32 韓国の歴史歪曲検証:人口増加ベースに見る日帝の暴虐と搾取の虚構性


 ここ数日の討論で、朝鮮併合時における朝鮮半島の人口の急激な増加が取りざたされた。
 今回、その人口増加現象を主テーマに朝鮮併合において、韓国側の捏造する 「日帝の暴虐と搾取の歴史」 を告発したい。

 先頃の討論の中で、朝鮮半島の人口について1852年度680万人、1909年度1200万人であり、その後のいわゆる人口増加現象はこの増加ベースで考えれば、決して不自然なものではないと言うことであった。
 この事実を検証するべく、様々な情報を検索した結果、もう少し詳細なデータを見つけることが出来たのでご覧頂きたい。
朝鮮半島人口の推移
1753年:730万人
1850年:750万人
1906年:980万人( 第二次日韓条約により、1905年より朝鮮は日本の保護国へ )
1910年:1312万人( 日韓併合条約により、1910年より朝鮮は日本の一部となる )
1920年:1691万人
1930年:1968万人
1940年:2295万人
1944年:2512万人( 1945年、日本の敗戦により総督府の統治権は米軍へ移譲 )
 討論の中で1852年と1909年ののデータを持ち出してきたのは、数字のマジックによって我々の目を錯覚させるものである。
 ここで注目しなければならないのが、1905年より朝鮮は日本の保護国となり実質の朝鮮の施政は日本側が執り行っていたことである。
 であるなら、朝鮮の人口増加ベースが自然であるとするなら李朝時代の朝鮮の人口を比べるべき( つまり、1905年以前までの朝鮮の人口 )であり、その上で日本の保護国には行ってから以降の人口増加ベースを比べて、それが自然であるかどうかを判断するべきである。
 では、李朝時代の人口増加ベースと、日本が朝鮮を保護国としてよりの人口増加ベースを比べてみよう。
 実際、日本が直接的に朝鮮を収める1905年までの朝鮮の人口増加ベースは、上記からも分かるとおり1850年の李朝末期を基準にとると1906年の日本の保護国なった翌年までの56年間に 30%程度の増加ベース でしかない事が分かる。
 そして1906年より日本の敗戦の前年1944年までの38年間の人口増加ベースは、156%という驚異的な増加ベース を辿っている。
 さらに上記で注目されるべきは、1753年の朝鮮半島内の人口730万人が約100年後の1850年の時点でも750万人にしか増えていない点である。
 これは李朝時代の悪政と貧困そして飢餓対策・医療体制の確立などを李朝政府が行ってこなかったことの動かぬ証拠である。
 データを見るにおいて、日本が朝鮮半島に直接関与し始めた1905年以降とそれ以前の人口増加ベースを比べれば、朝鮮で日本が 「史上最悪の暴虐と搾取」 を行っていないことが確信できるのではないだろうか?

 では、人口増加を促した日本の朝鮮での施政はどのようなものであっただろうか。
 例えば第六代朝鮮総督:宇垣一成による 「農産漁村振興運動」 などの民生向上活動である。
 30年で本土( 日本 )の生活水準に追いつく事を目標に、農村植林、水田開拓などの積極的な国土開発による食料の増産が図られている。
 併合当初米の生産量が約1千万石であったのが、20年後の昭和に入ると、2千万石へと倍増している。
 20年間で農業生産効率を2倍に底上げしたことを韓国人は見過ごしてはいけない。

 次に、医療制度の確立、特に伝染病の予防について日本の朝鮮半島での施政は賞賛に値するものであった。
 1910年から徹底的な検疫を実施し、コレラ・天然痘・ペストなどは、1918年から20年の大流行を最後に押さえ込まれ、乳児死亡率が激減した。
 これを韓国人はどのように見るのだろうか。
 仮に日本が 「史上最悪の暴虐と搾取」 を行ってきたとするなら、このような医療制度を確立するようなまどろっこしいやり方は取らなかっただろうし、伝染病もほったらかしの状態であっただろう。
 だが、現実に日本が朝鮮において医療制度を確立したからこそ、コレラ・天然痘・ペストなど当時世界ではまだまだ死病とされていた伝染病を押さえ込むことが出来たのだ。

 また、韓国で喧伝される 「日帝の暴虐と搾取」 の中に、森林伐採というものがある。
 韓国では現在でも禿げ山が多く見られるが、これは日帝36年の間に日本が韓国の森林を根こそぎ伐採していったからだというのだ。
 とんでもない歴史歪曲・捏造である。
 李朝時代の朝鮮には焼き畑農民が多数存在した。
 定住しない焼き畑農民は、山林を焼き払い、一定期間耕作すると、他へ移ってしまう。
 さらに、冬季の薪需要のための乱伐。 そこに豪雨が来れば、表土は流出し、禿げ山となってしまう。
 ようするに日帝の前から朝鮮は禿げ山状態だったのである。
 これを示す証拠に当時の朝鮮を見聞した外国の旅行者達の記述を読むことを勧めたい。
 そこに描かれている朝鮮の様子は、おそらく現在の韓国で喧伝されるような李朝時代の朝鮮とはまるっきり違ったものだろう。
 そして、朝鮮総督府はこのような朝鮮の現状を改善するべく1911年に 「山林令」 を発布し、緑化事業計画をスタートさせている。
 森林は緑のダムである。 森林がなくなれば、降れば洪水、降らねば干ばつとなって、農業生産は崩壊する。
 治水の前に治山が必要というのが、寺内初代総督の方針であった。
 朝鮮総督府は1911年からの30年間で、5億9千万本の植林を行った。
 朝鮮全人口の一人あたり約25本という膨大な数である。
 このような、朝鮮総督府の努力により朝鮮内の農業生産は生産性を高め、また医療制度の確立やそれまでの李朝の悪政を排除することなどプラスの面が様々に複雑に絡み合い、朝鮮併合時の人口増加ベース156%という驚異的な人口増加を生み出したのである。
 ちなみに、1945年以降朝鮮総督府解体によりこの植林事業も終わり、その後の韓国政府の経済政策などにより現在の韓国の禿げ山が形成された 事を書き加えておく。

 如何であろうか、これでも日帝は 「暴虐と搾取」 の限りを尽くしたと言えるのだろうか?
 これまで機会がある度に言っているが、私は当時の日本のあり方を全て正しかったとは思っていないし、誤りも数多くあったと思っている。
 だが、これまで見てきたように日本が朝鮮のために行った数々の善政もあったのである。
 韓国人はそれらを全て否定しているが、隠蔽・歪曲された事実も何時かは表に出てくるものである。
 韓国人にはこれらの本当の歴史を直視して貰いたい。