法的に決着された事案を再度審理することは認められない。
またいわゆる「慰安婦問題」と全く因果関係を有さない日本国家の象徴、昭和天皇を報道の対象とする行為はあからさまな人権侵害に留まらず、人種差別行為、誹謗中傷行為、日本国民および国家に対する明白な敵対、冒涜行為を構成するものである。
(注)法的に責任が追及されるのは明白に原因と結果の「直接的因果関係」が立件されねばならない。例えばある犯罪行為が構成された場合、有罪と認定されるには「行為そのものに荷担したか」「行為自体を指示、教唆したか」という直接的な因果関係が立証されねばならない。
(注)この点に関しては、米国政府は日本企業の強制労働問題で、「こうした国と日本との賠償問題は二国間条約で解決済み」として、原告らの訴えを認めない旨の意見書を同地裁に提出していたことを米国政府は2000年12月16日明かにした。
日本企業の強制労働問題で、同地裁は今年九月、やはり米政府が提出した意見書などに沿って、元米兵捕虜ら連合国国民の訴えを棄却しており、今回の意見書は、連合国以外の国民が原告となっている訴訟の司法判断にも、大きな影響を与えそうだ。
米政府は、中国や韓国の国民が石川島播磨重工業、新日鉄、三井、三菱グループを訴えている六件の訴訟に絡み、今月十三日に意見書を提出。その中で、同大戦期の強制労働について米国の法廷で賠償を求める道を開いたカリフォルニア州の法律(昨年七月制定)を、「外交政策策定に関する連邦政府の権限を侵し、日米関係を混乱させるもの」と断じた。
そのうえで、サンフランシスコ講和条約に加わっていない中国や韓国の国民の請求について、「サンフランシスコ講和条約は日本に対し、中国や韓国からの賠償をめぐる問題についても各国政府との二国間条約で解決するよう求めており、日本はそれを果たした」 とし、「こうした各条約の枠組みが崩れた場合、日本と米国および他国との関係に重大な結果をもたらす」との見解を示した。
最近の研究では日中戦争のそもそもの発端は「盧溝橋事件事件」における、中国共産党による挑発謀略による可能性が高くなっており、戦争犯罪と責任所在は日本軍ならびに蒋介石軍ではなく中国共産党にある可能性が高まっている。
(4)いわゆる「慰安婦問題」に関しては、公文書の調査の結果では何ら日本軍による強制的連行が実行された確証が見出されていない。したがってそれ自体、単なる商行為であった。これを強制連行などと捏造したのは朝日新聞の責任である。  何ら根拠のないものへの報道は報道の真実性と客観性を蹂躙する行為である。
(韓国のソウル大学の安垂直教授は、彼がコンタクト出来た40人以上の女性の証言を検討した所、半数以上の証言は矛盾していたり、時代背景と違っていたり、事実を歪められていたと言っています。彼はそのうち19人の証言をまとめて発表していますが、その内日本軍に強制されて慰安婦にさせられたと言っているのは、僅か4人に過ぎません。
しかもその内の一人は釜山で働いたと言い、他の一人は富山で働いた、と言っていますが、釜山にも富山にも軍の慰安所はなかったのです。残る2人の内一人は前述の金学順であり、今一人は文玉珠です。文玉珠は日本政府に対する訴訟で、当初は娼婦として売られたと言っています。日本政府はこの問題について厳密な調査や適切な裏付け捜査を行わず、日本の伝統的な手法と「NO」と言えない性格により、「政治的」に丸く収めようとし、恥ずべき河野声明を出したのです。それは軍に責任をかぶせる、信じられない程の官僚的な、無責任なものでした。
左翼新聞の朝日新聞は事態を悪化させる重要な役割を果たしました。というのは彼女らの最初の証言である「娼婦として売られた」といった、大変重要な証言を報道しなかったのです。慰安婦問題は貧困と悪徳業者による悲劇でした。軍には何の責任もありません。この問題における朝日新聞の責任は極めて重大です。)
またわが国最大の新聞、読売新聞も3月1日付け社説で明白にいわゆる従軍慰安婦問題がマスコミによる明白に「捏造」であったことを宣言した。(以下読売社説引用)
「過去、何度となく、同じような現象があった。 例えば、いわゆる従軍慰安婦問題。これは、そうした特定マスコミが、戦時の勤労動員だった女子挺身(ていしん)隊(たい)を、強制的な“慰安婦狩り”制度だったと歴史を捏造(ねつぞう)した結果、一時、日韓関係を極度に悪化させた。歴史を捏造してまで、日本を比類のない悪の権化に貶(おとし)めようなどというのは、「自虐史観」の極みである。」
(5)報道の偏向性
中国や北朝鮮などの虐殺行為(文化大革命、大躍進における数千万人の人民虐殺、ポルポト政権の犯罪支援行為、チベット侵略とチベット人民虐殺行為、天安門大虐殺事件etc...)には一切言及せず、上記の如く既に国際法的に決着ずみの事案をことさら大々的に報道することは、マスコミとし本来負わねばならない「公平性」ならびに「正当性」を大きく逸脱する行為であり、日本国民の歴史認識と国際認識において極めて重大な悪影響を及ぼす反社会的な行為である。
確かに大規模な戦争行為においてレイプ事件などが戦闘国双方において行われた 事実はあるだろうしそれは当時の軍法に照らして違法行為であったとするのが正当であろう。 しかしそれを非難するのであれば特定国のみの行為を一方的につるし上げ、攻撃するのは明かに不正義であり人種差別的な行為である。
中国軍、ソ連軍、米国軍双方における残虐行為を総合的に検証、報道すべきである。
(連合軍の犯罪例)
  @旧ソ連共産軍が国際法に違反して満州に進行した際に日本人の婦女子が大量に共産兵にレイプされたり虐殺された。更に戦後も約30万人の日本兵がシベリアに強制連行され長期間強制労働に従事された。
  A中国軍による日本人虐殺事件 「通州虐殺事件」
中国人による日本人虐殺事件 「通州事件(Tong zhou Incident) 」が発生している。
盧溝橋事件から三週間後の7月29日、通州の中国人保安隊が当時通州にいた日本人・朝鮮人居留民を一軒残らず襲撃し、結果この事件で居留民380人の大半が虐殺され、婦女子はレイプされた上で虐殺された事件が存在している。
「1937年の中国軍による上海での日本人捕虜虐殺事件」上海において中国兵による日本人や市民虐殺が実行された。
(資料)
(上海における中国人の日本人捕虜虐殺行為に関するCNNレポート)
http://www.cnn.com/WORLD/9609/23/rare.photos/index.html
(CNN紙に掲載された虐殺光景)
http://www.cnn.com/WORLD/9609/23/rare.photos/image1.lg.jpg
http://www.cnn.com/WORLD/9609/23/rare.photos/image2.lg.jpg
  B米国に関しては、広島への原爆投下や東京大空襲は、一般市民を明白に大量虐殺することを戦略的に目標としたしたものであり、当時の戦時国際法に照らして重大な戦争犯罪であった疑いが濃厚であると国際法学者の間で論議されている。
  C米軍による占領時代に占領米軍により日本国内で多数のレイプ犯罪が行われ、しかも、犯人は軍法会議や米国での司法訴追などを免れていた歴史的事実が明らかである。
例えば終戦直後8月30日にマッカーサーに率いられたアメリカ軍が、神奈川県の横須賀に上陸した。その日に神奈川県だけでアメリカ兵による強姦事件が315件も報告されている。8月31日の強姦事件は228件である。
9月10日までには1326件にも達した。
軍規の弛緩がこれらの強姦事件や多数の殺人事件を招いた。しかし大半のケースでは罰せられていない。
(参考文献)雑誌「正論」4月号 加瀬英明論文、中村あきら論文、
雑誌「諸君」3月号 秦郁彦論文 



南京事件論争のポイント
      歴史教科書研究家 上杉千年

1.「南京大虐殺事件」の定義

 南京事件論争の最初のポイントは、国際問題化した折の南京大虐殺(南京大屠殺・南京暴虐事件)の定義を確認することである。  中国側の主張は、『証言・南京大虐殺』(南京市文史資料研究会編の訳本。青木書店、昭和59年刊)に示す、〈6週間におよぶ〉大屠殺で〈無辜のわが同胞で、集団殺戮に会ひ、死体を焼かれて痕跡をとどめなかった者は19万人以上に達し、また個別分散的に虐殺され、死体が慈善団体の手で埋葬された者は15万人以上、死者総数は計30余万人に達した〉としている。

