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 虚言、詐欺、相互不信、空理空論、無恥、卑屈、臆病 …… これが 「半万年の歴史を持つ偉大な韓民族」 の正体だ ――



 韓国の李明博大統領の竹島上陸と天皇に対する非常識な発言に、日本人が怒り、抗議の声が広がっている。 嫌韓感情の高まりというよりも、 「この国はだめだ」 という諦感が定着し始めているのは、ごく当たり前のことだ。

 戦後、日韓基本条約を結んだにも拘らず、歴代の韓国大統領は日本に対し 「謝罪と反省」 を執拗に求め続けてきた。 一方の日本がいくらそれに応じて謝罪を行事化し、明文化をくりかえしても、韓国の反日感情は収まらない。

 金大中、盧武鉉両大統領の2代10年にわたる親中、親北、反日、反米の左翼政権から商人出身の李明博大統領の代になって、本人も 「韓日の過去」 のいざこざに終わりを明言し、日本もこれで両国関係は正常化に向かうと期待していた。 だが、李明博の8月以降の豹変ぶりと異常な言動にまともな日本人は愕然とし、 「また裏切られた」 という念が強い。 「李明博までも」 という韓国人への不信感は募る一方である。

 李明博大統領の異常な言動を巡り、すぐ連想するのは、フランス神父ダレが著した 『朝鮮事情』 ( 原題 『高麗史』 )の中の記述である。 ダレは同書の中で、 「50人による陰謀は、たいていその共同謀議者の49人から暴かれる」 という、朝鮮人の 「不信と裏切り」 の国民性を描いている。

 朝鮮史上2回にわたる 「胡乱」 は有名である。 満蒙八旗軍と戦って敗れた朝鮮は、 「迎恩門」 や 「慕華館」、 「頌徳碑」 まで作らされる屈辱を受けた。 しかしこれは、元をたどれば後金国の2代目ハーン・フォンタイジの、朝鮮から受けたいじめと裏切りに対する復仇であった。 「胡乱」 は満蒙八旗軍による半島蹂躪の歴史というよりも、朝鮮人が持つ裏切りと不信の国民性を象徴する歴史事件と読むべきだ。

 戦後、半島の北も南も、エリート層にしか使いこなせない漢字を全廃し、ハングルのみ国字にしたのは、民族を育てていくのに必要不可欠なことだった。 当時、中国でさえ簡体字化、将来のラテン文字化を目指していた。 文豪魯迅までが、 「漢字滅ぼせずんば中国滅ぶ」 と遺言をのこしている。 交信メディアの転換は近現代にかぎらず、人類史上よく見られることだ。

 だが、結果としては、漢字廃止後の 「ハングル世代」 と呼ばれる世代は真の国史を知ることができなくなり、 「捏造」 「創作」 の国史しか知らないという状況を生み出した。 「韓国半万年史」 の中で、高句麗史、渤海史以外には、真実の記述が乏しく、人物としては朴正煕しかいないというのが、中立な眼から見た韓国である。

 李明博大統領の 「もし天皇が訪韓したいならば、殺された独立運動者に謝罪を」 という旨の発言は、韓国なら通用するかも知れないが、外国ではその知性だけでなく品格まで疑わせるものだ。

 ソウル・オリンピックの時から韓国は 「天皇訪韓」 をあたかも日本の 「義務」 であるかのように要請しつづけてきたが、逆に日本から求めたことは1度もない。 また、 「殺された独立運動者」 というが、日韓合邦以来、義兵運動から反日ゲリラに至るまで、法によって刑罰に処された者よりも内ゲバで殺された者のほうが多かった。 反日、抗日、建国運動の指導者として活躍していた呂運享、宋鎮禹、金九らは、いったい誰に殺されたのだろうか。 独立運動家はほとんどが同志や政敵に暗殺されたのではないだろうか。

 戦後、韓国は 「日帝三十六年の七奪」 ( 主権、国王、土地、姓氏、生命、国語、資源の七つを奪った )をはじめ、強制連行やら従軍慰安婦を反日、克日のお題目として唱え、国造りのテコにしてきた。 竹島は戦後李承晩ライン以後に韓国の領土とされたものである。

 国民国家の時代以来、いかなる民族も国家も強国、大国志向である。英仏だけでなく、オーストリー・ハンガリー帝国、チェコスロバキア、ユーゴスロバキアも同君合邦国家だった。 福沢諭吉の 「脱亜論」 の数年後に刊行された樽井藤吉の 「大東合邦論」 は日韓清とも 「同文同種同俗同州」 のアイデンティティの下で違和感はないと主張していた。 日韓合邦も双方に賛否両論ある中で実現したものであり、一方的な強制だったとするのは言いがかりだ。 日韓合邦は 「東亜の永久平和」 への礎としてむしろ列強がそろって賛同し、利害関係の強い清露さえ異議を唱えなかった。

 また実際にも、戦後韓国が主張するような 「七奪」 どころか、人口も食糧も倍増し、主権も拡大、史実としては 「七恩」 あるいは 「七布施」 と称するべきものだった。

 戦後の李承晩大統領以降、次代の大統領が先代を粛清することはすでに韓国政治の掟となり、宿命ともいえる。 しかしそれは戦後から始まったことではない。 李王一族をはじめ両班に至るまで繰り広げられる朋党ほうとう間の争いは朝鮮名物のようなもので、宿痾だった。 李朝500余年にかぎらず、高麗朝からさらに檀君開国まで遡っても、内ゲバが半島史の宿命だった。

 ではなぜ 「日帝」 の時代が半島史上未曾有の、いや空前絶後の超安定社会となったのか。 その理由はただ一つ、朋党間の争いが半島から排除され、場外乱闘に変わったからだった。 それが戦後になってまた再燃しただけのことである。 ハングル世代は近現代史を語るのに際し、その掟から知るべきだ。




