菅直人首相は 「痛切な反省とお詫び」 を表明し官房長官は個人補償を言う


 この8月14日、NHKが日韓併合100周年を期して、日韓双方の若者を集めてマンモス討論会を放映した。  在日の映画監督・崔洋一が、日本側の若者の発言をばくして、「 君には歴史を語る資格がないッ 」 とキメつけ、京大准教授・小倉紀蔵から「 それは言いすぎです。 歴史はいろんな見方が可能です 」 とたしなめられ、さらに激する場面があった。 いかにも大人気ない。

 ついで 韓国側の若者から、こんな発言があった。
 「日本に併合されなければ、今のような朝鮮半島の南北分断はなかったと思う」

 そうかもしれない。 ロシアに一括支配され、そのために分断はなかったかもしれないただし、のちのソ連=スターリンが、衛星国をいかに過酷に扱ったかは歴史が示している。 いずれも共産主義=ボルシェヴィズムの虜囚となって呻吟しんぎんした。 いま韓国が謳歌している言論の自由も経済発展も考えられない それでもそのほうが良かったというなら何をかいわんや。

 そもそも、朝鮮の南北分断もドイツの東西分断も米ソ冷戦の所産だ。 ドイツは機を捉えて統一を成し遂げた。 くらべて韓国はどうか。 いまだに統一にはほど遠い。 恨みを朝鮮併合にこじつけるのは牽強付会けんきょうふかいにすぎる。 併合にいたる経緯を多少とも知る者からすれば、そう思わざるを得ない

 日本は好き好んで朝鮮を併合したわけではない。 伊藤博文は併合に反対し、朝鮮の自立を望んだ。

 日露戦争の結果、ロシアは日本に朝鮮の保護権を認めた これを受けて、伊藤は時の李王朝と保護協約を結んだ。 ところが 李朝・高宗 はハーグに密使を送って保護協約の無効を訴えた。 ハーグ平和会議は、この訴えを国際的に無知な不信外交だとして、全会一致で一蹴した

 伊藤は高宗を罷免し、その子・純宗と保護協約を結び直し、初代統監に就いた。 それでも親露派の動きは止まない。 日本の朝野に併合やむなしとする議論が高まる。 このままでは何のために日露戦争を戦ったのかわからなくなる。

 伊藤は併合を主張する山駆有朋や桂太郎と対立してまで、なお朝鮮の自立を望んだ。 やむなく併合するにしても、大幅な自治権を認め、ゆるやかな統治を構想した。 その伊藤を安重根が暗殺し、ためにことは一挙に併合へと進んだ

 伊藤は李朝の官吏に問うた。
 「韓国人の何びとが自らその独立を主張したか。 あるならば聞きたい」
 自立への意思を一向に示さない朝鮮に、焦燥したあげくの質問だ。
 崔洋一監督は言う。
 「たしかに当時の韓国の政府は、だらしのない政府・王朝だった。 だからと言って、政府と韓国民の考えは違う。 そこを考えない君には歴史を語る資格はないッ」
 政府と国民は違うと言うが、国と国の交渉は政府と政府によるしかない。 その結果をともに背負うのは世界の常識だ。 平たく言うなら、 「 だらしのない政府 」 をそのまま担いだ国民にも責任がある。 他国のことばかりは言えない。 かつて日本も、 「 だらしのない首相 」 を担いだ。 あげくはズルズルと 「 太平洋戦争への道 」 をひた走った。
 8月10日、首相・菅直人は日韓併合について 「痛切な反省と心からのお詫び」 を表明した。 例の村山談話にくらべて、一段と踏み込んだ内容になっている。 これでは朝鮮併合が無効だったと受け取られかねない。
 韓国は以前から朝鮮併合条約は無効と主張し、それによる 「 被害 」 を賠償せよと請求してきた。 この問題は日韓基本条約( 1965年 )で決着している。 もちろん個人補償を含めてのことだ。