 これは、極東国際軍事裁判(東京裁判)での主張である「被殺害確数 34万人」、その証拠としての「崇善堂埋葬隊埋葬 112,266人」「紅卍字会埋葬班埋葬 43,071人」等を要約したものである。

 そして、東京裁判の判決は、「南京暴虐事件」に対して、〈最初の6週間に、南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は、20万以上であった〉。その根拠として、〈埋葬した死骸が、15万5千に及んだ事実によって証明されている〉とした。

 また、この事件の責任者松井石根大将に対する判決では、〈この6、7週間の期間において、何千という婦人が強姦され、10万以上の人々が殺害され〉たとしている。まさに、バナナのタタキ売り的な判決である。

 そこで、我が国の大虐殺派の教祖的存在の元早大教授洞富雄氏は、『決定版・南京大虐殺』(徳間書店、昭和57年12月刊)で、〈20万人をくだらない中国軍民の犠牲者が生じた〉(145頁)とし、その軍民比率について、〈一般市民の犠牲者数を10万人と推算するのは、あるいはやや大量にすぎるかもしれない。それは7万人ないし8万人とみるべきであろうか。それにしても、その差3万ないし2万は、かわりに兵士の犠牲者数に加えられることになる〉(152頁)としている。

 その洞説を中学歴史教科書に最初に採用し日教組等の圧倒的な支持を得たのが『東京書籍』(歴史702。昭和56年〜58年度使用本)であって、〈数週間のあいだに、市街地の内外で多くの中国人を殺害した。その死者の数は婦女子・子どもをふくむ一般市民だけで7〜8万、武器を捨てた兵士をふくめると、20万以上ともいわれる〉と紹介した。しかし、平成9〜13年度使用本になると「約20万人」とし、14〜17年度使用本では、「大量に」と表記し、洞説の詳細な紹介をする教科書は姿を消した。

 要するに、大虐殺派の虐殺人数は、故意か偶然か、東京裁判の判決人数と同様である。

2.慈善団体の埋葬数の信憑性崩壊

 洞氏は、『南京大虐殺の証明』(朝日新聞社、昭和62年4月刊)で、〈私は、紅卍字会と崇善堂の両埋葬隊が:::埋葬した際の記録内容の信憑性を信じている〉(154頁)としている。

 そこで、紅卍字会の埋葬表の「城内 一、七九三体」「城外 四一、二七八体」については、大阪朝日新聞の「北支版」(昭和十三年四月十六日付)にも「城内 一、七九三体」「城外 三〇、三一一体」を紅卍字会が処理したと報道されていて信憑性があるとされてきた。

 ところが、この埋葬作業を指揮していた南京特務機関員の証言である『南京特務機関(満鉄社員)丸山進氏の回想』(亜細亜大学日本文化研究所『紀要第二号』、平成八年三月刊)によると、〈この統計表は:::作り替へられたものと考へられます。::少なくとも一万八〇〇〇体以上の過大計上があると見てよいのではないかといふのが私の結論になりますね〉(八五頁)とある。

 勿論、崇善堂埋葬表の「城内 七、五四八体」「城外 一〇四、七一八体」は、阿羅健一著『架空だった南京大虐殺の証拠―謎の「崇善堂」とその実態』(「正論」昭和六十年十月号)で、架空の埋葬表であることが指摘されていた。

 この架空説も丸山証言でさらに立証された。それは、〈紅卍字会は陳漢森といふ立派な指導者に率ゐられた能動的な社会慈善事業団体であることが判明しました。そこで、この作業を紅卍字会に一括して委託することになった訳です。後になって、崇善堂その他の弱小団体から作業の申し込みが自治委員会にありましたが、そのことは紅卍字会に任せてあるから紅卍字会の方に言って欲しいと伝へて、自治委員会では受け付けなかった訳です〉(八〇頁)と明言してみえる。

3.残留市民は二〇万人から二五万人

 南京の人口については、民国二十五年(昭和十一年)六月の南京市政府調査では九十七万三千人(うち城外の三郷区の人口は約十万人)であって、約百万人説である。当時、我が国の百万都市は名古屋市・京都市である。

 そこで、板倉由明著『追跡!「南京大虐殺」の数字的研究』(「ゼンボウ」昭和五十九年三月号)の南京残留一般市民の数」をみると、城内地図で精密な人口地図を作成した結果、〈いいところ四十万〉と推計している。

 それはさておき、洞氏は『決定版・南京大虐殺』で、証拠を示さず、〈南京攻撃が開始されたとき、城内に残留していた市民の数は三十五万人ないし三十万人であったといわれている〉(一五一頁)としている。

 さらに、最近では、都留文化大学教授笠原十九司氏は『南京大虐殺否定論13のウソ』(柏書房、平成十二年刊)の第五章の中の「南京の人口は二〇万人だったというウソ」の論文で、〈南京攻略戦が開始されたときは、南京城内にいた市民、難民はおよそ四〇万から五〇万人であったと推測される〉(八六頁)としている。その論拠の一つが昭和十二年十一月二十三日の南京市政府の〈本市(南京城区)の現在の人口は約五〇余万である〉をあげている。

 しかし、十一月二十七日の〈市長の話では三〇万から四〇万の市民がまだ南京に残っている〉(『南京事件資料集 1 』、九〇頁、青木書店、平成四年十月刊)とある。そして、十二月八日に南京の全城門を閉鎖し、住民には南京安全区国際委員会の設定した難民区への集結を命じている。

 そこへ、十二月十三日に南京城を占領すると、十四日に小隊歩哨・下士歩哨・歩哨までも配置して警備し、無用の将兵の出入を禁止した。よって、難民への組織的な虐殺行為の発生余地は皆無となった。

 従って、前記板倉論文にみる如く、国際委員会報告の人口動態は、十二月十七日、二十一日、二十七日が二〇万人である。そして、佐々木旅団による十二月二十四日よりの兵民分離査問工作により「敗残兵約二千を摘出して旧外交部に収容した」。ここに難民の実態が把握されたとみえ、一月十四日以降の報告数は二五万人となっている。

 当然のこととして、国際委員会報告の日本兵による殺人は「四九人」(板倉論文。昭和五十九年十月号)である。

4.守備兵力は、八万一千か十五万人か

 南京守備兵力は、南京戦当時と東京裁判の判決でも「約五万人」としている。そして、偕行社『南京戦史』は、〈戦死 約三万人、生存者 約三万人、撃滅処断 約一万六千人、合計約七万六千人〉(この数字は重複あり、約六―七万人との説あり)とした。

 また、南京衛戍司令長官部参謀処第一科長・譚道平氏の『南京衛戍戦史話』(東南文化出版、一九四六年刊)では、〈戦闘兵 四万九千、雑兵 三万二千、合計八万一千〉とある。即ち、『南京戦史』と譚説とほぼ近似していて、その差は誤差の間である。南京戦当時の「約五万人」とは戦闘兵のことであることが判明した。

 しかるに、宇都宮大学教授笠原十九司氏は昭和六十二年の訪中の折に江蘇省中国現代史学会秘書長・孫宅嶷氏より、〈南京防衛軍約一五万のうち、最終的に蒋介石のもとに戻って来たのは約五万人である。残った一〇万人の中で、約一万人が抵抗の中で犠牲になった戦死者である。::あと、一万人たらずが撤退のさい逃亡兵となって脱出したと考えられる。残りの八万人余の銃を捨てた兵士が、敗残兵、投降兵、捕虜として虐殺された〉との講話を聞いた。そして、この〈八万人余の中国軍兵士が日本軍の南京大虐殺の犠牲になったという孫宅嶷説は、:::納得のいく数字である〉(朝日新聞社、昭和六十三年十二月刊『南京大虐殺の現場へ』所収の『南京防衛軍の崩壊から虐殺まで』一一二〜一一三頁)としている。

 この孫説は、『南京保衛戦双方兵力的研究』(江蘇省歴史学会編『抗日戦争史事探索』所収、上海社会科学院出版社、一九八八年刊)で、譚道平作成の南京保衛軍の兵力表を「水増して」作成したもので、〈この「倍率(一・八五倍)を譚参謀の総兵力八万一〇〇〇に掛ければ一五万という数が出る〉(自由主義史観研究会編、平成七年九月刊『「近現代史」の授業改革1』所収の板倉論文『「南京大虐殺二十万」説への反証』)という水増し説である。この批判は、『軍事史学』(平成二年六月)に板倉氏が『南京事変の数量的研究』で公表されて以来、笠原氏は無視し続けているものである。