 強制連行や従軍慰安婦の問題は存在しないことが徐々に明白になっている。 それでも韓国では反日のお題目としてゆすりたかりに悪用するどころか、慰安婦を聖女にしてブロンズ像まで建立している。
 とはいえ、韓国が何でも強制連行と結びつけて騒ぎ立てるのは、その歴史と国民性からみて理由がないわけではない。 唐軍による高句麗、百済遣民の強制連行、モンゴル軍による高麗人の強制連行のほか、満蒙八旗軍が朝鮮人口の半数を北方へ連行したという史実かある。 半島において、人さらいは伝統文化としての習俗であることも事実だ。 北朝鮮による拉致問題もその習俗の延長といえる。
 「8千人の台湾少年か日本に連行された」 と日韓の一部メディアが騒いだこともあったが、韓国メディアと日本の進歩的学者によるこの “大発見” は誤報だった。 台湾の少年工は大戦中に厳しい学科試験と身体検査にパスした後、校長や父兄のハンコを得て、はじめてゼロ戦に匹敵する 「雷電」 戦闘機の製造に携わるべく内地日本に渡ることができた。
 朝鮮人の強制連行は作り話で、日本政府はむしろ朝鮮人の内地渡行を制限し、朝鮮人が抗議集会をするほどだった。 台湾人の内地渡行には厳しい試験競争があり、朝鮮人は強制連行したなどということは、常識から考えてあり得ないだろう。 今日に至っても日本政府は半島からの密人国に頭を痛めているほどだ。
 いわゆる従軍慰安婦についても、河野洋平元外相ら韓国から 「良心的な日本人」 と呼ばれる人々以外、例えば石原慎太郎都知事や橋下徹大阪市長は日本が組織的に無理矢理働かせた証拠はないときっぱり否定している。 それが日本人の常識である。
 そもそも朝鮮半鳥はアジア最人の売春婦の産地だった。 今でも世界各地で10万人、日本ではその約半数が働いている。 半島の娼妓史から見て、営妓辺妓は 「従軍慰安婦」 に相当するもので、70年代に 「国家管理売春」 「観光( 売春 )立国」 と日本の進歩的文化人が朴大統領を批判する以前は、何ら問題にされなかった。 高麗朝の時代には政府が 「結婚寡婦処女推考別監」 を設け、モンゴル政府に売却していた史実さえあるのである。 かつて豊臣秀吉が、日本人女性がポルトガルに奴隷として売買されていたことに激昂し、バテレン追放令を出したのとは。雲泥の差である。
 台湾人の中立の眼から見て、終戦直後まで、台湾の妓姐はほとんど朝鮮人娼妓で占められていた。 南の台湾と北の韓国との最初の人的交流は、北部炭鉱の娼妓だった。 飢饉時は娘1人米1升、日帝時代でも30円( 公務員俸給の2ヵ月分 )で、中国商人によって売られてくる。 インドの巫妓の地位は国王以上だが、儒教国家ではまったくちがう。 過去の貧しい朝鮮人の哀史は、日本の中学生に教えるのはやや早い。 むしろ韓国は過去の国史をただ美化するだけではなく、自国の風俗社会史についてもある程度知るべきだ。




 日本人は韓国の反日、克日運動に辟易し、対処に窮することも多々あるだろうが、少し見方を変えてみたらどうか。 逆に、大中華と小中華の反日騒ぎは、戦後日本人が 「国家と民族とは何か」 をもう一度問い直す刺激となり、真の反省と目覚めの触媒にもなる。 「反日よありがとう」 と礼をしてもいいぐらいだ。 ローマが天敵のカルタゴを滅ぼした後に逆に没落し、自滅していった教訓に学ぶべきだろう。
 少なくとも李朝末期の大韓帝国以来、韓国は日本なしには生きてはいかれない国だ。 口では 「反日」 「克日」 を騒ぎ立てても、内面では日本に甘えているところがある。 韓国の恨みは千年の宗主国だった中国に対してもあった。 ただ中華の国だからマキャベリの 『君主論』 以上に 『韓非子』 の教えが物を言う。 相手を反抗できないように徹底的に大人しくさせる奥の手がある。 いくら 「恨」 をのこしてもだ。 一方、思いやりのある日本人はそれをできない。 その差だけだろう。
 韓人の本性は事大である。 決して政治だけではなく、あらゆる面でそうである。 事大の反面として弱い軒いじめをし、しかも火事場泥棒の根性が強い。 戦後の焼け跡時代の韓国人の所為は知る人ぞ知る。
 「1000回侵略されてすべて撃退した」 という説はハングル世代のウリナラ( 自国 )自慢の一つである。 しかし哀しいかな、そういう史実はほとんど ない。 北から侵入されると、北鮮の有力者はたいていすぐ土地を献上し、侵入者の先頭に立って南を叩く。 海からの 「倭乱」 でも、下層民がすぐ蜂起し、宮殿を焼き払い、逃亡した王子まで捉えて倭軍に献上したことは豊臣秀占の 「朝鮮出兵」 の歴史で知られる。
 国内でも国外でも事大による弱者いじめと火事場泥棒に変わりはない。 李朝時代には明を事大の対象として仕え、満州人をいじめ、満州人に逆襲されるとすぐ牛から馬に乗り換えて、満蒙八旗軍の先頭に立って明人大虐殺を行った。 韓人が誇りにする初の海外遠征も、つまるところ米軍の虎の戚を借りてのベトコン叩きだった。
 そもそも台湾と韓国とは 「反共」 の同志だった。 漢江の奇蹟を可能にした外国からの支援は、日本だけではなく台湾からも多額に上がった。 しかし台湾から中国へ、牛から馬へと乗り換えた後の台湾叩きといじめは、実に冷血無情だった。 韓国内にいる台湾系華僑というのは実は山東人である。 華僑には激しい迫害が加えられ、10分の1まで人数か減ったといい、台湾や半島以外の国々へ四散している。
 だが、韓国のいじめに対して、そのまま泣き寝入りする台湾ではなかった。 ロス暴動の際、アメリカの黒人は韓国人商店へ逆襲するだけですんだが、台湾では航空機の相互乗り入れ中止にはじまり、高雄市と台南市では議会が姉妹都市の交流断絶決譲を全員一致で可決、さらに民間でも、韓国語をしゃべっただけでタクシーから降ろされ、韓国人経営の焼き肉店は閑古鳥が嗚くといった事態にまで発展した
 ソウル大使館前に 「従軍慰安婦」 の 「聖女像」 が建てられるまでいやがらせをされている日本が、いつまでも 「大人の対応」 を取っていられるのは、実にうらやましいかぎりだ。




