日韓関係の近現代史
序論一 異民族支配、即悪は誤り


 今日韓国・北朝鮮にまず謝るべきだと主張する人は、日本が朝鮮を統治したことそのものが、朝鮮人を不幸にしたと考えている人が多い。ウィルソンの民族自決の提唱後、民族独立は当然の権利のごとく考えられ、コソボ、東チモール等民族紛争が絶えない。多民族が共存するコソボのような土地で、本当に異民族に支配されることが、それほど不幸なことであろうか。

明治時代、樽井藤吉は「 大東合邦論 」を書き、多くの人の心を掴んだ。この思想の根本は「 日本と朝鮮が合邦し、清国と力を合わせて、欧米の侵略を防がなければならない 」というもので、合邦の例として、イギリス、アメリカ、ドイツ等の例を挙げている。確かにイギリスはイングランド、ウェールズ、スコットランドの三国が合邦したものであり、アメリカも多くの州( ステーツ )が合邦したものである。ドイツがプロシアを中心に連合王国となったのは1871年である。又 スイス、ベルギーでは異民族が一つの国となっている。「 異民族であるからとか、永年別の国であったから合邦するのは無理だ 」という考え方にはならない。

我々日本人は敗戦後アメリカの支配を受けた。アメリカは食料を援助してくれ、個人の権利の重視、民主主義の普及を計った。道徳教育の軽視等問題点はあったが、まず善政であったといって良いだろう。そのため、国を守るための武力の行使に疑問を感じ、戦争放棄の憲法は未だに改正されない。

 又 二千万人もの犠牲者を出したと言われる文化大革命時の中国人は、香港在住の中国人とどちらが幸せだったろうか。何千万人も粛正したスターリン支配下のソ連人、毎年のように何百万人も国民が飢餓線上に苦しむ北朝鮮国民は本当に同民族支配なるがゆえに幸せだろうか。もっともスターリンはロシア人ではなく、グルジア人である。ソビエト連邦は多民族国家であり、多くの民族共和国の連邦である。レーニンの理想主義により、各共和国は同等の権利を持ってソビエト連邦を形成した。だからこそ、グルジア人のスターリンが総統になれたのである。

 マルクスは「 資本家は労働者を搾取する者であり、労働者の敵 」と位置づけた。同様に宗主国は植民地を搾取する存在とした。しかし現在の経営学では最大利益の追求のためには、労働者の働く意欲を引き出すことが最も必要とされている。又激化する企業間戦争を勝ち抜くためには、資本家、経営者及び労働者は同一チームの戦友である。宗主国と植民地の関係も同様であり、国の発展のためには、植民地を搾取するより、力を合わせる事が何より重要な事である。独立運動が頻発するようでは、宗主国の負担が増えるだけである。

 即ち、これまでの議論の最大の欠陥は、軍事的な視点が欠けていたことである。日本が韓国を併合した最大の理由は、ロシア・ソ連による日露戦争に対する復讐戦に備えるためであった。ソ連と戦ったとき、朝鮮人民の動向は極めて重要である。日本人と共に戦ってくれれば大変な戦力になるが、ここぞとばかりに、ソ連側に立ち独立運動でもされた時には、逆に大変な戦力の減耗となる。

1931年( 昭和6年 )朝鮮総督に就任した宇垣一成は、東京銀行倶楽部の晩餐会で、次のような趣旨の講演をしている。

「 第一次大戦時、外見上ドイツ、ロシアの一州となって、ドイツ、ロシアと一体化しているかに見えたポーランドが、戦争が長びき、苦しくなってくると、母国を裏切るようになった。これは外見上、一体化しているように見えても、精神的、物質的に一体化していなかった為である。朝鮮ではどうかと考えると、四年前、斉藤前総督がジュネーブ会議に出張中、余が代理総督として執務した時に比べ、世界的な恐慌のため、精神面から見ても、物質面から見ても悪くなっている。