5.ティンパーリーとスマイスの正体

 南京戦当時の実情・実態を記録したというH・J・ティンパーリー編『戦争とはなにか―中国における日本軍の暴虐』と、L・S・C・スミス(スマイス)編『南京地区における戦争被害』(共に、昭和六十年十一月、青木書店刊。洞編『日中戦争南京大残虐事件資料集第2巻』所収)は高い評価を受けていた。時にスマイスの戦争被害調査は、南京事件派より南京大虐殺批判の好材料とされていた。しかし、筆者(上杉)は、城内の被害の「死亡 二、四〇〇人」「拉致 四、二〇〇人は過大と批判し続けてきた。

 大阪学院大学教授丹羽春喜著『「スマイス調査」が内包する真実を探る』(自由社刊「自由」平成十三年四月号)によると、日本軍による「市民殺害 六〇六から七二〇人」「市民拉致 八八〇から一、三二〇人」と分析されている。これでも筆者(上杉)はなお過大と推測していた。

 この過大な拉致実態が誕生した理由が、立命館大学教授北村稔著『「南京事件」の探求』(文春新書、平成十三年十一月刊)より判明した。

 それは、中国国民党中央宣伝部顧問でもあったティンパーリーを通じての〈要請と資金提供のもとで書かれた〉のがこの『スマイス報告』であることが判明したからである。

6.歩七の便衣兵処刑

 金沢・歩兵第七連隊の十二月十四日から十六日までの難民区掃蕩作戦で摘出した「六、六七〇人」の便衣兵処刑は、「裁判ヲ経ルニ非サレハ、之を罰スルコトヲ得ス」の戦時国際法違反とする説は机上論である。

 国際法の予想外の中国の「便衣兵」であり、非はこうした「便衣兵」という存在を生んだ中国側の無軌道さにあるものである。即ち、七、八割の責任は中国側にあり、従って、大虐殺の事例にカウントすることは適当でない。

7.「朝日」すら見放した大虐殺派

 偕行社『南京戦史』(平成元年十一月刊)が刊行されると、大虐殺支持の朝日新聞も平成三年一月十九日夕刊の「窓―論説委員室から」で秦郁彦氏の「中間派」支持の「転向声明」といってよいものを発表した。そして、秦氏の約四万人説も『南京戦史』により歴史的学説化してきた。

 また、南京大虐殺の最大の目玉資料といわれた『中島師団長日記』も上杉著『「南京事件」歴史教科書の記述―今、何が問題か』(『「近現代史」の授業改革2』 平成七年十二月刊)で紹介した如く、その資料的価値は喪失している。

 なお、筆者(上杉)は、「諸君!」(平成十三年二月号)の『「南京事件」最新報告』を総括した『南京論争の忘れもの』(「自由」平成十三年五月号)と『歴史教科書の検定と外圧』(國民會館叢書、平成十三年十月刊)で南京問題をまとめ ているので、御一読を乞う。



お茶の間に忍び込む自虐史観
      会員 蓮見一郎

当研究会などの活動が効を奏してか、ひところ流行った新聞紙上等での「南京大虐殺」や「従軍慰安婦の強制連行」の証拠と称する写真報道、“生き証人”の証言報道ものは姿を消し、自虐史観を撒き散らす勢力もだいぶおとなしくなったかなと思いきや、公共の電波を使ってのゲリラ的宣伝は後を絶たない。

つい最近も、茶の間で人気の高い日本テレビの「電波少年」という娯楽旅行番組において、中国側の宣伝機関と化したかのような「南京大虐殺」を既成事実としたヤラセ番組が放映された。(平成十四年三月二十四日 十一時)

「カズ、過去に号泣」と題した番組は、カズという日本の若いミュージシャンが韓国人の若いカップルとともに中国列車の旅に出るというところから始まる。

列車の中で三人は、中国のある若い女性と知り合いになる。そして、たわいのない会話が交わされる。と、俄にこの中国人女性はノートを取り出して、「南京大虐殺」と書き、カズに「あなたは、この歴史的事実を知っているか」と詰問しはじめる。

 カズは、ただおろおろするばかりで、まともな返事もできない。あげくのはては、自らの歴史認識のなさを恥じ、「南京大虐殺記念館」へ足を運ぶこととなる。 南京駅で下車してから「記念館」へ行くまでの道中、カズは周りの目を気にしながらおどおどと歩を進める。

「記念館」前に到着したカずは館内に入るのを躊躇するが、ついに意を決して館内に足を踏み入れる。

館内の展示物については放映されなかったが、「記念館」から出てきたカズは、何を見たのか打ちのめされ、まさに放心状態である。そのカズの姿に重ねて、「おびただしい人骨、目をそむけたくなるような残虐写真」というナレーションが入る。

「日本軍が中国で犯した犯罪を知らなかった」とカズは号泣し、謝罪と反省の言葉を連発する。揚げ句の果てには、彼をなだめる韓国人の若い女性にまで「日本人は韓国でも同じようなことをした」といわれる。マスマス自己嫌悪に陥ったカズは、道にへたりこんで言葉も出せない状態にいたる。 この「電波少年」は人気番組であるだけに、その影響ははかり知れない。

我が国の多くの人々は、“二十世紀最大の嘘”とも言われる「南京大虐殺」を歴史的に検証もせず、中国側のプロパガンダに乗ぜられるままに信じさせられてきた。それだけでなく、今また「韓国人大虐殺」まで歴史的事実であるかのように放映してみせる我が国の民間放送の自虐ぶりには憤りをおぼえる。いくら民間放送とはいえ、その公共的使命を忘却し先人と国史に泥を塗る犯罪行為は断じて許すことはできない。

自虐史観垂れ流しといえば、歴史を題材にした番組に多々みられる傾向であることは周知の通りであるが、こうした歴史とは一見関係のなさそうな旅行番組に対する監視もゆめゆめ怠ってはならない。



植民地化、戦争責任について
      会員 丸山昌久

同じような議論がここ何年も続いています。
未だにこれらの問題を論議し続けようとする国は中国と朝鮮二カ国のみです。
淡白な日本人と違い粘質的な彼らの国民性によるのかもしれません。
これらについて私はこう思っています。

1.彼らには触れられたくない過去がある

自分たち同じ民族同志が殺しあい、多くに人が死んだことには触れられたくない。それより他民族、日本人に受けた犠牲を強調し、国民意識を外に向け、国内の意識を統一しておきたい――金にもなるし…?

これらの国に共通して言えることは過去において日本を文化的に指導したことがあるという自負心と現体制が出来るに当たり、または出来てから内戦で同じ「同一民族同志が激しく殺し合い沢山の犠牲者を出したという悲しい歴史がある」ということです。

「日本への文化的指導」についてはここでは割愛させてもらいますが、「悲しい歴史」について触れてみましょう。

今の中華人民共和国が出来るに当たっては太平洋戦争以前も含めると3000万以上の人々が内戦により犠牲になっているのです。今の国が出来てからも大躍進期、文化大革命では2000万(〜6500万)以上の人々が犠牲になっています。

内戦と自国の政策失敗で犠牲になった人たちは5000万〜1億に上るのに対し、日中戦争による死者は1000万人です。
最近、中国共産党は国の「補償は解決したが国民の個人の補償は解決していない」といっています。それなら中国共産党が中国国民にしたことに対しての補償はどうなっているのでしょうか?これは日中戦争より新しい問題です。自分たちのしたことをチャンと補償してから日本に話したらどうかと思います。

朝鮮戦争では南北朝鮮で355万人が死亡したという。
これは太平洋戦争で死んだ日本人(324万人)よりも多い数字だ。

済州島事件(4・3事件)・・・・3万人?

麗水、順店の反乱事件、老付里事件、政治犯の粛清などを考えるとこの他10万以上の人が同国人による犠牲になっているのではないか? 合計すると365万人?ぐらいでしょうか?