 なぜ韓国人は反日なのか、その理由についてさまざまな分析を試みてきた。
 最近の 「反日」 行動を見るかぎり、それほど簡単に終息することはないと考える。 その理由は日本人よりも韓国人にあるからだ。
 というのは、反日の “プロ” はいわゆる 「日帝36年」 を体験してきた 「植民地世代」 ではなく、実は日本のことをあまり知らない 「ハングル世代」 が中心だからである。 「皇民化された植民地世代」 は、公の場ではハングル世代とともに反日を叫ぶが、私的な場では反日なことは言わない。 ハングル世代はこの世代を、 「彼らか死に絶えない限り韓国は永遠によくならない」 とまで罵り、前の世代をいとも簡単に切り捨てている。
 韓国の反日の理由についてはこれまで、ナショナリズムの育成から 「恨」 の文化に至るまで、さまざまな分析があった。 大中華の漢人と小中華の韓人の反日は共通の中華思想からくるものもあるが、異なる理由もある。 それも異なる歴史の歩みからくるものだろう。
 イスラム教やユダヤ教のような宗教的求心力がない韓国では、扇情的な鼓舞を以ってしかアイデンティティを求めることかできない。 これが 「半万年の歴史をもつ偉人な韓民族」 と自負する韓人のアキレス腱だろう。
 宗教や国王という求心力がない韓国にとって、陸の中華帝国からの脅威に怯えつづけ、海からも日帝に支配されたという屈辱と屈折した心情を、どこにも持って行きようがない。 だから彼らが自ら掲げる 「世界で一番優秀な民族」 や 「二十一世紀は韓人の世紀」 というドリームが実現しないかぎり、反華だけでなく反日、克日の騒ぎは終息することはなかろう。
 韓国の反日の理由は、比較文化のレベルからもそのメンタリティを探ってみることが欠かせない。 ことにその国民性と言語構造からだ。
 朝鮮近代文学の父李光洙は韓人の国民性について 「虚言、詐欺、相圧不信、美辞麗句、空理空論、阿諛迎合、面従腹背、大勢順応、無恥、悪口、卑屈、臆病、無決断、反社会的利己心」 など多くを指摘している。 朴正煕元大統領は党争、事大主義などを民族的罪悪史、李朝史の負の遺産として取り上げている。 もちろん、風習も国民性も時代によって変わるものである。
 尹泰林は 「韓国人その意識構造」 の中で、韓語について 「科学的表現には向かない」 「事物を客観化かつ対象化して理解しようとしない」 「合理的に把握しようとする精神が欠如している」 など多くの言語構造的性格を取り上げている。
 韓人の真の反日理由については、フロイトの精神分析やユングの超深層心理、さらには仏教がいう阿頼耶識あらやしきからもっと探って、その真因を解明しなくてはならないだろうか。




日本 vs 韓国部 門     .
15人0人ノーベル賞( 自然科学分野 )
2人0人ノーベル賞( 人文学分野 )
7人0人フランクリン・メダル( 科学等 )
2人0人ボルツマン・メダル( 物理学 )
6人0人J・J・サクライ賞( 物理学 )
3人0人バルザン賞( 自然・人文科学 )
2人0人クラフォード賞( 天文学等 )
10人0人IEEEマイルストーン( 電子技術 )
2人0人ウィリアム・ボウイ・メダル( 地質学 )
1人0人ホロウィッツ賞( 生物学 )
4人0人コッホ賞( 医学 )
6人0人ラスカー賞( 医学 )
9人0人ガードナー国際賞( 医学 )
9人0人ウルフ賞( 科学、芸術 )
5人0人プリツカー賞( 建築 )
3人0人フィールズ賞( 数学 )
4人0人コール賞( 数学 )
1人0人ガウス賞( 数学 )
1人0人ショック賞( 数学部門 )
3人0人ピューリッツァー賞( 報道 )
52回0回ロケット打ち上げ回数

日本が許せないわけだ!






 

そもそも韓国は 「独島」 や 「慰安婦」 について、いつから教科書で教えるようになったのか?


 このところ、慰安婦の問題と竹鳥問題で、日本はいいように韓国に振り回されている。 慰安婦像をソウルの日本大使館の曰の前に “これ見よがし” に置かれたかと思えば、今度は全米で同様の慰安婦像を設置すると脅かされたり、最近では韓国政府が建設費の一部を拠出して、ソウル市に慰安婦博物館( 「戦争と女性の人権博物館」 )も建設された。
 一方、竹鳥には李明博大統領自らが上陸し、 「日王」 ( 日本の天皇を意味する、韓国流の侮蔑語 )の訪韓と 「謝罪」 を求めるという無礼を敢えてした。 ロンドン・オリンピックでは、韓国のサッカー選手が 「独島( 竹島 )は韓国の領土」 というプラカードを手にして、政治的宣伝活動を禁ずる五輪憲章を踏みにじる行為に出た。 野田首相は竹鳥問題を国際司法裁判所( ICJ )に提訴すべく、大統領に親書を送ったが、韓国政府は親書の受け取り拒否という、明治初期の李朝さながらの、非礼極まる行動に出た。 ICJへの共同提訴も韓国は拒否したため、日本は単独提訴に踏み切ることを余儀なくされた。
 一体、何か彼らをして、こうした理不尽な行為に駆り立てているのか。 韓国は竹鳥や慰安婦について、自国民をどう教育しているのだろうか。
 10年ほど前に刊行した 『「韓国・中国」 歴史教科書を徹底批判する』 『韓国と歴史は共有できない』 ( 小学館文庫、2001及び2002 )において、韓国の歴史教科書に見える慰安婦・竹島の記述や、 「日王」 という用語について、一々取り上げて批判したことがあるが、そもそも韓国は 「独島」 や慰安婦について、いつから教科書で教えるようになったのか。 教科書記述の問題点もさることながら、それが韓国の教科書に載るようになった歴史的経緯を知りたい。 そう思いつつも、その時はそのままになってしまった。
 竹島や慰安婦については、既に数多くの論評が日韓双方でなされているが、そういった視角からアプローチした論考がない。 韓国の教科書記述の歴史的経緯に遣るような考察がないことに、かねてから甚だ物足りないものを感じていた。
 第一に思うことは、今日のような、 「独鳥」 に対する韓国民の常軌を逸した行動は、昔からあったものなのか、それともどこかの時点で意図的・政策的に作り出されたものなのか。 その点が曖昧模糊としている。 教科書を調査して、一度徹底的に分析したいと思っていた。 第二に、慰安婦を教科書で堂々と教えるということは、韓国にとっては “国の恥” ではないのか。 それが堂々と教科書に載るようになったのは何故なのか。 いつからなのか。 これを知りたい。




