31 韓国の歴史歪曲検証:従軍売春婦の真実


 お気づきの通り、上記タイトルにて従軍 「慰安婦」 の言葉は使用していない。 従軍 「売春婦」 である。
 結論から先に言うが、当時 「慰安婦」 と呼ばれた女性達は相手をした日本兵たちから金を貰い生計を立てていた。
 これを通常 「売春」 と呼ぶ。 その善悪はともかく、彼女たちは 「売春」 を生活の糧にしていたのである。
 一般に韓国内で喧伝される 「従軍慰安婦」 と呼ばれる存在は、日本軍によって無理矢理連行され、劣悪な環境のもと一日何十人もの日本兵の相手をさせられたとある。
 さて、韓国人には次の米軍レポート( 要約 )をご覧頂きたい。
【 慰安婦問題 】
アメリカ軍による北ビルマのミチナ慰安所の慰安婦からの聞き取り報告
 捕虜にした朝鮮人従軍慰安婦について米軍が聞き取り調査をした記録が、戦争情報局関係資料、心理戦チーム報告書 No.49、ビルマ(1944年10月1日)に記載されている。

[ 募集 ]
 1942年( 昭和17年 )5月、日本人の業者が朝鮮半島に赴き、東南アジアにおける 「軍慰安業務」 のためとして女性を募集した。 高収入、家族の借金返済のための好機、軽労働等の宣伝に応じて多くの女子が慰安婦業務に応募し、200~300円の前払い報酬を受領した。

[ 日常生活 ]
 ( 原告の文玉珠も生活していた )ビルマのミートキーナにおいては、通常二階建ての大きな建物に住んでおり、一人一部屋を与えられていた。 食事は経営者が用意したものであった。 食事や生活用品はそれほど切り詰められていたわけでもなく、彼女らは金を多くもっていたので、欲しいものを買うことができた。 兵士からの贈り物に加えて、衣類、靴、タバコ、化粧品を買うことができた。 ビルマにいる間、彼女らは( 日本軍 )将兵と共にスポーツをして楽しんだり、ピクニックや娯楽、夕食会に参加した。 彼女らは蓄音機( レコード・プレーヤー )を持っており、町に買い物に出ることを許されていた。

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毎日新聞1992年5月22日の記事
 第二次世界大戦中 『 従軍慰安婦 』 として強制連行されたミャンマー( 旧ビルマ )で預けた軍事貯金の支払いを求めていた韓国・大邸市在住の文玉珠ムン・オクスさん( 68歳 )が11日、山口県下関市の下関郵便局を訪れ、預けた貯金の原簿があったことが分かった。( 中略 ) 当時 「日本人として貯金した個人のお金だから直ちに返して」 と訴えている。 ( 中略 )原簿によると43年6月から45年9月まで12回の貯金の記録があり、残高は26,145円となっている。

※当時の貨幣価値
・日本の国家年間予算 24億円
・戦艦大和 1億2000万円
・総理大臣月給 800円( 東条英機 )
・陸軍大将月給 550円
・大卒初任給 約100円
・一般日本兵月給 15~25円
・慰安婦の月収 1000円~2000円( アメリカ軍の調書 )
・元慰安婦、文玉珠の2年3ヶ月の郵便貯金 26145円

  …… 26,145円( 現在の貨幣価値で約1億円 )を約2年で貯金した売春婦
 これは、敗戦直後に米軍が 「慰安婦」 の実体を米軍情報部が、当の慰安婦本人( 北ビルマのミチナ慰安所 )から聞き取り調査をしたレポートである。

 曰く 「女性たちはブローカー( および経営主 )が、300~1000円の前借金を親に払って、その債務を慰安所での収入で返還している。 経営者との収入配分比率は40~60%、女性たちの稼ぎは月に1000~2000円、兵士の月給は15円~25円。 慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋に宿泊して、・・・・寝起きし、業を営んだ・・・・彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。 慰安婦は接客を断る権利を認められていた・・・・負債の弁済を終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。」

