38  「強制された創氏改名」 の大嘘


 韓国人が日本の朝鮮併合に伴う統治内容で、最も非難する事の一つが、この創氏改名である。
 今更説明する必要もないだろうが、この創氏改名とは、日本が併合に伴い、内鮮一体の原則を掲げ、朝鮮人達に日本名を 「選択」 する機会を与えたことに端を発する問題だ。
 韓国人の多くが、この創氏改名を強制的に行われたと主張するが、少なくともこの創氏改名が 「法的強制」 を持っていなかったことを韓国人は認めている。

 簡単に説明すると、創氏改名の発端となったのは、勅令第19号 「朝鮮民事改正令」 によって、 「朝鮮民事令」 第11条中に記されている 「内地民法の 「氏」 の規定から、朝鮮の戸籍に氏を新設( 創氏 )する。 また、制令第20号 「朝鮮人の氏名に関する件」 によって日本風の名前に変更( 改名 )する」 というものである。
 しかし、この民事令を見れば分かるが、強制的に実施されたものではない。
 あくまで、朝鮮人達の任意による創氏改名である。 この民事令自体、自己届出制に基づくものであり、勅令第19号附則第2項にも 「氏設定届」 が定められているし、第20号には、裁判所の許可による 「氏名変更」 制度であることが記載されていることからも 「任意制」 であったことは明らかである。

 本来強制というのは、全ての者を対象に行われるものだが、この創氏改名については、当時20%の朝鮮人達が、創氏改名を拒否して、朝鮮名のままとなっている。
 また、日本では洪思翔中将や、朝鮮人でありながら、日本軍将校として西安で中国軍を撃退し、勲章を受章した金錫源少佐や、満州建国の立て役者ともなった白洪錫少将など、日本軍内部でも朝鮮名のまま活躍した将校達も大勢いた。
 もちろん、朝鮮名での差別が無かったというわけではないが、少なくとも、日本は彼ら朝鮮人達の想いをきちんとうけとめ、朝鮮名を受け入れている。
 このことを見ても、強制された創氏改名というのが大嘘であることは明らかだ。
 もし国策として、朝鮮名を強制的に創氏改名したのなら、天皇の忠実なる臣下たる軍人に朝鮮名など認める訳がない。
 
また、この創氏改名は、朝鮮社会から抹殺されていた女性達を救っている。
 朝鮮の氏名研究者である鮎貝房之進氏はその著書 「姓氏攷及族制攷」 ( 1937年刊行 )で、 「朝鮮では女子に名をつけることを三国時代の昔から忌み嫌っていた」 と指摘している。
 過去から李朝に至るまでの、女子への名忌避を次のようにも指摘している。
  「( 中国の )漢民族に倣って、姓をつけるようになって以来、上流階級の婦女子の名前は、李朝同様、姓だけで呼ばれていた。 本来の名前や、氏名の 「名」 が書かれている例を( 古文献から )発見することは出来なかった」 ( 原文より、現代語に即して訳し抜粋 )
 朝鮮の女子に名前が付けられるようになったこと、そして、女性の再婚が法的に認められるようになったのは、 「日帝36年」 の間に施行された民法によるものである。
 

 付け加えておくが、よく韓国人が自分たちの氏名は命より重要であり、日帝が強制したからこそ、創氏改名に泣く泣く当時の朝鮮人達は従ったのだと妄言を言う。
 その命より大事なはずの韓国人の氏名は、そもそも中国式であり、本来の朝鮮名ではない。
 李光洙氏もこの件で次のように喝破している。
  「我々( 朝鮮 )在来の姓名は、支那を崇拝していた祖先の遺物であり、古代朝鮮人の名は、【永郎】【述郎】【初郎】【伊宗】【黒歯】が多かった。 昔の地名も【徐羅伐】【達久火】【斉次巴衣】などであった。 こういった朝鮮古来の名前を、支那風に統一したのは600~700年ほど前である」
 また、中華帝国として元が君臨すれば、朝鮮ではこぞってモンゴル風の氏名へ名前を変えている史実がある。
 少なくとも、今の韓国人達が思うほど、朝鮮人達は名前に執着していなかったようである。

 こういった朝鮮の歴史的事情を見ても、名前を変えることにそれほど固執していなかった朝鮮人達の姿が浮かび上がってくる。
 もちろん、創氏改名に反対した朝鮮人もいたことだろう。
 実際、創氏改名で当時の朝鮮総督であった南総督に抗議の意味で、南太郎と創氏改名した強者の朝鮮人もいる。
 だが、これまで見てきたとおり、創氏改名は強制ではなく、 「任意制」 であり、朝鮮人達自身が進んで創氏改名した事実を、韓国人達は認めなければならない。