大統領・朴正煕の懐刀

 それを知ってか知らずか、官房長官・仙谷由人はいまさら個人補償がどうのと問題を蒸し返す。 菅首相の、朝鮮併合は無効とも受け取られかねない談話と合わせて、今後に由々しき問題を惹起する。 それを理解するには、日韓基本条約にいたった経緯を知る必要がある。 その次第を少し詳しく見ておこう。
 日韓交渉に当たった韓国側のキーパーソンは金鐘泌で、大統領・朴正煕の懐刀で当時34歳。 のちに首相をつとめた。 そのころ、青瓦台に彼を訪ねたことがある。 彼がしみじみと洩らした一言は忘れられない。
 「 私らから見て、羨ましいものが日本に2つあります。 1つは天皇です。 ウチにはこれがありません。 ですから国がなかなかまとまりません。 もうひとつは少ない防衛費です。 日本はGDPの1%でしたか。 ウチは43%を北への備えに使わなくてはなりません。 まるで片腕を縛って、日本と経済競争しているようなもんです 」
 その金鐘泌から聞いた話と、のちにNHKが彼の証言を主軸に製作した番組 「 日韓条約 ― 知られざる交渉の内幕 」 を練り合わせて、ことの次第を記してみる。
 当時、日韓交渉は膠着こうちゃく状態にあった。 韓国は朝鮮併合による 「日本の植民地支配 の非を鳴らし、その非を認めよとする。 これによる 「被害」 を言い立て、 「請求権」 を主張した。 一方、日本は朝鮮併合の合法性を主張して 「請求権」 の根拠を認めない。 朝鮮併合の当時、国際社会は一致してこれを承認した 唯の一国も反対はなかった。
 だから日本は 「 経済協力 」 の名においてカネを出すならともかく、請求権の果実とされるなら断固として拒否する構えを崩さない。 「 請求権 」 か 「 経済協力 」 か ―― カネを出す名分と竹島の領有権をめぐって、交渉は10年間も行き詰まっていた。
 朴大統領は事態の打開を図る。 金を招いて言った。
 「 韓国の経済を立て直すには、どうしても日本の援助が必要だ。 カネの名分はさて置き、とにかくカネをふんだくって来い 」
 金は訊く。
 「 いったい幾ら取ってくればいいんですか 」
 「 8億ドルだ。 どうしてもそれだけ要る。 それを取って来い 」
 当時、日本の外貨準備高は14億ドル。 だから金は答える。
 「 ウーン、それは難しいでしょう 」
 「 いいからふっかけてみろ 」
 名分について大統領は言った。
 「 どうまとめてみても、国内では非難される。 しかし誰かがやらなくちゃならん。 われわれは一緒に( 軍事 )革命までやった。 どうだ、やってくれるか? 」
 「 行きますッ 」
 密命を受けた金は日本に飛ぶ。 外相・大平正芳が相手だ。 会うなり、
 「 竹島のことは互いに触れないことにしましょう。 そうでないと前に進めません 」
 これは朴の智恵だ。 竹島は日比谷公園ほどの大きさの岩島だ。 韓国側は 「 独島 」 と名付けて、52年以来占拠している。 これ が永年、日韓関係の 「 ノドに刺さった魚のホネ 」 となっている。 朴は洩らしたことがある。
 「 できることなら、あの島を爆破して海に沈めてしまいたい 」
 朴はこの島の問題を不問にした。 これに大平も同意した。 そして金は単刀直入に切り出す。
 「 いくらなら出せますか 」
 「 まあ3億ドルだ 」
 大平の答えを聞いて、
 「 話にならない。 8億ドルだ 」
 金によれば、
 「 言ったとたん、大平さんは椅子から跳び上がりましたよ 」
 「 とても出せない 」
 「 無償3億ドル、有償2億ドル。 これに様々の技術協力を加えることでどうか 」
 押し問答があって、結果、無償3億ドル、有償2億ドル、これに民間の借款3億ドルの合わせて8億ドルで落ち着いた。 あとはカネの名分が問題となる。 金は言う。
 「 請求権を放棄したとなれば、われわれは国賊となります 」
 「 いや、日本としては請求権は絶対に認められない 」
 「 ならば名分を( 条約上は )ハッキリさせないでおいて、双方、国内に向けてはそれぞれそれなりに説明する。 そしてその説明を、互いに非難し合わない、黙認する、それで如何ですか 」
 ということで合意した。 かくてカネの説明は、韓国の議会においては 「 請求権 」 の結果とし、日本の議会ではあくまで 「 経済協力 」 と説明された。 両方の議会はモメた。


