大日本史番外編 「 朝鮮の巻 」
従軍慰安婦


そもそも、慰安婦問題の発端から今日に至るまで、その主役は一貫して朝日新聞であった。
慰安婦問題のすべての出発点は、被害者の訴えでもなければ韓国政府の要求でもなく、 吉田清治という詐話師の書いた『 私の戦争犯罪―朝鮮人強制行 』( 1983年、三一書房刊 ) という偽書である。
昭和18年に韓国の済州島で慰安婦の奴隷狩りをしたという著者の 「 証言 」を、朝日は何の検証もせず論説委員が手放しでほめそやした。
それがまったくの つくり話であったことが暴露されてからも朝日は、この大誤報についてただの一行の訂正記事も 読者への謝罪も行っていない。

女性まで挺身隊という名で強引に連行され、日本軍の慰安婦として犠牲になった。( 韓国高校歴史教科書1996年版より )

「 従軍慰安婦 」問題( 上 )〜日韓友好に打ち込まれた楔〜 H11.09.25
Japan On the Globe(106) 国際派日本人養成講座
■1.米軍がレポートする慰安婦の実態■

米軍情報部は、北ビルマのミチナ慰安所で収容された慰安婦からの聞き取りをもとに、以下のような報告書を残している。

女性たちはブローカー( および経営主 )が、300〜1000円の前借金を親に払って、その債務を慰安所での収入で返還している。経営者との収入配分比率は40〜60%、女性たちの稼ぎは月に1000〜2000円、兵士の月給は15日〜25円。[1,p270]

 慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋に宿泊して、・・・・寝起きし、業を営んだ・・・・彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。

 慰安婦は接客を断る権利を認められていた・・・・負債の弁済を終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された[1,p275]

 また、ビルマのラングーンで慰安婦をしていた文玉珠さんの手記では、その生活ぶりを次のように語っており、米軍のレポートを裏付けている。

 支那マーケットにいって買物した。ワ二皮のハンドバッグと靴をわたしのために買った。母のためにもなにか買った。

 将校さんたちに連れられてジープに乗って、ぺグーの涅槃像をみに行った・・・・ヤマダイチロウ( 日本兵の恋人 )と大邱の母の無事を祈って帰ってきた。[1,p276]

 ちなみに文玉珠さんは、平成4年に日本の郵便局を訪れ、2万6145円の貯金返還の訴訟を起こして敗れている。千円もあれば故郷の大邱に小さな家が一軒買えると体験記で述べているが、現在の貨幣価値なら、4〜5千万円程度の金額を、3年足らずで貯めたことになる。[2,p301]

 「 従軍慰安婦 」というと、海外では“military sexual slavery(軍用性奴隷)”などと呼ばれるように、日本軍によって郷里から強制連行され、戦地では何の自由もなく、もちろん無給で、ひたすら兵士にもてあそばれた、というイメージが定着している。しかし、この米軍の報告書では、まったく違う実態が報告されている。一体、どちらが真実に近いのか?

■2.慰安婦問題の経緯■

 まず慰安婦問題の経緯を時系列的に見渡しておこう。
(1)昭和58(1983)年、吉田清治が、著書「 私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録 」の中で、昭和18年に軍の命令で「 挺身隊 」として、韓国斉州島で女性を「 強制連行 」して慰安婦にしたという「 体験 」を発表。朝日新聞は、これを平成3('91)年から翌年にかけ、4回にわたり、報道。
(2)同3年8月11日、朝日新聞は、「 女子挺身隊 」の名で戦場に連行され、売春行為を強いられた「 朝鮮人従軍慰安婦 」の一人が名乗り出た、と報道。
(3)同4年1月11日、朝日新聞は、一面トップで「 慰安所、軍関与示す資料 」、「 部隊に設置指示 募集含め統制・監督 」と報道。この直後の16日から訪韓した宮沢首相は首脳会談で8回も謝罪を繰り返し、「 真相究明 」を約束。
(4)同5年8月4日、河野官房長官談話、政府調査の結果、「 甘言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこともあった 」と発表。

