アメリカ援軍韓国兵士の
   



ああ、震撼の韓国軍!
ベトナム戦24周年にして見た、私たちの恥部、 ベトナム戦犯調査委のおぞましい記録。
韓国人が一番残酷だった。

http://www.altasia.org/hangyore/hangyore99256.htm



 1965年12月22日、 韓国軍作戦兵力2個大隊がビンディンソン、クィニョン市に500余発もの大砲を撃ち込んだ後、“きれいに殺して、 きれいに燃やして、 きれいに破壊する” というスローガンの下、 捜索掃討作戦を繰広げた。彼らはこの村で12歳以下の22人の子供、22人の女性、3名の妊産婦、70歳以上6名の老人を含む、50余名を超える良民を虐殺した。

《 証言の一部 》

 … などは、子供を出産して2日目に銃で射たれて亡くなりました。彼女の子供は軍靴で踏み潰され、まだ血が流れていたお母さんの胸の上に投げ捨ててありました。妊娠8ケ月に達していた友人は銃弾が貫通して亡くなり、子宮が外に出ていました。韓国兵は一歳になる子供を背負っていた娘を射ち殺して、子供の頭を切り取って地面に放り投げ、あとはいろいろな形に切り出してくぼみに捨てました。彼らはまた、二歳の子供の首を折って殺し、ある子供のからだを持ち上げて、樹に投げつけて殺した後、焚き火に乗せました。そして、12歳の私は脚を射たれて倒れ、くぼみに捨てられたのです…

 捜索掃討作戦は、一次的にじゅうたん爆撃等で作戦地域を公開して, 韓国軍等の地上軍が現場に投入されて村に残っている住民たちを即決処分した後、家を燃やしてブルドーザー等で村全体を押し潰す方式で展開した。生存者の韓国軍に関する証言で共通な点は、無差別機関銃乱射、大量殺戮、妊産婦、女性に対する強姦殺害、家屋への放火などだ。生存者の証言を土台に韓国軍の良民虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通した類型が現れる。
- 住民たち( 大部分が女性と老人、子供たち )を一ケ所に集めた後、あるいはいくつかのグループにまとめて、機関銃を乱射して抹殺する。
- 住民たちを一戸に追い詰めて銃を乱射した後、家と一緒に死亡者も生存者も全部燃やす。
- 子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったり四肢を切断して火にほうり込む。
- 女性を強姦した後、殺害して、妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。
- 住民たちを村のトンネルに追い詰めて毒ガスを浴びせて窒息死させる。

ベトナム人の耳を斬って作ったと言われる
首飾りをする韓国兵
 第二次大戦後、我々はフランスとの戦争を含めて合計30年間にわたって侵略者と戦ってきた。 そのため国土は破壊され、経済成長は遅れてしまった。
 その中で特に残虐で野蛮なのは韓国軍であった村を丸ごと焼け払い、死者の耳までそいでいった( ※ )。 アメリカの捕虜になったほうが待遇がよかった。 韓国の捕虜になったら殺されるのである。
 ベトナム人には美人が多いので、女は皆、慰安婦 にさせられた。 韓国との混血児は名乗り出ないので、はっきりとした数は判らないが、一万人以上はいるはずだ。
( 「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著 国際企画 )



( ※ )死者の耳までそいでいった
敵兵の耳を切り取る風習は、漢字の生み出された古代シナの時代にまでさかのぼるのだ。
「取」という漢字は、敵兵の耳を切り取る風習を文字にされ意味を持たされたものなのです。

耳+又( 手 )の会意文字で、捕虜や敵の耳を戦功のしるしとして、しっかり手に持つことを示す。
 学習研究社「学研漢和大字典」
昔は人の首をとる代わりに、耳を切り取ってそのしるしとした。ゆえに耳と又( 手 )を合わせる。
 講談社「新大字典」
討ち取った敵の左耳を切り、その数によって戦功を数える。
 平凡社「字統」


Link 韓国・ハンギョレ21 日本語版 ---> キム・ギテ 予備役大佐 インタビュー から

『片方の耳だけを切って集めて針金に通して、幕舎前に掛けたりもしていました。 「何故そんなことをするのか」 と聞いたところ、帰国する時に記念に持っていく と言いました』