伏せられた個人補償

 植民地支配の償いがたったの8億ドルとは何事か、しかも日本ではカネの主旨を 「 経済協力 」 としている、請求権はどこへやった? ― 韓国国内の反発は暴動に発展する。 朴は軍隊を繰り出し、これを鎮圧した。
 一方、日本においては日韓併合は合法的におこなわれた、当時の国際社会が挙げてこれを承認し、一国の反対もなかった、なのにそれによって 「 被害 」 を受けたとする韓国の賠償請求権を認めるのか、といった議論が起こる。
 「 いや、ですから経済協力でございます 」
 「 向こうでは請求権の結果だと説明している。 おかしいじゃないか 」
 「 解釈の違いです。 日本としてはあくまで経済協力でして …… 」
 この種のやり取りが延々と続いた。 紆余曲折を経て締結された日韓基本条約は、 「今後、両国間に一切の請求権は存在しないものとする」 と定めた。 もとよりこれは、個人補償も含めてのことだ。 朴は8億ドルに 「個人補償」 を含めることを了承した。 日本の植民地支配によって被害を受けた( とする )人々への補償を一括して受け取り、被害者には韓国政府自身が手当てをするとした。
 当初、金は大統領に訊いた。
 「 このカネをどのように使いますか? 個人補償はどうします? 」
 「 個人補償は後回しだ。 いまはこのカネでわが国の経済を立て直そう。 被害者の救済は国に余裕ができたときにしよう 」
 個人補償にバラ撒けば、砂漠に水を撒くように雲散霧消する。 カネはまとまればまとまるほど力を発揮する。 朴はまとまったカネを製鉄、自動車、家電などの製造業へ注入した。 つまりは財閥を作った。 外国の大手資本に対抗するには、財閥を作るしかない。 そうでなければ、いつまでも外国資本の食い物にされる。 非難を浴びながら方針を変えない。
 8億ドルの経済援助は、韓国経済をテイクオフ( 離陸 )させた この8億ドルにかぎらない。 日本は朝鮮併合の時代、朝鮮半島に官民合わせて巨額の投資をした。 ダム、鉄道、道路、病院、学校など社会インフラを整備した。 のちに日本がサンフランシスコ講和条約で放棄した在韓資産は、今のカネに直せば9兆円にのぼるとする試算もある。 これらが韓国経済発展の基盤となった。
 かくて韓国経済は10%を超える成長率が10年続き、ついには 「漢江はんがんの奇跡」 と呼ばれた。 その間、個人補償は後回しにされた。 その事実を韓国民は知らされない。 ために、個人補償を求めて日本を訴える韓国民はあとを絶たない。
 これを日本の法廷がことごとく却下したのは当然だ。 個人補償の責任は韓国政府にある。 それを知ってか知らずか、日本のメディアの多くが訴え出た韓国民の肩を持ち、自国の政府の対応を批判した。
 05年2月、韓国において日韓交渉の議事録が初めて公開された。 韓国民は、初めて8億ドルに 「 個人補償 」 が含まれていたと知った。 金は胸を張って言う。
 「 あの時はああするしかなかった。 しかしいまや韓国は世界11位の経済国になった 」
 日本はなけなしの外貨準備高14億ドルから、3分の1を超えるカネを拠出した。 それが 「漢江の奇跡」 を生んだ。 日韓基本条約は、補償問題の完全な決着を宣言する。 すなわち 「今後、両国間に一切の請求権は存在しない」 と。 以上の経緯を菅首相や仙谷官房長官は知らない。 知っていてあのような言辞を弄するなら、なおのこと度し難い。
 菅首相は言う。
 「 韓国の人々は、意に反した植民地支配によって国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷つけられた 」
 その悪例に、よく創氏改名が挙げられるが、進んで日本名を名乗った人は少なくなかった。 現に朴大統領にしてからが、高木正雄少尉となって日本の陸軍士官学校に留学し、明治維新を研究して、それを手本に韓国の再興を決意した。 台湾の総統・李登輝は岩里政男少尉を名乗り、のちに後藤新平を手本に国家再興を推進した。
 「 後藤新平は私の先生です。 後藤新平が台湾の近代化をやり、私か民主化をやりました 」
 ひと口に 「日本の植民地支配」 というが、西欧列強の植民地から上のような人物が出たか。 出たとしても宗主国に留学して帰国するや、ほとんどが叛旗を翻した。 ガンジーしかり、ホー・チーミンしかり。 その差を見ても、日本と西欧列強との違いは歴然だ。 もの事には光と影がある。 影だけを拡大して論じるのはバランスを欠く。


