大日本史番外編 「 朝鮮の巻 」
秀吉軍が寺院を破壊した?


韓国を旅すると旅行ガイドに『 わが国に古い寺院が少ないのは秀吉軍に破壊されたためです 』と説明されるらしい。日本人観光客は贖罪意識を感じて居たたまれなくなるようだ。しかしこれほど明白な歴史歪曲があるだろうか。李氏朝鮮は仏教を大弾圧し、1万以上あったといわれる寺院は、秀吉軍が朝鮮に入った時にはわずか36ヵ寺にまで減らされていたのだ。
「 醜い韓国人 」 朴泰赫 1993 光文社
韓国では、骨董屋を覗くと首のない仏像が売られていることが多い。李朝の斥仏政策のもとで、仏像の首が切り落とされたからである。それに今日でも韓国では、平地に仏教の寺がない。寺をたずねようとしたら、山を奥深く分け入ってゆかねばならない。

李朝では代を重ねるごとに、儒教による仏教に対する締めつけが、いっそう強められるようになった。儒教という怪物が時とともに大きく成長してゆき、儒教唯一絶対主義といわれる体制が固まっていった。仏教は目の敵とされた。李朝三代目の国王となった太宗( 在位1400年〜18年 )の治世になると、仏教にさらに苛酷な弾圧が加えられた。高麗朝が倒れたときには、全国に1万以上も寺があったというのに、寺の数を242にまで減らし、寺が所有していた土地や、奴婢( ノビ )と呼ばれた奴隷を没収した。

その後も、仏教へのパンチが次々と繰り出された。仏教はよろめき続け、ついにマットに沈んだ。四代目の国王の世宗( 在位1418年〜50年 )は、全宗派を禅教2宗に統合して、それぞれわずか18寺院だけを残して、他の寺を廃した。世宗はハングルを創製した名君であったのに、仏教には好意をいだいていなかった。

儒教は、個人が自らを磨くことによって完成することを目指したので、宗教を軽蔑した。仏教の輪廻の教えは、根拠がなく、天国や地獄は、人々の利己心や恐怖心から生まれた空想の産物であるとみなした。九代目の成宗( 在位1469年〜94年 )は、出家することを全面的に禁じた。

李朝時代は、そのまま仏教を苛めた歴史であるといってよい。十一代目の中宗( 在位1506年〜44年 )は、全国にわたって仏像を没収して、溶かしたうえで武器に鋳造した。また僧侶を土木工事に使うようになった。僧侶は使役されるとき以外は、漢城( ソウル )に出入りを禁じられるようになった。仏教は、山のなかに逃げ込んで細々と命脈を保った。僧侶は、奴婢と同じ賤民の範疇に組み入れられた。

豊臣秀吉の朝鮮出兵( 文禄・慶長の役 )は1592年だからそれ以前に寺院は破壊されていたのだ。
「 朝鮮の歴史と文化 」 姜在彦 1993 明石書店
高麗末期に朱子学が伝わって以来、彼ら朱子学者たちの廃仏論は、ついに武人李成桂を推戴して王朝交代という易姓革命を成し遂げるにいたりました。と同時にこの王朝交代は、仏教から儒教への建国理念の交代を意味します。

乱世に生きた李成桂は、本来無学( ムハク )大師を精神的な支えにしていたほどで、廃仏的ではなかったのです。ところが第三代国王太宗( 在位1400〜18 )にいたって、仏教に大弾圧を加えて全国の寺院のうち242寺だけを残して廃寺にしたばかりでなく、その土地と奴婢を没収しました。さらに第四代の世宗( 1418〜50 )は、全国の宗団を禅宗と教宗の2宗に併合し、寺院も両宗それぞれ18ヵ寺に減らし、他は廃寺にしてしまいました。祟儒廃仏策は、この太宗と世宗のとき、ほぼ定着したといえます。ソウル城内から放逐された仏教は婦人層に支えられて、深山幽谷でようやく余命をつなぐほかなかったのです。

「 いい加減にしろ韓国 」 豊田有恒 平成6年 詳伝社
高麗朝では仏教が国教化され、弊害ばかりが目立つようになった。そのため、次の李氏朝鮮王朝では、儒教が国教になった。都会にあった寺は、すべて破壊された。今日、韓国旅行をする観光客は、いかにも仙人でも住んでいそうな山奥の寺に、風情を見いだしたりするが、それは、かろうじて、お目こぼしにあずかったから残っているだけなのだ。今でこそ、道路が整備され、観光バスがやってくるが、昔は一山こえないと行けない場所だったのだ。逆に、韓国人が、日本へ来ると、都会の真ん中に、神社仏閣がのさばっているのを見て、びっくりするという。
( 中略 )
韓国で、有名な暴君の燕山君( 在位1494〜1506 )は、名刹円覚寺を破壊して、その跡地に妓生( キーセン )の養成所を建てた。この場所が、今のパゴダ公園なのだが、韓国人は、このエピソードについては、あまり語りたがらない。パゴダ公園は、日本に対する3.1運動の発生地として有名だから、そっちの由来を紹介しておいたほうが、ジャパン・バッシングの役に立つわけだろう。