 「独島は我が領土」 という歌をご存知だろうか。 韓国人なら知らない人はいないというほど、人口に膾炙かいしゃしている歌である。 韓国ではこの歌を、幼稚園から歌わせており、今や “第二の国歌” に近い扱いを受けていると言っても、決して過言ではない。 歌詞は5番あり、邦訳は次の通りである。
鬱陵島 東南方 航路二百里 寂しい島一つ 鳥達の故郷
誰がどれだけ自分の領土と言い張ろうとも 独島は我が領土 我が領土
慶尚北道 鬱陵郡 南面島洞一番地 東経百三十二度 北緯三十七度
平均気温十二度 降水量は千三百ミリメートル 独鳥は我が領土
イカ イイダコ タラ メンタイ 亀 イクラ 水鳥の卵 海女の待合室
十七万平方メートル 井戸一つ 噴火口 独島は我が領土
智証王十三年 島国 干山国 世宗実録 地理志 五十頁三行目
ハワイはアメリカ 対島は日本 独鳥は我が領土 我が領土
露日戦争直後 主のない島だと 嘘をつき 云い張るのは本当に困る
新羅の将軍 異斯夫 地下で笑う 独鳥は我が領土 我が領土
 歌詞を一々ここで解説している余裕はないが、一番・二番は 「独島」 の所在地と気候を、三番は 「独島」 の特産物と面積を、四番は 『独局』 を 「我が領土」 とする歴史的根拠を、五番は日露戦争直後に 「独島」 を 「主のない局だと嘘をつき」、領土に編入した日本に対する批判であることは一目瞭然である。 ここで注目に値するのは、四番の歌詞に 「ハワイはアメリカ 対鳥は日本 独鳥は我が領土」 とあることだ。
 ところが、今はこのオリジナルの歌詞を無視して、 「対島は日本」 のところを 「対島は知らない」 とか 「対島は我が地」 とか、平気で変えて歌っているのだそうだ。 鬱陵島にある独島博物館には、 「対馬島本是我國之地( 対馬は元々韓国の地 )」 と彫られた大きな石碑も建てられている。 「独島」 の次は対馬、日本が竹島に対して一歩でも譲歩すれば、次は対馬も韓国のものになってしまうことを、この 「独鳥は我が領土」 の歌は暗示している。
 さて、前置きはこのくらいにして、以下独島の記述に関する教科書の分析に移る。




 韓国で戦後最初に発行された歴史教科書は、知る限り、1946年( 昭和21 )5月に米軍の軍政庁文教部から発行された 『国史教本』 である。 これは1945年9月、朝鮮を占領した在朝鮮アメリカ陸軍司令部箪政庁( USAMGIK )の委嘱を受け、韓国の震檀学会の編纂したものである。 震檀学会は、日本統治下の昭和9年( 1934 )に設立された学術団体で、実証史学の立場から朝鮮の歴史・文化・言語を研究したが、昭和15年( 1940 )には解散を余儀なくされている( 『朝鮮韓国近現代史事典』 )。
 もし 「解放」 直後の韓国の歴史学者にとって、 「独島は我が領土」 という今日のような歴史認識があったとしたら、大日本帝国が崩壊し、朝鮮総督府による一切の束縛から解放されたこの時点において、 「独島」 は教科書にも特筆大書された筈だ。 ところが、この戦後初の韓国の歴史学者による教科書には、 「独島」 に関する記述は一切ないのである。 解放直後の韓国の知識人にとって、 「独島」 は何ら 「国史」 として教えるべき価値のない島だった、と考える外はない。
 では彼らは、 「独鳥」 の存在を知らなかったのか。 そんなことはあるまい。 下條正男氏によれば、朝鮮側で今日の竹島を 「独鳥」 と呼称するようになるのは明治37年( 1904 )以後のことで、それまでは 「リャンコ島」 と呼んでいた。 つまり、 「独島」 の存在自体は知られていたのである。 しかし、大韓帝国の学部編集局が制作した 『大韓輿地図』 ( 1898 )や 『大韓全国』 ( 1899 )も、玄采の 『大韓地誌』 ( 1899 )でも、鬱陵島( 東経130度52分 )を朝鮮の東の極限としており、リャンコ鳥( 東経131度55分 )は朝鮮の領土に含まれていない。 即ち、 「十九世紀から二十世紀初めにかけての朝鮮では、今日の竹島は領土として認識されていなかった」 ( 下條正男 『竹島は日韓どちらのものか』 )のである。
 従って、それから約半世紀を経過した1946年の時点でも、国史教科書に 「独島」 の記載が全くないということは、依然として当時の韓国が、 「独島」 を自分たちの領土としては認識していなかったことを示すものだろう。




 それではいつから韓国は、 「独島」 を自分たちの領土と考えるようになったのか。 実はその切っ掛けとなった事件は、前記の教科書から一年後に生起していた。 そのことを示すのが、次の新聞記事である。「申国史館長談 『地理的に、歴史的に見て、 〔独島は〕 当然に我が国の版図に帰属すべきものであり、独立国家になったあとも、軍事上または経済上重大な地点になりうる。 当面する問題としては、漁場開拓上、重大な関心と利害をもたらしているので、 『マッカーサー』 司令部で 〔独鳥を〕 わが版図と確定させなければならない』」 ( 1947年7月22日付 『東亜日報』 )。
 当時、日本本土は連合国軍総司令部( GHQ / SCAP )の占領下にあったが、そのマッカーサー司令部は占領当初、竹島に対する日本政府の施政権を暫定的に停止し( 1946年1月29日付総司令部党書、SCAPIN677 )、竹島周辺海域( 12マイル以内 )での日本人の漁業活動を禁じていた( 1946年6月22日付総司令部覚書、SCAPIN1033 )。
 この両覚書は竹島の帰属問題とは無関係だったが( 領土の最終的帰属は平和条約によるのが国際法の原則 )、占領軍の命令で “竹島は日本から分離され、自分たちのものになった” と思い込んだ韓国人漁民と、そうはさせしとして竹島近辺に繰り出した日本人漁民との間でしばしば悶着が起こったので、マッカーサー司令部に陳情して 「わが版図と確定させなければならない」 という、前記の主張になったのだと思われる( 実際には、GHQには領土の決定権はなかったのだが …… )。
 このため、韓国側では [ 独島 ] を自分たちのものとすべく、1947年8月、80数名の専門家から成る 「独島」 調査団を派遣し、 「独鳥」 に韓国領であることを示す標木を立てている。 また、調査団に参加した歴史学者の申奭鎬シンソクホ( 先ほどの新聞記事の 「申国史館長」 )は1948年12月、雑誌 『史海』 に 「独鳥所属について」 という論文を発表しており、これは 「独島調査団の公式報告書」 というべきものであった( 鄭秉峻 「解放後韓国の独高に対する認識と政策」 ( 1945~52 )。
 ところで、同年8月には申の執筆した 『我が国の生活( 国史部分 )』 ( 1948 )という歴史教科書( 検定 )が刊行されているので、この教科書にも 「独島」 について書かれている可能性がある。 この教科書は、タイトルや内容の変遷を経つつも、韓国において国定教科書が導入される以前の1974年( 昭和49 )まで長らく使用され続けたというから( 永高広樹 「朝鮮総督府学務局による歴史教科書編纂と 『国史 / 朝鮮史』 教育 ― 小田省吾から中村栄孝、そして申奭鎬へ」 )、この時には 「独島」 について書かれていなかったとしても、後に書き加えられた可能性は高い。
 朴正煕時代( 1963~1979 )の1974年には、教科書は国定に統一されるが、この国定中学歴史教科書を分析した研究によれば、 「独島問題の顛末を1頁割愛して、独鳥が我が領土であることを確認させている」 とあることから( 坂井俊樹 『現代韓国における歴史教育の成立と葛藤』 )、 「独島問題の顛末」 の記述は、既にそれ以前の教科書にあったことが判る。 つまり、韓国政府が歴史教科書で 「独島」 を取り上げ、その歴史的経緯と共に 「独鳥」 を 「我が領土」 として教育するようになったのは、 「反共防日」 を教育政策として掲げた李承晩大統領時代( 1948~1960 )であった、ということが出来る。
 周知の通り、竹島問題は李承晩大統領自身によって惹き起こされたものである。 1951年( 昭和26 )9月、サンフランシスコ講和条約によって竹島は最終的に日本の領土と画定したが、それを認めたくない韓国側は、講和条約発効直前の1952年( 昭和27 ) 1月、李飛晩ラインを一方的に宣言し、竹鳥を自国側の海域に含めたばかりでなく、翌1953年( 昭和28 )4月には、同島を実力で不法占拠して今日に及んでいる。 また、韓国側はライン内に入った日本漁船を次々に拿捕だほし、日韓基本条約が締結された1965年( 昭和40 )までに、韓国に拿捕された日本漁船は328隻、日本人抑留者3,929人、死傷者44人に上った。 こうした不法極まることを平気でやってのけたのが、李承晩 であった。
 尚、冒頭で紹介した 「独鳥は我が領土」 の歌が韓国で発売されたのは、ずっと後のことである( 1982 )。 小学校の教科書に初めて歌詞が載ったのは、 「歴史の立て直し」 で 「独島」 を政治宣伝に利用した金泳三キムヨンサム政権下のことだ( 1996 )。 歌詞の4番と5番をもう一度想起していただきたい。 わが国( 韓国 )では新羅の 「智証チジユン王十三年」 ( 512 )に 「異斯夫イサブ」 将軍に命じて、既に 「干山ウサン国」 を服属させていた。 世宗セジョン実録 地理志 五十頁三行目」 によれば、 「干山国」 とは 「独鳥」 のことである。 従って 「主のない鳥だと 〔日本が〕 嘘をつき 〔独鳥を曰本のものだと〕 云い張るのは本当に困る」 というのだが、 「干山国」 とは鬱陵鳥にあった国のことであり、独島と混同して貰っては困る
 韓国は、 「独島は欝陵島に付属する鳥として、早くからわが国の領土であり続けてきた」 と教科書( 2002年版 )でも教えているが、そういう嘘は休み休み言うものだ。 既述の如く、韓国は二十世紀初頭まで 「独島」 を自国領とは認識していなかったのであり、1946年段階でも同様だった。 そういう無人島を 「主のない島」 として1905年に鳥根県に編入したことが( 国際法の 「先占」 の要件を十分満たしている )、どうして 「嘘」 をついて 「独島」 を 「強奪」 (2002年版教科書 )したことになるのか、さっぱり解らない
 韓国人が 「独島」 を 「我が領土」 と認識し始めるのは、1947年からであり、教科書に登場するのは李承晩政権下でのことである。 更にそれが、 [ 誰がどれだけ自分の領土と言い張ろうとも 独島は我が領土 ] というふうな “問答無用” の国民的信念にまでなったのは、 「独島は我が領土」 の歌が普及した、ごくごく最近のことなのである。
 我々は、以上のことを念頭に置いておく必要があると思う。