犯人か、確信犯か

 菅首相は 「痛切な反省とお詫び」 に加えて、サハリン在住の韓国人支援、朝鮮半島出身者の遺骨返還支援、さらには 皇室所蔵の朝鮮王室図書 を 「お渡ししたい」 とした。
 なぜ 「 返還 」 を 「 お渡し 」 と言い換えたのか。 日韓基本条約で 「 今後両国間に一切の請求権は存在しない 」 と決着している以上、 「 返還 」 といえば請求権の存続を想定させる。 ために 「 お渡しする 」 の表現となった。 いかにも姑息な言い換えだが、この折角の言い換えも、韓国のメデイアは 「 返還 」 と訳して報じた。 つまり、 「 請求権 」 は依然として存続しているとする。 要は日韓基本条約を是認しない。  この姿勢はさきの大統領・盧武鉉において露骨だった。 彼は日韓条約の次第を知っている。 それでいて 「 日本の歴史認識 」 を問題とし、 「 反省して賠償せよ 」 と言い立て、首相・小泉純一郎をウンザリさせた。
 盧武鉉の本業は弁護士だ。 条約の何たるかを知りつつ、なお韓国民を煽動する。 ために低迷していた支持率は大幅にアップした。 政権維持が目的の煽動政治家と言うしかない。 彼は政権を去ったあと、検察の追及を受け、自宅の裏山から飛び降り自殺した。 煽動政治家の哀れな末路だ。
 それはともかく、菅首相や仙谷官房長官の言辞は、盧武鉉の姿勢と通底している。 日本の政権を担いながら、朝鮮併合も日韓基本条約も無効と受け取られかねないことを言う。
 無効となれば、これを理由に韓国は賠償請求を再び強めてくる。 現に大統領・李明博は菅首相の談話について、 「評価する。 日本は次に誠意を行動で示せ」 とコメントした。 これに乗じる動きが、中国でも北朝鮮にもすでに出ている
 菅も仙谷も、条約の何たるかを知らない。 いや、知っていてこれを無視する。 仙谷は国会で 「個人補償発言」 について問われ、 「法律的に正当性があるからといって、それで物事は済むのか」 と答弁した。 カーラジオでこれを聞いて唖然・呆然とした。 国と国との問題は、互いの主張を擦り合わせ、交渉の末に条約を結ぶ形で決着させるしかない。 いうなら条約は示談が成立したということだ。
 この示談について、相手があとになってガタガタ言うのも論外なら、いわんやこちら側から 「 示談があっても決着したわけじゃない 」 などと言い出すのは、常人の理解を超えた狂人の言としか思えない。 こんな男が官房長官の椅子に座っている。
 盧武鉉も弁護士なら、仙谷も東大法科卒の弁護士だ。 示談の何たるかは知っている。 「法律家は悪しき隣人である」 という箴言しんげんがある。 盧武鉉が韓国側に立って 「悪しき隣人」 ぶりを発揮するのはともかく、日本の官房長官たる仙谷が 「悪しき隣人」 ぶりを自国・日本に向けてくるのはいかなる了見か。 狂人か、確信犯かと疑う。
 いずれにせよ、韓国側からすれば勲章ものだ。 野党もメディアも、この仙谷の狂気の発言をもっと問題にすべきだ。 なぜならこの発言のツケは、いずれ日本国民に回ってくる。 ことは韓国にとどまらない。 すでに中国や北朝鮮は腕まくりしている気配がある。
 北朝鮮については、かつて 金丸信社会党・田辺誠 を伴って訪朝したおり、400億ドルの戦後補償( ! )を約束した経緯がある。 以後、日朝交渉のたび、日本側は 「金丸さんの約束はどうしてくれる」 と迫られる。
 金丸は国の代表でもなければ、口約束であって条約ではない。 だからいまのところ大事に至らないが、副総理・金丸の口約束は 「 示談開始の約束 」 と受け取られている。 仙谷や菅の姿勢を見て、さぞかし北は意を強くしていることであろう。