これに対し日本が朝鮮を併合するに当たり何人死んだのでしょうか?
高麗大学 姜萬吉教授は5万といっています。この数字を認めたとしても2桁も桁が違います。

それにもかかわらず韓国は北朝鮮に国交回復の話は出てくるが賠償の話は出てこない・・・?
ラングーンにおける韓国要人の爆破事件、北朝鮮工作員の破壊工作などについて韓国の人たちはこれにたいする賠償をどう考えているのでしょうか?

2.違う体制の違う教育を受けた人たちの話だ。

10年位前の話ですが当時のソ連首相ゴルバチョフが日本に来て日本人のシベリア抑留についてのコメントを求められて「あれは悲しい出来事であった。しかし、我々とは違う教育を受けた、違う体制の人たちがやったことだ」と話したことを思い出します。私にも同じような経験があります。英国人に「過去の英国植民地の国々に対してどう考えているのか?」と質問したら、同じようなことを言っていました。「インド人やアイルランド人は納得してくれるのか?」と聞くと、「アイルランド人の友達は沢山いる。皆いいやつで特に問題は無い。北アイルランドの問題で騒ぐのはほんの一部のアイルランド人だけだ?」、そして「過去のことを現在のわれわれに言われてもどうしようもない。それより彼らといっしょに色々建設的なことをやってゆくことが必要だ。その中で自然に信頼関係が出来てくる。我々にとっては将来を上手くやってゆくことが大切なのだ」といっていました。(アイルランドの人たちの考えは知りませんが・・・)

 一方的に片方の言い分(現政権の言い分)を押し付けたり、それを単純に謝っているだけでは解決はありえません。
「個々の人々が交流し、共同で仕事をする中で、互いを理解しあい、信頼関係をつくってゆく」こういう事を通してしか解決策は無いのではないかと思います。
ヨーロッパの人々はこのようにして解決しているのです。

かれらにとっては自国民同志で殺しあったという過去には触れられたくないのです。同じ民族の犠牲になったというよりは日本人の犠牲になったことを取り上げ、自国民の民族意識を高め、自国への求心力を強めておきたいのです。

勿論私は日本人が彼らに犠牲を強いたことは否定しません。
これに対し国としては平和条約(今まであった事を清算し今後は仲良くやっていこうというのが主旨)を結んだのです。

追記
ここに記載されている岡崎冬彦氏の意見も戦争責任の問題についての考えも参考になります。
http://www.jiyuu-shikan.org/goiken/00/04/gmain.html



「600万人の強制連行、20万人の従軍慰安婦」という大ウソ
      会員 水本茂

金正日が拉致の事実を認め謝罪したことを北朝鮮の人々は知らされていない。共同宣言にこの肝心なことを入れさせなかった小泉首相の大失態のせいである。それどころではない。北朝鮮のある幹部に至ってはテレビのインタビューに対して、「日本がかつて朝鮮人600万人を強制連行し、20万人の朝鮮人女性を従軍慰安婦という奴隷にしたことに比べればささいなことに過ぎない」といった言い訳反論をしている。インタビューアーは、こんな暴論に何の疑問・反問を呈するでもなく、はいそうですかといった調子で聞いているだけである。

 実はこの言い草、決して北朝鮮だけが主張しているわけではない。拉致隠し、拉致追求反対を行ってきた朝鮮労働党の「友党」社民党を初め、共産党、日教組、さらには朝日新聞なども多かれ少なかれ同調してきた論なのである。こんな大ウソをはびこらせておくことは犯罪を野放しにするに等しいことである。

600万強制連行のウソ

 戦時中に合法的に行われた「徴用」を「強制連行」と勝手に言い換えて、日本がさも奴隷狩りをやったかのような言いがかりをつけでいるのが「600万強制連行」である。全く事実に反するデマである。

 昭和13年に成立した国家総動員法に基づいてできた「徴用令」によって、「日本国民」を重要産業の職場に動員したのが徴用である。当時「日本国民」であった朝鮮人も当然この法令によって様々な職場に「徴用」された。特に、日本本土においては若い男性はほとんど戦場に出かけてしまったために、その職場に朝鮮の若者が徴用されてきたケースが多くあった。朝鮮では、「徴兵令」の適用が遅れ(昭和18年から徐々に実施)未だ若い労働量が多く残っていたためである。

 「徴用」は諸外国でも広く行われている。イギリスでは第二次大戦中に1200箇所近くに拡大された飛行場のほとんどは「徴用」労働力によって作られた。また、20 30才の未婚女性も徴用対象となって、航空機生産などに従事している。「徴用」を「強制連行」などと呼ぶことは世界中にない。

そんな言い方をしたら「徴兵」はそれこそ「超強制連行」になってしまうだろう。「強制連行」などという用語は、「トンデモ用語」であり、世界の非常識用語である。

 「徴用令」の適用が朝鮮になされたのは、戦争末期の昭和19年9月である。翌20年3月には関釜線が閉鎖され日本に来られなくなった。したがって、日本の工場に「徴用」されたのは、この6ヶ月間に日本に来た朝鮮労働者であり、人数としても600万人の100分の1足らずでしかない。

20万人の従軍慰安婦のウソ

 「従軍慰安婦」なるものは当時いなかった。戦地に開設された「慰安所」に出稼ぎにいった女性がいたというのが真実である。

当時は公娼制度が認められていたので、「慰安所」は合法的な存在であり、この経営は軍ではなく、民間の業者が行っていた。当時、貧しい人たちにとって高収入を望める職業の一つであったため、危険を冒して出稼ぎにいく女性が沢山いたのである。軍が強要する必要もないし、そんな事実は皆無である。広義に解釈しようとどうしようと強制連行などは全くない。

 元慰安婦文玉珠さんは、郵便貯金の払い戻しを求める訴訟も行った。その結果分かったことは、2年半の慰安婦時代に2万6千百45円貯金していたということである。稼ぎの全部を貯金できるはずがないから、月に千円は稼いでいたという計算になる。当時少尉の給料が70円であるから、その15倍は稼いでいたわけである。2万6千円を持って朝鮮に帰れば、少なくとも家を5〜10軒くらいは建てられたのである。如何に高収入かが分かる。

 なお、秦郁彦日大教授の最新研究によれば、慰安婦の総数は2万人前後、その内訳はおおよそ、日本人40%、現地人30%、朝鮮人20%、その他10%といった割合、ということである。朝鮮女性従軍慰安婦強制連行などというのは根も葉もないウソであり、いわんや20万強制連行に至っては、超悪質デマ宣伝でしかないということがよく分かろうというものである。



「拉致問題」と東アジアにおける冷戦構造の崩壊
      代表 藤岡信勝

 九月十七日の小泉首相訪朝後、拉致問題を中心とする北朝鮮問題が大きな展開をとげている。これは、日本の将来を決める極めて重大かつ深刻な問題であり、直接に歴史教育にも関わるテーマである。今後数回にわたって、本誌上で私見を述べてみたい。

 八月三十日、日朝首脳会談が平壌で行われることが発表された。この時、私の周辺では「小泉に金正日と渡りあえる外交能力があるはずはない」として、会談は日本側にとって必ず惨憺たる結果に終わるだろうと見る人がほとんどだった。

 この点についての人物評価では、私には異論はなかった。私も、第一報に接した瞬間には、これは小泉を失脚させるための誰かの陰謀だろうとすら思ったほどだ。
 その後、注意深く情報を検討してみると、これはどうやら背景に米中合意があり、その了解の上に立って小泉の訪朝が仕掛けられたものではないかと思うようになった。

 周知の通り、アメリカはイラク対策で精一杯だ。今、北朝鮮に暴発されることはアメリカにとって一番都合が悪い。そこで、拉致問題を抱える日本に北の相手をさせておくことで時間稼ぎをしようとアメリカは考えたに違いないと私は思った。
 そのつもりで各国首脳の動静をチェックしてみると、アメリカのアーミテージ国務次官補が中国に行き、その帰り八月二十七日に日本に立ち寄って小泉首相と福田官房長官に会っている。その直後の訪朝発表である。これほど重大な方針を日本が独自に発想できるはずもなく、また、アメリカとの事前協議なしに単独で決断できるはずもない、と私は常識的に考えたのだ。「できるはずもない」だけでなく、「してはならない」というのが私の判断だった。

 今から振り返ってみると、私のこの見方は大変な間違いだった。小泉訪朝の方針は百パーセント日本のアイディアだった。小泉は外務省の田中均アジア大洋州局長にそそのかされて、今年の五月にすでに訪朝を決意していた。また、事前の日米間の協議も行われなかった。これは戦後の外交の常識からは考えられなかったことである。

