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勝手に竹島占領
竹島問題で韓国側の主張を覆す古地図見つかる!


 竹島の漁猟合資会社に勤務し、そこでアシカ猟に励んでいた隠岐の漁師たち。 左の写真の右側の4人の韓国人女性は鬱陵島から雇われて出稼ぎにきた海女。



①島根県、隠岐郡、五箇村、竹島と書かれた柱に韓国の旗を括りつける。


②日本領土だと書いてあるものを抜き取る。


③韓国領土のものだと主張する石碑を設置。


④「独島」 はこうして誕生した。





 竹島問題については田中邦貴さんのHP etc. が詳しく解説してくれています。
           


 竹島の次は対馬か ……。
 政府・マスコミが竹島問題を放置している間に対馬に触手を伸ばす。
           
           
           


 韓国人が 「対馬は韓国の領土である」 と主張し始めたのは戦後の李承晩大統領からで、その時は自国民からも否定されていた のだ。

「朝鮮新話」 鎌田沢一郎 昭和25年 創元社
( 灰色文字は注 )

対馬と朝鮮

 玄界灘のこの一孤島が、韓国の独立とその動乱のため、最近改めて世界の注目を浴びるに至り、日本の国境としての役割も、また仲々重大になつて来た。 それには下の四つの要因がある。
1.大韓民国建国早々、李承晩大統領は、対馬はもと韓国の領土だから、日本から返還して貰ふつもりだと言ふ突如たる声明。
2.北鮮軍の軍隊訓練スローガンに 「朝鮮を制するものはアジアを制す」 「次に対馬から日本へ」 などとあることが伝へられ、南北いづれの政権も独立後の海外発展策として、対馬を窺ふやに感ぜられたこと。
( 中略 )
 李承晩大統領が、賠償金とともに対馬を要求したことは、いたく日本人を刺戟して今日に及んで居る。 ( 中略 )しかしこれらの戦争犠牲を差引きしても、朝鮮と日本との場合はその方針はあくまで搾取ではなくて培養であつただけに朝鮮側のプラスは大きい。 併合前と最近の写真を比較してみれば、あらゆる面に於いて一見明瞭である。 それが戦勝国と同じに賠償とは何だ ―― と云ふのが日本側の主張である。

 さらに 対馬が韓国の領土であつたなどとの証跡が歴史的にも全然ないこのことは李承晩大統領の突然の声明に、まづ韓国側が驚き、韓国新聞界の論調も、軽率なる大統領の声明を責めること頗る急であつて議会では問題となり、委員会を作つてこれを調査することとなつたそこで議員数名と、野の学者崔南善などを加へて、対馬が韓国の領土たりしことありしや、否やを慎重捜査したが、全然かかる証跡はない のみか、日本の倭寇に先んじて彼の地より刀伊の賊がしばしば対馬に侵入し …( 中略・元寇に言及 )… かかる大事件とともに、対馬は古来より、日鮮間の連鎖となつて外交上に重要な位置をずつと占めてゐたのである。

 今は二つに分かれてゐる島ももとは一つであつた。 それを人工で開鑿かいさくして島を二つに割つたことこそ、対馬が昔から日本のものであり、且は又日鮮間に於ける外交交渉、ひいては一朝朝鮮と事ある場合に備へる措置であつたことを歴史は明確に証明して居る。 即ち対馬における大事件は、東岸ではなくていつも西岸に起こるのであつた。 前記倭寇の場合も、又その前の刀伊の賊や、慶尚道元師朴○の政略、李従茂の侵入等その他の諸事件も、大抵は朝鮮側の積極的攻撃が基本となつてゐるのである。 そこで寛文十二年、時の対馬守宗義真が徳川幕府に申請許可をうけて志賀○広に工事監督を命じ、三万五千人の人夫を使つて、約二百日間に仕上げたのが浅海( 浅茅 )湾東端の 「大船越の掘割」 である。 即ち首都のある東岸から西岸へ最も速やかに且能率的に出る近道を作つたのであつて、島を二つに割る目的ではなかつたのである。 ( ○の漢字は表示できず )

 首都は古来から東岸のみであつた。 それは日本本土との連絡上必然的な結論であり、島としての地勢、環境を考へての選択ではなかつた。 時の主権者によつて若干の奠都てんと( 都をさだめる )は行なはれてゐるが、いつもそれは日本に近い東岸のみである。 初め今日の厳原いづはら附近が早くも首府となり、応永の頃宗貞茂は北方佐賀に都を移し、文明年間宗貞国は厳原附近の中村に還り、亨禄元年宗将盛は全石城( 金石城? )に居た。 寛文六年宗義真の時に棧原に居し、これを府中と云ひ、明治維新ののち厳原と改名したのであつて、いづれも日本への最短距離東海岸に存在すること申すまでもない。 日清役ののち、日本海防衛の必要上、軍艦を通すべき水路開鑿の必要に迫られ、新しく 「万関越の掘割」 をつくつて、東西海岸間の軍事的交通の便ををひらき、これによつて日本本土との連絡は一層緊密を加へて行つたのである。
( 中略 )
 さて対馬が日本を代表しながら日鮮間に於ける通交のなかだちをし、一方朝鮮海峡の利権を握つてゐたのは四百年の永きに及んだ。 その間日鮮の間に取り交わした重大な条約が三つある。 一つは嘉吉条約( 癸亥 )、二は永正条約( 壬申 )三は慶長( 巳酉 )条約である。 ( 括弧内は朝鮮側の記録 )これはみな日本人の朝鮮貿易と倭寇に関係が深いのである。 由来日本人が彼の地に行つて貿易に従事したことは、ずつと昔からあつた。 しかし高麗の晩年までは大したことはなかつたが、恭愍きょうびん王のとき( 1352年 )対馬の宗経茂に米一千石を贈つて来た。 李承晩大統領が対馬へは、朝鮮より食糧の不足を送つてゐた ―― と云ふのはこのことである。 これは対馬を根拠地とする倭寇が、朝鮮の本土至るところに上陸して、掠奪をやることにはほとほと手を焼き、宗経茂を通して何とかこれら辺民の宣撫工作をやりたいものとの高等政策の一つであつて決して領民への食糧補給ではなかつた。

