朝鮮儀軌引き渡し協定


( 2011.02.21 )


 1965年6月22日、終戦から20年たって、日本と韓国との日韓基本条約が結ばれた。
 これに付随する関係諸協定や文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定も結ばれた。
日本国及び大韓民国は、両国の文化における歴史的な関係にかんがみ、両国の学術及び文化の発展並びに研究に寄与することを希望して、次のとおり協定し た。

 第一条
日本国政府及び大韓民国政府は、両国民間の文化関係を間の文化関係を増進させるためできる限り協力を行なうものとする。
 第二条
日本国政府は、附属書に掲げる文化財を両国政府間で合意する手続に従ってこの協定の効力発生後六箇月以内に大韓民国政府に対して引き渡すものとする。
 第三条
日本国政府及び大韓民国政府は、それぞれ自国の美術館、博物館、図書館その他学術及び文化に関する施設が保有する文化財について他方の国の国民に研究 する機会を与えるため、できる限り便宜を与えるものとする。
 第四条
この協定は、批准されなければならない。批准書は、できる限りすみやかにソウルで交換されるものとする。この協定は批准書の交換の日に効力を生ずる。

 以上の証拠として、下名は、各自の政府からこのために正当な委任を受け、この協定に署名した。
 千九百六十五年六月二十二日に、東京で、ひとしく正文である日本語及び韓国語により本書二通を作成した。

日本国のために 椎名悦三郎 高杉晋一
大韓民国のために 李 東 元 金 東 祚
 この協定により以後文化財についての一切の引渡しはありえないことである。
 さて、今回問題になっている 「朝鮮王室儀軌」 は、朝鮮王朝時代の王室の儀礼を絵や文で整理した記録で、1922年に朝鮮総督府から当時の宮内省に贈られたもの。 現在、宮内庁の書陵部皇室図書館が所蔵している。
 ところが、これは写本であって、 「御覧用」 の本物はフランスにある

