盗作著作権侵害 / 日本の特許多数侵害


( 2002.08.07 洪贊植ホン・チャンシク論説委員 )


 韓国人がうそが上手だという記録は、旧大韓帝国末期に朝鮮を訪れた外国人宣教師の見聞録に度々登場する。1920年代に、小説家李光洙イ・グァンスが民族改造論を掲げ、朝鮮人の短所をいくつか挙げた。 そのうちの一つがうそだった。 今日も 「うそ共和国」 という言葉を耳にするほどうそがまん延している ことを、否定することはできないが、その背景を韓国の民族性のせいにする見解には賛成できない。

「 うそが上手な民族 」 という表現は、西洋人宣教師が韓国人を見下して、自分達が教化すべき対象であることを強調する 「 オリエンタリズム 」 的発想から生まれた側面が大きい。 昔の農村の素朴で寛大な人情、大義名分と道徳性のために命まで投げ出した昔のソンビ( 学者 )たちの気概を覚えている人々は、このような主張に同意しないだろう。 李光洙の民族改造論も、結果的に日本の植民地支配を正当化する一助となった。
人間が完璧な存在でない以上、古今東西を問わず、何人もうそから自由にはなれない。 道徳的に優っていると威張る米国も然りである。 最近の米国発経済不安の発端となった米国企業の会計不正も、うその心理によるものであり、クリントン前大統領ニクソン元大統領が、ルウィンスキースキャンダルやウォーターゲートから免れるためにうそも辞さなかったことは記憶に新しい。 もちろん国家や地域によって程度の差はあるが、うその出発点は、基本的に人間の心に内在するどん欲と利己心である。
韓国の法廷でうその証言をする偽証が大いに増えたという。 法廷は 「うそ競演場」 とも呼ばれる。 罪を論じる場で、窮地に追い込まれた被告がうそという 「 悪魔の誘惑 」 に簡単に傾くことは、理解できないわけではない。 さらなる 「 うそ競演場 」 になり下がった聴聞会とともに、恥さらしの自画像である。 問題は、どうすれば韓国民族に対する自虐に陥らず、正直の力が湧き出んばかりに溢れる社会を作ることができるかということだ。 世界的に清く正しい国家の共通点は、節約と清貧が価値観として根づき、家族や親戚など血縁に縛られないことだ。 カネと権力が社会構成員の至上の課題となる限り、貧しくとも堂々たる人生はお笑い草になるしかなく、うそは決して減りはしない。 「 うそを勧める社会 」 から脱する方法は、意外に近いところにある。