 アメリカ政府は一応、日本政府の方針を支持する姿勢を見せたが、アメリカのメディアは日本の単独行動に極めて批判的な論調を展開した。これは、いわれのないことではなかった。

そもそも日朝首脳会談を言い出したのは、北朝鮮である。北はすでにかつての人口二千二百万人中、推計餓死者四百万人に達し、社会は崩壊寸前である。普通の国ならとっくの昔にクーデターが起こって政権は転覆しているのが当たり前である。しかし、がんじがらめの秘密警察と密告制度に支えられた金王朝独裁政権は、イデオロギーによってではなく、テロの恐怖によって支配を維持している。しかし、体制の危機は、金王朝の国民支配の最大のよりどころである軍隊の家族にまで餓死者が出るに及んで、猶予のならないものとなった。

 断っておくが、金正日は社会主義経済の本質とみずからの愚劣な経済政策の失敗によって国民を食わせられなくなったから体制の危機を感じているのではない。もしもそうなら、最大の危機は極端な凶作に見舞われた一九九八ー九年にすでに感じられていたはずだ。彼は国民が餓死することに何の痛痒も感じていないだろう。そうではなくて、支配の基盤である軍を養えなくなったから金正日は体制の危機を感じているのである。

かつての援助国であるロシアからも中国からも援助を得られなくなって、金正日は唯一の金づるである日本に目を付けた。今、判明しているところでは、すでに二年前の森内閣の時代に、北朝鮮は日朝首脳会談を持ちかけていた。この時は、外務省が森首相の当事者能力に危惧を持ち、流したと言われている。

 小泉政権になって、今からちょうど一年ほど前に、北から再び首脳会談の申し入れがあった。水面下でこれを推進したのは、外務省の田中均アジア太平洋局長と平松賢司北東アジア課長である。
 ついでに言うと、この二人は、昨年十月の日韓首脳会談の際に、小泉首相に「扶桑社の教科書の採択率が低かったのは日本国民の良識の現れ」と言わせようとたくらんだ当人たちである。

首相官邸でこの構想を知らされていたのは、福田官房長官だった。安倍晋三官房副長官は、なんと八月三十日、小泉訪朝発表の朝までこのことを一切知らされていなかった。田中は、日朝国交正常化で世間の批判の矢面に立たされている外務省の名誉回復を図るとともに、自分自身の外務次官就任を確実なものにしたかった。福田は次期の総理大臣の椅子を狙っている。田中ー福田ラインでことは綿密に進められた。この構想に小泉を乗せることができるかどうかが苦心のしどころだった。経済政策で支持率が落ち気味の小泉は、人気回復を狙って必ず乗ってくると田中ー福田ラインは踏んだが、その通りになった。

この構想が一年前から進んでいたということがわかってみると、この間のいろいろ不可思議な出来事が理解可能となる。

 第一に、昨年十二月に奄美大島沖で起こった不審船事件で撃沈された船舶の引き上げと徹底した調査が、なぜこれほど遅れたのかという問題がある。日朝交渉がつぶれないように田中ー福田ラインが押さえ込んだのである。

 第二に、潘陽事件で責任者の田中局長がなぜ処分されなかったのかという疑問。答は言うまでもない。

 そして第三に、日朝首脳会談公表後に、能登沖で発見され逃走した不審船は明らかに日本の領海内にいたはずなのに、発表を意図的に遅らせたと思われるのはなぜか。これも日朝首脳会談をぶちこわさないための小細工である。

 私は、この事件は、金正日が日本の田中ー福田ラインが日本の政権内でどれだけ実質的な権限を持っているかを小手調べしたものだと思う。北の独裁者は、日本政府の対応を見てほくそ笑み、「これなら大丈夫」と思ったに違いない。会談で日本側に出し抜かれる心配はないという意味である。

 日朝会談の席上、金正日は、「田中さんは実にすごい人ですね」と小泉に向かってベタ褒めしたと言われている。外交は「武器を使わない戦争」である。その戦争で敵国の大将から褒められる人物が全ての舞台回しを取り仕切っている。これが日本という国の外交の実態である。

日朝首脳会談が発表されてから、様々なコメントが新聞紙上を賑わした。最も肯定的に評価する見解は北岡伸一東大教授によるもので、最も否定的な見解は「展望のないスタンドプレー」であるとする福田和也慶応大学教授の見解である。どちらも朝日新聞紙上に掲載された。

 九月十七日、小泉首相は予定通り北朝鮮を訪問し、金正日と会談した。席上、金正日は、今まで「デッチ上げ」だと主張していた北朝鮮国家機関による日本人拉致を初めて認め、謝罪した。北朝鮮の独裁者が、みずからの国家犯罪をついに自白したのである。これは、おおかたの国民にとって予想外のことであった。

しかし、日朝平壌宣言には、日本の植民地支配に対する謝罪の言葉が盛り込まれ、国交正常化後の日本からの経済支援の方法までが詳細に描き込まれたのに、金正日が自白した「拉致」の問題は一言も書き込まれていなかった。田中が原案通り署名させるよう策謀をこらしたのである。(詳細は次号以下に述べる)

 このことについて、外務省OBの兵藤長雄東京経済大学教授の論文(読売新聞、九月二十七日付け)がある。元外務相欧亜局長でベルギー大使などを歴任した兵藤氏は、「実際の会談内容を踏まえて案文を手直しするのは外交常識だ。特に相手が共産主義独裁国家であれば、(中略)重要合意の文書化は鉄則である」という。一九九一年のゴルバチョフ大統領訪日の際には、公式行事を次々にキャンセルして真夜中まで九回に及ぶ首脳会談を行ったが、これは日ソ共同声明の一つの案文をめぐる両首脳の国益をかけた交渉のためだったという。だから、今回も小泉首相は特別機の出発を延ばしてでも、みずから金正日と交渉して「拉致」を書き込ませるべきであったという指摘である。相手が言った以上、文書に書き込むのは当然である。そうでなければ首脳会談の意味がない。

首脳会談では、日本側が認定していた拉致被害者を中心として、五人の生存と八人の死亡が通告された。驚くべきことである。これが明るみに出て、人気回復を狙った小泉と、福田、田中の目算は全くはずれてしまった。識者の間からも小泉訪朝に関する厳しい評価が出始めた。当然である。

 ただ、歴史は全てが当事者の意図通りに進まないのと同様に、逆説的な成果をあげることもある。小泉訪朝を全体としてどう評価するかは、重要な歴史認識が問われる問題である。

 この件につき、最も厳しい評価を発表しているのは、中西輝政京大教授である。同氏によれば、小泉訪朝によらずとも、北は苦しくなっていずれ被害者を送り返してきたはずだという(『フォーサイト』十月号、新潮社)。これに対して、「戦後日本外交史上の画期的な勝利」と絶賛するのが、北岡伸一東大教授である(『中央公論』十月号)。

 私は、小泉訪朝自体は評価すべきことだと考える。なぜなら、何はともあれ、それによって歴史のとびらを確実に押し開いたからである。金正日の「自白」は、東アジアの冷戦体制が崩壊過程に入ったことを意味する。

十年ほど前、「冷戦体制の崩壊」が盛んに喧伝されたことがある。これは実は真っ赤なウソであった。冷戦が終息したのはヨーロッパだけだった。東アジアでは、何一つ変わることなく冷戦体制が継続していた。中国は共産党一党独裁国家としてその後も軍備を増強し、北朝鮮にいたっては、南進による朝鮮半島武力統一のために、核兵器などの兵器の開発に余念がなかった。

 こうした現実を無視して、日本国内の保守派の多くは、「もうイデオロギー対立の時代は終わった」などと称して、共産主義との戦いを事実上放棄してしまった。政界でも保守勢力が分裂した。ソ連を理想の国家として賛美し、共産主義こそ未来の希望であると吹聴していたマルクス主義者やそのシンパの「進歩的文化人」、大学教授などの言論責任が厳しく問われることは一切なかった。

 東ドイツではマルクス主義の教授はことごとく追放された。中国でもマルクス主義の経済学者が自殺した。日本では、掃いて捨てるほどいたはずのマルクス主義学者のうち、ただの一人として、自殺者はおろか職を失った者もいない。彼らはのうのうとして生き延びたのである。