 この経緯を説明する。
 時は幕末。 日本と同じように外国からの開国圧力を李王朝も受けていた。
 1866年7月、アメリカ船 「シャーマン号」 が通商を求めて大同江を経て平壌の羊角島に不法侵入した。
 シャーマン号は、船主はアメリカ人、船長はデンマーク人、乗組員にはイギリス人や中国人もいる武装船である。
 朝鮮側は、鎖国なので難破船扱いとし、食料、水、薪を渡して 「即時退去」 を命ずるつもりで使者を乗せた小船で近づくと、船を転覆させ、使者・李玄益を連れ去った。
 その折、沿岸に集まった群衆に砲撃し、10余名を殺害してさらに河をさかのぼりはじめた。
 激こうした民衆は、官の命令を待たずにシャーマン号を襲撃しはじめ、数日の戦闘の末、シャーマン号を浅瀬に座礁させ、火を放って焼き払った。
 同じ年の9月と10月にはフランスが、ソウルの関門にあたる江華島一帯に極東艦隊を率いて本格的な侵攻をかけてきた。
 名目はキリスト教信者弾圧の報復である。
 キリスト教は18世紀に中国から入ってきて徐々に信徒が増えていたが、1811年から断続的にキリスト教への弾圧を強化し、鎖国・攘夷を強行した興宣 大院君は、1866年から1872年までの間に8千人あまりの信徒を殺害した。
 ── この折のフランス人神父殺害の報復である。
 フランス軍極東艦隊司令官のローズ提督は戦力のほぼ全て( 軍艦7隻、兵士約1300名 )を投入して江華島の一部を占領し、再度の侵攻で江華城を占領する。
 しかし首都漢城へ進軍中に発生した2つの戦闘( 文珠山城戦闘、鼎足山城戦闘 )で立て続けに敗北したフランス軍は漢城への到達を諦め、1ヶ月ほどで江華島からの撤退を余儀なくされる。( 丙寅洋擾へいいんようじょう
 この戦闘で、江華島をフランスが40日間駐留していた折、
 外奎章閣がいけいしょうかく( 王室の文書館・奎章閣の別館で、1781年以降江華島に設けられていた )に保管されていた王室関係の記録 「外奎章閣図書」 をはじめとした宝物等の略奪や建物への放火などが行われ、
 朝鮮側はこれに対して書状により抗議した。
 この略奪品の中に 「朝鮮王室儀軌」 もあり、これが 「御覧用」 の正本である。
 フランスは本国に持ち帰り、同国国立図書館に所蔵した。
 日本は1910年に韓国と日韓併合条約を結んで朝鮮半島を併合し、1945年の第二次世界大戦敗北まで統治を続けた( 日本は朝鮮総督府を通じて朝鮮 半島全域を統治した )。
 儀軌は、王室所用の 「御覧用」 のほか、議政府、礼曹判書、春秋館、その他の各史庫用に複数製作された。
 日本にある 「朝鮮王室儀軌」 1205冊は、1922年当時、五台山史庫に保存されていた原本を写したもので、略奪でもなんでもなく、朝鮮総督府から皇室に寄贈された写本である。
 決して韓国の新聞が言うように 「略奪」 ではない。
 また、当然韓国は、これまで作った原本の一つをもっていたはずである。
 それを紛失したのか?
 韓国はフランスに正本を返還要求し、略奪したフランス側は 「可能なあらゆる協力を行っていく」 と返答してきた。
 しかしフランスは納得せず、いまだに返還交渉は17年間も続いている。
 韓国の李明博大統領は、2010年11月のG20首脳会議の際訪韓したサルコジ大統領と会談し、フランスが持ち去り、同国国立図書館に所蔵されている 王室図書の返還問題について 「早期解決への積極協力」 を求め、フランスが韓国に永久貸与する方式での決着を促した。
 ── つまり、返還ではなく、あくまでも貸与であるとした。
 このへんがフランス外交のしたたかなところであり、確かに 「朝鮮王室儀軌」 は略奪したが、それに至る経緯はフランス人宣教師9名の殺害とキリスト教弾圧の歴史があることを譲らない。
 200年前の国際情勢と、ものの考え方を現在の価値観で云々することは歴史の冒涜であり、善も悪もひっくるめて 「歴史」 なのだと、堂々とした態度である。
 ところが日本政府が、早々に譲渡を決めたので、フランスもやっと動いた。
 フランスの持っている王室図書は296冊で、フランスが韓国に 「貸与」 する形で引き渡され、フランス国内法の手続きに従って5年ごとに貸与期間を更新するとし、所有権は絶対に渡さない。
 おまけに、韓国に渡す前に図書内容をコンピューターファイル化するデジタル化作業を進めており、図書の引き渡しが先送りされ、今年の5月頃になるだろ うと伝えた。
 それでも李大統領は、 「実質的な返還だ」 として評価した。
 韓国国立中央博物館は、7月18日から2ヶ月にわたり特別展示会を開く計画を立てたと明らかにした。 これ以上先延ばしされないための足止め策である。
 ところが日本は、菅首相が韓国からの返還要求に対して早々と 「譲渡する」 と回答している。
 今回の協定締結は、2010年8月、仙谷官房長官と菅総理らによって決定され、唐突な総理談話で示され、調査も準備もなく政治的に一方的に決められたものを、外務省がただ言われるままに作業しただけにすぎない。




 しかし今回の協定は、日本が韓国に一方的に図書を引き渡す片手落ちの内容である。 実は韓国には、日本が引き渡しを求めるべき貴重な図書が多数残ってい るのだ。
 現在、韓国の国立中央図書館には日本統治時代に搬入された数万点の日本の古典籍が保管されている。
 また、韓国には日本統治時代に朝鮮総督府を通じて持ち込まれた文献が多数残されており、国史編纂委員会に対馬藩の宗家古文書など約3万点が存在するほ か、国立中央図書館にも数万点が保管されている。
 2010年8月10日、菅直人首相が発表する談話の内容が閣議決定され、そこに 「朝鮮王室儀軌等の朝鮮半島由来の貴重な図書について、韓国の人々の期待に応えて近くこれらをお渡しがしたいと思います」 とする一文が盛り込まれた。
 そして同年11月14日の日韓首脳会談にて朝鮮王室儀軌を含めた図書1205冊を韓国に引き渡すことで正式に合意した。
 しかし、通常国会でこれは国会承認を得なければならず、2011年の今国会で承認が得られなければ菅内閣は大恥をかくことになる。
 外交オンチのダメ菅総理はコピーさえ取るのを忘れていないか?
 「日韓の文化交流のため」 の協定を結び、日本にある朝鮮王朝の古文書を韓国に引き渡すのであれば、韓国に残されている日本図書も、当然日本に引き渡しされるべきだ。
 このため、 「日韓図書協定」 は国有財産の一方的な譲渡にあたり、外交の原則である双務性に反するものである。
 しかし現在の通常国会の承認が必要なので、参議院は過半数割れをしているので否決される可能性もある。
 お馬鹿な公明党や北朝鮮大好きの社民党、もちろん共産党が賛成するだろうがぜひともこんな日本を馬鹿にした協定を否決して欲しいものだ。