未来永劫ふんだくる

 中国については、08年を最後に ODA( 政府開発援助 )の名による資金援助は止まった。 しかし、中国各地に埋まった日本軍の不発弾を処理すると称して、毎年1兆円に近いカネが相変わらず注ぎ込まれている。 あっちを掘り、こっちを掘り、際限もない作業が続いている。
 日本を脅してカネを巻き上げる口実はいくらでもつけられる。 かつてイギリスの記者は、そんな日中関係を 「 われわれは日本を許す、しかし未来永劫、カネをふんだくる 」 と題して論じた。
 ATM( 自動金銭支払機 )はボタンを押せばカネが出てくる。 中国や韓国、北朝鮮にすれば、菅や仙谷の姿勢に新たな格好のボタンを見る思いだろう。
 古来、戦争の始末は負けたほうが領土割譲やカネを支払うことで決着をつけてきた。 領土も金額も条約でキチンと決める。 その余は問わない。 謝罪もない。 謝罪されても一文の得にもならないからだ。
 だいたい、負けてゴメンナサイは子供の喧嘩だ。 性根の据わった子供は負けても謝らない。 戦争には双方に言い分かある。 それを勝ったり負けたりして戦争馴れした国々はよく知っている。
 ところが、この本来カネにならないはずの謝罪がカネになる。
それも謝罪カードを突っ込めば長期にわたっていくらでもカネが出てくるATMになるという発見・発明が、さきの大戦後、日本の戦争についてなされた。 二十世紀後半の一大発見・一大発明というに値する。
 戦争が終わってほどなく、蒋介石が 「 暴を以って暴に報いず 」 として、日本への賠償請求はしないと公言した。 これを聞いて大人たちが随喜するのを見て、当方は子供心に思った。 只ほど高いものはない、何かウラがあるんじゃないか、と。
 案の定、ウラがあった。 わかってきたのはのちのことだ。 蒋介石にすれば、敗戦で本土の都市が焼かれてスッテンテンになった日本から賠償金を絞り上げたところでタカが知れている。 それよりは 「 暴に報いるに暴を以ってせず 」 と恩を着せ、いずれ復興する日本から、この恩をカードに取り立てるほうがよほどまとまったカネになる。 豚は肥らせてから食え、だ。
 なにしろ日本人は律義な民族で、 「 恩義に報いる 」 ことをヤクザから庶民まで何よりの義務・美徳としている。 賠償金などという角張った言い方をせずに、やんわりと 「 経済協力 」 の名で差し出させるほうがよほど理に叶っている。
 蒋介石は毛沢東に追われて台湾に逃げた。 その台湾への経済協力が持ち上がったとき、なるほどと蒋介石の布石を知った。 恩義に値段はつけられない。 慈父のごとき温顔を示していれば、相手は富むほどに金額を自ら釣り上げてくる。
[ カイロ会談 ] ( 画像クリックで拡大 )
 蒋介石はカイロ会談( 1944年11月 )で、ルーズベルト、チャーチルと日本の戦後処理について協議した。 戦後日本の政体をどうするかとルーズベルトに問われて、
 「 日本国民の自由意思で政体を選択させればいい 」
 と進言した。 つまり天皇存続に含みを残した。 のちに、この主旨はポツダム宣言の諾否に迷う日本に追加条項として伝えられた。 もっとも、それは原爆2発投下のあとだった。
 1944年元日、蒋介石はラジオでこの進言を披露した。 そのころ、延安にいた岡野進こと野坂参三はこれを聴いた。 日本も傍受して廟堂びょうどうは随喜したに違いない。 なにしろ、アメリカの世論は天皇ヒロヒトをヒトラーと同一視し、7割が何らかの処罰( うち33%が死刑 )を望んでいる。
 当時、蒋介石は重慶にいた。 まさか5年後、中国から追い出されるとは夢にも思わない。 わが手で中国を統一できると思っている。 事実、カイロに呼ばれて対日処理の相談に与かっている。 つまり、米英中の三首脳が日本の命運を決める。 その蒋介石の進言を、日本の廟堂は 「 時の氏神現わる 」 と有り難く聴いたであろうことは想像に難くない。
 日本は蒋介石の進言を頼りに、国体護持( 天皇安泰 )を条件の筆頭に示して終戦工作を進める。 一方、のちに解禁されたアメリカ公文書館の関連資料によれば、アメリカは早くから天皇存続を国策として予定していた。 知日派はもとより、多くのシンクタンクが献策している。
 よって、ポツダム宣言( 日本への降伏勧告 )の原案には、日本がひたすら求める天皇安泰を認める条文を加えた。 これを直前になって原案から削った。 なぜか。