金正日の「自白」は、ヨーロッパにおけるベルリンの壁の崩壊に匹敵する出来事である。これから、東アジアにおける共産主義体制の崩壊過程が始まるのである。「自白」は、日本国内の左翼勢力にも決定的な打撃を与えた。今度こそ、取り逃がしてはならない。



朝日新聞は答える義務がある
南京戦時に現場から報じた記事は嘘だったというのか

      (株)世界出版 茂木弘道

一.本多勝一氏の「中国の旅」連載以来、朝日新聞は南京大虐殺について大々的に、執拗に報道してきた。それに疑問を投げかける意見、事実については全く取り上げようとせず、それらしき資料が見つかると、真偽も検証せずに、飛びつくということを繰り返してきた。都城二三連隊の元兵士のニセ日記と中国軍が殺した満州馬賊の生首写真とを南京虐殺ストーリーに仕立て上げた(昭和五九年八月)のはその典型例である。
二.朝日は南京戦の「現場」に陥落の一二月一三日以来一五人余の記者を送り込み、精力的な取材を行い、写真入りの記事を次々と送って紙面を飾った。田中正明氏の近著「朝日が明かす中国の嘘」(高木書房)には、当時の南京の様子を伝える記事を写真二五点とともに紹介している。占領五日目に早くも露天商がでて、銃も持たない兵隊が買い物をしているし、路上のにわか床屋にかかっている。子供たちが兵士と遊んだり菓子をもらったりしているかと思えば、衛生兵から健康チェックを受けている。記事タイトル「平和甦る南京」「昨日の敵に温情-南京場内の親善風景」「南京は微笑む」「手を握りあって越年」「五色旗の下に南京復興の足取り」の情景が写真(撮影者の名前入り)とともに伝えられている。
三.当時の朝日が伝える現場のいわばリアルタイムの生情報と、東京裁判や中国などがいう「--中国人の男女子供を無差別に殺しながら歩き回り、--南京占領後、最初の二,三日の間に少なくとも一万二千の非戦闘員の中国人男女子供が死亡したーーー日本軍が占領してからの最初の六周間、南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は二十万であったことが示されている」(朝日新聞社編『東京裁判』)、「被殺害者確定数は三四万」(南京検察敵人罪行調査書)といった状況との間にあまりにも落差があり過ぎる。現在の朝日新聞は、当時の記事とは全く逆に大虐殺があった主張しているからには、過去の自社の記事の真偽についてどう考えているのか、そして本書の提起する疑問に対してどう考えるのか、答える義務がある。
四.当時は軍の検閲が厳しく真実を伝えられなかった、となどいう言い訳は通用しない。南京取材記者のキャップであった橋本登美三郎氏(元佐藤内閣官房長官)は、「何も不自由は感じていない。思ったこと、見たことはしゃべれたし、書いていたよ」「とにかく軍のこれからの動きが分かるような記事はだめでした」と本書の中で証言している。軍の動きについての報道規制があるのは、最近の湾岸・イラク戦争でも同じで、当然のことである。南京の報道で禁止処分になったものは三件あるが、そのいずれも「揚子江上流において我が海軍が実施中の水路開発作業並びに其の進捗状況に関する軍事機密を暴露したもの」(「出版警察法」第一一〇号)である。そもそも橋本氏はじめ記者自身が虐殺などという話はお互いの間でも聞いたこともなかったと戦後になっていっている。(二人例外があるが、これは他の同僚から根拠無し、と否定されている。)
五.世田谷区の五分の四くらいの面積しかない南京で、朝日も含め一二〇人もの記者が競って取材し、写真を撮りまくった。二十万市民のほとんどが集中していた安全区に至っては、代々木公園・新宿御苑・神宮外苑とその周辺を合わせたほどの面積である。茫漠たる中国大陸での話ではないのである。もし、万、千はおろか百、十人単位の殺害が行われたとして、彼らの目にもとまらないし、噂にもでない、などと言うことがありうるのであろうか?実際安全区国際委員会の記録(Documents of the Nanking Safety Zone: Kelly & Walsh, Shanghai)によれば、殺害事件の総数は二七件で、しかもそのうち目撃が記録されているものはわずか一件に過ぎない。もしだれかが新聞には出せないような虐殺写真を撮ったとしたら、戦後になって一つくらい出てきてもよさそうなものであるが、そのようなものは皆無である。
六.一二〇人余りの記者が競って取材した写真・記事は朝日新聞以外の新聞・雑誌などに広く掲載されたが、それらは国会図書館を始め全国各地に何百と現存している。そのいずれも、本書に取り上げられた朝日の記事の伝えるところと基本的に同じような状況を伝えている。ということは、二五点の写真が示す南京が真実の南京に近いものであった証拠である。 もし朝日新聞に良心があるならば、自社の現場報道記事のどこが間違っ ていたのかを具体的に説明すべきである。それを行わずにそれらの記事が示す南京と全く相反する虐殺説を相変わらず主張するとしたら、朝日は社会の木鐸どころではなく、なんの良心もなく一貫性もないセンセーショナル・ペーパーといわねばならなくなる。潔く非を認めて虐殺論から足を洗うのが良識というものだろう。



『暗黒大陸 中国の真実』に学ぶ
      千葉県立柏北高等学校教諭 先田賢紀智

中国の実態を知る必読の書

この七月、芙蓉書房出版社から本書を翻訳刊行した。近現代史研究家田中秀雄氏に原書を紹介され、読み出すと次のページが気になり睡眠不足になることしばしば。両名で翻訳を始めてからほぼ一年半で出版となった。

 七十年前のアメリカ外交官が見たまま聞いたままの中国の実態をアメリカ人向けに書いた書であるが、日本人必読の書。日本人にあの国の実態を知らしむべし、との思いに駆られる。 ただし原文は難解。そのまま訳したのでは理解困難。無謀は承知で思い切った日本語にし、翻訳臭をなくすよう心がけた。

出版直後、期せずしてサッカー・アジア杯での中国観衆の醜態が明らかになったこともあって、読売、毎日、産経、週刊新潮等で取り上げて下さったお陰で初版以来三ヶ月、八刷りとなった。感謝の一言。

 今回、紙面をお借りして翻訳の過程で学んだことを二つ紹介したい。その一つは翻訳の難しさと楽しさ。今一つは、こちらが重要だが、日本がとるべき対中外交姿勢について。

翻訳の難しさと楽しさ

 まず翻訳の難しさ、面白さから。
 どんな立派な内容でも本として出すからには読まれなければ何の価値もない。聖書にも「灯りをつけて、それを枡の下に置くものはありません。燭台の上に置きます。そうすれば家にいる人々全部を照らします」とある。例えば第六章 宣教師の心 一六三頁の原文はこうである。

It is the conviction of American Consular officers in China that the missionaries would suffer less if they would realize that the two-cheek policy is an absolute failure in dealing with the Chinese. Instead of being shamed into virtue by it, the Chinese naturally take advantage of its privileges.

 It is the view of the American business man that this posture of crawling humility “spoil” the Chinese, and in fact it does, very decidedly, dispose them to disregard all common rights of foreigners--- rights prevailing as a matter of course in every civilized land.

  Business men in China are perpetually cursing the missionaries for causing all foreigners, as they feel, to lose caste by allowing themselves to be run over and stepped on.

