English
英语
영어

合邦は 「七奪」 どころか 七大貢献 だ!

「歴史」 を 「政治」 にした

 戦後、韓国が繰り返して説いてきた 「日帝36年の七奪」 だけでなく、 「強制連行」 や 「従軍慰安婦」 も史実ではない。
 日本政府や閣僚談話で繰り返してきた 「過去の植民地支配が韓国民に多大な損害と苦痛をあたえた」 も、菅総理が言った 「韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷つけられた」 も史実に反している。
 100年前の日韓合邦はあの時代の趨勢だった。 複数の民族や国家がより強く、より大きく合邦をめざすのは、日本と韓国にかぎらず、時代の要求であり、列強時代の生き方でもあり、近代国民国家のありかただった。
 オーストリー・ハンガリー帝国だけでなく、チェコスロバキアもユーゴスラビアも、近代国民国家の元祖といわれるフランス帝国、フランス共和国も、フランスをコアにコルシカ、バスク、ブルターニュからなる合邦国家で、大英帝国もイングラン ド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドからなる連合王国を母体とする合邦国家だ。
 当時、全ヨーロッパだけでなく、中南米の国々までも合邦国家という国の 「 かたち 」 が時代の主流だった。 日韓合邦をめぐり、日韓双方ともに、賛否両論があったが、当時の列強はほとんどが賛同している。 国益から見て反対すべきロシアと清国まで賛同した。 それが時代の流れであり、時代精神ともいえる。
 歴史の真実を知り、それを語り、教訓を学ぶのには、少なくともその時代その時代の精神や価値・思想の流れだけでなく、もっと以前の歴史をも知らなければならない。 歴史とはあらゆる事件、事象のつみかさねで、金太郎飴ではないからだ。
 日本政府や閣僚談話で、日本は繰り返し 「 過去の植民地支配が韓国民に多大な損害と苦痛をあたえた 」 と謝罪してきた。 これは 「 日帝36年の七奪 」 という韓国側の主張に依拠するものだ。
 戦後大中華( 中国 )最大のヒット作 「 南京大虐殺 」 の政治的効果を知ってから、小中華( 韓国 )も 「 強制連行 」 と 「 従軍慰安婦 」 を創作した。
 敢えてそれを、 「 創作 」 と断言したのは、史実としての根拠がきわめてうすいからだ。 だからこそ針小棒大に 「 歴史 」 を 「 政治 」 にしたのである。
 そもそも 「 強制連行 」 も 「 従軍慰安婦 」 も北方中国と朝鮮半島古代からの伝統的風習だった。 半島は統一新羅朝以来、唐軍から、モンゴル軍から、満蒙八旗軍からも侵略され、多くの生民が半島から連行され続けた( ことに丁卯、丙子胡乱では、人目の半数も北方へ強制連行された )。 清末にさえ最高実力者の大院君が、天津に強制連行された。 戦後の朝鮮戦争に際し、韓国から朝鮮に連行された離散家族、日本人の拉致などの史実、そして今現在でも拉致事件は中国大陸と半島の間で盛んに発生している。
 それに反し、朝鮮総督府時代、半島から日本への入国には厳しい制限があった。 数百万人単位の 「 強制連行 」 などあり得ない。
  「 従軍慰安婦 」 についても、中国では 「 国家事業 」 としてやっていたという記述が残っている。 韓国にも 「 軍妓 」 や 「 営妓 」 「 辺妓 」 として存在していた。 高麗朝では一人につき化粧代として絹十二匹で宗主国へ売却している。 「 結婚都監 」 、 「 寡婦処女推考別監 」 などの軍妓、営妓選別の役所まで設けていた。 古代から半島は宦官かんがんだけでなく、宗主国に 「 宮女 」 を貢品として進貢をしてきた。
 戦後韓国の国家管理売春は、むしろ日本の進歩的文化人や婦女団体によって 「 売春立国 」 と非難され続けた。
 国家事業の歴史・文化伝統を知らずには 「 政治 」 としての 「 従軍慰安婦問題 」 は語れない。