 ベトナム戦争で韓国軍がベトナム人女性を強姦して生まれた混血子供が3万5千人以上いるそうです。
 ベトナムではこの強姦されて生まれた混血児は白丁のごとき差別を受け、社会問題化しているほどです。
 ちなみに ベトナム大虐殺 について韓国軍の総司令官は、 償いは必要ないあれは戦争だった公式に発言 しています
 日本が同じ発言をすればどうなるでしょうか?
 おのずと想像がつきますね。

 ベトナム戦争で強姦、虐殺の限りを尽くした韓国人。
 もちろん、韓国の中学、高校で使っている国定歴史歪曲教科書には一言も記述がない。
 日本のマスコミもまったく取りあげない。


韓国人に質問します

 何故あなた達は自分の国の教科書にベトナム戦争時に、韓国兵が無防備なベトナム市民に対して何をしたのか掲載しないのですか?
 自分達のしてきた残虐行為は棚に上げ一切触れず、日本に対して異常なまでの被害者意識を持ちそれを外交カードとして利用してお金を捻出する事は認めてはきりがありません。
 日本はこれ以上過去の歴史に対して永遠に続く謝罪外交もする必要は無いのです










ンの






( 1 )日本は第2次世界大戦において、戦争犯罪を犯した。 そして極東軍事裁判によって裁かれ、ある者は死刑に、ある者は禁固・懲役などの刑に服した。 つまり、国際法上求められた責任は、刑に服することにより贖ったと言える。
( 2 )日本政府は金大中政権当時、文書による公式謝罪を行い、韓国政府はこれを受け入れた。 ここに両国の謝罪問題は解決している。
( 3 )1965年の「日韓基本条約」において、個人補償を含む補償は完全に終了している。 その他にも韓国には他のアジア諸国に比較して破格の経済援助が行われている。

( 1 )韓国は、ベトナム戦争において5000人とも9000人とも言われる無辜のベトナム人を虐殺した。 これは明らかに戦争犯罪である。
( 2 )韓国軍が行った戦争犯罪は、アメリカ軍の指示や命令によるものではなく、韓国兵が自らの判断で行った行為であり、戦争犯罪の全責任は韓国軍にある。
( 3 )国際法において戦争犯罪に時効は存在しない。 韓国が行った戦争犯罪は、国際法に基づく裁判よる以外、永久に消えることはない。
( 4 )ベトナム戦争以降、韓国政府も韓国国民も、これら戦争犯罪者の捜査、追及を行わず、戦争犯罪の事実から目をそらし続けているのが現状である。
( 5 )ベトナム政府は、経済援助の環境を破壊するのを恐れ、あえて韓国を追及していない。 これをいいことに、韓国政府は何らの謝罪も行っていない。
( 6 )戦争犯罪者が埋葬されている国軍墓地に、上記の責任を何一つ取らぬまま、韓国大統領は堂々と献花をしている。

韓国が日本政府に対して 「A級戦犯が合祀されている靖国神社」 への参拝を非難するならば、それ以前に韓国は少なくとも、次のことを行う必要がある。
( 1 )ベトナム戦争当時の戦争犯罪を調査し、その内容を明らかにすること。
( 2 )戦争犯罪に荷担した当事者の兵士とその指揮官を訴追すること。
( 3 )戦死者等に戦争犯罪者がいた場合、国軍墓地からその名前を削除し、名誉を永久に剥奪すること。
( 4 )上記の処置が完全に終了するまで、韓国大統領、要人は国軍墓地に立ち入らないこと。







 「誤りを認めない指導者に、新しい未来を開いていくことなどできない」。 3月1日、独立運動記念式典で韓国の朴槿惠大統領は日本をそう批判した。 その言葉、そのまま朴氏にお返ししよう。 韓国軍こそ、ベトナムで何をしたのか。 現地取材で判明した韓国軍による 「ライダイハンの蛮行」 をすべて明かす。




 ベトナム南部最大の商業都市ホーチミンから、飛行機で約一時間北上するとクイニョンに到着する。 南シナ海に面したこの港町は今、静かなリゾート地として旅慣れた観光客の間で人気のスポットになりつつある。