 この河野談話によって日本政府は、慰安婦が軍によって強制徴集されたことを公式に認めてしまったことになる。これを契機として、中学高校のほとんどの歴史教科書に、「 従軍慰安婦 」が記述されることになっていった。

 今日では、各方面の調査が進み、以上の報道、発表がどれだけの事実に基づいていたのかが明らかになってきた。以下、この4点を検証する。

■3.吉田清治の慰安婦狩り■

 まず1 )、吉田清治の「 私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録 」では、韓国斉州島での、慰安婦強制連行を次のように、描写している。

 若くて大柄な娘に、山田が「 前へ出ろ 」とどなった。娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・女工たちはいっせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打ちすえていた。・・・・女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人であった。

 当時は、戦地での強姦事件を防ぐために、公娼業者に戦地で開業させていた。戦地であるから、業者の指名、戦地への移動、営業状態の監督などは、軍の関与が当然あった。これらは当時、合法であった公娼制度の戦地への延長で、特に問題はない。

 「 従軍慰安婦 」問題とは、本人の意思に反した「 強制連行を、軍が組織的に行ったか、どうか 」の問題なのである。したがって、吉田の言うような強制連行が事実であったら、これは日本の国家的犯罪となる。

■4.日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物■

 吉田の記述は済州島の城山浦にある貝ボタン工場という設定だが、この記事に疑問をもった済州新聞の許栄善記者が現地で調査し、以下のような記事を書いている。

 島民たちは「 でたらめだ 」と一蹴し、この著述の信想性に対して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オクタン( 八五歳の女性 )は「 250余の家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった 」と語った。

 郷土史家の金奉玉は「 1983年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる 」と憤慨している。

 現地調査を行った秦郁彦日大教授は、許栄善女史から、「 何が目的でこんな作り話を書くのでしょうか 」と聞かれ、答えに窮したという。[1,p232]

 この吉田清治を、朝日新聞は、宮沢首相の訪韓前後1年の間に、4回も紙面に登場させたのだが、秦教授の調査の後は、ぷっつりと起用をやめた。今日では、慰安婦問題の中心的糾弾者である吉見義明中央大教授すら、吉田清治の著作は採用しなくなっている。

■5.名乗り出た慰安婦■

 次に2 )の自ら名乗り出た慰安婦について。平成3年8月11日付け朝日新聞は、社会面トップで「 思い出すと今も涙 」「 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く 」とのタイトルで、「 日中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊の戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人が 」名乗り出たと報じた。

 しかし、この女性、金学順さんは、「 女子挺身隊 」として連行などされていない事を、8月14日の記者会見で自ら語っている。ある韓国紙はそれを次のように報じた。[2,p291]

 生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番( 日本でいう置屋 )に売られていった。三年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった 」「 ハンギョレ新聞 」'91年8月15日付

 当時、内地でもよくあった気の毒な「 身売り 」の話なのである。国家による組織的な強制連行とは関係ない。

 そもそも「 女子挺身隊 」とは、昭和18年9月に閣議決定されたもので、金学順さんが17歳であった昭和14年には存在していない制度である。さらに「 女子挺身隊 」とは、販売店員、改札係、車掌、理髪師など、17職種の男子就業を禁止し、25歳未満の女子を動員したものであり、慰安婦とは何の関係もない。

 さらに「 従軍慰安婦 」という言葉自体が、当時は存在しなかった。従軍看護婦は、軍属( 軍隊の一部 )であり、従軍記者、従軍僧は、法令により定められた身分で指定された部隊につく。慰安婦は公娼業者が雇ったもので、それはたとえば、県庁の食堂に給食業者を入れていた場合、その業者の被雇用者は、県の職員ではなく、身分も契約も県とは関係ないのと同じ事だ。「 従軍慰安婦 」とは、従軍看護婦などとの連想で、あたかも部隊の一部であると読者に思い込ませるための造語である。

