日韓関係論文
センター入試問題
文科省は「朝鮮人強制連行」の定義を明らかにせよ


 一月十七日に行われた「世界史B」の試験で、「日本統治下の朝鮮」に関連して次の中から正しいものを一つだけ選ばせる問題(第1問の問5)が出題された。

 @朝鮮総督府が置かれ、初代総督として伊藤博文が就任した。
 A朝鮮は、日本が明治維新以降初めて獲得した海外領土であった。
 B日本による併合と同時に、創氏改名が実施された。
 C第二次世界大戦中、日本への強制連行が行われた。

 この回答は@〜Bがすべて間違ってるので、消去法からCということになる。しかしCが本当に正しいのであろうか。

 最大の問題は「朝鮮人強制連行」の言葉の定義が明確になっていないことである。日本植民地研究会編『日本植民地研究第一五号』で古庄正氏は次のように言っている。

1.朝鮮人強制連行という用語を最初に使ったのは朴慶植氏である。彼のいう朝鮮人強制連行とは身体的拘束によるものを意味したが、朝鮮植民地支配を暴く象徴的な用語として広くマスコミや日用語として使われ、各種歴史事典にも取り上げられた。
2.海野福寿氏は「もし拉致・暴力的強制にのみ、強制の意味を認めるとすれば、拉致・連行を伴わなかった労働力徴発は強制連行とは言えないという誤りを犯すことになる」とし、「強制連行の強制性を規定するものは、連行の暴力的強制力にあるのではなく、法的強制力にある」と主張している。
3.山田昭次氏は暴力的連行や法的強制力以外にもa.経済的窮迫や向学心、b日本に行けという警官や面役人の圧力、c進路の幅が労務動員か軍属・兵士の軍事動員に狭められた結果としての応募、d皇民化教育による精神的拘束によるものまでが、強制連行としている。

 更に単に第二次大戦中のみならず、日本統治下の全時代に亘り、経済的困窮により生地を離れざるを得なかった人も、すべて強制連行だと主張する人もいる。北朝鮮は昨年九月二十四日の国連総会で「日本は朝鮮半島占領時代に八百四十万人を強制連行した」と主張している。終戦時でも全朝鮮で人口は三千万程度にすぎない。北朝鮮の主張はこの視点に立つものと考えられる。この視点に立つ人にとって、強制連行を第二次大戦中に限定したかのごときこの設問は果たして受け入れられるのであろうか。

 山田昭次氏の主張の内、向学心にあふれ日本に来た人が何故強制連行された人に入るのであろうか。経済的困窮により生地を離れた人も、自主判断により、希望にあふれ、生地を飛び出したのである。この見地に立つ人は、今日中国を始め世界各国から日本に職を求めて入国してくる人も強制連行されたと考えるのであろうか。

 又、海野福寿氏の主張のように「自己の意志に反し、法的に強制された人」も強制連行だとしたら、ベトナム戦争時のアメリカ青年はベトナムに強制連行され、今日の韓国青年は板門店に強制連行されると言うのであろうか。

 更に、第二次大戦中日本に渡った人をすべて強制連行されたとする人もいる。野中広務氏はこの視点に立っているように思われる。この数字の中には日本に動員された夫から呼び寄せられた家族も多数いる。又一九三九年までは、日本の労働事情を乱すとして、労働者の自由募集は禁止されていた。従って自由募集の解禁当初は労働者の募集に対し、応募者は殺到したのである。

 このように自由な意志、正当な理由により、日本に来た人まで強制連行された人に含めると言うことは歴史の歪曲そのものである。彼らは「新しい歴史教科書」を歴史の歪曲と批判するが、彼らの歴史の歪曲は彼らの日本非難の全領域に亘っており、すさまじい。彼らは「強制連行」とは歴史用語であり、歴史事典にも掲載されていると主張するが、我々はこれを認める訳にはいかない。

 この問題の原点は、宇垣総督のブレーンを務めたジャーナリスト、鎌田澤一郎が『朝鮮新話』に「納得の上で応募させていたのでは予定数になかなか達しない。そこで郡とか、面とかの労務係が深夜もしくは早暁、突然男手のある家の寝込みを襲い、あるいは田畑で働いている最中にトラックを回して何気なくそれに乗せ、かくてそれらで集団を編成して北海道や九州の炭坑に送り込み、その責を果たすという乱暴なことをした」と書いた事である。鎌田は南総督と合わず、この本は南総督批判の書と言われる。

 又彼らが引用する重要な文書は、一九四四年七月三一日付、内務省嘱託・小暮泰用の朝鮮出張復命書である。この中で彼は「徴用は別としてその他いかなる方式によるも出動は全く拉致同様な状態である。それはもし事前においてこれを知れば皆逃亡するからである。そこで夜襲、誘出、その他各種の方策を講じて人質的掠奪拉致の事例が多くなるのである。……殊に西北朝鮮地方の労務管理は全くお話にならない程残酷である。……」と書いている。そして官斡旋、一般募集を止め、徴用を強化すること、待遇改善、家族補償等の必要を述べている。

 この復命書について、元朝鮮総督府高級官僚であった大師堂経慰氏は「この報告は朝鮮総督府への要求を緩和させるための、陳情の目的もあった事を理解して頂きたい」「これは朝鮮全体として見ると、決して一般的ではなかった。地方地方で事情が異なっており、各人により対応が異なっていた」と語っている。

 この二つの資料から分かることは、政府の要請に応えるべき労働者の供給がかなり困難になってきていたと言うことである。徴用が強制連行でないとすれば、強制連行とは官斡旋制度が発足する一年ほど前から、徴用に切り替わる一九四四年までの、ほぼ三年間の間の事である。この間に、「名目は募集だが、警察と面職員が一緒に来た。行かないと後で大変な制裁を受ける」「行きたくないと逃げても、後で続けて何回も割り当てが来る」「郡とか、面とかの労務係が深夜もしくは早暁、突然男手のある家の寝込みを襲い、あるいは田畑で働いている最中にトラックを回して何気なくそれに乗せ……」等の事例があちこちで発生したと考えられる。しかしこれらの例でも、あくまで拒否するものに手錠をかけて連行したわけではない。

 同時にこれらは業者の盛大な供応付きで行われたと言われる。このような不正を働く官僚は何時の時代にもいる。これが一般化されておれば、必ず司法が動き、国会で問題となるはずである。衆議院には朴春琴が一九四二年四月まで、貴族院には李軫鎬が一九四三年一〇月から戦後まで在籍している。

 内地・台湾は一九三九年から徴用制をしいたのに対し、朝鮮総督府は強制による徴用を嫌い、あくまで説得による官斡旋にこだわった。しかし私は、一九四二年自由募集から、官斡旋に切り替えたとき、一気に徴用制に切り替えるべきだったと思う。実行困難な政策は不正を生みやすい。

 私は強制連行を最狭義に考え、拉致等暴力的手段により連行された人のみ、即ち犯罪行為のみが「強制連行」の対象と言う立場に立っている。犯罪行為では政府の政策としての強制連行は無かったと言うことになる。

 強制連行と言う言葉の定義はこのように曖昧なものであり、「第二次世界大戦中、日本への強制連行が行われた。」と断定することは困難である。従ってこの朝鮮人「強制連行」設問は採点から除外すべきだと主張する。もしこの設問が有効だとするならば、文科省は「朝鮮人強制連行」の定義を明確にすべきであろう。定義のはっきりしない言葉を取り上げ、有ったか、無かったか議論することはナンセンスである。