 そのクイニョンの中心地から、かつてゴダイ集落と呼ばれた農村部へと向かうと、リゾートの雰囲気は一変。 そして気付かされる。 ここがベトナム戦争時、韓国軍による 「ゴダイの大虐殺」 があった血生臭い戦場であったことを。

 ベトナム問題に詳しいフォトジャーナリストの村山康文氏は、先月末までベトナム戦争時の激戦地を訪れた。 このゴダイ集落を訪れた時、韓国軍による大虐殺の凄まじさを知ったという。

 その集落の村のひとつ、タイヴィン村があった場所には、現在、カラフルな壁画が建てられている。 その鮮やかな色使いとは裏腹に、描かれている内容は悲惨そのもの。 軍服を着た兵士たちの銃口が火を吹き、銃弾が村人たちの体を貫く。 火あぶりにされる裸体の女性の姿も描かれており、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だ。 ”つり目” で表現された武装した軍人たち。 彼らこそ、大虐殺の当事者である韓国軍である。 右腕には、ゴダイ集落を爆撃した 「猛虎部隊」 の紋章である虎が描かれている。

 集落全体では、66年1月23日から2月26日にかけて、1004人の民間人が虐殺されたという。

 15発もの銃弾を受けながら奇跡的に生き残ったタイヴィン村のグエン・タン・ランさん( 62 )が、当時を振り返る。
「韓国軍が村に来たのは朝9時頃。 100人以上の歩兵が次々と村に入り、全25世帯、65人の村人を1ヵ所に集合させました。 韓国兵はその中から、年頃の娘を見つけると、彼女を集団から引き離し、村人の前で輪姦を始めたのです。 兵士たちに銃を突きつけられた娘はなす術なく、代わる代わる暴行されました。 そして、最後の兵隊が事を済ませると、彼女を撃ち殺したのです。 その一部始終を見せ付けられた村人が怒り狂い、韓国軍に襲いかかろうとしましたが、その場で射殺されました。 韓国兵は私たちを一度に殺さず、数人単位で射殺していきました。 私の両親や親族も殺されました」
 この壁画は、タイヴィン村での虐殺を忘れないための記念碑のようなものだという。 その傍らにはゴダイ集落で虐殺された380余人の名前が刻まれた慰霊塔も建っている。 そこには 「韓国軍が行った非道は忘れない」 という内容の文字も書かれていた。

 クイニョンからさらに北に約300キロメートル進んだベトナム中部のクアンナム省のフォンニャット村は、非常に小さな農村だ。 ここでも韓国軍によって虐殺が行われた。 当時14歳だったトワン・ヴァン・ディエップさん( 60 )が涙ながらに語った。
「早朝、100人以上の韓国兵が突然押し入って来た時、私は慌てて家の中に逃げ込みました。 家には両親と6歳の弟がいましたが、動揺した弟は私たちの制止を聞かず家の外に飛び出てしまい、韓国兵に撃ち殺されました。 まだ幼い弟を殺された両親と私は恐怖と悔しさに震え、ただ家の中で息を潜めるしかなかった。
 隙間から外の様子を窺うと、40人ほどの村人が1ヵ所に集められ、銃弾を浴びせられているのが見えました。 やがて私たち一家も見つかり、外に連れ出され、両親を目の前で射殺されました。 逃げようとする私にも乱射してきました。 右足に銃弾を受けて倒れ込んだ私は、死んだふりをして韓国軍の襲撃をやり過ごすことができたのです。 韓国軍は民家に火を放ち、村全体を焼き払いました」
 フォンニャット村周辺でが74人が犠牲になった。 わずかな生存者となったディエップさんは過去を忘れようと努力したが、 「40年以上経った今でも心の傷は癒えない」 と声を震わせた。

 さらに北上すると、ベトナム戦争最大の激戦地のひとつ、ダナンに着く。 そこから20キロメートルほど南へ下るとハミ村がある。 68年2月25日、135人もの民間人が無差別に殺された 「ハミの虐殺」 の地である。

 犠牲者の慰霊廟が建てられていた。 荒れ果てた野原に建つ慰霊廟の横には、犠牲になった135人全員の名前が彫られた石碑があった。 女性が97人も含まれ、生年月日から紐解くと0歳~9歳までの子供が57人も確認できた。

