25  「日本書紀」 「宋書」 「広開土王碑」 からみる任那日本府


 まずもって日韓の歴史の相違点の始まりはここにあると言って良いだろう。
 日本側の任那日本府存在説( 以後、存在説 )に対し、韓国側の任那日本府非存在説( 以後、非存在説 )が常に議論となってきた。
 ここで問題なのは、韓国側の非存在説が論拠を持っての説ではなく、どちらかというと極めて感情的な説であるという点である。

 例えば、日本書紀の記述に関して 「任那日本府を通じて、日本へ朝鮮半島からの文化が伝わった( 要約 )」 ことが書かれているが、この中の 「日本へ朝鮮半島から文化が伝わった」 と言う部分だけを引用し、その前提となる 「任那日本府」 については虚偽であるとしているのである。
 また、広開土王碑についてもこれを改竄説を唱えて、存在説の論拠を否定しているのである。
広開土王碑は現在の中国と北朝鮮の国境近くにあり、中国側に存在する高さ6メートルの巨大な石碑のことである。
 この石碑には古代朝鮮( 高句麗 )の広開土王の業績が書かれている。
 そしてその一部に倭国との戦いの記述があるのだ。
 曰く 「もともと百済・新羅は高句麗の属民で高句麗に朝貢していた。 ところが、倭が辛酉の年( 391年 )以来、しばしば海を渡って百済を破り、新羅を( 風化によって判読不能 )し、両国を倭の臣民としてしまった。 そこで広開土王は396年に自ら水軍を率いて、倭の臣民となった百済を討伐した。」 以下、404年まで倭との戦いを記録している。

 韓国では任那自身を認めないとしているが、次の中国南北朝時代の 「宋書」 から倭の五王についての官位・爵位の記録を見てもらいたい。
421年叙爵
438年安東将軍・倭国王
443年安東将軍・倭国王
451年安東将軍・使持節・都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓6国諸軍事
462年安東将軍
478年安東大将軍・倭国王・使持節・都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓6国諸軍事
 どうだろうか、451年の倭王:済及び478年の倭王:武について 「任那」 の文字があることが分かるだろう。
 少なくともこの当時、任那という地域が存在し、その 「軍事」 ( 当時の中国の官職 )に 「倭王」 が任命されていたことが理解出来るだろう。
 また、韓国では任那があったとされる地域を 「加羅又は加耶」 と呼び、それぞれ独立した小国の総称であるとして、任那日本府の存在を認めていないのだが、上記 「宋書」 の記述より、任那と加羅は別の地域であることが分かる。
 続けて、先の広開土王碑には次のような記述も見られる。
 曰く 「大軍をもって新羅城を奪還すると、撤退する倭兵の背後から任那加羅まで急追していった」

 上記から、当時の倭国は朝鮮半島に大規模な軍事力を駐屯させており、任那日本府というのはその駐屯地などを兼ねた日本の朝鮮半島における拠点だったことが推察される。
 その後、百済・新羅などによって任那は軍事的圧力を受け続け、紀元562年に任那は新羅に滅ぼされている。 ( 日本書紀、欽明天皇二十三年 )

 韓国側の問題点は、自国にこの当時の史書が全く残っておらず、日本や中国の史書に古代朝鮮の研究を頼っているにも関わらず、任那日本府などの韓国にとって不愉快な歴史的事実が書かれている諸文献、石碑などの物的証拠を全て否定していることである。
 それが、精査された上での否定であるならまだいいが、ただ 「そんなはずはない」 での否定なのだからどうしようもない。
 韓国人の古代史研究家は客観的な視点を持ち、全ての歴史的証拠について公平に検証する努力が必要だ。

 いかがであろうか、普通の理性ある人間ならばどう見ても朝鮮は中国の属国であったと断言できるであろう。
 確かに、その事実は韓国人の自尊心を傷つけるのかも知れない。
 韓国内だけでこのような歴史の歪曲捏造をするのは構わないだろう。 ( 本当は構わない訳はないのだが )
 だが、韓国のご都合主義の歴史歪曲捏造を日本に強要するなどの行為は恥知らずな行為であり、およそ近代文明国家のとるべき行動ではない。

 我々の隣に在する国家はかくも歪曲と捏造に満ちた国家であり、それを我々日本人に恥ずかしげもなく押しつけようとする国家であることを我々は深く認識し対応しなければならないだろう。