 李朝になつてからは、倭寇の鎮定に特別の懐柔策を用ひる様になつたので、我も我もと土産を持つては朝鮮に行き、どつさりと返礼を貰ふ。 一種の情誼貿易である。 爾来これらの方策が効果を挙げて来たのと、日本では豊臣秀吉の倭寇厳禁で、あれほど高麗朝を悩ました倭寇も、李朝に至つては中絶したのであつた。 それは後日譚であるが、個々の民間情誼貿易がかくの如くして発展して行つたのでは、朝鮮側でも立ち行かぬことになるので、そこで国営貿易として、この情勢に制限を加へようとしたのが嘉吉條約( 1443年 )である。 その条約で対馬の宗氏から、年々五十艘の船を朝鮮に送ることとし、朝鮮からは馬の飼料として米、大豆二百石を年々宗氏に贈ることとなつた。 それを歳賜米と云つたので、李大統領が対馬を属国のやうに考へたのであらう。
( 中略 )
 元来対馬は山岳地帯が多く、平野が少なく耕作地に恵まれない為、昔から人口と食糧のバランスがとれないのである。 …… 米が極めて少ない為、全体のカロリーから云つてようやく一万八千人を支へるに過ぎない。 然るにそのときの人口はその倍で三万二千人であつた。 四百年の永きに亘り朝鮮貿易に全力を注いで来たのはもつともなのである。 貿易の方法はその時々の条約や、習慣等によつていろいろであつたが、進上品にしても、求請品にしても回賜別福と云ふ先方の返礼品や歳賜米にしても、交換率まで決めた官営貿易であつた。 又物々交換を前提とする民間貿易も、日本人の朝鮮滞在中の糧米供給にしても、皆それらの貿易代金決済済みの枠と比率のうちで行はれて居る。 そこで如何なるものがその輸出入品であつたかと言へば、対馬から銅鉄、鑞鉄はんだ( 錫と鉛の合金 )、丹木、明礬みょうばん、日本朱、紋紙、黒角( 黒い水牛の角 )工芸品等で、朝鮮側から主として木綿、米、大豆、小豆、人参等であつた。 然るに時代の降るに随つて、木綿の質が下がり、寸法をごまかし、又米の中に砂や石を交へたり、水を加へて桝目をふやしたり、甚だしいのは渡すべき米を渡さないので、享保十三年に書かれた対馬側の文献をみると 「二十ケ年程の間、未収二万俵に及び、らち明き申さず」 などと書いてある。 是等の取引はすべて朝鮮に於ける和館で行はれた。 それは単に商売の形式でなく、外交的儀礼と秩序の上に行はれてゐたのは面白く、官営貿易の面目躍如たるものがある。 ( 中略 )しかし如何なる角度から研究しても対馬が朝鮮の所属であつたと言ふ結論は出ないのである。
 対馬の件で李承晩大統領には、自国民が呆れるほどの粗雑な歴史知識しかないということが露呈したわけだが、竹島の領有を強硬に主張したのもこの大統領だこれまた怪しげな歴史知識から言い出したのではないだろうか。


韓国人の領有権主張

 第二次世界大戦後日本を占領した連合軍連合国軍最高司令官総司令部|総司令部( GHQ )に対し、大韓民国|韓国の李承晩政権は竹島( 島根県 )だけでなく対馬についても日本からの割譲を要求したが、GHQから 「根拠がない」として一蹴された。現在でも一部の韓国人が領有権を主張しているが、韓国政府は対馬領有を主張しているわけではない。
 2005年3月18日慶尚南道馬山市( マサン )市議会は島根県議会の 「竹島の日」に対抗して 「對馬島の日」条例を制定した。韓国政府は馬山市に条例の撤回を要請している。
 李氏朝鮮領議政( 宰相 )申叔舟が1471年に編纂した『海東諸国紀』は日本国対馬島の図を掲載し、本文では対馬島を日本国西海道に属すとして島内の事情を詳述している。ただ、16世紀に刊行された朝鮮の地理書『新増東国輿地勝覧』の 「八道総図」には対馬島を朝鮮の領土であるかのように描かれていたため、この地理書が刊行されて以後、朝鮮半島の地図では対馬が日本国の領土でないと描くことが多くなった。


昔の朝鮮人は肉眼で高精度望遠レンズ並の視力があった?
日本人: 「韓国の歴史書には明確に竹島の存在を確定するものはないと思います。」
韓国人: 「無識だお前よぉ~ 世宗実録には鬱陵島から獨島が見えたと書かれている! 証拠の写真もある!」
三国人: 「あ、本当だ。ちゃんと見えているよぉ~。これは韓国の人が正しいよぉ~」
日本人: 「これも無茶ね。竹島の標高は 150m 程度、鬱陵島で竹島が見える高さの山まで昇ると 100Km も離れていることになるから、計算すると ……」
  …………………………
設問: 高さ 157m の物体を 100km 離れて見たと仮定した場合、
   1.角度は何度?
   2.同じ角度で 1m 離れて見た場合は、高さは 何m になるの?
   
  tanα = 157 / 100000  なので
  α = tan^( -1 ) { 157 / 100000 }
  α = tan^( -1 ) 1.57^( -3 )  1.57 の -3乗 のアークタンジェント
  設問1の解答 : α = 0.089954度
   
  x をもとめる高さとすると
  tanα = x / 1  なので  x = tanα
  設問2の解答 : x = 0.00157m
  …………………………
日本人: 「…… こうなるわ」
三国人: 「わッ …… 視角 0.09度、長さ 1.5mm なんて砂粒の大きさだね」
日本人: 「しかも海上では水蒸気や高波で常に妨げられて、100km も離れたら大気の歪みでとても見えるとは考えられないわね」
三国人: 「そぉ~だよね。」
日本人: 「それに、もっと重要な地球の丸みを計算してないから、まず見えるということは絶対にあり得ないでしょうね。」
三国人: 「ふぅ~ん。」
日本人: 「韓国さん、この算数理解できる? 反駁は?」
韓国人: 「 …… 見えたと言ってるんだから、見えたんだよ!」
 おそらくは煙が充満した部屋の中で 1m 離れた位置から汚れた床に落ちた砂粒一つを探し出すのと同じ作業だ。
 韓国人の主張が正しければ、昔の朝鮮人は肉眼で高精度望遠レンズ並の視力があったことになる。
 よく晴れた日でもこれは人間の限界を超えている。





竹島を韓国へ渡せ?
 朝日新聞はそのHPであるasahi.comの2005年3月27日付の記事で、竹島を多少の条件付きで韓国に譲渡すべきだとの記事を載せている。
 売国キチガイ新聞の本領発揮である。
( http://www.asahi.com/column/wakayama/TKY200503270067.html )

竹島と独島 これを 「友情島」 に …… の夢想

 それは、嵐の中に飛び込むようなものだった。島根県が 「竹島の日」 条例を定めて間もない18日、日本批判が燃えさかる韓国を訪れたのだ。

 大先輩にあたる韓国のジャーナリスト・権五ギクォン・オギさんとの対談で作った 『韓国と日本国』 ( 朝日新聞社刊 )が韓国語になって出版され、この日にソウルで記念の催しが行われた。 そこに降ってわいたのがこの問題だった。