 殺戮と破壊。これがベトナム戦争で韓国軍が行ったものだと、現地の人々は口をそろえた。




 今、韓国では先のベトナム戦争に参戦した韓国軍の蛮行が、にわかに問題視され始めている。

 3月7日、かつて日本軍の慰安婦だったという女性とその支援団体代表がソウルで会見を開いた。 ベトナム戦争に参戦した韓国軍による 「ベトナム人女性に対する性暴力や民間人虐殺」 について、 「韓国政府が真相を究明し、公式謝罪と法的責任をとるように」 と訴えたのである。

 これまで日本に 「謝罪」 と 「賠償」 を求めてきた彼女たちの矛先が自国へと向けられたのだ。

 韓国がベトナム戦争に参戦したのは64年のこと。 73年まで、延べ32万人もの兵士を南ベトナムに派遣した。 当時、アメリカの同盟国として、オーストラリアやフィリピンなどのSEATO( 東南アジア条約機構 )加盟国も参戦していたが、万を超える兵を派遣したのは、アメリカを除けば韓国だけだった。

 韓国事情に詳しいジャーナリストが言う。
「朴槿惠大統領の父親である朴正煕大統領が、ベトナム戦争への自国軍の派兵をアメリカのケネディ大統領に提案した。 アメリカに擦り寄ることで韓国の軍事独裁政権を認めさせるため、そして戦争特需による外貨獲得が狙いだった」
 韓国軍は、後に激戦地となったダナンに海兵隊第二旅団 「青龍部隊」 を、クイニョンに首都ソウル防衛師団 「猛虎部隊」 を、そしてニンホアに第九師団 「白馬部隊」 を駐屯させた。 彼らが、各地でベトナム人に対し虐殺やレイプを繰り返したのである。

 ベトナム戦争当時にサイゴン支局長を務めていた元朝日新聞記者の井川一久氏が言う。
「当初の韓国軍の主な任務は 『ベトコン掃射作戦』 でしたが、68年以降は 『農村の無人化作戦』 に変わりました。 わかりやすく言えば、反米の南ベトナム解放戦線が大半を支配していた農村部を壊滅状態にすることです。 戦場でベトナム人を見つけたら、女、子ども問わず抹殺するのが仕事。 彼らはベトナム人を人間だと思っていなかった。 女性を見つけたらレイプした。 単独ではなく輪姦です。 そして用が済めば殺す。 もはやマニュアル化していたように、彼らは凶行を繰り返していた」
 井川氏が続ける。
「ベトナム人にとって韓国軍は “アメリカの金を目当てにやってきた傭兵” という認識でした。 彼らには何の大義もない。 それどころか犯罪者集団だという人もいた。 支局時代、ベトナム人の助手に、韓国軍の取材に行くと言ったら、 “私は行けません。 彼らの前に立つだけでも吐き気がする” と拒否されました」
 実は、ベトナムでの韓国軍による蛮行を、当事者である韓国軍が知ったのは99年で、戦争終結からかなりの年月を要していた。 発端は週刊誌 『ハンギョレ21』 ( 99年5月6日号 )が始めた1年以上にわたる連載記事だった。 記者がベトナム当局から資料を入手し、現地取材と生存者への接触を重ね、韓国軍による殺戮の実態を白日の下に晒した。

 特に殺害方法に触れた場所は凄惨を極める。
生存者の証言を元に韓国軍の民間人虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通したパターンが見られた。

 ・子どもたちの頭を切り落とし、手足を切断して火に投げ込む
 ・住民をトンネルに追い詰め毒ガスで窒息死させる
 ・女性たちを次々に強姦した後殺害
 ・妊婦の腹から胎児が飛び出すまで軍靴で踏みつける
 まさに韓国史のタブーに初めて切り込んだ記事だった。 しかし、長く封印されてきた蛮行を暴いたことに、政権は怒り、元軍人たちも大反発した。 同誌を発行する本社の幹部が、退役ベトナム参戦軍人らに監禁、暴行される事件まで起こった。

 それから10年以上を経て、ようやく同誌に追随する動きが出始めた。 先の市民団体の声明の前日、韓国の市民参加型ニュースサイト 『オーマイニュース』 に、韓国軍人に集団輪姦されたベトナム人女性の証言が掲載されたのである。

