39 トムとジェリーと上海臨時政府


 「トムとジェリー仲良く喧嘩しな」 の日本語版歌詞のフレーズで有名なトムとジェリーの初の映画版である。
 ネコのトムとネズミのジェリーのドタバタ劇で毎回楽しませてくれるテレビアニメだったが、映画版では二人が知り合った女の子ロビンと、ロビンのお父さん探しの旅に出る。
 トムとジェリーは最初のシーンで、初めてお互いに 「言葉」 が話せるのに気が付くが、それまでお互いが 「言葉」 を話せるような知性を持っていないと思い込んでいたことが笑いを誘う。
 非常に比喩めいたものを感じる。
 さて、このトムとジェリーは、劇中も喧嘩したり仲良くなったりと、 「離合集散」 を繰り広げるのだが、そこで思い出すのが 「上海臨時政府」 である。

 上海臨時政府とは、朝鮮における 「3.1運動」 後に設立された、朝鮮人亡命政権のことである。
 1945年11月に解散しており、現在の韓国ではこの 「亡命政権」 を李朝からの正統政府として認め、日帝時代はもちろん、李完用初代総理大臣を首班とする、李朝末期の政府さえも売国政権として認めようとしない動きがある。
 なぜ、この上海臨時政府が重要なのかと言うと、まず韓国人の多くが、この自称 「臨時政府」 を名乗った上海臨時政府の本当の姿を知らず、そしてその結果、韓国で現在正統政府として追認されたことが、その後の 「反日政策」 を許容することとなったからである。
 韓国における反日政策或いは親日派狩りと呼ばれる、親日派の断罪という現代の魔女狩りは、この上海臨時政府の残党たちによって主導されている。
 つまり、今の韓国における反日の原点とも言うべき存在が、この上海臨時政府だったのである。

 そもそも、この上海臨時政府とは、どのような経緯で設立されたのであろうか?
 まずその存在意義だが、先に述べた 「3.1運動」 における独立宣言書を見れば分かる。
 この宣言書からは李朝復活など言う主旨はなく、日本からの独立・民族自決を謳っているのである。
 日帝の七奪として、国王などをあげておきながら、自分たちはその国王を見捨てているのだから何をかいわんやだが、ともかく、上海臨時政府の存在意義は、独立国家樹立であったことだけは間違いない

 そして、その存在意義を巡って、在米朝鮮人に基盤をおく李承晩は外交論を、シベリア・満州に基盤をおく李東輝は武闘論を、国内に基盤をおく安昌浩は実力要請論を、それぞれが主張し最初から分裂状態であった。
 その分裂状況を物語るように当初、 「臨時政府」 を名乗る組織が、3つ置かれていた。 シベリア・ソウル・上海である。
 各派代表が上海に集まり、臨時政府を上海に一本化して新設し、法的正当性は、朝鮮国内の13道代表が設立したソウル政府のみが継承すると発表している。
 しかし、ご覧の通り、最初から分裂状態だったものを、無理矢理一本化したため、韓国人のお家芸 「同胞分裂」 がいきなり始まるのである。
 百歩譲って、この上海臨時政府に独立という大義名分の元、正当性があるならば、その目的に向かって一致団結しなければならないのに、当初から 「共産主義」 と 「民族主義」 による二大主義分裂闘争が始まっている。
 さらに、臨時政府内は、畿湖派、西北派、北京派、李東輝派、文昌範派、武闘派、平安道派 …… など数多くの派閥に分かれていた。
 この派閥争いの中心だったのが、畿湖派と平安道派の対立であった。
 さらに臨時政府内の高麗共産党は、李東輝首班の上海派と、呂運亨首班のシベリア派に分裂している。
 日本側から見れば、一体この自称 「臨時政府」 は何なのか? と首を傾げることだろう。
 当初の目的の 「日本からの独立」 で設立されたこの自称 「臨時政府」 は、それこそ権力闘争・主導権争いだけに埋没していくのである。

 臨時政府初代大統領に就任した李承晩は、上海で執務したのは僅か6ヶ月にも満たず、さらにその間、国務総理の李東輝と内紛ばかりを起こしている。
 李東輝は国務総理として就任しているにも関わらず、ワシントンで勝手に 「大統領」 を名乗り、それが臨時政府から糾弾されるという失態を犯している。
 さらに、李承晩も1919年2月1日に、当時米国のウィルソン大統領に宛てた請願書で、創設されたばかりの国際連盟による朝鮮の委託統治を求め、臨時政府から 「売国・売族」 として糾弾されている。
 この件で、臨時政府特派大使であった金圭植は、 「欧州で朝鮮人は独立運動をしながら、どうして委託統治を求める李承晩を大統領に選出するのか? と問われて答えに窮し、各国の笑い者となった」 と証言している。
 結局、李承晩は1924年6月に、臨時政府から職務怠慢を理由に罷免されることとなっている。

 この後も、上海臨時政府では最後まで権力闘争に明け暮れ、何らとしてその存在意義であった 「日本からの独立」 には寄与することがなかった。
 韓国にとって悲劇だったのは、日本敗戦後、朝鮮統治が米国に管轄権が移り、その後、 「米国」 から独立する事となった韓国は、その首班に李承晩韓国初代大統領を迎え、殆ど空中分解に等しく離散した上海臨時政府の面々も、独立家気取りで、韓国建国時の政権に加わったのである。
 元々、イデオロギー体質の強かった上海臨時政府の悪癖を受け継ぎ、韓国では 「反日」 を国是に、そしてその後の軍事独裁政権を見ても分かるとおり内部分裂・離合集散の繰り返しだったのである。
 少なくとも、韓国人が 「日帝に抵抗した民族の誇り」 と見なす上海臨時政府の本当の姿は、上記の通りであり、彼らに正統政府を名乗る資格があったのか、冷静に振り返る必要がある。 そして、彼らによって今なお続く 「反日」 は上海臨時政府組の韓国に残した負の遺産であることに、韓国人は気が付かなければならない。