「七奪」 の嘘

 いわゆる 「 日帝36年の七奪 」 は韓国の戦後世代が過去の日本について常に批判する言葉だ。
  「 七奪 」 は、1・国王、2・主権、3・生命、4・土地、5・資源、6・国語、7・姓名、以上の七つが日本に奪われたという主張である。
 だが、それは決して史実ではない。 これはただ白いものを黒と言い張る、韓国人の 「 独創 」 と 「 独断 」 の代表的言説だと言っていい。 くわしい史実については、『 韓国は日本人がつくった 』 ( ワック刊 )を読んでいただきたいが、以下その要点のみをとりあげたい。
一、大日本帝国は日韓合邦を核とする近代国民国家である。 それを 「 対等な合邦ではない 」 、あるいは 「 韓国併合 」 だと反論する人も多かろう。 英仏をはじめ、いかなる合邦国家であろうと、二人の君主の並立は現実的にはありえない。 李朝末期、すでに韓国は財政破綻、国家破産に直面。 清の朝鮮省編入の危機から救い出し、歴代易姓革命にさけられない滅族の危機を救い、清の属国から解放、王族と重臣まで華族にし、地位向上したのが、日韓合邦の結果だ。
ニ、19世紀までには、日本、清国、ペルシアでさえ 「 半主の国 」 。 台湾は住民がいても 「 無主の国 」 と見倣された。 朝鮮は日清戦争後の下関条約にいたるまで、清の属国として 「 主権 」 はなかった。 日本は開国維新後、血と汗と涙で 「 自主の国 」 まで確立、韓国も日韓合邦によってともに主権が向上したのだ。
三、日韓合邦後、殖産興業による生産、生活の向上、医療衛生の普及により、米産が倍増、人口右倍増した。 当時日本のモデル国の一つであった大英帝国、アイルランドの人口は、イングランドと合邦した後、三分の一にまで激減した。 韓国人の生命を奪ったどころか、平均寿命は延び、人口も激増した。
四、土地というものは、生産価値や交換価値しかない。 奪ったり、奪われたりという考えは両班時代の土地観で、法治国家日本の考えではない。 合邦時代に日本は有史以来はじめての半島国土調査と国土開発計画を行った。 米産だけを見ても逆ざや制で、たとえば、1943年の政府買い入れ価格は64円50銭、市場価格は42円。 だから米産は倍増した。 土地を奪ったのではなく、豊かにしたのだ。
五、日韓合邦時代以前に、半島はすでに禿山と化し、地下資源も枯渇に瀕していた。 朝鮮総督府は、植林をはじめとする治山治水と殖産興業に力を入れ、産業化をすすめる一方、赤字だらけの地下資源の開発には、巨額の補充金、奨励金を投入した。
六、韓国の国字ハングルの創出はやっと15世紀になってからのことで、アジアの中ではもっとも遅い。 しかも中国からの謀反むほんの誤解を恐れ、実質的には一部の婦女子を除き使用しなかった。 日韓合邦後、やっと漢字・ハングル混じりの文章体系を確立。 日本語の普及率は20パーセントに止まり、国語を奪ったことなどない。
七、半島の創始改名そうしかいめいの歴史は、統一新羅朝の唐、高麗朝のモンゴル、そして日本時代と三回あった、合邦以降、四民平等、万民平等の原則にもとづいて、女子や半数前後の奴婢にも姓氏をあたえた。 創氏改名も台湾 の許可制とはちがって、自己意思による自動申告制だったので、姓名を奪ったどころか、近代国民国家の国民として姓氏をあたえたことを格別に評価すべきだ。

 いわゆる 「七奪」 とは、いかにも韓国人らしいパラドクスである。

朝鮮総督府の七大貢献

 日韓合邦時代に、朝鮮総督府はいったい半島で何をしたのか。 「 日帝36年の七奪 」 のみで語るのは決して公平ではない。
 差別、搾取、弾圧、抑圧、迫害、虐殺だけの歴史はありえない。 そういう人類史はない。 本来なら、 「 七恩 」 や 「 七布施 」 で語るべき 「 日帝36年 」 の 「 七奪 」 は 「 政治 」 であって、 「 歴史 」 ではないのだ。
 朝鮮総督府の36年、統監府時代も入れて40年は、 「 半島半万年史 」 の中で、もっとも安定にして、変化に富む時代でもあったと考える。 「 変革 」 という視野からも、もっともダイナミックな時代だ。
 半島にとってマイナスよりもプラスの面が多かった。 だから大日本帝国の遺産をもっと再点検すべきだ。 もちろんハード( インフラ等 )の面だけでなくソフト( 文化、精神 )の方も、だ。
  「 七奪 」 に代わる七大貢献は以下の七つである。
一、朝鮮を中華の千年属国から解放した。
ニ、植物依存文明から産業社会化による朝鮮半島の国土改造と生態学的更生を実行した。
三、優生学的医療、衛生、環境改善および教育の普及による民力と近代民族の育成を図った。
四、日本とともに世界への雄飛、民族生活空間の地球規模への拡大をした。
五、伝統的階級制度から奴婢を解放した。
六、朝鮮伝統文化の保護保存と再生。
七、朝鮮半島の民力を超えた近代化社会の建設。
 近現代史の流れを見ると、李朝朝鮮内部は三政紊乱びんらん( 田政・地税、軍政・良役、還穀・国営の高利貸制度という農民収奪制度の乱れ )だけでなく、清国の属国支配も強化されつつあった。
 たとえば、袁世凱えんせいがいの朝鮮統治を見ると、両班に暴力を振るい、両班の子女を妓生同然にあつかっていた。 「 国母 」 閔妃みんぴの妹を妾にし、兵士は乱暴狼籍をきわめた。
 当時、戊戌ぼじゅつ維新の主役の一人、中国近代の傑物・梁啓超は 『 朝鮮滅亡の原因 』 で朝鮮必亡を論じていたほどだ。
 もし、日清戦争や日露戦争に日本が負けたら、朝鮮の清国朝鮮省や口シア沿海州への編入はさけられなかったのが時代の趨勢だった。 朝鮮は日韓合邦によって救われ、再起再生を果たし得たのだ。
 