 金学順さんは、その後、日本国を相手とした訴訟の原告の一人となるが、それを支援しているのが太平洋戦争犠牲者遺族会であり、この記事を書いた朝日の槙村記者は、会の常任理事の娘と結婚している。当然、韓国語も達者であり、金学順さんの話した内容はよく知っていたはずである。

 金学順さんが「 売られた 」という事実を隠し、「 女子挺身隊として連行された 」というこの記事は槙村記者による、意図的な捏造記事である。その後の訂正記事も出していない。

■6.強制連行された慰安婦はいたか?■

 韓国で慰安婦問題の取組みの中心となっている「 挺身隊問題対策協議会 」は、元慰安婦として登録された55名のうち、連絡可能な40余名に聞き取りをした。論理的に話が合うか、など、検証をしつつ、その中から信頼度の高い19人を選んで、証言集を出版した。

 今まで何らかの機会に、強制連行されたと主張しているのは、9人だが、信憑性があるとしてこの証言集に含められたのは、4人のみ。さらにそのうちの二人は富山、釜山と戦地ではない所で慰安婦にされたと主張していて、「 従軍慰安婦 」ではあり得ない。残る二人が、金学順さんと、冒頭の4〜5千万円相当の貯金をしたという文玉珠さんなのだが、この証言集では、強制連行されたとは述べていない。

 結局、韓国側調査で信憑性があるとされた証言のうち、従軍慰安婦として強制連行されたと認められたものは、ひとつもない、というのが実態である。[2,p275]

■7.軍の関与とは■

 次に宮沢首相の訪韓直前に発表され、公式謝罪に追い込んだ3 )の「 慰安所、軍関与示す資料 」の朝日新聞記事はどうか。

 発見された文書とは昭和13年に陸軍省により、「 軍慰安所従業婦等募集に関する件 」であり、その中では、

 民間業者が慰安婦を募集する際、@軍部諒解の名儀を悪用、A従軍記者、慰問者らを介した不統制な募集、B誘拐に類する方法を使って警察に取調べられるなどの問題が多発しているので、業者の選定をしっかりし、地方憲兵警察と連繋を密にせよ[2,p267]

と命じている。すなわち「 関与 」とは、民間の悪徳業者による「 強制連行 」を、軍が警察と協カしてやめさせようとした事なのである。

 この内容を「 慰安所、軍関与示す資料 」、「 部隊に設置指示 募集含め統制・監督 」とタイトルをつけて、一面トップで報道し、さらに次のような解説を載せた。

 従軍慰安婦。1930年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約八割は朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は八万とも二十万ともいわれる。

 これらをあわせ読めば、ほとんどの読者は、「 日本軍が組織的に強制連行に関与した 」と思い込むであろう。まことに巧妙なひっかけ記事である。

 この記事が、狙い済ましたように、宮沢首相訪韓のわずか5日前に発表されたことから、絶大な効果を発揮した。ソウル市内では抗議・糾弾のデモ、集会が相次ぎ、日の丸が焼かれる中で、宮沢首相は事実を確認する余裕もなく、8回も盧泰愚大統領に謝罪を繰り返した。( 続く )

「 従軍慰安婦 」問題( 下 )〜仕掛けられた情報戦争〜 H11.10.02
Japan On the Globe(107) 国際派日本人養成講座
■1.強制を示す文書はなかった■

 宮沢首相は、盧泰愚大統領に調査を約束し、その結果が、4 )( 前号 )、翌平成5年8月4日の河野官房長官談話となった。政府調査の結果、「 甘言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこともあった 」と発表され、慰安婦強制連行があったことは、政府の公式見解となった。

 この発表のために、政府はおおがかりな文書調査と、元慰安婦への聞き込みを行った。前号冒頭に紹介した米軍の報告書も、この文書調査で発見されたものだ。それでは、いかなる事実によって「 官憲等が直接に荷担した 」と結論づけたのか?