 次に、慰安婦の記述についても検討してみよう。
 まず、こういう証言を紹介しておきたい。 「70年代、女性団体が初めて従軍慰安婦問題を提起した時、政府の当局者たちは、 『なぜこのような恥ずかしい話を掘り起こそうとするのか』 と避けようとした」 というのである( 李愚貞 「従軍慰安婦問題を歴史教科書に記述し、教えるべきである」 )。 韓国にも、慰安婦を教科書で取り上げるのは穏当ではないという “良識” が、過去には存在していたことが解る。
 しかしながら、この問題を複雑にしているのは 「挺身隊」 と 『慰安婦』 の 意図的・無意識的混同 である。 [ 韓国挺身隊問題対策協議会 ] ( 挺対協 )という団体がある。 ソウル市の日本大使館前に、例の慰安婦像を設置した団体だ。 慰安婦博物館も、ここが主導して出来た。 しかし、この団体のネーミツグからして、既に 「挺身隊」 = 「慰安婦」 という図式が成立してしまっている。
 例えば、この団体の代表は次のような個人的な回想を公にしている。 「私か初めて日本軍 『慰安婦』 を知ったのは、かなり幼い頃だった。 近所の大人たちから隣のお婆さんの中で、 『挺身隊』 に連行されないよう幼い年齢で早く嫁に行かされ苦労ばかりして若くして亡くなった方がいるという話を聞いたことがある。」 ( 尹美香 「韓国挺対協は何をめざし、どのように闘ってきたのか」 )
 日本では 「挺身隊」 といえば、女子挺身動労令( 昭和19年 )に基づく、戦時下で軍需工場に動員された女性のことを指す。 慰安婦とは全く別の存在だが、この常識が韓国では通用しない。 この問題については、次のような指摘がある。 「慰安婦と挺身隊は別個の問題である ……。 私は機会あるごとに、この点について私の周辺にいる人びとに話してきましたが、そのたびに、大部分の人たちは初耳だといって驚いていました。 それほどに今日、大部分の韓国人は、挺身隊といえばすなわち日本軍慰安婦のことだと思っています。 日本が朝鮮の純潔な乙女を挺身隊という名で動員し、日本軍の慰安婦としたというのです。 …… 中学校・高等学校の歴史教科書にもそう書かれていますので、そのように考えるのも当然でしょう。」 ( 李栄薫 『大韓民国の物語 ― 韓国の歴史教科書を書き換えよ』 )
 李栄薫氏によれば、中爽鎬執筆の 『我が国の生活( 国史部分 )』 という歴史教科書( 1952 )では、挺身隊は日本と同じ意味で使われていた。 この教科書は1962年まで発行されていたので( 1974年まで使用されたという前記の日本人研究者の指摘と矛盾するが、李氏の指摘によれば )、 「解放後から1960年代初までは挺身隊を慰安婦と同一視する、今日のような韓国人による集団記憶は一般的に成立していなかった」。
 また、それ以降 1979年までの歴史教科書は、挺身隊や慰安婦に関してこれといって言及していない。 ところがこの間に、小説などの影響によって、 「いつのまにか韓国民の集団記憶において挺身隊の実体が少しずつ慰安婦に変わっていった」 のだという。
 近年の韓国の歴史教科書では、次のような記述の変遷が確認できる。 「はなはだしきは女子までも産業施設や戦線にむりやり連れていった」 ( 1981年版 )
 「このとき、女性までも挺身隊*という名目で引き立てられ、日本軍の慰安婦として犠牲になったりした。」 以下、傍註 「*従軍慰安婦をさす。 1938年頃から大規模に集められ、1943年からは 『女子挺身隊』 の名のもとに約20万人の朝鮮人女性が労務動員され、そのうち若い未婚の女性5~7万人が慰安婦として戦場に連れて行かれ、日本兵の相手をさせられた。」 ( 1997年版 )
 「取りわけ多数の女性を強制的に動員して、日本軍が駐屯するアジア各地域に送り、軍隊慰安婦にして非人間的な生活を強要した。」 以下、用語解説 「軍隊慰安婦とは、韓国、中国、フィリピンなど、日本の植民地と占領地に日本軍によって強制的に戦場に連行され、性的奴隷生活を強要された女性たちのことを言う。 1930年代初めから行われたこのような蛮行は、1945年日帝が敗亡するまで続けられた。」 ( 2002年版 )
 前記のように、 「挺身隊」 「慰安婦」 の記述は、1997年以降の教科書に初めて登場した。 この誤った図式は、2002年版では修正されたが、ここでは引用しなかった高校教科書では依然として修正されていない。 そればかりか、今度は 「軍隊慰安婦」 = 「日本軍によって強制的に戦場に連行され、性的奴隷生活を強要された女性」 という、 「強制連行」 と 「性的奴隷」 のイメージが定着してしまっている。
 李栄薫氏は、2004年9月に放映されたテレビ番組で、 「韓国人による慰安所や米軍近くのテキサス村 〔米軍相手の売春をする慰安所〕 に対する韓国人の反省と省察が 〔韓国の教科書には〕 ない」 「朝鮮総督府が強制的に慰安婦を動員したと、どの学者が主張しているのか 〔いないではないか〕」 「日本は挺身隊 〔慰安婦〕 を管理した責任があるが、韓国民間人 〔女衒ぜげん=売春婦の仲介業者〕 の問題も取り上げるべきだ」 などと発言したところ、韓国中が上を下への大騒ぎとなった
 慰安婦は、洋の東西を問わず韓国軍にもいたし、米軍にもいた。 日本軍だけが指弾される謂われは全くないのである。 また、日本軍が慰安婦を 「強制連行」 した事実は全くないし、 「性的奴隷」 という用語も商売として成り立っていた慰安婦の実態とは全く異なる。 李氏の指摘は全て正しいのである。
 しかし、結局、氏は慰安婦のために設けられた家を訪問し、元慰安婦の口汚い罵倒を浴びながら、 「土下座」 して謝罪する以外にはなかった( 呉善花 『韓国併合への道』 完全版 )。
 