 日の丸が焼かれる。 抗議のために指を詰める。 「日本人お断り」 のゴルフ場が現れる。 「竹島の日」 に対抗して 「対馬の日」 を定めようとの自治体まで出てくる。 韓国政府は 「断固対処」 の対日新原則を発表し、やがて盧武鉉大統領は 「外交戦争」 と言い出す。 出版会こそ無事に終わったものの、私の心は晴れないままだ。

     ◇

 いつか見た光景が目にだぶる。

 日本の高校の歴史教科書が 「歪曲わいきょく」 だと問題になり、 「反日」 旋風が吹き荒れたのは、私がソウルで留学生活を送っていた82年のことだ。 新聞もテレビも 「日本はけしからん」 で明け暮れ、韓国政府は強硬姿勢を譲らない。 「克日」 の言葉が生まれ、国民の募金で独立記念館ができた。

 だが、あれから23年。 サッカーW杯の共催を経て、空前の韓流ブームの中にいる。 今年は 「日韓友情年」 と呼ばれ、NHKの 「のど自慢」 も6月にソウルで開かれる。 『韓国と日本国』 では権さんと率直な自国批判を語りあったが、大きな時代の変化を実感すればこそだった。 それなのに、これは一体どういうことか。 私も大きな戸惑いを禁じ得ない。

 韓国が独島と呼ぶこの島に、こだわりが強いのは知っていた。 だが、これほどの熱狂を招くとは。 いささかあきれながらも、今回思い知ったのは島に寄せる彼らの深い情念だった。

 明治政府が竹島を日本のものとして島根県に編入したのは1905年2月。 その秋に韓国が日本に強要されて保護国となり、5年後に併合されてしまう。 だから、韓国にとって竹島編入は植民地支配への第一歩と映るのだが、裏を返せば、戦後に韓国が強行した竹島占拠は、植民地解放の象徴ということになる。

 いや、日本が自国領と主張する島の岩肌に 「韓国領」 と大書し、40人の警備隊員がこれ見よがしに駐留する姿を見ると、ひょっとして、どこかで植民地支配への報復気分を味わっているのかもしれない。 日本が独立運動を容赦なく弾圧したように、彼らも 「竹島奪還」 の動きには過敏に鉄槌てっついを加える。 それが今度の騒ぎだといえば、意地が悪すぎようか。

     ◇

 それにしても、にわかに広がった日韓の深い溝は、両国の関係にとどまらない深刻さをはらんでいる。

 まず、北朝鮮との関係だ。 核と拉致で 「日朝」 が最悪になっている折、 「日韓」 の好転ぶりが救いだと思っていたのに、これでは下手をすると民族と民族の対立になりかねない。

 朝鮮戦争を仕掛けられ、悲惨なテロの犠牲にもなってきたはずの韓国なのに、いまは北朝鮮に寛大だ。 むしろ、拉致問題で強硬論があふれる日本に対して 「日本支配時代に数千、数万倍の苦痛を受けた我が国民の怒りを理解しなければ」 と盧大統領が注文をつけるのは、南北を超えて同じ血が流れているからに違いない。

 これでは北朝鮮への包囲網どころではない。 韓国にも冷静に考えてほしいところだが、日本にはいまも植民地時代の反省を忘れた議論が横行する。 それが韓国を刺激し、竹島条例への誤解まであおるという不幸な構図だ。

 さらに目を広げれば、日本は周辺国と摩擦ばかりを抱えている。

 中国との間では首相の靖国神社参拝がノドに刺さったトゲだし、尖閣諸島や排他的経済水域の争いも厄介だ。 領土争いなら、北方四島がロシアに奪われたまま交渉は一向に進まない。 そこに竹島だ。 あっちもこっちも、何とまあ 「戦線」 の広いことか。

 そこで思うのは、せめて日韓をがっちり固められないかということだ。

 例えば竹島を日韓の共同管理にできればいいが、韓国が応じるとは思えない。 ならば、いっそのこと島を譲ってしまったら、と夢想する。

 見返りに韓国はこの英断をたたえ、島を 「友情島」 と呼ぶ。 周辺の漁業権を将来にわたって日本に認めることを約束、ほかの領土問題では日本を全面的に支持する。 FTA交渉も一気にまとめ、日韓連携に弾みをつける ――。

 島を放棄と言えば 「国賊」 批判が目に浮かぶが、いくら威勢がよくても戦争できるわけでなく、島を取り返せる見込みはない。 もともと漁業のほかに価値が乏しい無人島だ。 元住民が返還を悲願とする北方四島や、戦略価値が高い尖閣諸島とは違う。

 やがて 「併合100年」 の節目がくる。 ここで仰天の度量を見せ、損して得をとる策はないものか。 いやいや、そんな芸当のできる国でなし、だからこれは夢想に過ぎないのである。

※権五ギ( クォン・オギ )の 「ギ」 は王へんに奇

 竹島が日本の領土であることは、 戦後にアメリカによっても確認されている( ラクス書簡を参照 )。 竹島が韓国領土であるという主張は、 韓国側の捏造であり、 日本が一環して貫いてきた主張は正当性のあるものであることが裏付けられている。 朝日新聞がどういった意図で、 竹島を譲渡しろだのという記事を書くのかは不明だが、 朝日新聞の上記の記事は明らかに日本の国益を損なうものであることは間違いない。
 キチガイ新聞よ! 韓国に 『竹島を譲渡しろ』 と同じことを何故言えない!?

( 2014.10.27 )
 

 慰安婦報道に関する検証・訂正記事を朝日新聞が載せると、国内では朝日批判が吹き荒れたが、それとは逆に、こぞって朝日擁護論を展開したのが韓国紙だ。 韓国メディアは反日が基調なのに、なぜ朝日はこれほどの支持を獲得したのかといえば、常に朝日が日本ではなく、韓国の立場に立った 「韓国ヨイショ」 の記事を載せ続けてきたからだ。

 朝日の 「韓国ヨイショ」 記事の極めつけが、当時論説主幹だった若宮啓文氏による 「竹島と独島 これを 『友情島』 に …… の夢想」 ( 2005年3月27日付 )と題されたコラムだ。 韓国での反日旋風に、彼らの島に対する深い情念を思い知り、考察の結果 〈 いっそのこと島( 竹島 )を譲ってしまったら、と夢想する 〉 と書き、波紋を呼んだ。

