27 韓国の歴史歪曲検証:日朝修好条約( 江華島条約 )から始まる朝鮮の夜明け


 近代史上初めて日本と朝鮮が締結した条約それが日朝修好条約( 江華島条約 )である。
 韓国の歴史にあまり興味がない人には聞き慣れない条約かも知れない。
 そこで簡単に日本と朝鮮が条約を結ぶまでを見てみよう。

 1868年(明治元年)、12月19日、釜山浦に日本政府( 明治政府 )から新政権樹立を李朝政府に通告する使者がやって来た。
 しかし国王高宗の父・大院君が実権を握る李朝政府は国書の受取りを拒否した。
 その第一の理由として挙げられていたのが、日本からの国書に 「皇上」 「奉勅」 の文字が使われていたことであった。
 朝鮮から見れば、 「皇」 は中国皇帝にのみ許される称号であり、 「勅」 は中国皇帝の詔勅を意味した。
 朝鮮王は中国皇帝の臣下であり、このような傲慢かつ無礼な国書を受け取ることはできない、というのが、朝鮮の考えであった。
 そのような国書を勝手に受け取ったら、宗主国・清国からどのような懲罰が下るかもしれぬ、という恐怖感もあったであろう。
 日本の新政府は、その後もたびたび使節を送って交渉を続けたが、朝鮮側の受け取り拒否は変わらなかった。
 この時の事情を、韓国の教科書は次のように記述する。

 曰く 「日本は明治維新以降、新しい国家体制を築き、勢力を広げようと交渉を要請してきたが、朝鮮政府はこれを拒否した。 これは、日本と修交すれば、西洋の侵略が後に続くと見なしたためであった。」

 韓国の教科書では当時の李朝政府が日本政府の使者へ受け取り拒否の理由として伝えた内容を全く記述していない。
 その理由を教科書に載せると自動的に 「朝鮮は中国の属国であった」 ことを認めることになるため、自国民に対し事実を隠蔽しているのである。

 その後、日本政府は度々使者を送り、朝鮮に対し国書の受け取りと開国を求めたが李朝政府の態度は全く変わらなかった。
 これを日本側から見れば、植民地主義を掲げアジアに押し寄せてくる欧米列強に対抗するためには近代的経済力と軍事力を一刻も早く身につけ自衛する準備を整えなければならないのに、前近代的な柵封体制から抜け出せずにいる李朝の姿勢は、自分の足下に火がついているのに、それに気づかず惰眠を貪るどうにもならない国家に思えたことだろう。
 また、そういった朝鮮に西欧諸国が本格的に侵攻すれば、それは間違いなく、ようやく近代化をスタートさせた日本にとって脅威になると当時の日本政府が考えたのは至極当然のことだったはずだ。
 結局、業を煮やした明治政府は、軍艦を派遣して、李朝政府を威圧し、日朝修好条約( 江華島条約 )を結ばせた。
 たしかに日本の手口はペリーと同じ砲艦外交であり、西郷隆盛が 「天理に於いて恥ずべき所為」 と憤ったほどである。
 余談ではあるが、後に 「征韓論」 を唱えた西郷が、この日本政府のやり方を非難しているのだから皮肉と言えば皮肉であろう。
 だが、その内容は本当にただの不平等条約だったのだろうか。

 韓国の教科書で取り上げられない、日朝修好条約( 江華島条約 )の条文第一条を見てみよう。

 曰く 「朝鮮国は自主の邦にして日本と平等の権を保有せり」 ( 日朝修好条約第一条 )

 如何であろうか。
 条文冒頭第一条において朝鮮を清国の柵封体制から独立させようという日本側の意志を宣言していたのである。
 このあたりを韓国の歴史教科書はこう記述する。

 曰く 「江華島条約は、わが国最初の近代的条約であったが、治外法権の認定など朝鮮に不利な条約であった。 これをきっかけにして釜山、元山、仁川の3港を開港し、日本はソウルに公使館を設置し、朝鮮に大きく勢力を浸透させはじめた。」

 この条約が当時の日本政府によって強制的に結ばされた条約であることは否めない事実である。
 しかし、その条約第一条にあるように朝鮮を 「自主の邦」 と称し、日本と平等の権利を有することを宣言するという、少なくとも当時日本が諸外国と結ばされた不平等条約には見られない、相手国への配慮を何故韓国は伝えないのか?

 結果としてこれが朝鮮が対外的に開国され、近代文明の道を進むきっかけとなったのは自明である。
 韓国の教科書は常に自分たちを被害者の立場におき、歴史における国家の責任から逃げ回っているように見える。
 韓国政府がどのように事実を隠蔽しようとも、いずれはその事実を韓国民は知ることになるだろう。

 日朝修好条約( 江華島条約 )によって、朝鮮は近代化の夜明けを迎えたのである。