  
 


 
 
  「学習三星(サムスンに学べ)」
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2012/09/14/2012091402345.html http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM11072_S2A910C1000000/
 毎日経済によれば先月26日、中国広東省東莞市で日本を批判するデモが行われた。
 デモ隊の先頭は赤い垂れ幕を持って行進したが、垂れ幕の内容は 「日本製品を排斥し、国産製品を振興させ、サムスンに学べ」 であった。 日本経済新聞はこの写真を報道して 「日本製品ボイコットは反日デモによく登場するが “サムスンを学べ” の文句は異例だ」 と評価した。
 デモ隊がサムスンに言及した正確な理由は分からないと伝えられた。 だが、日本経済は 「東莞市の労働者たちがサムスンの様な強力な中国企業の登場を望んだため」 と( 誤って )解釈した。

 早速ボロが出ましたね。( 笑 ) 韓国人であると、指摘したでしょ? 証拠が出てきましたね。( 笑 )
 デモをやってる殆どは中国人ですが、韓国人がデモを先導してるのです。
( そそのかしてるのです。 丁度、反原発デモで煽り、日本人をそそのかしている在日韓国人と同じ )

 改めて、韓国人という民族の特徴を説明してみましょう。
 日本人、いや、地球人で韓国人( 朝鮮民族 )に似ている民族が存在してないだけに、心して読んでくださいね。

 韓国人という民族は、日本に対し抗議する際、アメリカ政府に頼んだり、アメリカの議決で圧力を掛けたりと、自分では直接抗議せず、第三者をそそのかし、反日してもらうようにし、自分達は知らん顔をして良い子ぶるのが民族的特徴です。
 ( 同じく、反米をする際は在日が日本人をそそのかし、反米を日本にさせるでしょ? 民主党や社民党や沢山反米組織が居るでしょ? )

 実際、李明博の暴言の後、米国の韓国人組織が反日運動をアメリカではじめました。
 同じく、中国にもおびただしい数の韓国人が住んでいます。 在日韓国人と同じで、在中韓国人です。
 彼等が中国人になりすまし、日本人を暴行したり、デモをしているのです。
 本国の韓国は知らん顔を決め込みながら、別の国の名前を利用して反日をするのが韓国人の特徴です。

 つまり、全世界の何処で反日が起こっても、必ず裏には韓国人の存在があるという事です。
 そこの国で国民に成りすまし、反日を煽るのが韓国人の特徴です。

 「同じ日本人として恥ずかしい!」 と発言をし、日本人をコントロール。
 「同じ中国人とし、デモをしないなんて恥ずかしい!」 と発言をし、中国人をコントロールする韓国人。
 「同じアメリカ人とし、日本人の邪悪さを処罰しないなんて、恥ずかしい! 慰安婦で処罰すべき!」 と発言する在米韓国人。

 実際、日本自身がその典型例でしょ?
 戦後60年間、日本国内では日本人に成りすました韓国人( 朝鮮人 )が必死に反日を洗脳してきました。
 その先方とし、日本メディア( NHKなど )を韓国人が支配し、教育( 日教組・全教 )を韓国人( 朝鮮人 )が支配し、ウソとデタラメの反日の歴史( 自虐教育 )を洗脳し 「同じ日本人として恥ずかしい!」 と言って日本人を “そそのかして” きました。

 日本人自身でも騙され続けてきたのですよ?
 ならばアメリカ人も中国人も “成り済ましの”韓国人にだまされ、そそのかされ、反日に洗脳されても仕方ないでしょう。




 この理由は、殆どのモラルを持つ国々では、 「まさか、他の民族に成りすまし、民族の血で一致団結をし、他国民を騙そうとする邪悪な民族など有り得ない!」 という先入観があるからです。( 性善説に基づく )
 「そんな邪悪で卑劣な民族が居る筈がない!」 と、自分を基準に思い込んでるから、思考停止状態で真実が見えないのです。
 そんな卑劣で邪悪な民族が存在するのです。 それが韓国人( 朝鮮人 )なのです。

 モラルに関しては、日本が韓国に頼まれ、嫌々併合してあげた時代、殆どの日本兵が手記でこう残しています。
 「韓国人( 朝鮮人 )には、モラルというのが全く根付く事がなかった」 と。