 実はこのコラムには続きがある。 2008年7月21日付では、日本国内にも竹島が日本の固有の領土かどうか長い論争があり、政府見解を否定する学者が少なからずいるとして、その説を紹介している。
〈 明治政府は竹島を韓国領だと見ていながら、軍事的な思惑などで1905年に島根県に編入した。 そんな見方を著書や論文で展開している。 もしそうなら、日本の竹島編入は確かに韓国併合への前段だったわけで、韓国が 「奪われた島」 に格別な思いを抱くのも理があることになる 〉
 この韓国への寄り添いぶりには驚く。江戸時代の古地図に松島( 竹島 )が日本領として描かれているなどの研究には触れず、〈 古来の文書は島の名称からして入り乱れ、歴史も法的解釈もややこしい 〉としか触れていない。

 若宮氏はその後、主筆を経て、昨年朝日新聞を退職。 2013年1月に韓国の東西大学の碩座教授に任命され、コラム執筆や講演など、韓国でも活躍している。


《ラクス書簡》

1951年7月19日 韓国大使( ヤン )から国務長官への書簡。

一、大韓民国政府は、第二条 a項の 「放棄する」 という語を、 「朝鮮ならびに済州島、巨文鳥、欝陸島、ドク島およびパラン島を含む日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一郡であった島々に対するすべての権利、権原および請求権を、一九四五年八月九日に放棄したことを確認する」 と置き換えるよう要望する。

1951年8月10日 国務次官補( ラスク )から韓国大使への回答。

 草案第2条(a)を日本が 「朝鮮並びに済州島、巨文島、鬱陵島、ドク島及びパラン島を含む日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一部であった島々に対するすべての権利、権原及び請求権を、1945年8月9日に放棄したことを確認する」 と改訂するという韓国政府の要望に関しては、合衆国政府は、遺憾ながら当該提案にかかる修正に賛同することができません。

 合衆国政府は、1945年8月9日の日本によるポツダム宣言受諾が同宣言で取り扱われた地域に対する日本の正式ないし最終的な主権放棄を構成するという理論を条約がとるべきだとは思いません。

 ドク島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人島である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島は、かつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思われません。

 ラクス書簡は国立国会図書館に保管されている。

 国際裁判所に調停を委ねれば、竹島が日本領土であることは、ほぼ確実に認められると思われるが、韓国側は国際裁判所への調停を頑なに拒んでいる。

竹島





 竹島問題で韓国側の主張を覆す古地図見つかる
   きょう2回目の 「竹島の日」 に、ビッグニュースが入った!
竹島問題で韓国側主張覆す古地図見つかる


韓国側から竹島が韓国領じゃない証拠がでちゃった
 日韓両国が領有権を主張する竹島( 韓国名・独島 )について、韓国側が自国領とする主張を覆す韓国の古地図が見つかった。22日の島根県の 「竹島の日」 を前に、韓国で竹島問題を研究する米国人のゲーリー・ビーバーズ氏( 51 )が、山陰中央新報社に投稿した。 日本で初めて紹介される地図もあり、専門家も注目している。

 ソウル市の大学で英語教師を務めるビーバーズ氏は、日本政府が竹島を島根県に編入した1905年以前、韓国の文書や地図に独島の表記がなく、韓国側が独島の古名は古文献や古地図に記されている 「于山島」 と主張していることに着目。

 その上で、韓国側の領土説の根拠を覆すことを証明した資料として寄せたのが、竹島の北西92キロに位置する韓国・鬱陵島を描いたソウル大学奎章閣が所蔵する古地図の三枚。

 このうち年代不詳の地図では、鬱陵島の東側に描かれた小島に 「所謂いわゆる于山島」 「海長竹田」 と書かれている。 「海長」 は竹の種類を指すとみられ、于山島は竹が生えない不毛の岩の塊の独島ではないと指摘した。

 1834年の地図については、韓国の距離の単位である十韓国里( 一里は0.4キロ ) の目盛りがあることに着目。 于山島を示す 「于山」 は鬱陵島の東岸4キロで、距離的に独島ではなく、鬱陵島の付属島の竹嶼とした。

 竹島問題に詳しい国立国会図書館の塚本孝参事は 「韓国在住者ならではの調査に基づく新たな発見を含んでいる。特に 『海長竹田』 と書かれた地図は、于山が独島でない証拠として貴重」 と評価した。

 ビーバーズ氏は、 「竹島の日」 条例制定を機に韓国国内で反日感情が高まったことに疑問を抱き、竹島問題を研究。インターネット上で成果を発表している。

 年代不詳の鬱陵島の地図( ソウル大学奎章閣所蔵 )。
 鬱陵島( 上部 )の下に 「所謂于山島」 と書かれた島には 「海長竹田」 の文字があると指摘する。
 1834年の鬱陵島の地図( ソウル大学奎章閣所蔵 )。
 右側には距離を示す目盛りがあり、 「于山」 と書かれた右側の島が左にある鬱陵島と接近していることが分かる。

 
 

【 追記:2007/02/22 】
 竹島問題で、韓国の主張を論破したビーバーズ氏の安否が心配だったが、案の定 ビーバーズ氏は 言論の自由がない韓国の大学から去ることになったようです。





( 2010.01.20 )


 竹島( 島根県 )と朝鮮半島の間に境界線を引き、日本領とした19世紀後期のドイツ製の地図が複数現存していることが20日、島根県竹島資料室の調べで分かった。 大阪大付属図書館ではこのうち最も古い1870年製の地図を所蔵。 これまでにも竹島を日本領とする19世紀の西洋製地図は見つかっているが、さらに複数の地図が確認されたことで、日本の領有権確立を補強するとともに、韓国側の主張への反論材料になるという。

 竹島資料室によると、大阪大のほか、海外の大学や古書店などへの調査で印刷時期の違うドイツの 「シュティーラー地図」 の所蔵を確認。 1870~1899年の間に作製された約10枚で、竹島が日本領とされていた。

 竹島資料室では、これまでに島根県隠岐の島町の男性が所蔵する1872年のシュティーラー地図を確認。 この地図上で、西洋名で書かれた竹島と朝鮮半島の間に境界線が引かれていた。

 シュティーラー地図は、日清戦争後の1896年版では、台湾と中国大陸の間に境界線を引くなど、当時の国際情勢を反映。 だが、現在は韓国領の鬱陵島を日本側に含むのは、日本人が同島に渡り活動していた影響とみられ、その経緯を詳しく検証する必要があるという。

 韓国側研究者は 「1920年代まで西洋地図では独島( 竹島の韓国名 )を韓国領に属すると分類していた」 と主張している。

 竹島資料室の杉原隆竹島研究顧問は 「国際的に認められてこの内容で発行が続いたとみられ、さらに分析を進めたい」 としている。





( 2010.08.23 )
竹島問題
 

 日韓両国が領有権を主張する竹島問題で、韓国側の領有の根拠のひとつを覆す17世紀末ごろの朝鮮の木版印刷の古地図が神戸市立博物館で見つかっていたことが22日、分かった。 韓国側は、当時、竹島が 「子山( 于山 )」 と呼ばれ、この時期に朝鮮国漁民が 「子山は朝鮮の領土」 と鳥取藩に主張し認められたという記録があることを有力な根拠としている。ところが、この地図の子山は実際の竹島と方角も距離も違う位置に記載されており、別の島の可能性が高いという。

