日韓関係の近現代史
4.戦後の韓国


北朝鮮の罪

 今日韓国は日本の統治を、高校歴史教科書で「日帝は世界史でその類型を見出せないほど徹底した悪辣な方法で我が民族を抑圧・収奪した」と非難して止まない。

しかし一九九〇年代三〇〇万人の餓死者を出し、今日も尚七万人の子供が餓死に直面していると言われる北朝鮮民衆は、日本統治時代よりどうして幸福といえるのか。尚日本統治時代、最も悲惨を極めた農業恐慌時の昭和七年、朝鮮では、五六七人の餓死者、五五八三人の行旅死者を出している。悲惨を極めたとは言え、桁が違う。

三月頃テレビ朝日「ニュースステーション」の中で、「日本が八四〇万人強制連行した、と北朝鮮で報道している」と言っていたが、当時の全朝鮮の人口が二四〇〇万人である。その中から八四〇万人も強制連行すれば、農業が出来なくなり、餓死者続出となることは目に見えている。そんな馬鹿な事をするわけがなく、明らかに間違いである。テレビ朝日ともあろうメディアが、このような事を無批判で垂れ流すのは問題である。又日本の強制連行は拉致とは全く異なる。これを同列に扱う事も許せない犯罪行為(名誉毀損)である。

金日成の犯した最大の犯罪は朝鮮戦争である。終戦後独立を獲得した韓国・北朝鮮では共に権力争いが続き、次々とライバルを粛正し、李承晩・金日成の独裁体制を作りつつあった。特に北朝鮮で早期に独裁政権を確立した金日成が次なる野望として、南北統一政権の主となろうとした。昭和二四年六月アメリカは韓国から軍隊を撤退させた。更に韓国の経済の低迷、パルチザン活動の激化により、金日成の野望は膨らんだ。彼はスターリンの了承を取り付け、昭和二五年六月一気に韓国に攻め込んだのである。九月には釜山の近くまで攻め込んだ。米軍の反撃・中共の参戦により朝鮮半島は荒土と化した。日本統治の遺産のかなりのものが灰燼となった。因みにGHQの調査によれば、非軍事資産だけで、日本は当時の金で韓国に六一億ドルもの資産を残したのである。この金日成の犯罪を糾弾せず、何故日本が非難されるのか。韓国人は同民族なるが故に日本に支配されるより、金日成に支配された方が幸せになったと思っているのだろうか。

「韓国政治の残虐さ」

 韓国では済州島のパルチザン活動の弾圧がすさまじい。人口二〇ー三〇万人の島で、昭和二三年から八年の間に五万人ー八万人の住民が虐殺されたと言われる。この事件は南朝鮮の単独選挙に反対する南朝鮮労働党の指導のもとに引き起こされたものである。

 この鎮圧を命じられた麗水の連隊は、反乱軍に転じた。この動きは順天市他各地に波及した。彼らは「北朝鮮との一体化」を主張し、「人民共和国万歳」を叫んだ。至る所で人民裁判が行われ、反動分子の粛正、北朝鮮から逃れてきた人の虐殺が始まった。と同時に政府による粛軍が始まり、麗水・順天事件の責任者として八九人が直ちに銃殺されたのを始め、軍の一割八千人が粛正された。

逃れた反乱軍は智異山に立てこもり、抵抗を続けた。この粛軍に便乗し、李承晩は反対勢力を粛正し、地歩を固めた。

   朝鮮戦争中には慶尚南道居昌郡一帯でゲリラの疑いで一五〇〇人射殺されたのを始め、全部で八千人の良民が殺されたと言われる。

 昭和三五年の李承晩退陣要求デモでは、デモ隊に発砲し、一八三人の学生と市民が殺され、負傷者は六千人を超えた。又昭和五五年の金大中逮捕に反対する光州事件では、武力鎮圧により一日で死者一八九人・負傷者三八〇人を出している。この時の死者は二千人を超えるとも言われている。平成八年この時の弾圧の責任を問われ、全斗煥元大統領は死刑、廬泰愚元大統領は無期懲役の刑に処せられたが、金大中大統領の恩赦により釈放された。

 それに対し、全朝鮮で吹き荒れた三・一独立運動全体の死者は五五三人負傷者一四〇九人(朝鮮総督府発表)に過ぎない。又一人も死刑にしていない。世界一残酷どころか、世界一穏和な統治だったと感じる。

