05 朝鮮襲来! 「元寇」 ( 日本征伐 )の真実


 朝鮮半島の歴史上、朝鮮人は一度も他国を侵攻したことがない平和を愛する民族である。
 これが韓国の謳い文句であり、今なお多くの韓国人が信じて止まないものである。

 さてここに来る日本人ならば大抵の人は 「ちょっと待て」 と横やりを入れるだろう。
 元寇( 韓国では無礼極まりない名称で 「日本征伐」 と呼ぶ )である。
 簡単に元寇の歴史的事実を述べておこう。 1260年、ジンギスカンの孫、クビライが大帝国の王に即位し蒙古は中国全土をその手中におさめた。1268年、蒙古国書が初めて大宰府に到着したものの、日本側は返書も送らず元の皇帝クビライの要求を無視した。 1274年10月、元と高麗の大軍は、対馬、壱岐を占領し、博多湾から上陸した。
 かくして、おしよせた文永の役である。 日本軍は長槍と弓と太刀で日没まで死力を尽くして戦ったが、思いの他強い短弓と、毒矢、鉄砲のような最新武器と戦術の相違で全く勝ち目はなかった。
 ところがその夜、突然の大嵐となり一夜にして元の船を沈めてしまったのである。 二度目の遠征は、それから七年後のことであった。 弘安の役という。 東路軍、江南軍を合わせると十四万にもなる大軍である。 ところが、またも台風に合ってしまう。
 蒙古の船団はその七、八割を失い、日本軍に追いまくられて逃げ帰ったのである。

 ここにも見えるように、元寇( 日本征伐 )に際し朝鮮( 高麗 )は日本への先兵となって侵略しているのである。
 では韓国の教科書ではこの元寇( 日本征伐 )についてどのように記述しているのであろうか?

 「元は日本を征伐するために軍艦の建造、兵糧の供給、兵士の動員を高麗に強要した。 元はこうして二次にわたる高麗・元連合軍の日本遠征が断行されたが、すべて失敗した。 元は日本征伐のため、高麗に征東行省という役所を置いた。 征東行省は、日本遠征が失敗した後には元と高麗との公共連絡機関として運営された。」
 これだけである。
 豊臣秀吉の朝鮮出兵など日本からの侵略行為については何ページにも渡ってその非道さを喧伝しているのに、いざ自分たちが加害者の立場になるととたんに 「元に強要されて仕方なく日本へ出兵した」 で終わりなのだ。

 ところが、これすらも大嘘であったのだ。

 「高麗史」 によれば、元寇の発端は高麗の忠烈王が元の世祖にしきりに働きかけ、執拗に東征を勧めたことによるとある。
 何と、朝鮮側の資料に自分たちが元寇( 日本征伐 )の発端を作ったことが記載されているにも関わらず、それを無視しての嘘八百なのだから恐れ入る。

 さらに、もっとたちが悪いのはこのときの高麗軍の非道極まりない行為である。
 最初に侵略を受けた壱岐・対馬の二島では、住民は男はことごとく殺され、女は手に穴をあけられて数珠つなぎの捕虜にされた。 二百人の童男童女は高麗軍に連れ去られ、忠烈王に献上された。

 今も泣く子を黙らせるため、母親が子に 「モッコ( 蒙古の訛り )来るぞ」 とあやす言い方が全国各地に残っているが、元寇( 日本征伐 )から七百年を経過した今なお、日本人の蒙古・高麗に対する潜在的な恐怖心は消えていないのである。
 当時の日本人の恐怖は、想像するだに余りある。

 余談ではなるが、この恐怖心が後の 「倭寇」 や 「朝鮮出兵」 に繋がったと李朝後期の安鼎福などがその文献に記している。
 悪逆非道・強制連行まさに韓国で言われる 「日帝の悪行」 そのものではないか。
 これを見て驚く韓国人も大勢いるだろう。
 だが、これが真実である。 自分たちの歴史に目を閉ざし、他国の歴史を捏造し卑下するに至ってはもはや病的ナショナリズムの発露とも言うべきで滑稽でみっともないだけである。

 韓国人よ、自国の歴史をもう一度冷静に振り返ることだ。