 この調査を実施した平林博・外政審議室室長は、平成9年1月30日、参議院予算委員会で、片山虎之助議員( 自民党 )の質問に対し、次のような答弁をしている。[3,p204]

 政府といたしましては、二度にわたりまして調査をいたしました。一部資料、一部証言ということでございますが、先生の今御指摘の強制性の問題でございますが、政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せませんでした。

 ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性があるということで先ほど御指摘のような官房長官の談話の表現になったと、そういうことでございます。

■2.総合的に判断した結果■

 資料はなかったが、「 総合的に判断した結果 」、強制性があったという。この判断の過程について、当時、内閣官房副長官だった石原信雄氏は、次のように明らかにしている。

 強制連行の証拠は見あたらなかった。元慰安婦を強制的に連れてきたという人の証言を得ようと探したがそれもどうしてもなかった。結局談話発表の直前にソウルで行った元慰安婦十六名の証言が決め手になった。彼女達の名誉のために、これを是非とも認めて欲しいという韓国側の強い要請に応えて、納得できる証拠、証言はなかったが強制性を認めた。

 もしもこれが日本政府による国家賠償の前提としての話だったら、通常の裁判同様、厳密な事実関係の調査に基づいた証拠を求める。これは両国関係に配慮して善意で認めたものである。元慰安婦の証言だけで強制性を認めるという結論にもっていったことへの議論のあることは知っているし批判は覚悟している。決断したのだから弁解はしない( 櫻井よしこ「 密約外交の代償 」「 文塾春秋 」平成9年4月 )[3,p58]

 元慰安婦からの聞き取り調査は、非公開、かつ裏付けもとられていないと明かされいるが、そうした調査の結果、「 韓国側の強い要請 」のもとで「 納得できる証拠、証言はなかったが強制性を認めた 」ものなのである。

 聞き取りが終わったのが7月30日。そのわずか5日後の8月4日、河野談話が発表された。同日、宮沢政権は総辞職をした。まさに「 飛ぶ鳥跡を濁して 」の結論であった。

■3.日本の言論機関が、反日感情を焚きつけた■

 「 強い要請 」を行ったという韓国政府の態度について、石原氏は国会議員との会合で次のように語っている。

 もう少し補足しますと、この問題の初期の段階では私は韓国政府がこれをあおるということはなかったと。むしろこの問題をあまり問題にしたくないような雰囲気を感じたんですけれども、日本側のいま申した人物がとにかくこの問題を掘り起こして大きくするという行動を現地へいってやりまして、そしてこれに呼応する形で国会で質問を行うと。連携プレーのようなことがあって、韓国政府としてもそう言われちゃうと放っておけないという、そういう状況があったことは事実です。[4,p314]

 この「 いま申した人物 」について、石原氏は「 ある日本の弁護士さん 」として、名前は明かしていない。

 慰安婦問題は、日本の一部の人間が焚きつけた、という認識は、韓国側の盧泰愚大統領の次の発言にも、見られる。

 日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました。( 文芸春秋、H5.3 )[1,p302]

■4.インドネシアに現れた日本人弁護士たち■

 日韓関係と同様、インドネシアとの間でも、慰安婦問題が焚きつけられた。平成5年に高木健一氏( 金学順さんらの日本政府に対する訴訟の主任 )ら、日本の弁護士3人がインドネシアにやってきて、地元紙に「 補償のために日本からやってきた。元慰安婦は名乗り出て欲しい 」という内容の広告を出した。[5]

 兵補協会のラハルジョ会長は、「 補償要求のやり方は、東京の高木健一弁護士の指示を受け 」、慰安婦登録を始めた。会長は取材した中嶋慎三郎ASEANセンター代表に対して、「 慰安婦に2百万円払え 」と怒号したというから、名乗りでれば、2百万円もらえると宣伝している模様であった、と言う。

 インドネシアでの2百万円とは、日本なら2億円にも相当する金額なので、大騒ぎとなり、2万2千人もが元慰安婦として名乗りをあげた。ちなみに、当時ジャワにいた日本兵は2万余である。

 この様子を報道した中京テレビ製作のドキュメンタリー「 IANFU( 慰安婦 )インドネシアの場合には 」に、英字紙「 インドネシア・タイムス 」のジャマル・アリ会長は次のように語った。

 ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦がいたというのか。どうしてインドネシアのよいところを映さない。こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。我々には、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。「 お金をくれ 」などとは、360年間、わが国を支配したオランダにだって要求しない。

■5.慰安婦番組での仕掛け■

 ちなみに、この番組では、元慰安婦のインタビュー場面が出てくるが、ここでも悪質な仕掛けがあった。元慰安婦が語る場面で、日本語の字幕で

 戦争が終わると日本人は誰もいなくなっていたんです。私たちは無一文で置き去りにされたんです。

と出ているのだが、実際には、インドネシア語で、

 あの朝鮮人は誰だったろう。全員がいなくなってしまったんです。私たちは無一文で置き去りにされたんです。

 と話していたのであった。慰安所の経営者は朝鮮人であり、戦争が終わると、慰安婦たちを見捨てて、姿をくらましたのである。

■6.あなた方日本人の手で何とかしてください■

 この番組の予告が、日本共産党の機関紙「 赤旗 」に出ていたことから、インドネシア政府は、慰安婦問題の動きが、共産党により、両国の友好関係を破壊する目的で行われていると判断したようだ。

 スエノ社会大臣が、すぐにマスコミ関係者を集め、次の見解を明らかにした。

(1)インドネシア政府は、この問題で補償を要求したことはない。
(2)しかし日本政府( 村山首相 )が元慰安婦にお詫びをしてお金を払いたいというので、いただくが、元慰安婦個人には渡さず、女性の福祉や保健事業のために使う。
(3)日本との補償問題は、1958年の協定により、完結している。

 インドネシア政府の毅然たる姿勢で、高木弁護士らのたくらみは頓挫した。この声明の後で、取材した中嶋氏は、数名のインドネシア閣僚から、次のように言われたという。

 今回の事件の発端は日本側だ。悪質きわまりない。だが、我々は日本人を取り締まることはできない。インドネシアの恥部ばかり報じてインドネシア民族の名誉を傷つけ、両国の友好関係を損なうような日本人グループがいることが明白になった。あなた方日本人の手で何とかしてください。

■7.国内で急速に冷める関心■

 地道に調査を進める人々の努力により、奴隷狩りのような強制連行の事実はないことが明らかになると、さすがに慰安婦問題を糾弾する人々の間でも、強制性の定義を修正せざるを得なくなってきた。たとえば、糾弾派の中心人物である吉見義明・中央大学教授は、岩波新書の「 従軍慰安婦 」で、次のように述べている。

 その女性の前に労働者、専門職、自営業など自由な職業選択の道が開かれているとすれば、慰安婦となる道を選ぶ女性がいるはずはない・・・たとえ本人が、自由意思でその道を選んだように見えるときでも、実は、植民地支配、貧困、失業など何らかの強制の結果なのだ。[6,p103]

 「 強制性 」をここまで広義に解釈すれば、現代の風俗関係の女性たちも、貧困や失業など何らかの「 強制の結果 」であり、国家が謝罪と補償をすべきだ、ということになってしまう。さすがにこのような暴論では、常識ある国民の理解を得られるはずもなく、国内の慰安婦問題に関する関心は急速に冷めていった。

■8.国連での攻防■

 しかし国際社会では、事実の伝わりにくさを利用して、慰安婦問題をスキャンダルに仕立てようとするアプローチが今も展開されている。その最初は宮沢首相の訪韓直後の平成4年2月17日、日本弁護士連合会の戸塚悦郎弁護士が、国連人権委員会で、慰安婦を人道上の罪と位置づけ、国連の介入を求める発言をした事である。

 平成8年3月にジュネーブで開かれた国連の人権委員会に提出されたクマラスワミ女史の報告書は、家庭内暴力を主テーマにしているのに、その付属文書に「 戦時の軍用性奴隷制問題に関する報告書 」と題して、半世紀以上前の日本の慰安婦問題を取り上げている。