 このモラルというのは、民族思想と直結している部分だけに、民族思想を変える事が不可能であるのを立証しているのです。
 我々日本人を含む全人類が知るべきは、その韓国人( 朝鮮人 )特有の民族性( 考え方 )なのです。
 想像を絶する悪質さ、卑劣さを、民族が一致団結をしてやるのが特徴なのです。
 しかも、他民族に成り済まし、一致団結をして騙して “そそのかす” というやり方です。

 少しは民族思想の違いを “区別” 出来る様になりましたか?
 韓国人( 朝鮮民族 )に対しては、性善説は一切通用しないのが分かりましたか?
 性悪説( 人は生まれながらに邪悪で卑劣で、ウソをつきまくる鬼畜だという概念 )を韓国人( 朝鮮人 )に対し持たないと、誤解を生む事になります。

 在日韓国人( 日教組 )が普及させた 「日本人も韓国人も同じ♪ 良い人も居れば悪い人も居る♪」 というインチキ概念( 民族思想の違いすら認識してない愚言 )は一切現実では通用しないというのが分かりましたか?
 これからは国際社会。国籍と血統で敵と味方を区別出来るようにならなければ。


補足: 中国旅行は控えるべきです。
韓国人にそそのかされている中国人も危険だし、それよりも韓国人に殴られたりレイプされる危険性があります。
韓国人は中国という看板を利用し、日本人に中国で危害を加えるでしょう。
丁度日本国内でも、通名を使って日本人に罪をなすり付け、好き放題レイプや犯罪をする韓国人の様に。
尚、韓国旅行に関しては、日本女性がレイプされても警察が事件として取り扱わない(ゴミ箱に捨てる)ので、100人レイプされても0人として韓国では報告されます。
また、韓国人が日本女性をレイプしても、一切報道されない様に日本のメディアではなってますので、韓国旅行は言語道断ですね。
自分の人生をドブに捨てたい自殺願望者のみ、韓国へ渡航しましょう。



 確かに廉価朝鮮パクリメーカーの名前を反日デモで支那人が掲げるか?!
 朝鮮人が先導してると考えたら、腑に落ちる。 またお前らかッ( 激怒 )

 あいつらの得意技、なりすましと紛れ込み! どこにでもどこにでも顔を出し、日本を攻撃しやがって( 激怒 )
 勿論先導されて暴動を起こす、略奪をする、支那人も同罪だけど、卑劣な朝鮮人関与の可能性、要チェック!

 今、好きで 「支那に行こう!」 なんつぅ~情弱もしくは剛胆? もしくは莫迦な方はいらっしゃらないだろぉ~けど、やむなく仕事でいらっしゃる方! 支那人の振りして、ここぞとばかりに暴行する朝鮮人にもお気をつけて!
( 2012.09.16 )



  ……


 「まるで強盗団だった 」
 山東省青島で15日、日系のスーパーや工場を襲ったデモ隊を目撃した中国人男性は、こう声を震わせた。
 襲撃されたパナソニックグループなどの工場は、一夜明けた16日、放火ですすけた建物や、壊された機械類が無残な姿をさらしていた。
 複数の目撃者らによると、15日午前11時ごろ、デモ隊は、郊外にあるジャスコ黄島店内で破壊、略奪を開始。 1時間後、リーダー格の男が 「次は保税区だ」 と叫んだ。 外資系の工場が集まる保税区には、パナソニックグループの電子部品工場など日系企業が入居している。
 ジャスコを出たデモ隊はまず2キロ先の日系工場を襲撃した後、午後2時頃、さらに2キロ先のパナソニック工場に到着。 3、4階建ての建物数棟が立ち並ぶ工場は、スタッフ全員が避難し、無人だった。 群衆は最も大きな建物に乱入、1階に火を放ち、機械類も壊した。 火は2階に燃え広がった。
 隣の工場労働者は 「3万人はいた。 これだけの人間が道路を埋め尽くす光景は初めてで、とても抗議運動とは思えなかった」 と振り返った。
 日系企業を狙うデモ隊はさらに、約300メートル先の自動車部品工場を襲撃。 警官隊が六、七重の隊列を敷いて侵入を食い止めようとしたが、人数ではるかに上回るデモ隊はやすやすと突破。 工員ら数百人には目もくれず、無言で破壊、放火に及び、十数分後には別の工場へ向かった。
 自動車部品工場管理職の中国人男性は 「うちは再起不能。 ほかの工場も含めて、これで数万人の失業者が生まれるが、中国人がやったことだ」 とやりきれない表情だった。
 もちろん大半は支那人による暴動なんだろぉ~けど、 「日本憎し!」 と日本企業をここぞと破壊する中に朝鮮人がいるんじゃね? もはやそう思えてしかたないわ。
 破壊された工場の支那人労働者の職がなくなっても、朝鮮人には関係ない。 なんなら再起難しい工場の、下朝鮮に移転を目論んでる可能性もある。
 そしてなによりパナソニック、トヨタ、日産など、日本企業の工場が壊され、生産力がダウンし、再起に時間がかかれば、得するのは ……。
 たとえ目論見通りに得しなくても、朝鮮人は日本が嫌がることならなんでもするし …… ( ←結局ここなんだよね )

 治安の良かった日本が、外出時・在宅時問わず鍵をかけなくてはならなくなったのは、朝鮮人のせいでしょ。
 





( 2013.10.04 )

 


 太平洋戦争中に三菱重工業の工場などで労働を強いられた元朝鮮女子勤労挺身隊の女性とその遺族が同社を相手取り損害賠償を求めた訴訟で、元挺身隊の女性らが4日、韓国・光州地裁で当時の被害を証言した。

 原告の一人の梁錦徳ヤン・グムドクさんは、1944年5月ごろ 「日本に行けば金を稼げるし上級学校にも進学できる」 と説明する日本人校長に強要された形で、小学6年生のときに日本の工場に連れて行かれた。 「かえって死んだほうがましと思われる生活」 が始まった。

 飛行機部品のさび取りや完成した飛行機の塗装を1日中させられた。 強い薬品のせいで目と鼻を悪くし、後に数回手術したものの現在も後遺症が残っている。 梅干2つにタクアン2切れ、みそ汁という貧しい食事しか与えられず、日本人が食べ残した残飯をあさってなぐられたこともあった。

 朝鮮半島が日本の支配から解放された翌年10月に帰国したが、夢にまで見た祖国でもつらい生活が待っていた。 周囲から従軍慰安婦だったと誤解され、非難や嘲笑がついて回った。 結婚から10年後、挺身隊として日本で働かされていた事実を知った夫からは家を追い出された。

 梁さんは 「幼いときに、日本に行って戻るとき一度にお金を渡すという言葉を信じたが、いつの間にか68年経った。 韓国政府はこれまで一言も発言せず、とても恨めしい」 と述べた。

 また、 朴正煕パク・チョンヒ大統領が締結した韓日協定で政府はわれわれの代わりにお金を受けとり、道路も敷き工場も建て、国が発展した」 として、娘である朴槿恵パク・クンヘ氏が大統領となったいま、われわれに関心を持ってほしいと訴えた。

 同日の法廷では梁さんをはじめ5人の原告が証言した。 市民や学生らのほか、日本人の支援者らも裁判を傍聴した。

 原告は三菱重工を相手取り1人当たり2億ウォン( 約1800万円 )の損害賠償を求めている。

       

 んのに





 韓国、中国へ進出した企業の気がしれない。
 マスコミも昔ずいぶん煽ってくれたよね。
 人口13億、巨大市場とか言ってさ。
 実際儲けた会社あるのかしら?