 見つかったのは 「地図」 と題された朝鮮の地図帳の中の 「江原道図」。 記載の地名から1684~1767年の間に朝鮮半島で流通したとみられる。 当時の朝鮮半島の古地図が確認されたのは初めてという。

 地図では、朝鮮半島の東側にある鬱陵島のすぐ南側に 「子山」 という島が描かれている。 実際の竹島の位置は鬱陵島の南東92キロにあり、位置も方角も異なる。

 子山が問題になるのは、1696年に朝鮮国の漁民、安龍福が日本に密航した際、自身が所持する朝鮮図に鬱陵島と子山島が記載されていると供述した記録が島根県・隠岐の 「村上家文書」 にあるからだ。

 安龍福は鳥取藩によって追放、送還された後の取調べで、自ら鳥取藩主と交渉して 「松島( 現在の竹島 )は即ち子山島、此れ亦我国の地( 子山島は朝鮮領 )」 と認めさせたと朝鮮側に証言したとされる。

 このため、竹島をめぐる領有問題が持ち上がった後年には、韓国で領有権を日本に認めさせた 「英雄」 とされている。

 朝鮮でこれまで見つかった古地図は、鬱陵島近くの東や西に 「子山」 の 「子」 の字が変化したとみられる 「于山」 という島が描かれており、日本側は于山は、竹島ではないとしていた。 しかし、この古地図は安龍福の時代ではないことが問題点のひとつだった。 しかし、今回の地図は、安龍福の生きた時代で、その地図の記載から、安龍福が実際の竹島ではない島を自国領と主張したことを示す可能性が高いという。

 島根県竹島問題研究会の杉原隆・副座長は 「安龍福の時代の地図が見つかったことで、子山島の位置が竹島の領有権の根拠にはなり得ないものであることが改めて明らかになった」 と話している。





( 2012.08.17 )

 


 8月10日の李明博大統領の竹島( 韓国名・独島 )上陸にはじまり、翌日のロンドン五輪の男子サッカー日韓戦では韓国代表選手が 「独島は我が領土」 とメッセージを掲げ、さらに13日には韓流スターたちが、領有権主張運動として 「独島まで220km」 のリレー水泳を敢行。 かようにエスカレートする韓国の独島パフォーマンスだが、国際社会からは、 「平和の祭典」 である五輪の空気を読めないのかと大ヒンシュクを買っている。

 だが、そもそも韓国が声高に主張する領有権も歴史を辿れば、その主張に根拠のないことが分かる。

 例えば、140年前の世界がどう見ていたか。 1872年にドイツで作製された地図では、竹島と朝鮮半島の間に日韓の境界線が引かれ、竹島は日本領と認識されていたことがはっきりと分かる。

 その他にも、19世紀末~20世紀初頭のヨーロッパ諸国が作成した地図では竹島が日本領と記載されている例が複数確認されている。

 さらに、決定的な物証がある。 現在韓国には、竹島の西側に位置する韓国領・鬱陵島に 「独島( 竹島 )」 に関する資料を展示する独島博物館がある。 そしてここに 「竹島は日本の領土」 を証明する動かぬ証拠 があったのだ。

 博物館屋外に韓国の古地図を彫った石碑がある。 それは15世紀末に李朝皇帝の命で作られた朝鮮全図 「八道総図」 だ。

 そこに記載される 「于山島」 こそ現在の竹島だと、韓国は領有権を主張してきた。 ところが、位置を確認するとおかしな事実が浮かび上がる。

 本来、竹島は鬱陵島の東に位置するはずだが、この石碑地図では、正反対の西に位置しているのだ。 到底、于山島が竹島とはいえないのである。

 この博物館を取材したフォトジャーナリストの山本皓一氏はいう。

 「博物館内には同じ八道総図をもとにしたはずの立体地図が展示されていますが、石碑の地図と逆の東に于山島の位置が変わっている。 于山島と鬱陵島の位置関係が逆なのは都合が悪く、地図を改ざんした証拠です。 同じ博物館の内外でまったく異なる地図を展示する矛盾を平然と続けているわけです」

 この立体地図、一度は “撤去する” と発表されたにもかかわらずいまだ展示されたままだという。





( 2012.04.11 )

 


 島根県竹島( 韓国名・独島 )を旧日本海軍が明治41( 1908 )年に測量した実測原図が海上保安庁に所蔵されていることが10日、同県竹島資料室の調査で分かった。

 原図は、旧日本海軍水路部が経緯度を実測した記録 「本標 経緯度実測原簿」 ( 縦30センチ、横21センチ )。 竹島資料室が今年3月、海上保安庁海洋情報部( 東京都 )の資料を調査し、新たに見つかった。 測量時の竹島経緯度が記された経緯度表も初めて確認された。

 原図の縮尺は、1万8204分の1。 旧日本海軍が明治41年8月4、5日の2日間、竹島周辺を測量し作製した。

 竹島の西島を 「男島」、東島を 「女島」 と記載。 島名を含む地名9カ所が記載されており、西島南西の 「南西岩」 や、西島と東島の間にある 「洞岩」、東島北東の 「洞湾」 など6カ所は、今回初めて確認された地名だった。





( 2012.10.15 )

  


 まさに、やりたい放題。 韓国の国会議員たちが 「竹島上陸計画」 を次々と発表している。 国会行政委員会で10月16日の上陸が議決され、23日にも別の委員会が上陸を計画中だ。

 現在はこうして韓国が不法に実効支配し、好き放題に反日アピールが繰り広げられる竹島だが、歴史的には明らかに日本の領土だ。 その 「動かぬ証拠」 となる資料がある。

 日本は1880年の調査で竹島を確認し、1905年に島根県に編入することを閣議決定した。 ジャーナリストの水間政憲氏が解説する。
「韓国側は 『1905年当時、韓国は日本の保護国で反論できなかった』 と主張しますが、そんなことはありません。 日本の保護国になる以前の1899年に韓国で発行され、教科書として使われていた 『大韓地誌』 がその証拠です。 教科書には韓国の領土範囲が記されていますが、そこに竹島は含まれていない」
 『大韓地誌』 の記述を日本語訳すると、以下のようになる。
《 わが大韓民国の位置はアジアの東部に在り、支那の東北部から日本海と黄海・渤海の間に突出した半島で、北緯33度15分より42度25分に至り、東経( グリニッジ天文台を基準とする )124度30分より130度35分に至り、東は日本海を界とし、西は黄海に浜し、南は日本海と黄海に臨み、東南は一海峡を隔てて日本の対馬と相対し …… 》
 この記述と、そこに添付されている地図を対照すればわかるが、 「竹島は韓国領ではありません」 と韓国の教科書に書いてあったのだ。 今の主張が捏造であることがはっきりわかる。
 間違いなく日本の領土であるという 「事実」 を日本人自身が知ることは、全ての議論の出発点になるはずだ。