戸塚弁護士は、この時にもジュネーブで本岡昭次参議院議員( 社会党→民主党 )とともに、デモやロビー活動を行っている。

 報告書は、やはり吉田清治の本や、慰安婦たちの証言を取り上げている。その中で、北朝鮮在住の元慰安婦の証言として、

 仲間の一人が一日40人もサービスするのはきついと苦情を言うと、ヤマモト中隊長は拷問したのち首を切り落とし、「 肉を茹でて、食べさせろ 」と命じた。

 などという話が紹介されている。この元慰安婦は、1920年に生まれ、13歳の時に一人の日本兵に拉致されたという拉致されたというのだが、1933年の朝鮮は平時であり、遊郭はあったが、軍専用の慰安所はなかった。その程度の事実確認もされていない証言が、4例紹介され、その上で日本政府に対し、被害者への補償、犯罪者の追及と処罰を勧告している。

 日本のジュネーブ外務省はこの文書に関する40頁の反論を作成し、根回し工作をしたもようだ。西側諸国代表の間では、クマラスワミ報告書の欠陥が理解されたが、韓国、北朝鮮、中国、フィリピンなどの関係国は立場上、強く反発した。

 このような攻防の結果、人権委員会では家庭内暴力に関する本文は「 賞賛する 」という最高の評価を得た一方、慰安婦に関する部分は、take note( 留意する )という最低の評価であった。[1,p259]

■9.情報戦争から、いかに国益と国際友好関係を守るか■

 平成10年8月、今度は、ゲイ・マクドゥーガル女史が、旧ユーゴスラビアなど戦時下における対女性暴力問題を調査した報告書を作成したが、その付属文書で、またも慰安婦問題を取り上げ、「 レイプ・センターの責任者、利用者の逮捕 」と「 元慰安婦への法的賠償を履行する機関の設置 」を日本政府に勧告した。

 慰安所は「 レイプ・センター( 強姦所 ) 」と改称されている。しかし、これは人権小委員会の勧告としては採択されず、日本政府はマ女史の個人報告書に過ぎない、としている。

 本年8月には、米カリフォルニア州上下院が第二次大戦中に日本軍が行ったとされる戦争犯罪について、「 日本政府はより明確に謝罪し、犠牲者に対する賠償を行うべきだ 」とする決議を採択した。この「 戦争犯罪 」には、捕虜の強制労働、「 南京虐殺 」とならんで、「 従軍慰安婦の強要 」が含まれている。[7]

 カリフォルニア州議会の決議には、アイリス・チャンの「 レイプ・オブ・ナンキン 」の影響が指摘されている。チャンの本については、本講座60号で紹介したように、中国政府の資金援助を受けたシナ系米人の団体が支援している。

★ JOG(60) 南京事件の影に潜む中国の外交戦術

 南京事件と慰安婦問題は基本的に同じ構造をしている。チャンの本は、日米関係に対する楔であり、慰安婦は日韓友好への楔として仕掛けられた。これらの問題について、米国や韓国の対応を非難することは、友好関係を破壊しようとする狙いに乗ることになる。

 国家の安全を脅かすものは、テポドンや工作船のようなハードの武力だけではない。一国の国際的地位を貶め、友好国との関係に楔を打ち込むような情報戦争が、外国と国内勢力の結託により次々と仕掛けられている。こうした攻撃から、いかにわが国の国益と国際友好関係を守るか、ソフト面の自衛体制が不可欠となっている。

■ 参考 ■
1. 「 慰安婦の戦場の性 」、秦郁彦、新潮選書、H11.6
2. 「 闇に挑む! 」、西岡力、徳間文庫、H10.9
3. 「 慰安婦強制連行はなかった 」、太子堂経慰、展転社、H11.2
4. 「 歴史教科書への疑問 」、日本の前途と歴史教育を考える
  若手議員の会編、展転社、H9.12.23
5. 「 日本人が捏造したインドネシア慰安婦 」、中嶋慎三郎、
  祖国と青年、H8.12
6. 「 従軍慰安婦 」、吉見義明、岩波新書、H7.4
7. 産経新聞、H11.08.27 東京朝刊 4頁 国際2面