 外国人留学生に月10万以上も奨学金あげて、5年日本で暮らしたら永住権?
 日本人学生へそのお金を回すべきです。
 私は文部大臣になりたい! 大改革やってやるのに。

 ニュース23で、青島イオン社長が、「中国人留学生に奨学金渡して、チャリティーとかに力を注いできたのに ……」 と言っていた。
 余計なことするなッ! 中国人留学生なんか日本にいらんわッ!
 それと、中国人に 「恩義」 と言う文字はないんですよ。
 今頃わかったのかね?
 お人好しだねぇ~。
 間抜けッ! 馬鹿ッ! アフォ~!





( 2015.06.29


過激化する 「衛正斥邪」

 反日の国家的扇動により戦後最悪の日韓関係を醸成した朴槿恵政権は6月21日、尹炳世外相を日本に送り、日韓外相会談をもった。 会談では 「明治日本の産業革命遺産」 の世界遺産への登録をめぐり、韓国の 「百済の歴史地区」 とともに登録されるよう、日韓両国が協力していくことで一致した。

 「百済の歴史地区」 とは5月4日、国連教育科学文化機関( ユネスコ )の諮問機関である国際記念物遺跡会議( イコモス )が、韓国の公州・扶餘・益山の百済時代を代表する遺産を網羅する 「百済歴史遺跡地区」 を世界遺産に登録するようユネスコに勧告したもので、ドイツで開催される世界遺産委員会で登録決定の可能性を探っていた。 つまり、今回の両遺産申請抱き合わせは韓国が日本に妥協するための苦肉の策だった。

 さらに、日韓の国交正常化から50年となる6月22日、東京とソウルでおのおの開かれる記念行事について、東京の行事には安倍晋三首相が、ソウルの行事には朴槿恵大統領が出席した。 すなわち、韓国は事ここに至り、日韓基本条約の基本線にもどり、日米の協力のもとに築き上げた、戦後自由経済と自律との並立への回帰を余儀なくされたのである。 以後韓国は、唯一の自律の表現であった 「反日」 のトーンを下げざるを得ず、日米という外国勢力の下で逆に一層他律的になることだろう。

 北朝鮮のような外国無視の 「自律」 を正統性の表現と見る韓国の従北勢力は、3月に 「生麦事件」 のごときリッパート駐韓大使襲撃事件を起こし、 「反日」 から 「攘夷」 へ外勢排撃へのトーンを上げている。 外資占有率が50%を超える企業が、毎年4月期に外国人投資家に行う配当が、韓国の国民生産の国内消費を無化してしまう。

 彼らにとって経済植民地と化した 「南朝鮮」 は他律そのものであり、韓国を自律の道へと導くべく、行動はさらに過激化するものと思われる。 民族の行動パターンとしてはこれを 「衛正斥邪えいせいせきじゃ」 ( 正道をまもり邪道を撃退する )という。


憤怒が向けられる可能性

 彼らの自律と他律をめぐる悲哀は、 行き止まりの 「廊下国家」 という不運にある。 自律を取れば李朝や北朝鮮のように国境を閉ざし防衛経済に転ずるしかない。 その代わりに国内は貧窮化する。 国を開き、 外資を呼び込めばやがてはのみ込まれ他律的になる。

 だが、同情してはならない。 今回の世界遺産申請抱き合わせでもわかるように、 その自律行動は、 ゴネ、イチャモン、タカリという至極低劣な 「民族の最終独立兵器」 によって全うされるのが常だからである。 だからこの点に関しての彼らの 「恥」 意識は存在しないのだ。 むしろ今後、 さまざまな要求を抱き合わせてくる可能性がある。 わが国が注意しなければならないことはむしろこちらの方で、 他律的にされたとして嫉妬と憤怒を向けてくるかもしれない。

 現在、世界政治を俯瞰ふかんするに、 「尚古主義」 が華やかである。 中国の 「中華の夢」、ロシアの 「ソ連復興」、ムスリムの 「カリフ制再興」、これらは単なる戦略ではなく、本当に昔は良かったと思い込んで行動に移されているのである。 「漢代には南シナ海も東シナ海も中国のものだった」 と、本当に思い込んでスプラトリーに人工島や軍事拠点を造っている。 ロシアも同じ尚古主義でウクライナからクリミア半島をもぎ取った。

 「イスラム国」 に至っては悲願の 「カリフ制再興」 を実践に移し、イラク・シリア国境を廃棄させ、国境画定のサイクス・ピコ協定を無化しようとしている。


示された人権意識の停滞

 尚古主義とは、江戸末期を生きた祖父が、明治生まれの孫に 「昔は食べ物がもっとうまかった」 といい、 「ライスカレーも?」 と孫に問われると、 「そうだ。 オムレツもだ」 と、さらに過激化していくような主義のことである。

 孫はそう思い込んで仮想の復興に邁進まいしんする。 日本で 「歴史認識問題」 とか 「歴史戦」 とかいわれている国際問題の根底にあるのは、実は前近代エトスたちのもつ 「尚古主義」 との戦いなのである。

 現在ではこれが主権国家の領域を破壊するほど危険になっていることを、われわれは中国・ロシア・ 「イスラム国」 の現在から透視しなければならないだろう。

 さて、韓国である。 日本統治時代の対日協力者子孫の財産没収を求める法案の国会成立から、 加藤達也産経新聞前ソウル支局長の在宅起訴に至るまでの法治主義の崩壊、 セウォル号沈没やMERS( マーズ )感染拡大は自然災害ではなく人為的な事件であり、 韓国人の人権意識の停滞を明示している。

 近代化に失敗した韓国には、 大国のごとき危険な尚古主義は果たせないまでも、 歴史認識に名を借りた卑劣な尚古主義による攻撃がこれからも繰り返されることになろう。
わが国では先般、参院予算委員会で三原じゅん子参院議員が 「八紘一宇」 という古式ゆかしい言葉を用いたが盛り上がりもしなかった。 これが健全なる近代の成熟と近代化の終了である。