 韓国軍の基地で働いていた当時20歳の女性が、兵士たちに輪姦された挙げ句に妊娠。 「ライダイハン」 を出産し、現在に至るまでの苦労の人生を回顧している。

 ライダイハン。 ベトナム語で 「ライ」 は混血、 「ダイハン( 大韓 )」 は韓国を意味する蔑称である。




 ベトナムにはこのライダイハンは数千人から3万人いると言われている。 戦争終結後にベトナムに流入した韓国人ビジネスマンと現地女性との間に生まれた子もいるが、韓国兵による性被害により生まれたライダイハンも少なからず含まれているのは事実だ。

 前出の村山氏も、 「クイニョンの韓国軍基地の食堂で働いていた女性から、4~5人の韓国兵にレイプされたライダイハンを身篭ったと聞いた」 と語る。

 ただ、こうしたレイプがすべてではない。 かの戦争の時、少なからぬ韓国人にとってベトナム人女性は “性の商売道具” でもあった。

 ベトコン掃射作戦により、農村部から命からがら逃げ出した人々のうち、多くの若い女性は売春で家族を養うほかなかった。 そのブローカーや雇い主の多くが民間の韓国人だったという。

 ベトナム戦争では、戦争の特需にあやかろうと建設業や運送業者、飲食施設経営者など、総計15000人もの民間人が韓国からベトナムに渡っていた。 中でも外国人相手の売春斡旋業に手を染める韓国人は少なくなかった。
「米軍や韓国軍の駐屯地に近い都市には、韓国人経営のナイトクラブ、バー、キャバレー、ホテルなどが密集していて、その多くは売買春施設でもあった。 風俗産業の相当の部分が韓国人に握られていたと言っても過言ではない。 その種の事業に関係する日本人は私の知る限り2人だけでしたが、韓国人は数百人単位でいた」( 井川氏 )
 一方、韓国軍が駐屯していた中部の激戦区では、基地内に 「慰安所」 というべき施設が存在したという。

 井川氏が明かす。
「サイゴン東北の米軍ライケ基地には、有刺鉄線を張り巡らした性的慰安施設があったが、それと同種の施設が韓国軍の主要野戦基地にもあった。 外部の人間からは隔離されていたので確認できなかったが、韓国軍がベトナム人女性を慰安婦として扱っていたことは間違いない。
 当時、親日的な在ベトナム韓国軍高官に夕食会に招かれ、彼の公邸に行ったことがある。 応接間には、超ミニのワンピースのお仕着せをまとった少女が数人いた。 揃いも揃って美人。 年齢は15から17歳ぐらいにしか見えず、少女のあどけなさを感じた。 そのうち2人の少女が私を挟み、食事を口に運んでくれるのです」
 彼女たちはただの接待要員ではない。 次に高官が口走った一言で、井川氏は確信したという。
「少女たちをどこから集めたか問うと高官は答えをはぐらかし、 『気に入った子がいたら連れ帰ってもいい』 というのです。 彼女たちは明らかに戦争難民でした。 私はもちろん断ったが、高官の態度から察するに彼女たちは友好国の上級軍人や高官をもてなす存在だったのでしょう。 ベトナムで韓国人は軍民一体となりなり、管理売春に手を染めていたのです」




 朴槿惠大統領は昨年、抗日運動の記念日( 3月1日 )に、 「加害者と被害者の立場は千年経っても変わらない」 と演説し、日韓に横たわる歴史認識の相違に徹底的に固執する態度を表明した。

 ならば、韓国軍によるベトナムの歴史についてはどう考えるのか。 韓国政府はいまだに民間人の虐殺やレイプについて、その存在を公式に認めてはいない。

 両国の国交正常化から6年後の98年、金大中大統領( 当時 )がベトナムを訪れ、 「ベトナム国民に苦痛を与えたことを申し訳なく思う」 と謝罪した。 虐殺やレイプに触れたわけではない。 それでも強い反発を見せたのが、当時野党のハンナラ党副総裁の職にあった朴朴正煕大統領だ。 「( 韓国軍 )勇士の名誉を傷付ける言動だ」 と猛烈に批判したのである。 朴槿惠大統領は、昨年9月にベトナムを訪問しているが、謝罪はおろか、ベトナム戦争時の歴史には一切触れなかった。