国際認識

 アメリカは、カイロ宣言で「世界で最も苛酷な圧政を受けている朝鮮人」との表現で日本統治を非難している。同時に朝鮮人は自治能力がないとして、国際機関による信託統治を予定していた。

この「世界で最も苛酷な圧政を受けている朝鮮人」は三・一独立運動を非難した、朴殷植著『朝鮮独立運動の血史』に紹介されている上海西報の記事の題名である。

この本の中の外人記者の記事には、日本統治前の朝鮮の腐敗、統治力の無さが指摘されている。即ち当時のアメリカの認識は三・一独立運動当時の朝鮮のイメージしかなかったのであろう。

韓国は未だにカイロ宣言を金科玉条として、日本を強請り続けるが、同時にアメリカの方針である国連統治を拒否し、朝鮮人による自治を主張している。

 又韓国は大韓民国臨時政府の存在より、戦勝国として日本に賠償を要求している。戦後日本の賠償に関する調査に来たボーレーは、韓国に賠償請求権を示唆した。この事は韓国政府を勇気づけた。又アメリカの韓国駐在大使ムチオは韓国をサンフランシスコ講和会議に出席させるべきだと主張している。但し対日賠償は在韓日本人資産で相殺すべきだ主張した。

 韓国歴史教科書は大韓民国臨時政府を過大に評価しているが、その根拠である重慶には僅か二百人程度の朝鮮人が居るだけであり、それも幾つかの分派に分かれ、絶えず抗争を繰り返していた。更に北朝鮮の国境地方にも抗日組織があり、全部で五つのグループが朝鮮代表を主張していた。従って大韓民国臨時政府をもって朝鮮を代表する政権として戦勝国と見なすことには無理があった。

 又冷静に考えれば、韓国の日本に賠償請求権を認めると言うことは、イギリス・フランス・オランダ等の広大な植民地の、宗主国に対する賠償請求の可能性が発生することになる。従ってイギリスが韓国の賠償請求を認める筈がない事を、韓国は認識すべきである。

韓国の発展

 朝鮮半島の地勢を見ると、南朝鮮は高山が無く、気候温暖な農業に適した土地である。日本に大量の米等農産物を輸出していた。その代わり有用鉱物は少ない。一方北朝鮮は冷涼で山が多く農業には不向きである。その一方水力、鉱物資源に恵まれていた。その為南北に分裂したとき、南朝鮮には工業としては紡績工場とソウルを中心とした軽工業しかなかった。頼みの農業も日本、満州から大量の人が引き揚げてきたこと、肥料工場が北にしか無かったことから肥料不足になり、食料品まで不足した。日本統治時代は日本に農産物を売り、そのお金で、消費材を買っていたのが、その農産物すら不足する事態となったのである。更には北朝鮮からの送電を絶たれ、韓国の国民の命を守ったのは、一にも二にもアメリカの援助であった。

 アメリカが軍政期三年間に行った援助総額は四億一千万ドルに達した。又昭和二〇年から朴正煕による五カ年計画が始まる前年の三六年までの援助総額は三一億ドルに達する。年平均二億ドルに及ぶ。それが借款ではなく、無償援助であった。そのアメリカも昭和三五年近くになると国際収支が悪化し、援助が苦しくなった。昭和三二年の三億七千万ドルをピークに昭和三四年には二億二千万ドル昭和三五年には二億五千万ドルに低下し、無償援助から借款への変更を予告されるようになっていたのである。これに比べれば日韓基本条約で日本が供与した一〇年間均等払いでの無償援助三億ドルは期待に外れたものであった。なおこのアメリカからの援助は国家予算の三割から五割強に達した。

 当初の援助は四〇%以上がアメリカの余剰農産物であり、通算でも二五%は小麦・トウモロコシ等の農産物であった。これを国民に売り、その売ったお金で軍事費その他諸費用をまかなった。その為農産物の価格は抑えられ、農業は衰微した。通算で四二%が原材料・中間製品であるが、その中には原綿が含まれており、この結果日本時代かなり生産された原綿も激減した。

韓国のように資源のない国で、国を興すには貿易に頼るしかないはずである。しかし李承晩は独立前最大の貿易国であった日本との国交回復を拒否し、物乞いと強請に徹したのである。

今では信じ難いことだが、昭和三六年朴大統領が政権を取ったとき、韓国は北朝鮮やフィリピンより貧しかったのである。一人当たり国民所得の推移を下に示す。(単位 ドル)