( 2012.08.11 )

  


 韓国の李明博大統領が、日本固有の領土である島根県・竹島( 韓国名・独島 )に日本政府の中止要求を振り切って上陸した。 日韓の信頼関係の根幹を否定する暴挙というほかない。

 野田佳彦首相は 「到底受け入れることはできず、極めて遺憾だ」 と述べた。 当然である。 政府は、武藤正敏駐韓国大使を直ちに帰国させる事実上の召還を決めたが、それだけで済ませていい問題ではない。

 日本の領土主権をあからさまに踏みにじる外国元首の行動に対して、より強い対抗措置をとる必要がある。 国内の政局に揺れる野田政権が、領土主権で断固たる姿勢を示さなければ、韓国による竹島の不法支配はますます強化されることになる。

 李大統領の竹島上陸強行の背景には、慰安婦問題とともに竹島をめぐる反日・愛国世論が高まっていることがある。 日本の防衛白書( 平成24年版 )が竹島を 「日本固有の領土」 と明記したことに対し、韓国政府は強く抗議したうえ、軍と海洋警察の合同訓練を計画している。

 任期があと半年の李大統領は、実兄の前国会議員や側近が金銭スキャンダルで逮捕されるなどで政権の求心力を失っている。 日本による統治からの解放を祝う15日の 「光復節」 を前に、人気回復を狙って日韓の友好関係を犠牲にしたのなら恥ずべき行為だ。

 竹島は日本政府が1905( 明治38 )年、島根県への編入を閣議決定し、正式に領土とした。日韓併合( 1910~45年 )とは無関係で、日本が領有権を確立する前に韓国は実効支配していない。

 日本政府はこの際、竹島問題の国際司法裁判所への提訴を強力に推し進めるべきだ。 これまでに2度( 54年と62年 )提案したが、韓国側が受け入れなかった。 両当事者が付託に合意しない限り裁判所が動かない仕組みが壁だ。

 野田政権には李大統領の暴挙を国際社会に訴え、日本への支持を取り付ける毅然きぜんとした措置を求めたい。 同時に韓国側が日本の反発は大したものではないだろうと判断した可能性も考えるべきだ。

 李大統領の行動は、日韓関係を破綻させ、日米韓の結束の基礎を崩すものだ。 それを喜ぶのは核実験やミサイル発射をちらつかせている北朝鮮の3代目独裁者であることを忘れてはならない。





( 2012.08.11 )

  


 政府は11日、韓国の李明博大統領による島根県・竹島( 韓国名・独島 )上陸への抗議措置として、同島の領有権問題を国際司法裁判所( ICJ )に提訴する方向で検討に入った。 玄葉光一郎外相が同日、 「国際法に基づく紛争の平和的な解決のための措置を検討したい」 と表明した。 提訴が実現すれば昭和37年以来、50年ぶり3回目。 また、領土保全に関する総合的な施策を進めるための省庁横断的な組織の新設も検討する。

 ICJでの裁判開始には紛争当事国の合意が必要で、過去2回の提訴と同じく韓国側が応じる見通しはない。 しかし、提訴には国際社会に日本の正当性をアピールする狙いがあり、時期について玄葉氏は 「そんなに遠くない時期にやる」 と述べた。

 また、玄葉氏は 「領土問題に対する抜本的な政府の態勢整備を検討する」 とも表明。 今後、関係省庁と新組織設置に向けた調整を行う。 新組織では竹島だけではなく、ロシアが不法占拠する北方領土なども対象として、政府全体で領土保全策を検討する。

 政府内には内閣府の 「北方対策本部」 や外務省の 「北海道連携推進室」 など北方領土を専門に扱う部署はあったが、竹島問題を所管する専門組織はなかった。 このため、竹島が属する島根県隠岐の島町の松田和久町長は今年2月、新組織設置を求める要望書を政府に提出していた。

 一方、政府は今月下旬にソウルで予定されている閣僚級の日韓財務対話を延期する方針も固めた。 ただ、玄葉氏は 「領土問題には領土問題でというのが基本だ」 と指摘し、首脳間交流の見直しに関しては慎重な姿勢を示した。

 これに先立ち玄葉氏は同日、抗議の意思を示すために一時帰国させた武藤正敏駐韓大使と外務省で協議。 佐々江賢一郎外務事務次官らを交え、李大統領が竹島上陸に至った韓国国内の情勢分析を行うとともに、追加的な抗議措置についても意見交換した。 武藤氏の帰任時期について玄葉氏は 「韓国側の対応も見ながら検討したい」 と指摘。 一時帰国が長期化する可能性も示唆した。



( 2012.08.17 )

 


 竹島( 韓国名・独島 )の領有問題をめぐり日本政府が求めた国際司法裁判所( ICJ )への共同付託案を韓国政府は拒否した。

 歴代大統領としては初の李明博イミョンバク大統領の竹島上陸は当初、 「歴史的業績」 として支持する声も多かった。 しかし、李大統領はその後も 「日本の影響力も以前とは違う」 と発言したり、天皇陛下の訪韓に関し独立運動の死者への 「心からの謝罪」 を要求したりと外交非礼を重ねた。

 日本側がICJへの提訴も辞さない構えを取ると、韓国側はようやく事態の沈静化に動いた。 青瓦台( 大統領府 )は大統領発言に対する日本側の理解には 「誤解がある」 「説明する用意がある」 などとしてきたが日本側は提訴方針を変えなかった。

 日韓関係の悪化は、経済や文化交流などを含め泥沼化する恐れがある。 韓国政府も経済や安保協力などで日本との友好関係が外交的に重要だという認識はあるが、 “反日” に火が付くと制御が難しい国民感情の高まりから、引くに引けない状況だ。

 韓国メディアも 「対立の原因は日本」 との基本線は変えていないものの 「李大統領の洗練されていない言葉には問題がある」 ( 中央日報 )、 「行き過ぎではないか」 ( 東亜日報 )などと、関係悪化の回避を模索すべきだとする雰囲気が出始めている。

 李大統領の言動をめぐり、16日には大統領選への出馬を表明している与党セヌリ党の朴槿恵パククネ氏の側近、崔●煥チェギョンファン( ●=日の下に火 )国会議員が 「李大統領はポピュリズムに走っている」 と発言。 崔氏は 「( 朴氏に )直接見解を聞いていないが、常識的にはそう( 自らと同じ見解 )だろう」 と述べており、日韓間に大きな亀裂を起こした李大統領の言動は韓国政界でも問題視されている。