村山富市直筆の 「詫び状」

 ポツダム宣言は7月27日に出された。 ところが、大統領トルーマンは24日に原爆投下を決定・通達していた。 原爆投下は8月6日と9日。 その間、日本が宣言を受け入れて降伏したのでは困る。
 トルーマンにすれば、原爆の威力を世界に示したい。 とりわけソ連や中国の共産主義政権に示しておきたい。 砂漠の実験では足りない。 都市に落として 「公開実験」 をしたい。 投下する前に日本に降伏されたのでは 「公開実験」 ができなくなる。 ために日本の降伏を遅らせる必要がある。 だから、宣言の原案から天皇存続を認める条件を削った。 これを復活して日本に伝えてきたのは、前記したように原爆を投下したあとだった。
 だから毎年、原爆慰霊式を見るたびに、あのヒロシマの石碑 「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」 という碑文は、いい加減に何とかならぬかと思う。
 このままでは、あたかも天罰として原爆が降ってきたとしか読めない。
 東京裁判で 「被告全員無罪」 の少数判決を書いた パール判事が、この碑文を見て何と言ったか!

 今年、ヒロシマの原爆慰霊式にルース駐日大使が参列した。 米政府代表としては初参加だ。 大使は終始ノーコメントを通した。 同日、原爆を投下したエノラゲイ号の機長の息子が、 「 大使の出席は謝罪にあたる 」 として非難したと、アメリカのメディアが伝えた。
 これまで米政府高官が出席を控えてきたのは、この種の非難が想定されたからだ。 来る11月、オバマ大統領が横浜で開かれるAPECに来日する。 ヒロシマに行くかどうかは微妙だ。 現に、ルース大使は長崎の慰霊式には多忙を理由に欠席した。 母国から伝えられる批判を気にしたのであろう。 それを見ても、オバマのヒロシマ訪問は不透明だ。
 行くとしても、持論の核廃絶( 実は核軍縮 )に触れはしても、およそ 「 謝罪 」 と受け取られるようなことは言うまい。 原住民虐殺・黒人奴隷・原爆投下の3つがアメリカ人の原罪意識にある。 それを掻きむしることで得することは何もない。

 日本だけだ、ありもしない 「原罪」 をひたすら謝罪しているのは。 世界史上の奇観というしかない。 後世の史家が村山談話や宮渾談話( 教科書検定で近隣諸国に配慮する )、河野談話( いわゆる従軍慰安婦に強制性があったとする )、さらには菅直人の首相談話を見れば、何のことかと首を傾げるに違いない