( 中略 )この対策としては、内地人の仕事を少し朝鮮人に回すと共に、産業を開発して仕事を作り、朝鮮人にもっと仕事を与えなければならない。では朝鮮で起こすべき産業は何か。まずは豊富な金、鉄鉱、石炭等の鉱業資源の開発である。更に北朝鮮の森林資源、未開拓の原野、海岸線の有効利用、水力資源、豊富低廉な労働力等開発すべきものは多数ある。ただ足りないものは人の知恵と資金である。ぜひ列席の皆さんの協力をお願いする。」*1

このように軍事的な視点から見ると、日本にとって、朝鮮の内政の安定、生活レベルの向上、そしてその結果としての日本との一体感が、何より重要だったのである。

私は韓国併合を考えた場合、今日の世界的な企業の合従連衡、企業戦争との共通性を感じざるを得ない。新興企業が大企業に育つためには、赤字企業に対し業務提携( 顧問の送り込み )、資本参加・買収( 保護国化 )、合併( 併合 )の手順により育つ例が多い。まさに韓国併合へ至る道と全く同じである。この場合合併された会社と一体となって初めて戦力が増加するのであり、対立していては戦力の増どころか、逆に戦力の減となる。従って一体化の過程にて、犠牲者も出るが、うまくいけば一般従業員は給料も上がり、幸福となる場合も多い。

 私は支配者がどの国の人であれ、国民の生活を安定させ、差別をなくし、自由に発言できる社会をつくる事が、国民の幸せだと思っている。ただ同一民族の支配者の方が、差別が少なく、自己実現の機会が多いという希望的観測から、異民族支配より、同民族支配が望ましいと一般に考えられているのだと思う。この事は業績の良い外資系企業に勤めることと、業績の悪い日本企業に勤めることがどちらが幸せかと言う事につながる。一般的にはやはり日本企業に勤める方が良いと思う。いかに給料が良くても差別されたのでは決して幸せではない。しかし外資系でも実力を評価してくれ、きつちり処遇してくれれば、資金がないため、やりたいこともやらせてくれない日本企業に勤めるより良いのではなかろうか。

 第一次世界大戦の後のパリ平和会議で、アメリカは民族自決を主張し、日本は民族差別の撤廃を主張した。今日アメリカは肌の色、言葉の違いを超え、アメリカ人として、アメリカに対する忠誠心を求めている。ようやく建前としての民族差別が解消されてきた。当時日本が主張していた五族協和が実現しつつあるのである。

最後に私の意見をまとめる。

1.ナショナリズムの元である、ネーションには民族と国家の二つの意味がある。国家の意味でのナショナリズムは行き過ぎない程度には必要である。しかし民族の意味でのナショナリズムは、多民族が混淆する今日の社会では有害無用である。
民族自決を主張するアメリカ系キリスト教は朝鮮で三・一独立運動を煽り、支那で反日運動を煽り、ルーズベルトを反日・容共に導き、大東亜戦争の原因を作った。
今日世界には多くの民族紛争がある。この解決に被差別民族は民族自決を求め、実施されている。しかしこの結果、その地区に住んでいたそれまでの支配民族は、新しい被差別民族に転落する。従って民族紛争の解決は民族自決ではなく、融和でなければならない。必要な事は和の精神であり、森喜朗元首相が主張する「すべての宗教に寛容で敬虔な神の国」である。
そのように考えると民族自決は、共産主義と共に、二〇世紀を支配した、二つの大変間違った理念だったのでは無かろうか。
2.いかなる政治にも良いところもあり、悪いところもある。貧乏人にとって良い政治は、金持ちに不満が残る。立場が違えば評価は逆転する。生活の安定をとるか、言論の自由をとるか、観点が変われば評価も変わる。
3.求められる社会は「生活が安定し、差別がなく、自己実現のチャンスが与えられる社会」である。支配者の国籍、人種は無関係である。異民族統治は悪であるとの偏見を捨て、どのような政策が成功し、どのような政策が間違っていたか考えることが重要である。貧困からの脱出、民族紛争の解決に先進国の助けを要する国は多い。