( 2012.08.11 )


 これこそ民主党政権の甘い幻想が招いた内閣総辞職、いや 「政権奉還」 ものの大失政ではないか。

 李明博大統領が10日、竹島に上陸したことで、鳩山、菅、野田の歴代民主党内閣が韓国に抱いた期待は完全に破綻した。 民主党政権はこれまで、政府の公式見解にもかかわらず、韓国による竹島の 「不法占拠」 という表現を封印し、韓国側の歓心を買おうとしてきたが、結局は片思いに終わり、それどころかわが国の主権を深く傷つけた。

 「李大統領は、今まで日本カードを使わない大統領だと思っていたが…」

 民主党の前原誠司政調会長は10日、記者団にいらだちをみせた。 歴代韓国大統領は任期末になると政権浮揚のため日本批判を強めてきたが、 「李氏はこれまでとは違う」 ( 野田佳彦首相 )と勝手に思い込み、現実から目をそらせていた。

 「韓国内はぐちゃぐちゃ。 李氏のお兄さん( 李相得・前国会議員 )が逮捕されて、本人も危ないって言われているわけでしょ」

 閣僚の一人はこう解説し、外務省政務三役は 「日本の政治は三流といわれるが、韓国はそれ以下、四流だな」 と突き放す。 確かに、今回の竹島上陸に政治的パフォーマンスの側面があるのは事実だろう。

 とはいえ、歴代大統領は政権末期でもここまで日本を軽んじず、竹島上陸という禁じ手は使わなかったのも事実だ。 自民党は10日、 「韓国に不必要な謝罪談話を出すなど誤ったメッセージを発信し続け、行き着いた果てが今回の事態」 とする声明を発表したが、これは正鵠せいこくを射ている。

 鳩山内閣での中国の習近平国家副主席と天皇陛下のルールを無視した特例会見、 菅内閣での中国漁船衝突事件における中国人船長の超法規的釈放、 ロシアのメドベージェフ大統領( 当時 )の北方領土初訪問、 日韓併合100年にあたって不必要な謝罪をした 「首相談話」 発表。 さらに野田内閣での返還義務のない朝鮮半島由来の図書 「朝鮮王朝儀軌」 を引き渡し…。

 すべてはつながっている。 周辺国は政権交代後の3年間で、日本はごり押しすれば退き、泣き寝入りすると学習したのだ。

 解決済みの慰安婦問題でも韓国に迎合し、 「門前払いではなく、余韻を残した方がいい」 ( 前原氏 )と主張し、野田首相も 「人道的な見地から知恵を絞っていきたい」 と述べていた。 ところが、これがかえって期待をあおり、昨年12月の日韓首脳会談では会談時間の3分の2が慰安婦に使われる異常事態に。 「余韻」 は 「大騒音」 となって日韓関係を阻害している。

 今回の竹島上陸でも、民主党政権は懲りずに 「余韻」 を残そうとしている。 玄葉氏は武藤正敏駐韓大使により強い抗議を意味する 「召還」 ではなく、 「一時帰国」 を命じた。 22年11月にメドベージェフ大統領が北方領土を訪ねた際の河野雅治駐露大使( 当時 )が 「一時帰国」 だった前例を踏襲しようというのだ。

 だが、そのメドベージェフ氏は今年7月、今度はロシア首相として再び国後島の地を踏んだではないか。 民主党政権には外交上の学習能力、当事者能力が見当たらない。




( 2013.07.19 )

  

 捏造された歴史の流布に熱心な韓国がもっとも血道をあげるのが領土の歴史だ。 竹島の領有権を主張する韓国は、 「嘘も100回言えば本当になる」 を地でいっている。 その嘘とプロパガンダをジャーナリストの水間政憲氏が暴く。



 6月14日配信のソウル聯合ニュースによると、韓国教育部が日本政府に対し、竹島(韓 国名・独島 )や慰安婦などについて 「歴史歪曲」 して記述した日本の教科書の是正を求める文書を送るという。

 同部は今後、日韓の市民団体と連携して、 「歴史歪曲」 の問題認識を広めていくらしい。 「日本の市民団体や歴史教師らにこうした教科書の問題点を知らせる内容のメールを送り、8月に国際学術会議を開催する予定だ」 ( ソウル聯合ニュース )

 2008年7月、文部科学省が 「竹島は日本固有の領土」 と中学校教員用の解説書に明記しようとしたことで、韓国政府が駐日韓国大使を召還し大騒ぎしたこともあった。 韓国が実効支配しているにもかかわらず、竹島の領有権をめぐって激しく吠えるのは、韓国領である根拠がまったくないことを彼ら自身わかっている からだ。

 韓国が主張する竹島領有の根拠は、金大中元大統領が 「1905年に日本が竹島の領有を閣議決定」 したことに対して、 「当時の韓国政府が何も問題提起をしなかったことを根拠に領有権を主張するのは、認めることができません。 日露戦争当時のわが国は事実上、日本の支配下にあって反論できなかった」 と、2005年5月23日に開催された東京大学主催のシンポジウムで述べたレトリックに集約される。

 これは、第一次日韓協約( 1904年 )、第二次日韓協約( 1905年 )によって保護国になり外交権を失っていたことを指摘した発言だが、その論拠は破綻している。

 まだ外交権があった光武3年( 1899年 )に韓国で使用されていた教科書 『大韓地誌』 には、 「わが大韓民国の位置はアジアの東部に在り、支那の東北部から日本海と黄海・渤海の間に突出した半島国で、北緯33度15分より42度25分に至り、東経124度30分より東経130度35分に至り ……」 と竹島の位置( 東経131度52分 )が韓国領外であることを明確に記述している。 そのため、韓国政府はまず自国民に対して捏造された歴史を広めて “洗脳” してきた。

 韓国が竹島の領有権教育を徹底的に行なうようになったのは1990年代からだ。 それまで竹島の実効支配を強化するため灯台を設置し、船着き場やヘリポートの建設を進めていたが、同時進行で教科書も “強化” した。

 韓国政府は、教科書に竹島が歴史的に韓国固有の領土であると記述することはもちろんのこと、1996年には 「独島は我が領土」 ( 1982年に作曲された歌 )を小学校の教科書に掲載した。 効果があったのか、韓国のアイドルグループ少女時代がリハーサルの際にこの歌を歌っていたことは日本でも物議を醸した。