 いずれ触れるが、北京郊外の抗日記念館を訪ねたおり、ガラスのショーケースの中に、村山富市の直筆の 「 詫び状 」 が麗々しく展示されている。 毛筆の下手糞な字で、内容は例の村山談話に色をつけている。 これを見たとき、思わず吹き出した。 笑うしかない。 笑いのあとに怒りがこみ上げてきた。
 日本の首相が 「 悪うございました 」 と一筆した 「 詫び状 」 を最後に、一連の展示は終わっている。 村山が提案した 「 国会決議 」 は議場で否決され、談話にとどまった。 もし可決されていれば、 「 国会決議 」 が麗々しく展示の最後を飾ったに違いない。
 蒋介石に話を戻す。 さきのルーズベルトヘの進言といい、対日賠償請求放棄といい、これをもって蒋介石を 「 日本の恩人 」 といまだに称える議論が散見される。 思えば、蒋介石は実に巧妙な手で早手まわしに恩を売っている。 実に射程の長い布石・妙 手ではある。 彼が台湾に逃れたあとにそれが生きた。
 蒋介石を慈父のごとくに言うのは浅見にすぎる。 彼は戦後すぐ、日本に向けて 「 支那と呼ぶな。 中華民国もしくは中国と呼べ 」 と強要した。 以来、日本の公文書、教科書、新聞から 「 支那 」 が消えた。 中華民国は蒋介石の師・孫文の造語だ。 いわゆる中 華思想( 漢民族が世界の中心 )からきている。 四辺の国々はみな夷秋( 野蛮な異民族 )として漢民族に臣従し、朝貢ちょうこうしなければならないとする。
 孫文は漢民族による 「 満蒙疆回まんもうきょうかい 」 の同化政策を打ち出した。 新疆ウイグルやチベットの強権支配はこれに淵源する。 すでに満州では支那語が公用語になっている。
 当時も今も、国際会議の名称はCHINA( 支那 )だ。 日本だけが支那と呼ばない。 日本には使うなと言いながら、蒋介石も毛沢東も国内では 「 支那 」 の名称を許している。 つまり、東夷・日本には 「 中国 」 と呼ばせ、華夷秩序を押しつけたい。


只ほど高いものはない

 蒋介石は中原ちゅうげんに鹿を追って毛沢東に敗れたが、彼にすれば天下を取った暁、師父であり義兄でもある孫文の野望を継いで、華夷秩序の復興を夢見ていたはずだ。
 彼にすれば、ルーズベルトもチャーチルも、所詮は蕃夷ばんいにすぎない。 その蕃夷の力を利して、不埓にもわが中華に押し入った東夷・日本を追い払った。 哀れ東夷は赤肌の蕃夷にやり込められて気息奄奄えんえんだ。
 さて、この東夷をどうしようかとなったとき、彼はわが身がいずれは中華帝国の皇帝として四辺に君臨する身であることを自覚する。 東夷に施した恩義は、皇帝が臣従する国に施す慈悲にも似た思いからではなかったか。 もとより慈悲のウラに巧妙な布石がある。
 蒋介石は、恩義をキャッシユカードに使った。 くらべて毛沢東の中国は謝罪をカードに使った。 謝罪は非悪感を前提にする。 これをイヤが上にも刷り込む必要がある。

 突如、東京裁判に南京大虐殺が持ち出される。 米支合作だ。 アメリカにすれば原爆の対価としたい。 毛にすれば願ったり叶ったりだ。 かくて負けた国に罪悪感を刷り込み、それをATMとする手口が発明された。
 史上初の国家的な振り込め詐欺に最初に引っかかったのが、田中角栄の対中外交だ。 日本代表として初めて謝罪を表明し、無期限・無担保の資金援助を約束させられた。 結ばれた条約を読んで、なんだこりゃ永久賠償条約じゃないか、と思った記憶がある。

 振り返れば、この手口の発明者は蒋介石だ。 やはり子供心に思い浮かんだ俚諺りげん 「只ほど高いものはない」 は本当だった。