 ベトナム政府は、今までに韓国に対し謝罪や反省、補償も何一つ求めていない。 ベトナムはサムスンなど韓国の優良企業の工場を誘致しており、両国は経済的に協力体制を築いている。 「恨み」 ではなく、 「共存」 をベトナムは選んだのだ。

 いまだに日本に対して、謝罪や補償を強硬に求め続けている韓国とは、正反対の態度である。

 ここで 「慰安婦」 と、 「虐殺、レイプ」 はまったく次元が違う問題であることは指摘しておかなければならないだろう。 慰安婦制度が、 現在の価値観に照らして人権侵害として批判されるのは当然だが、 一方で、 朴正煕大統領主導の下、 戦時中には韓国国内にも合法的に米軍向けの慰安所が整備され、 米軍も各地に慰安所を設けていたのも事実だ。

 だが、虐殺やレイプは戦時中であれ、議論の余地なく決して許されることではない。 重大な戦争犯罪行為である といえるのだ。

 槿


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( 2015.04.22 )

  


 迷彩服を着こんだ数10人の中高年男性の団体が4月9日、韓国・大邱の慶北大キャンパスに集い、次々と怒声をあげていた。 ベトナム戦争の退役軍人団体 「枯葉剤戦友会( 大韓民国枯葉剤後遺症戦友会 )」 である。

 団体の名称からはベトナムで枯葉剤を撒いた米軍への批判デモを想像させるが、怒りの矛先は韓国軍による民間人への暴行・虐殺の被害を受けたベトナム人の講演会に向けられていた。 現地紙記者が語る。
「講演会の主催者側に対して 『放っておいていいのか。 殺してしまえ!』 という罵声や開催を許可した大学当局に向けて 『学長は辞任しろ!』 といった怒号が飛び交って、辺りは騒然としていました」
 ベトナム戦争で韓国軍はベトコン狩りの名のもとに各地の農村を襲って村民を虐殺し、若い女性を強姦して殺害するなどの蛮行が繰り返された。 民間人犠牲者は9000人にのぼると推計されるが、この事実は韓国社会で長く 「タブー」 とされてきた

 今年はベトナム戦争終結から40年にあたる。 そのタイミングで韓国軍による虐殺の生存者が生き証人として初めて訪韓したのだ。 訪韓したのはグエン・タン・ラン氏( 63 )とグエン・ティ・タン氏( 54 )の2人。

 ラン氏は1966年2月15日、韓国陸軍 「猛虎部隊」 襲撃で65人が犠牲になったタイビン村事件の生き残りの男性である。 この村では約1ヵ月で1000人以上の村民が殺害された。

 韓国のリベラル紙 『ハンギョレ』 によればその日、ラン氏は防空壕に隠れていたが、猛虎部隊に見つかって引きずり出された。 「20世帯あまりの住民が集められ、一人の軍人の号令とともに四方から銃弾が飛んできて手榴弾が投げられた」 という。 母親は下半身のない死体で発見され、妹は頭に重傷を負い、数時間後に死亡した。

 タン氏は1968年2月12日、韓国軍によって住民74人が犠牲になったフォンニ・フォンヤット村の生き残りの女性で、虐殺により家族5人を失い、自らも腹部に銃弾を受けた。

 女性や子供にも容赦しなかった韓国軍による残虐行為の告発を枯葉剤戦友会は妨害した。 ベトナム戦争で米軍が散布した枯葉剤の被害を受けた退役軍人を主体とする同団体の会員数は2011年時点で約13万人。 在韓ジャーナリスト・藤原修平氏が語る。
「団体のホームページを見ると、ベトナム戦争は 『反共の正義の戦いであった』 と位置づけられています。 また参戦により約10億ドルの外貨を獲得し、経済成長の礎を築いたと考えられている。 彼らにとって今回の被害者はその神聖な戦争を冒涜する存在であり、許せないということなのでしょう」
 枯葉剤戦友会は2013年5月、ソウルで安倍晋三・首相と橋下徹・大阪市長の顔写真や名前が印刷された垂れ幕を燃やし、両氏の慰安婦関連発言に抗議していた。

 姿




(続)