42 【 '02日本 】映画KTと法治国家 「朝鮮」 の誕生


 1973年の東京のホテルから一人の韓国人が拉致された。
 この男の名前は 「金大中」 そう、前韓国大統領その人である。
 朴政権下の韓国で民主化を叫び、韓国民から熱狂的な支持を受けていた、金の存在に恐怖を感じた朴政権は、KCIA( 韓国中央情報局 )に対し、金大中暗殺命令を出す。
 もちろん、実話の映画化であるが、大胆なフィクションも加えるなど、日本側から見たこの事件のあり方を描いている作品でもある。
 実際のこの事件は、韓国との外交問題に発展することを恐れた日本側が折れる形で終結を見ている。
 純然たる法治国家で、他国の工作員が拉致事件を犯すなど、本来は絶対に許されざる行為であり、日本は武力行使を用いても韓国の非を正さなければならなかったのだが、事なかれ主義の日本政府の対応が、結果としてこの問題をうやむやに終わらせてしまい、30年経った今なお、この事件の真相は闇の中となってしまった。
 また、その一方で、このような不法行為を他国で行うことになんら疑問を抱かなかった韓国人たちは 「法治とは何か?」 という根元的な問題で、非文明国の民衆の無様さを露呈している。
 現代の韓国人の多くにも共通する、 「法治の無視」 という行為がいかに野蛮で、非文明的であるかを示しているのである。
 そして、この 「法治」 で思い出すのが、過去朝鮮において初めて法治の概念を持ち込んだ日本である。

 李朝における国教は 「儒教」 である。
 そして、その儒教思想の核となるのは、倫理であり、これが社会規範となり、人は仁や義や礼を重んじなければならないと説く。
 何より、朝鮮儒教は人の命よりも、この儒教倫理を優先させた、所謂 「腐れ儒教」 であった。
 儒教国家においては、中華帝国の 「大中華」 も朝鮮の 「小中華」 も等しく、法治よりも人治( 人が治める )が優先され、人に対して寛容さを求める仏教とは違い、徹底的な厳罰主義が用いられた。
 儒教において統治者とは、最高の儒学思想を持つ者であり、一般的な法治社会とは受け入れられない法的規制がなされていた。
 「朕すなわち法」 という人治社会では、法とは人( 民衆 )を裁くもので、 「朕」 はその法の支配下には入らない。
 孔子の言葉を借りるなら、 「刑、大夫に及ばず」 ( 刑罰は、高貴な者には適用されない )であり、刑は民衆を罰するものであって、統治者には及ばないとするのが、儒教国家であった。

 李朝時代の法的規制は、一見すると極めて緩く、しかしながら刑罰は残酷に重い社会であった。
 中でも、李朝末期の有様は、司法と呼べる存在が全く存在しないか、機能していないかのどちらかであり、賄賂の横行、残虐な拷問と司法体制そのものが崩壊していた。
 李朝末期には、あまりに多くの罪人を作り上げたため、監獄施設が極端に不足し、罪人のための費用がかさむことを恐れた李朝政府は手っ取り早く、罪人を様々ないいかげんな理由において処刑していた。
 死刑自体は、監獄で行われることなく、さらし者にされるか、山中の杉などの枝につるされて処刑されている。

 この当時の朝鮮の司法の有様を伝える外国人たちの言葉がある。
 日本の朝鮮統治をもっとも批判的に書いたF.A.マッケンジーも著書 「朝鮮の悲劇」 で、李朝末期の司法の姿を次のように書いている。
「監獄は呪詛の的であり、拷問は自由に行われ、周期的な監獄清掃( 囚人減らし )では、一時に数十名の囚人が絞首刑にされてしまい、裁判は売買された」
 アーソン・グレブスト 「悲劇の朝鮮」 では、
「朝鮮は極めて盗賊の多い国家で、城塞( 京城 )の外で夜を過ごすことは大変危険だった。 京城の外廊には、人命をはえの命ほどにも思わぬ山賊やならず者で溢れていた」
 と書かれ、
 ホーマー・ハルバートの 「朝鮮亡滅」 では、
「( 裁判は )金次第でどうにでもなり、多額の金を提供するか、裁判官を畏怖させるほどの有力者を後ろ盾に持っていることを見せつけるかした方が、必ず有利な判決にありつけることは、世間一般の常識」
 と書かれている。
 現在の韓国社会に続く、賄賂の横行と非法治社会の現状を赤裸々に、当時朝鮮を訪れた外国人達が書き記しているのである。

 李朝時代の刑罰は、五家作統法、連座法、全家徒辺法、圧膝、周牢、乱杖などの残虐な刑罰と、前近代的な律令によって運営されている。
 とくに連座法は、三族まで誅殺という残虐極まりない刑罰であった。
 このような李朝時代の人治社会を改革し、新たな法治社会の概念を植え付けたのが、朝鮮総督府であった。
 総督府は、以上のような前近代的刑罰や、土地制度と租税制度の改正、階級制度による身分制度の廃止( 四民平等政策 )、公私奴卑の廃止と解放、女性の再婚の自由と保証、乱杖の廃止、連座法の廃止など、朝鮮に近代的法治を持ち込んだのである。

 李朝末期の刑罰や処刑の残酷さは、上で述べたとおりだが、その改善について日本の役割に言及した発言がある。
 上記アーソン・グレブストの 「悲劇の朝鮮」 から見てみよう。
「こんな状況( 朝鮮での残虐な刑罰 )がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間存在そのものへの挑戦である。 とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうという点だ」
 当時の朝鮮の酷さと、近代化にアジアで唯一成功した日本に対する期待が込められた発言である。

 韓国人が振り返らなければならないのは、朝鮮における民衆の人命の尊重、人格の尊厳を誰が守ったのかということである。
 韓国人が忌避して止まない朝鮮総督府とは、朝鮮における最初の 「法治社会」 の実現に誰よりも貢献し、朝鮮民衆の命を救った機関であった。
 今、韓国人の法治に関する概念は極めて幼稚なものである。
 街角の交通事故での言い争い、賄賂漬け社会、外国( 日本 )へ渡航しての凶悪犯罪行為、公共意識の欠如、人種差別 ……。
 ありとあらゆる点で、韓国では法治の概念が著しく欠如、若しくは未熟な状態であることが見て取れる。

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