 韓国は日本の搾取を非難するが、搾取した日本が去った後、所得格差は縮まる所か、逆に拡大したのである。勿論朝鮮戦争で国土が荒廃したことが大きいが、これとて朝鮮人同士の勢力争いが原因である。国内でも李承晩は派閥抗争に明け暮れ、ライバルを次々暗殺することに熱心であり、国民のことは全く考えなかったように思える。アメリカが統治能力なしと考え、国連統治を目指したが、その心配通りとなった。

昭和年3340455055
日本320760192044509020
韓国1211202505801450
北朝鮮190330450
フィリピン198150210380710

韓国の発展は昭和四〇年以降である。従って韓国の発展は明らかに彼ら自身の懸命な努力の成果である。昭和四〇年は韓国がベトナム戦争に参戦した年である。そして日韓基本条約を締結した年である。ベトナム特需により韓国経済は急激に進展した。しかし何故その時、フィリピン経済は韓国経済のように伸びなかったのであろうか。フィリピンはかってのアメリカの植民地であり、ベトナムには韓国より近い。フィリピンはベトナム特需の受注にはより有利な状況にあった。しかし韓国はこのチャンスを生かし、フィリピンは活かせなかった。この理由は韓国とフィリピンの潜在能力の差(工業の発展、インフラ整備の度合い、教育の欠陥等)である。と同時に日本とアメリカの植民地政策の差である。

 ベトナム戦争が始まった年日本は韓国と国交を樹立し、日韓基本条約を結んだ。その結果政府資金だけでなく、大量の民間資本が韓国に流れ込んだ。当時日本経済は急激に成長しており、それと共に人件費が急激に高騰していた。距離の近さ、教育の普及、日本語が通用する、人件費の安さ等、日本企業が韓国に進出するのは当然である。その結果、資本と知恵の流入し、韓国経済は急激に立ち上がったのである。

 その結果農業部門の停滞が目に付くようになった。昭和四五年朴大統領はセマウル運動を立ち上げた。このスローガンは自立、勤勉、協同であった。このスローガンの下、道路の改修、屋根の改良、倉庫の建設、等が農家の共同作業で行われた。この運動は都市に波及し、生産性向上運動と結びつき、産業の発展に貢献した。尚この運動に際し、宇垣総督のブレーンであった鎌田沢一郎は何回も呼ばれ指導している。

このように見ると、韓国の発展はまさに彼らの努力の賜であったが、同時に日本時代の基礎があってのものであった。更に日本からの日韓基本条約、その後のODAによる資金の流入、日本企業との連合によるアメリカその他への輸出など、日本の存在なしでは今日の発展は考えられない。

終わりに

 現在市場に出ている韓国・朝鮮史の本は殆ど韓国・朝鮮に迎合した自虐史観で書かれている。彼らの主張は「被害者の身になって考えろ」と言うものである。しかし私は「歴史を学ぶ目的は歴史に学ぶこと」であると考えている。その為には感情を排し、事実をしっかり分析し、正しく把握することが大事だと考える。その点現在、語り伝えられる歴史は余りにも歪曲されている。これでは歴史から学ぶことは出来ない。

韓国は日本の搾取を非難しているが、金日成の野望が実現した方が、日本に統治されるより、同民族支配なるが故に、幸せになったと思っているのだろうか。

 朝鮮の税金は内地より安く、国庫からの財政支援と言い、搾取されていたのはむしろ日本であった。前述したが、終戦時日本が残した非軍事資産は当時の金で六一億ドル(一ドル一五円)に及ぶ。現在価格に換算するといくらに当たるだろうか。アメリカの消費者物価指数で換算すると約七兆円となり、日本の消費者物価指数で換算すると四五兆円となる。大変巨額の資産を残したのである。

 又賃金格差が非難されるが、賃金は自由競争の中で決まるものであり、生産性格差・信頼性等で決まるものである。今日東南アジアに進出している韓国企業の従業員は、現地従業員を搾取しているのだろうか。今少し冷静に歴史を見直して欲しい。

 最後に、この論文は小著『植民地朝鮮の研究』(展転社二〇〇二年発行)の殆どが抄録であり、文献・出所は同書を参照して頂きたい。戦後問題については同書の他、トルクノフ著・下斗米伸夫・金成浩訳『朝鮮戦争の謎と真実』草思社、李景 『朝鮮現代史の岐路』平凡社選書、林建彦『韓国現代史』至誠堂、真鍋祐子『光州事件で読む現代韓国』平凡社、佐藤勝己他『韓国・北朝鮮 そこが知りたい』亜紀書房を参照した。