直訳するとこうなる。
もし彼らが中国人との付き合いでは二頬政策は完全な失敗であるということを気づけば 宣教師たちはより少なく苦しむことになるであろうということが中国にいるアメリカ領事館員たちの確信である。それによって恥じと思わされ徳に入ることをしないで、中国人たちは自然にその恩恵を利用する。人にこそこそ取り入るような謙虚な姿勢は中国人たちを「甘やかしてだめにする」というのがそのアメリカ人企業家の意見である、そして事実、それは全ての外国人の普通の権利−全ての文明化された国では当たり前とされる権利−を非常にはっきりと彼らに無視したい気分にさせているのである。中国にいる企業家たちは全ての外国人が、彼らはそう感じているのだが、彼ら自身を轢かれ踏みつけられることを許すことによって社会的威信を失う原因になっているので宣教師を年から年中呪っているのである。

これでは正確ではあるが翻訳臭が強すぎてとても人様にお出しできない。「二頬政策」とは何ぞや。「それ」とは、「その恩恵」とは何ぞや。そこで思い切ってこう翻訳した。「右の頬を打つような者には左の頬も向けなさい」とイエスは説いた。しかし中国人が相手では全く通じない。左の頬を出されて「あ、可哀想なことをした」と反省するどころか「えっ、左まで出すの?それじゃ」と思いっきりぶん殴るのが中国人である。「どうして宣教師は気づかないのか」と領事館員は嘆いている。こういう卑屈な姿勢がかえって中国人を甘やかすことになる。おかげで、文明国家では当然の権利である外国人の権利を平気で踏みにじる。「宣教師が甘やかすお陰で我々民間まで仕事をめちゃめちゃにされ、面目丸つぶれだ」と、民間には怒りの声が絶えない。

 ところで本書の出版直後、読者から幾つか質問を頂いた。「所謂翻訳臭がない。本当に翻訳したのか?タウンゼントの名を借りて適当に書いたのではないか?イザヤ・ベンダサンではないか?」と。対して「原文に忠実ではないが、趣旨を分かりやすく翻訳した。訳者の力量不足で著者の意を十分尽くせないところもあろうが、原書を離れた意図的な翻訳はない」とお応えした。

 さて、「二頬政策」では、理解できない。そこで思い切ってイエス様にご登場賜った。「それ」とは「二頬政策」である。従って「その恩恵」とは「二頬政策の恩恵」である。「恩恵」とは、「いくらやられても優しくする宣教師のお人よしな態度」である。また長い文は短い文にした。字数が直訳の三六四字から翻訳では一六三字と半減した。

日本が取るべき対中外交姿勢

 次に、日本が取るべき対中外交姿勢について述べよう。
 畢竟「彼を知り己を知らば百戦して危うからず」である。お人よしの日本人は孫子の兵法を知りながら「彼を知らず己を知らざれば戦う毎に必ず危うし」である。「教科書を書き代えよ」と恫喝されると所謂近隣条項を作って「南京大虐殺」「三光作戦」をと書く。「靖国参拝止めろ」と「厳命」されると、「八月十五日に参拝する」と「言明」して総理になった人が別の日にこそこそ参拝する。領海に原子力潜水艦が侵入しても、出て行くまで見守る。相手は原爆を持ち、オリンピックを開催する国である。その国に何兆円もの援助をする。「彼を知らない」からである。

 支那事変の泥沼の戦いについても同様である。近年の教科書は日本の中国侵略戦争としているが、日本は不拡大方針を取り和平工作をするが約束違反の挑発をされ、止む無く戦火が広がったのである。満州事変、盧溝橋事件、上海事変と同じである。このあたりをタウンゼントはこう述べている。

いくら条約を結んでも日本の権益を不安に曝す中国人の妨害行動は収まらなかった。条約は守らない、地下工作・破壊活動は止まらない。こういうことが何年も続いた。(中略)日本が立ち上がったとき、世界はそれを「戦争」と呼んだ。(中略)中国にいる数千の米英人は、日本と同じ苦悩を味わっているから、気持ちがよく分かる。大半は内心、日本を応援したと思う。(二七六頁)

しかし日本は満州事変でも上海事変でも大きなミスを犯した。武力行使に至るまでの経過を世界に向かって説明すべきだったのにしなかったミスである。「まことに遺憾である」と何度も訴え、しかる後「やむなく攻撃に至る」とすべきであった。もし、一九三一年の夏の中国人の凶行を(無駄と分かっていても)国際連盟に繰り返し提訴し、中国に対し勧告を下すよう努力したら、国際世論を味方に付けられたかもしれない。知ったら驚くような苦悩を日本は背負っていたからである。日本が蒙った被害は膨大であったのである。被害とは何か。軍閥の略奪である。軍閥は己の略奪行為を隠すため、「我こそは愛国者なり」とうそぶいている。( 二七二頁)

 さて二七三頁には対中外交のお手本になる話がある。
 福州の日本人教師夫妻殺害事件が起きた。田村総領事は五万ドルの賠償を要求した。中国側はまともな返事をしない。業を煮やした田村は「これ以上申し上げることはない。当方は既にことの詳細を海軍に打電し、軍艦数隻がこちらに向かっている。五万ドル耳を揃えて持ってくるまでは面会無用」と席を立った。徹夜で相談した中国側は明け方近くになって五万ドルを現金で持ってきた。直後、日本の軍艦が到着した。

以来日本人に対する態度が一変した。あらゆる反日行動がピタッと止んだ。日本人は最高の扱いを受け、最も尊敬される外国人になった、という。断固たる態度でしか事件は解決できない。中国人はそういう人を尊敬する。田村氏のシンガポール総領事転任時、送別会が設けられた。中国役人にも尊敬されていたのである。以来、福州在住日本人三千人は何ら危害を加えられることなく、平穏に暮らすことが出来た、という。



NHK「慰安婦」番組と 朝日新聞報道を検証する

緊急シンポジウムの報告
 o 2月24日(木)午後6時30分〜9時10分・文京区民センター

パネリスト
 o 西岡力氏(東京基督教大学教授)
 o 秦郁彦氏(日本大学教授)
 o 稲垣武氏(評論家)
コーディネータ
 o 藤岡信勝氏(拓殖大学教授)

 今年(平成17年)1月12日の朝刊1面で朝日新聞が、自民党の二人の政治家を名指ししてNHKの「慰安婦」番組(ETV2001)に「事実上の検閲」をおこなったと報じた問題は、朝日の虚報であることがほぼ明らかになった。その後は、朝日対NHKの大抗争に発展した。

 この問題の根源は、2000年12月に開かれた「女性国際戦犯法廷」というカルトまがいの集会をNHKがまともな対象として取り上げたところにある。しかも、「慰安婦問題」なるものは、1990年代に朝日新聞が日本糾弾のために捏造した問題であった。

 緊急シンポは、この問題をそれぞれの立場視点から調査研究してきた三人のゲストを招き、本会の藤岡代表がコーディネータとなって新聞テレビの反日報道の仕組みを徹底的に解明するためにおこなわれた。

 まず、問題の番組である、ETV2001「問われる戦時性暴力」(2001年1月29日放送)を視聴した。

 次に、最初の番組企画から削除されたと言われている、四つのシーン「中国人女性の証言」「東ティモール女性の証言」「元兵士の証言」「天皇有罪の判決」を視聴した。これには、集会の記録ビデオ「沈黙の歴史をやぶって―女性国際戦犯法廷の記録」を用いた。集会を主催した「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク」(バウネットジャパン)が制作し販売しているビデオである。

 こうして、番組と集会の実態を参加者が知った後、パネリストが発表をした。

■「朝日vsNHK」バトルの経過 と本質について(藤岡信勝氏)

 藤岡氏は、昭和天皇を「強姦と性奴隷制」で有罪とした集会の不当性と、放送したNHKの責任を指摘した。また、「慰安婦の強制連行」が90年代の朝日の虚構の産物であると知らしめるには、朝日に明確な訂正と謝罪をさせるのが一番重要だと述べた。

 藤岡氏が今回の問題を解き明かした「朝日『番組改編』報道の『一石四鳥』とその帰結」は前号の『歴史と教育』に載っているので、参照していただきたい。

■朝日が捏造した「慰安婦問題」(西岡力氏)

 西岡氏は、朝日新聞の「慰安婦問題」捏造の事情を明らかにした。

すべては、朝日新聞の91年8月11日付大阪版夕刊の歪曲、誤報に始まる。朝日はソウル発の記事のなかで、「女子挺身隊」の名で戦場に強制連行された人が出てきたと書いた。しかし、これは事実ではない。強制連行されたとされる女性・金学順さんは、17歳の時に、貧困のため母親に平壌のキーセン置屋に売られたと言っていたのである。

 朝日の植村隆記者は、金学順さんの話を録音したテープを聞き、歪曲して記事を書いた。しかも、この誤報には、植村記者個人の利害も絡んでいる。植村記者は、訴訟を起こした「太平洋戦争犠牲者遺族会」の女性幹部の娘と結婚している。義母からの情報提供で、韓国よりも先にスクープを書いたのである。

 金学順さんがキーセンに売られた事実は、91年の東京地裁への訴状に書かれており、韓国で最左翼のハンギョレ新聞にもインタビューが掲載されている。訴状を作成した高木健一弁護士は、この事実を私に指摘され、一切反論できなかった。