 さらに2004年1月には国内外への啓蒙を目的に224万枚もの 「独島切手」 を発行。 2010年には狭い独島の埠頭で高校バスケットボール大会を開催。 愛国ファッションショーも企画した( 悪天候のため鬱陵島での開催に変更 )。 今年6月には民間団体・独島守護国民行動本部が 「世界独島観光の日」 を制定すべく署名活動を行なうことを明らかにした。

 このように韓国は政府、マスコミ、民間が三位一体となって自国民への刷り込みを行なっている。





( 2016.05.22 )

  姿



竹島の撮影に挑んだ様子を伝えた昭和29年1月1日の産経新聞記事。
「波荒き李ラインを飛ぶ」の見出しが躍る

産経新聞社が昭和28年12月に撮影した竹島の別カット。
現在ある韓国の工作物は見当たらない
 韓国が不法占拠を続ける竹島( 島根県隠岐の島町 )をめぐり、同町が島内に建設を進めてきた調査研究施設が、近くオープンする。 その施設に、ある写真が重要な資料として展示されることになった。 それは、産経新聞社が昭和28年12月に竹島を上空から撮影し、翌29年元日付朝刊にスクープとして記事とともに掲載したものだ。

 現在、竹島には韓国が多くの施設を建設しているが、この写真にはそうした構造物が全く写っていない。 つまり、韓国による 「国家主権侵害」 が本格化する以前、かつて隠岐の漁民が目にした竹島の 「原風景」 が写っており、 「戦後、守備隊が日本の侵略から島を守った」 とする韓国のウソを暴く資料としても注目されそうだ


 

 写真が撮影された28年当時はどんな時期だったのか。 日本が第2次大戦に敗れたあと占領下でサンフランシスコ平和条約に調印したのが26年9月。 翌27年1月、韓国が日本海の公海上に 「李承晩ライン」 を一方的に引き、竹島を自国内に取り込んだ。

 日本は同年4月に主権を回復し、平和条約の発効で竹島が自国領と確定したが、韓国は竹島に近づく日本の巡視船を銃撃した。 そんな頃だった。

 写真は29年1月1日の産経新聞紙面( 10面 )を飾った。 「波高き李ラインを飛ぶ」 との主見出し。 記事は 「巡視船への銃撃、漁船の拿捕だほ、船員の抑留 …… 暗い話題を生んだ李ライン水域には、水産日本の深刻な課題が横たわっている、外交交渉による解決への期待をかけられた日韓会談もその後再開をみぬまま、 “暗い現実” を今年に持越しておわった」 という書き出しで始まる。




 記者の機上リポートである記事はこう続く。
「いままざまざと日本の非力を感じ機上で歯ぎしりをした、そのとき “竹島が見える” と操縦席から声が飛んだ」
「『あった』 ひと握りほどの海岸の砂浜は巡視艇 “へくら” が去る10月4度目に立てた 『島根県穏地郡五箇村竹島』 の標柱が、日本領土の標柱だ、3度韓国側に引抜かれたが4度目の標柱はいま岩影に厳然と立っている、しかしこれもいつ引抜かれるかわからない」
 さらに、その後発行された 「週刊サンケイ」 30年7月3日号では、 「空翔けるニュース合戦・近代報道戦の舞台裏」 とのタイトルで、記者の座談会を掲載。 その中で、竹島取材を 「他社を引き離したスクープだつた」 とした上で、 「竹島飛行は一応航空機を持つた新聞社は狙っていたんだ、しかしアメリカ軍が許可しないだろうと推測したのと、また許可されてもバリバリッと撃たれやしないかとためらつていたんだ。 韓国軍にね ……」 と振り返っていた。




 この写真と報道について、竹島に関する調査研究や資料収集などを手がける隠岐の島町竹島対策室の忌部正英主幹は 「まだ韓国の施設が建設されていない頃の、竹島の航空写真は隠岐に残っていない。 かつて竹島周辺で漁業に携わっていた久見地区の人たちが、当時見ていたであろう島の風景だ」 と評価する。

 同町は、竹島問題をテーマにした調査研究施設を久見地区に建設。 条例上の名称は 「竹島資料収集施設」 だが、愛称は 「久見竹島歴史館」 といい、近くオープンする。

 施設は木造平屋建て165平方メートル。 調査研修室や一時保管室、ロビーなどを備える。 忌部さんは 「この写真を主要な資料として展示したい」 と話し、A2サイズのパネルに仕立ててロビーに掲げる考えだ。

 韓国の偽の神話を暴く証拠に

 「この写真は、 『独島義勇守備隊が日本の侵略から独島( 竹島 )を守った』 とする韓国の “神話” を覆す証拠の一つになる」。 島根県竹島問題研究顧問の藤井賢二氏はこう指摘する。

 独島義勇守備隊は、傷痍しょうい軍人ら33人の民間人で構成され、1953( 昭和28 )年4月に上陸して常駐。 56年12月に警察に引き継いで解散するまで、日本の巡視船の接近を阻止するなど独島守護のため活動した ──。 韓国では広く伝わる、このような “神話” がある。

 だが、 「この写真を見る限り、島は無人で、だれかが常駐しているという形跡もない。 昭和52年に日本のマスコミの飛行機が竹島上空を飛んで取材した際は韓国政府は抗議したが、この写真の時は抗議などなかった」 と藤井氏。

 韓国には、日本からの独立戦争に勝って建国したわけではないというもどかしさ、悔しさがある。 その埋め合わせとなるものの一つが、 「独島義勇守備隊が日本の侵略を打ち破って独島を守った」 という “神話”。 しかし、 「それが偽りであることを、この写真が示している」 と指摘する。




 実際、昭和28年段階では日本側も、島根県と海上保安庁が共同で竹島に上陸し、不法入国していた韓国人を事情聴取したり、産経新聞記事が触れていたように 「島根県穏地郡五箇村竹島」 の標柱を立てたりしており、韓国側の支配は確固としたものではなかったようだ。

 また同年6月には、時化で母船が来ず食料がなくなり困っていた韓国人の不法入国者らに対して、隠岐高校の水産練習船の乗員が米を与えていた記録もある。

 それにもかかわらず、韓国国会は政府に対し、独島に日本官憲が不法侵入した事実について日本に厳重抗議するよう求める建議文を採択。 同年7月には、韓国官憲が日本の巡視船に竹島から発砲した。

 一方の日本は、竹島に不法入国した韓国人に対し、退去勧告にとどめるなど実力での排除を避ける姿勢を続けた。

 藤井氏は 「当時、やりようによっては、日本が竹島の実効支配を維持できていたかもしれない。 竹島問題は、米国の庇護のもとで対外摩擦を避けてきた戦後日本の象徴だ」 と問題提起する。 サンフランシスコ平和条約が発効した昭和27年、日本は本当に独立したのか ── と。 この写真は、そんな疑問をも投げかけている。