 韓国で喧伝される慰安婦像とあまりにもかけ離れているではないか。
 少なくとも、米軍が調査した慰安婦達は本人自身の理由( 貧困など )により慰安所に入り、月に1000円~2000円( 一般兵士の月給と比べても100倍以上の高給 )を稼いでいたのである。
 さらにその暮らしぶりは当時の米軍から見ても 「贅沢」 と写るものであったことが分かる。
 また、慰安婦は無理矢理客を取らされていたのではなく、客を断る権利もあり、借金の返済が終われば朝鮮に帰る慰安婦達もいたことが記されている。
 当時、日本は敗戦国家であり、米軍が日本に対して厳しくその戦争責任を追求していることから考えれば、 「慰安婦」 はある意味格好の攻撃材料だったはずである。
 何も、日本側の有利にレポートを書く必要はなかったと考えるのが普通である。 ( 普通ならその逆に日本に不利になるようにレポートするはずである )
 にも関わらず、こういった 「慰安婦」 の実体がレポートされているのを見れば、当時の 「慰安婦」 は今現在韓国が捏造するような 「従軍慰安婦」 ではなかったと考えられるのではないだろうか?

 また韓国側が慰安婦問題で引き合いに出す 「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」 ( 吉田清治 著 )だが、後に 吉田自身が 「従軍慰安婦の強制連行など作り話であった」 と認めている
 このような作り話の本を元にして、韓国は従軍慰安婦をでっち上げ、日本へ不当なる賠償を要求しているのが現状だ。
 実際、吉田のこの本は1970年代に発刊されているが、それ以前には 「従軍慰安婦」 問題など全く存在していなかったのである。
 この本が出版され、日本で騒がれるようになると、韓国内で我も我もと従軍慰安婦の被害者を名のる韓国人女性たちが出てくるのだ。
 幾らでも日本を告発する機会があったにも関わらず、戦後25年以上もの間、何故彼女たちは日本の 「不当行為」 を告発しなかったのか? 甚だ疑問である。

 後に、元慰安婦であったという金学順は次のように韓国の新聞で語っている。 「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番( 日本でいう置屋 )に売られていった。 3年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった」 ( ハンギョレ新聞1991年8月15日付 )

 何を意味するのかお分かりだろう。
 当時、朝鮮では様々な形で人身売買が行われていた。
 生活苦に年頃の娘を売りに出していたのである。
 彼女たちは進んで慰安婦になったのではないかも知れないが、日本によって強制連行されて慰安婦になったわけでもないのだ。

 また下記に慰安婦に関する当の韓国人達の発言を記してみた。

「そんなことはなかった。 250人余の家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時そんな事実はなかった」
 <城山里在住:チョン・タン( 85歳、女性 )>


「83年に原本が出た時何年かの間追跡調査した結果、事実無根の部分もあった。 むしろ日本人の悪徳ぶりを示す道徳性の欠けた本で、軽薄な商魂が加味されていると思われると憤慨した」
 <金奉玉( 郷土史学者 )>


 これは、戦後44周年( 1983年 )に際し韓国で出版された 「日帝時代に済州島の女性205名を慰安婦として強制連行された記録」 に関して、城山浦の貝ボタン工場で15~16人が強制徴用されたり、法環里などの各村々で行われたとされう慰安婦狩りについて当の住人・研究家の発言である。
 なお、上記の引用は、1989年8月14日付の 「済州新聞」 の署名記事からのものである。

 以上のように、韓国側の主張する 「従軍慰安婦」 なる存在は全くの虚構と歪曲の元になりたっており、実際の彼女たちは 「従軍売春婦」 であった。
 彼女たちの境遇には同情を禁じ得ないが、それは当時貧しかった日本でも同様に人身売買がなされており何も朝鮮だけの問題ではなかった。
 韓国の嘘で塗り固められた歴史にしか自分の身の置き所がなく、日本大使館前などでただ絶叫する哀れな老女たちを見ると、何とも言えない気分になる。
 彼女たちを嘘の歴史で救う事が出来ない事を韓国人は理解されたい。