こういう人を、性奴隷だと言って引きずり出し、日本に連れてきて、裁判や講演をさせて彼女を利用した。ETV2001を見ると、金学順さんは生前も死後も名誉を犯されているのである。ソ連軍が終戦直後の満州で日本人婦女に対しておこなったような性暴力は裁かれるべきである。しかし、戦場における慰安婦の行為はこれとは異なる商行為である。それを性暴力と同じであるかのように言って、自分たちの政治宣伝に利用したのは朝日である。

ETV2001で、高橋哲哉・東大大学院綜合文化研究科教授は、「金さんの登場で歴史が変わった」と言っている。実際には、嘘が広まったという意味で「変わった」のである。

朝日新聞に第一に言いたいことは、誤報を検証し、謝るべしということだ。朝日の慰安婦問題の誤報がなければ、NHKはあんな番組を作ることにならなかった。 私は92年に『月刊文藝春秋』と拙著『日韓誤解の深淵』で詳細に立証して訂正を求めたが、朝日はこれに応じていない。それどころか、前回の教科書採択の時に合わせて、植村記者をソウルに派遣させている。嘘でも何でもいいから、日本が悪かったという路線でいく人事である。

■「女性国際戦犯法廷」とその周辺 (秦郁彦氏)

 〈秦氏は90年代からの「慰安婦問題」の裏側を明らかにした〉

私は「慰安婦問題」の節目節目に関わってきた。拙著『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)に詳しく述べたが、ここでは五点を述べる。(以下の五点総てが、ETV2001で放送された内容や資料と関連している。)

[宮沢首相謝罪]

 92年1月11日付朝刊1面トップで、朝日は「慰安所に軍関与」という大誤報をした。記事は、吉見義明・中央大教授の史料(これら陣中日誌等は、軍関与の根拠になっていない)に基づいており、ETV2001もこれを放送していた。 私は91年暮れに、吉見氏が防衛庁図書館で史料を見つけたのに遭遇し、近く新聞に出ると言うので不審に思った。二週間以上も過ぎて、宮沢首相の訪韓の五日前に誤報が出た。訪韓中に、デモ隊が押しかける騒ぎとなり、首相は八回謝罪をした。 この時、各紙は追随報道した。特に、JapanTimesの数十万人の強制売春に日本政府が荷担したという記事は世界に伝えられた。

[慰安婦狩り]

 吉田清治氏は、著書『私の戦争犯罪』を83年に著し、自分は朝鮮・済州島(現韓国)で奴隷狩りのような強制連行をしたと述べた。朝日は吉田氏の著書を、91年から繰り返し取り上げた。私は済州島での現地調査を発表し、吉田氏の著書は作り話だと明らかにした。

[クマラスワミ報告書と河野談話]

94年に、スリランカのクマラスワミが、国連人権委員会の調査で来日した。私も会い、英文で要点をまとめて渡した。しかし、報告書は、93年の河野官房長官談話を用いて「日本政府が認めている」という内容になっていた。私の文書は逆の文脈で使われ、補強材料にされてしまった。スリランカ大使館から訂正を要求したが、なしのつぶてである。 河野談話は、実際は玉虫色の内容でありながら、英訳では「慰安婦サイド」が喜ぶ表現になっている。内閣官房は談話に反対であり、談話を出す前夜に、私に意見を求めて手直しをしようとした。私は、表現を変える手直しをしたが、結果は全て不採用であった。河野談話は、「日本政府が認めている」と持ち出されるようになってしまった。

[アジア女性基金]

 95年にアジア女性基金ができ、07年に閉鎖する。国民の5億円の募金を配付するために、10数人の組織で毎年3〜4億円、計40億円以上の国費を費やした。認定作業は相手側に丸投げであった。この基金に事実関係を調べる調査委員会ができ、私は委員を二年やった。私は、女衒、ブローカーを見つけ出し、仕事の中味を証言させようとした。しかし、委員会の朝鮮半島担当二人に阻止された。私の「官憲の強制連行はなかった」等の結論を委員会に提出したが、結局無視をされた。

[女性国際戦犯法廷]

  01年1月26日に、ETV2001の私への取材依頼があり、28日にインタビューを収録した。永田浩三チーフプロデューサー(当時)の様子について、私は同年3月2日付朝日新聞で「上からの指示でいやいやながら来たという感じだった」と述べている。私は、意図的な編集をされる危険を感じた。そこで、「日本の検事団は弁護人を付けようと主張したが、南北コリア検事団が不要だと押し切った」というコメントは必ず放送する旨、念押しをして約束させた。ところが、収録後、カットしたいと言い出した。私は、カットすればこの件を公表すると言って、放送させた。

■朝日報道の捏造報道の手口 (稲垣武氏)

 私(稲垣)の在社当時からの、朝日の「自閉的特徴」に原因がある。

[朝日の不可解な回答]

 NHKの18項目の公開質問状に対して、朝日は2月17日に回答したが不可解なものであった。特に、本田雅和記者が松尾元放送総局長に、電話で「証言内容について腹を割って調整しませんか」「すり合わせができるでしょうから」と繰り返したことについて、記事の内容がどう違うのかを確認しようとしたと不可解な釈明をしている。さらに、取材相手がNHKとの関係で窮地に陥ることを防ごうとしたという回答にいたっては、朝日信者でも信じないだろう。取材対象が松尾氏であるのはNHKでは公然の事実で、抗議文も松尾氏自身の申し出により出したものである。

[独りよがりの決めつけ取材]

  こういう独りよがりの弁明は、自分たちさえ納得すればよいという自閉的組織になりおおせている証である。朝日記者には社内の評判だけが基準のものが多く、バッシングされるとますます閉じこもる。これは、自分たちは絶対間違っていないという強いエリート意識に由来する。「反共=悪」の共産党と同じ体質で、「反朝日=悪」なのである。

[裁判対策と録音テープ]

  朝日の回答には、法廷戦術を練っている節がある。例えば、本田記者は「安倍・中川両氏からもすでに取材している」と虚言を弄したと指摘され、朝日はそういった事実はないと言い切っている。おそらく、この取材冒頭部は録音テープがないのだろう。回答を書く際に、顧問弁護士とテープを聞き、慎重に裁判対策を立てていると思われる。実際には、安倍議員、中川議員とも虚言取材を指摘している。虚言取材は事実だろうが、証拠がなければ裁判で水掛け論になる。

[文脈の捏造]

 本田記者の取材手法は思い込みの決めつけ取材である。シナリオに合う材料だけ集め、材料がなければ異なる文脈を恣意的に結びつける。例えば、松尾氏が番組制作の一般論として、抗議などの圧力を感じても意見として聞く度量はあるなどと述べたら、文脈無視で「圧力はあった」としてしまう。本田氏に限らず、朝日ではこういう記者が優秀とされる。

[朝日批判は浸透している]

  十年前なら、NHKは天下の大朝日と正面切って対決する勇気はなかっただろう。朝日はバッシングされ、朝日もこたえている。権威が衰えた朝日に、NHKも腹をくくったのだろう。朝日は不祥事も続発している。例えば、04年に辰濃哲朗記者が無断録音したテープを流出させて退社処分をしたことなど。ちなみに、宮沢首相訪韓直前の大誤報を書いたのは、辰濃記者である。

【質疑応答】

 高橋教授や松井やより・バウネットジャパン創立代表(故人)などが、「戦時性暴力」と「性奴隷制」という意図的に輪郭をぼやかした概念を創作した。これにより、ユーゴやルワンダの集団レイプと同じように、日本を糾弾しようとしている。このごまかしを正す必要がある。 フロアから、誤報でなく「虚報」とはっきり非難する用語を使って欲しいという提案があった。また、01年にETV2001が放送され、05年に蒸し返したのは、教科書採択時期を狙ったものだとの指摘もあった。

 たいへん意義あるシンポジウムとなった。翌日の2月25日付産経新聞は、緊急シンポの詳細を報道し、各方面で反響を呼んだ。参加者の中には、朝日を長年購読してきたが、真実を知って購読をやめると憤慨していた方もいた。

 なお、シンポジウムのメイン資料として、本研究会編「朝日新聞が捏造した『慰安婦問題』」(「歴史と教育」シリーズ2 クリオ情報企画刊)を配布した。97年までの朝日「慰安婦捏造記事」の全てが分かる。定価200円(送料別)である。