日韓関係論文
「植民地朝鮮」について


 私が著作した本の題名を「植民地朝鮮の研究」とした事について、多くの人から「日本は朝鮮を併合したのであり、植民地にしたのではない」とお叱りを受けている。中には「合邦したのだ」と言われる方もおられるが、合邦とは対等合併のイメージである。一方併合は吸収合併のイメージである。これはやはり併合と言うのが正しいと思う。

「植民地にしたのではない」と言われる人のイメージの中には「植民地とは搾取される所」というイメージがあるように思われる。しかし私はどの程度の経済格差を以て搾取というのか、或いは人権上の問題なのか、搾取の定義が分からない。従って植民地と併合は対立した概念だと言うことが分からないのである。

 欧米の植民地搾取は酷かったと言われる。しかし武力だけで、多数の人民を統治できるだろうか。本国人の比率は、シンガポールを含むマレーシアで0.4%、フィリピンでは0.1%に過ぎない。

フィリピンは一五二一年にマゼランにより発見され、一五六五年レガスビ探検隊がセブ島に最初の植民地を設置することに成功した。一九七一年にマニラに移ったときのスペイン兵は僅か四〇〇人に過ぎない。その五年後にはフィリピン全土をほぼ支配下に置いたと言われる。

 なぜこのような事が出来たか。それはカソリックの神父達の神の伝道師としての使命感であろう。彼らは単身未開の地に分け入り、布教に努めた。布教に成功した神父には管轄区域を定め、住民から租税を徴収する権利を認めると共に外敵から、住民を守る義務を課した。彼らは農業技師として、土木技師として、認められた地域の開発に努めた。その結果アメリカに施政権が移るまでに、ミンダナオ島周辺を除く、全フィリピンがカソリックの信者となったのである。

 それに対し、プロテスタントのオランダのインドネシア支配は、交易と部族間の争いの調停で進んだ。その結果、ジャワ島は日本よりも人口密度が高くなるほど開発されたのに対し、ボルネオやニューギニアは点の開発に止まり、原住民は全く未開人のレベルに止まった。

私はかってカソリックとプロテスタントの宗教和議で有名なアウグスブルグを訪れた事がある。そこで和議の成果として隣同士に建てられた、カソリックの教会と、プロテスタントの教会を見たとき、宗教改革の本質が分かった。豪華絢爛たるカソリックの教会に対し、シンプルで簡素なプロテスタントの教会は全く好対照である。神に全財産・命までも捧げるカソリックに対し、その搾取を嫌い実用一点張りのプロテスタント、これこそが宗教改革だったように思う。その違いが、フィリピンとインドネシアの政策の違いに現れたと感ずる。

 ジャワ島の人口が急激に増えたのは一九世紀である。この時期悪名高い強制栽培制度が実施された。コーヒー・砂糖・藍等を強制栽培させると共に、買い入れ価格を一方的に決め、ヨーロッパとの価格差で大儲けをした。一八四三年から四八年に及ぶ中部ジャワの飢饉と相まち、搾取の厳しさを非難される所以である。

しかし、この飢饉にも関わらず、農業技術の向上、公衆衛生の進歩により人口が急増した事実をどの様に評価するか。原住民との所得格差は危険と不便を克服して、新天地を開発した人間に対する当然の報酬である。今日東南アジアやアフリカに進出する企業のサラリーマンと現地人の所得格差を非難する人はいない。

 広辞苑によれば、植民地とは「ある国の海外移住者によって、新たに経済的に開発された地域。帝国主義国にとって原料供給地・商品市場・資本輸出地をなし、政治上も主権を奪われ完全な属領」とある。又金完燮は拙著「植民地朝鮮の研究」韓国語訳の推薦文で植民地とは「荒涼とした土地に国民達が移植し、開発した新しい領土」としている。本来の意味には搾取された土地という意味は無いのである。 「植民地は搾取されるもの、宗主国は搾取するもの」と言う論理は、「資本家は労働者の敵」と同じく共産主義者の論理なのである。

私は「朝鮮は併合した領土であり、参政権等法的な権利はまだ内地と同じレベルに達していなかったので、植民地であった。」と考えている。