 また、日本から盗み出されたものの多くが韓国にある事実。
 1994年、長崎県の壱岐・安国寺の寺宝である重要文化財指定の 「高麗版大般若経」 が盗難に遭う。 すると翌年には 韓国の国宝になっている こと。
 1998年、大阪府南河内郡太子町にある叡福寺の 「楊柳観音像」 を含む仏画32点が盗難に遭い、韓国に渡ったことが判明。
 2001年、愛知県豊田市の隣松寺から阿弥陀如来の極楽浄土を描いた県指定の重要文化財 「阿弥陀仏曼荼羅」 など7点が韓国人により盗難。
 2002年、兵庫県加古川市鶴林寺の国指定の重要文化財 「阿弥陀三尊画像」 など8点が宝物館から盗難に遭った。 2004年に韓国大邱広域市内の寺院で発見されたが、盗品と知らずに寄進を受けたものであったため、返還は困難と言われたままである。
 また、絹本著色聖徳太子絵伝は韓国人犯行グループによって盗難に遭った。 その翌年には取り戻されたが、損傷していたため5年の歳月と5千万円を掛けて 修復が行われた。
 2004年10月、 ソウルで重文窃盗容疑で霊媒師の金( 56 )商人の黄( 54 )が逮捕された。 調べにより、1998年の叡福寺、 2001年の隣松寺、 2002年の鶴林寺で発生した総計3億円を超える略奪が彼らの犯行であることが判明。 しかし霊媒師を名乗る金が、 「日本人から略奪するのは、我々の神からの指示である」 と宣言すると、 韓国の新聞や雑誌はこの事件を扱った記事で金を 「愛国者」 と表現した。
 それを受けて、世論が 「金に褒賞金を与えるべきだ」 と一気に沸騰し、 事実上韓国は官民揃って窃盗の正当化を公言するという異常な事態となった。
 韓国政府は、韓国民法の 「善意の取得」 を適用すれば法律上の問題はないとしている。
 日本警察の逮捕の一例。 2007年2月、( 中日新聞より )

 愛知県警が、韓国人窃盗団の一員を逮捕した。 凶器を用意し、寺の住人も襲う荒っぽい手口である。

 高麗時代の仏画が高値で取引される韓国に持ち去ろうとしたらしい。

 県警は、既に韓国に逃げたとみられる共犯者2人も同容疑で指名手配した。

 愛知県警国際捜査課と豊川署に強盗致傷の疑いで逮捕されたのは、韓国国籍の無職金在七容疑者( 48 )。

 調べでは、金容疑者は仲間3人と共謀、2005年8月3日深夜、愛知県御津町広石の大恩寺に押し入り、住職の長男の腹などを包丁で刺して重傷を負わせ た。国指定重文 「絹本著色王宮曼荼羅図」 などを狙ったが、宝物庫のシャッターを開けられず逃走した。

 金在七容疑者は調べに対し、昨秋、福井県敦賀市原の西福寺も襲ったことも認めたため、愛知県警は福井県警と共同捜査を開始。 供述などから共犯者を割り 出し、福井県警捜査一課と敦賀署は、強盗致傷と窃盗の疑いで在日韓国人の東京都新宿区高田馬場二、無職金鐘浣容疑者( 34 )の逮捕状を取った。

 調べでは、金容疑者は金在七容疑者や他の仲間2人の計4人で共謀し、2006年9月22日未明、国指定重文 「絹本著色観経変相曼荼羅図」 などを盗もうと西福寺に侵入。 僧侶をバットで殴って重傷を負わせた。 現金40万円と軽トラックも盗んだ。 仏画のありかは分からなかったという。

 福井県警は近く、金在七容疑者も西福寺の事件で逮捕する方針。

 金在七容疑者らは犯行前、何度も寺を下見。 大恩寺では犯行の10日ほど前、宝物殿の屋根をドリルでくりぬこうとしたがコンクリート製のため断念した。
 繊細さが美しい高麗時代の仏画は韓国で人気が高い。 韓国では画集やネットで日本国内の所蔵先が紹介されている。
 また、日本の大谷探検隊が私財をなげうってシルクロードの仏教遺跡を調査した調査報告書や入手した品をも韓国は返さない。
 韓国の大学教授に会った時に早期返還を求めたが、うやむやにしていずれ自分の国のものにすべく、ひた隠しにしている。
 大谷光瑞が、将来品を3分割して、大連、京都、朝鮮総督府の3ヶ所に保管しておいた。 それを終戦のどさくさにまぎれて 「強奪」 したのである。
 仏教弾圧の歴史を持ち、骨の髄まで儒教中心の生活をしながら、仏教遺跡から出土した 「お宝」 だけはしっかり握って放さない、 「下品」 な性格だ。
 こうした韓国ぐるみの泥棒問題の解決に政府は力を貸すべきである。
 今回譲渡したら、味を占めて日本の文化財をさらに自分の国のものだというつもりでいる。