 ではなぜ、朝鮮総督府が半島の再生と転生をわずか 「 36年 」 だけで完遂できたのだろうか。
 もっとも根本的な理由は、日本が半島の歴史の中でもっとも安定的な社会をつくったからだった。 社会が安定しないかぎり、近代経済運営が不可能なのは常識である。
  「 朋党の争い 」 は李朝時代の名物だけでなく、有史以来、半島の因習だった。 伝統文化ともいえる。 終戦後にすぐ朝鮮戦争、南北分断、李承晩大統領以来、必ず前政権が粛清されることにもその一端がうかがえる。


植民地支配への誤解

 日本が繰り返し韓国に 「反省と謝罪」 をしてきた理由は、 「植民地支配」 について知識がないからだ。 「歴史」 や 「時代」 への不理解というよりも曲解だ。
 開国維新後の日本が、当時はなおも一大勢力として健在していたロシア帝国やトルコ帝国、清帝国よりも、英仏をモデルに琉球、台湾、朝鮮を糾合して大日本帝国という国の 「 かたち 」 を選んだのは賢明な選択だった。
 あの時代には、日本司法省の外人顧問、英人のモンテーダ・カークウッド、仏人のミッシェル・ルポン、伊藤博文を局長とする台湾事務局員、原敬との問で 「 台湾は植民地か 」 をめぐる論争があったが、韓国については何もなかった。
 樽井藤吉の 『大東合邦論』 以後から日韓合邦後に、泉哲の 『日韓連邦論』、副島道正の 『朝鮮自治論』 まであったが、 「朝鮮が日本の植民地」 だという法的地位の規定は、一切存在していない。
 一国の総理ともあろうものが、なんの根拠で、ただマルクス主義学者が吐き捨てたチューインガムを拾っては口に入れ、 「植民地」 云々するのか。 不見識も極まれりである。
 植民地主義思想は19世紀に至るまで、人類最大の夢であり、理想だった。 それは宗教上の伝道、文明、人道、人権の伝播、経済発展の促進、宗主国には 「 文明、信仰、先進、進歩、理性、勇気、禁欲 」 など正の価値だった。
 後進国の文明開化は、先進国の崇高なる使命、義務というのが時代の精神だったので、英人は 「 白人の責任 」 、仏人は 「 文明人的使命感 」 と考えていた。 日本の進歩的文化人の代表、矢内原忠雄でさえ、 「 天然資源の地域的拡張、国際分野の発展、人類経済を豊かにし、進歩させる 」 ともちあげていたのだった。
 コミンテルンが植民地主義思想を徹底的に批判してから、社会主義思想が代わって、20世紀の主流思想となり、世界革命の思想となった。
 たしかに植民地主義思想も社会主義思想も、ともにユートピア思想であり、コスモポリタン的思想であり、前者は先進的民族、後者は先進的プロレタリア階級をもって、人類解放をめざす解放思想だった。
 だが、もっと弁別しなければならないのは、植民地主義と社会主義の遺産は天と地ほどの差があったことである。


歴史の真実と政治現実

 戦後流行りの史観、ことに日本の 「 過去 」 については差別と被差別、搾取と被搾取、弾圧、迫害、虐殺 …… など二元論的なものが多い。
 韓国の 「 日帝36年の七奪 」 をはじめとする 「 史説 」 も 「 問題 」 も、日本政府の 「 反省と謝罪 」 をめぐる談話・発言、国会、閣僚決議も主にこの二元論的史説、史論、史観に立脚するもので、いわゆる 「 コミンテルン史観 」 や 「 東京裁判史観 」 がその淵源えんげんである。
 そして80年代以後、日本人の史説、史観を左右するのは大中華と小中華からくる 「 中華史観 」 だ。
  「 岡目八目おかめはちもく 」 ともいわれるが、歴史観から言えば、 「 日本がもっとも悪かったことは戦争に負けた 」 ことだ。
 戦後日本が 「反省と謝罪」 を繰り返してきたのは、歴史と政治を弁別できなくなったことからくるものがほとんどである。
 それは国を思う政治家がますます少なくなったことからくるもので、日本劣化の元凶ともいえる。 「侵略」 と 「搾取」 も、もちろん 「七奪」 も 「政治」 であって、 「歴史」 ではない。 「反省と謝罪」 も歴史ではない。
 「正しい歴史認識」 の眼は 「反省と謝罪」 からではなく、 「歴史の省察」 からこそ得られるもだ。 「政治」 から 「歴史」 を奪還するのはこれからの日本人にとっては、大きな難題である。 しかし、やらなければならない一大課題だ。