 韓国は国語にハングルを使っているが、これは日本でいえばひらがなやカタカナに相当する。 もともとは漢字の知識に欠ける下層階級が使うものと見下され 蔑視すらされていた。
 日本が統治したとき、7割以上の住民が文盲であったためハングルを広めた。
 ところが終戦後、日本に合併されたことを恨んで、日本と同じ漢字を使うのを嫌ってハングルだけの使用を決めた。
 ── そして今の若者たちは簡単な漢字しか読めない。
 中国も、あまりに大胆な略字を普及させたため、元の漢字が分からなくなっている。
 現在、アジアで国民がちゃんと漢字の意味を理解できるのは台湾人と日本人と香港人だけである。
 漢字も読めないのにお宝だけは欲しい、歴史の検証をするときには中国の古代の漢文で書かれた史書を解読せねばならないが、朝鮮人も中国人も理解不可能 なのだ。 ── だから彼らは歴史を捏造し、大嘘を平気でつく。
 そして反日のカードで日本から金をむしりとってきたのである。
 もう日本人もいい加減こんな下品な人種とは真剣に付き合うことはやめよう。
 「政冷経熱」 はとてもいいことなのだ。
 日本人の心に、 「韓国大嫌い・中国大嫌い」 の感情が燃え上がってきている。





( 2012.05.19 )

  


 政府が昨年末、韓国政府の歓心を得ようと朝鮮半島由来の図書 「朝鮮王室儀軌ぎき」 を引き渡したことが逆効果を生んでいる。 これをきっかけに、韓国側から朝鮮半島由来の文化財 「返還」 を求める動きが相次いでいるのだ。 菅直人前首相が平成22年の日韓併合100年の談話で日本側に何ら義務がないのに引き渡しを表明し、その路線を野田佳彦首相が踏襲した結果、かえって日韓間に新たな軋轢あつれきが生じる事態となった。

 韓国側が新たな 「返還」 運動の標的とするのは東京、京都、奈良、九州の4国立博物館が所蔵する朝鮮半島由来の文化財4422点。 4月23日には、韓国側の活動を支援する共産党の笠井亮衆院議員 が文化庁と国立文化財機構の担当者を呼び説明を要求した。

 このとき笠井氏には儀軌 「返還」 運動にも関与した韓国の民間団体 「文化財還収委員会」 の関係者も同席。 所蔵品のうち、かつて朝鮮王室が保有していた 「朱ビロード地金銀装甲冑かっちゅう」 「紫縮緬ちりめん冠」 「金銅製印」 の3点について、王室子孫に特別閲覧を認めるよう求めた。

 機構関係者によると還収委は約2年前には、国立博物館の所蔵品を韓国に 「返還」 するよう要求した。 3点を所蔵する東京国立博物館の 「東洋館」 は改装中で、来年1月のオープン時に 「返還」 運動が激化することが危惧されている。 笠井氏に応対した一人は 「民主党政権の儀軌引き渡しで 『返還』 運動が再燃してしまった」 と指摘する。

 日韓外交筋は 「昨年の儀軌引き渡し対象は相当精査した。 仮にもっとほしいという話になっても 『はい、どうぞ』 とはいかない」 と強調する。 日韓間の賠償請求権問題は本来、昭和40年の日韓基本条約と関連協定で 「完全かつ最終的に解決」 されている ためだ。

 だが、 「返還」 要求の動きは民間にも波及している。

 東京都港区のホテルオークラ本館前の 「大倉集古館」 が所蔵する高麗時代初期の 「利川五重石塔」 については、韓国・利川市の民間団体が数回にわたり 「返還」 を要求してきた。 平壌にあったという 「八角五重塔」 に関しては、文化財還収委が 「いったん韓国に持ち帰って、北朝鮮に持っていく」 と求めたという。

 このため集古館側は文化庁に対応を相談したが、担当者は 「民間のことは民間同士でやってくれ」 と責任を回避した。 集古館関係者は、儀軌引き渡しについて 「民主党政権が点数稼ぎでやっただけだ」 と憤りを隠さない。