朝鮮戦争時、従軍慰安婦制度が存在し韓国軍が慰安所を直接経営していたことが明らかになりました。この件で日本国内の従軍慰安婦支援者の動向が注目されます。以前のようにニュース番組や新聞で人権問題として大々的に特集が組まれ、支援者が国連にまで出かけて日本政府を糾弾したことが、対象を韓国に代えて再現するのでしょうか。
朝鮮戦争中の従軍慰安婦
 「 日本軍は強制で人権無視、韓国軍の場合は合法 」
中央日報 2002.02.24 19:29
「 韓国戦争中にも軍慰安婦存在 」韓国教授が主張
 日本軍の慰安婦制度を真似た慰安婦制度が、韓国戦争当時、韓国軍にもあったという主張が提起されたと朝日新聞が24日報道した。

 韓国の慶南( キョンナム )大学の客員教授の金貴玉( キム・キオック、40 )氏は、23日京都の立命館大学で開かれた国際シンポジウムでこのように発表したと同新聞は伝えた。

 金教授は「 1996年以後、5年間『 直接慰安所を利用したことがある 』、『 軍にら致され、慰安婦になった 』など男女8人の証言を聴取した 」と明らかにした。

 金教授はまた「 韓国陸軍本部が1956年編さんした公文書『 後方戦史 』に『 固定式慰安所−特殊慰安隊 』と記録された部分を発見し、これには4カ所で89人の慰安婦が1952年に限って20万4560回の慰安活動をしたという統計資料が添付されていた 」と同新聞は付け加えた。

 一方、国防軍事編纂研究所の関係者は『 当時、軍は売春婦と合意の下で場所を提供した。また慰安行為の対価は部隊運営費から支給されたと聞いている 」とし「 しかし、日本の植民地時代に日本軍が人権を無視し、一般庶民を強制に連れてきて運営した従軍慰安所とは違う 」と説明している。

東京=呉デ泳( オ・デヨン )特派員 < dayyoung@joongang.co.kr >

朝鮮人業者が従軍慰安婦を連れて戦地を回っていたという証言
「 石枕 (下巻) 」 張俊河 安宇植訳 1976年 サイマル出版会
( 著者は日本軍を脱走して中国で活動していた上海臨時政府に参加し、金九主席の側近になっていた。 )

私たちをなおのこと嘆かせたのは、新しい事実だった。日本軍が降伏する直前(1945年8月15日)まで通訳か、それでなければ前線地区を回って阿片を商ったり日本軍慰安婦の抱え主を演じた連中までが、一朝にして光復軍( 韓国臨時政府の軍隊 )の帽子を手に入れ、独立運動家、亡命者、革命家などを自称する、とうてい見るに忍びない風潮が横行したことだった。のみならず、同じく異国にある同胞たちの財産を、そうした連中であればあるほど先に立って没収して回るのが普通だった。
著者は戦後、言論人として民主化運動の先頭に立ち“韓国の良心”といわれた人である。

韓国には今も軍人専門と思われる慰安婦がいる
「 いい加減にしろ韓国 」 豊田有恒 平成6年 詳伝社
軍隊の行くところ、女はつきものである。日本国内でも、基地の近くには慰安所があった。これらは、すべて民営である。だが、女たちの健康管理には、軍が介入した。なぜなら、当時、性病が蔓延していたため、軍としても放置できなかったからだ。これは、他国の軍隊でも同じことである。いざというとき、兵隊が病気で戦えないのでは、戦争にならないからだ。

非武装地帯( 南北国境)の付近で、韓国軍の兵営のある場所にも、現在、売春街がある。ついでながら、たまには、韓国から北韓( 北朝鮮 )へ亡命する兵士がでることは、日本ではあまり知られていない。女と博打と酒で借金がかさんで、にっちもさっちも行かなくなる兵士が、軍事分界線を越えて、北へ逃げることがある。北では、偉大なる首領さまを慕って、やってきた勇士ということで、大歓迎になる。だが、宣伝に使われたあげく、いつの間にか、消息を聞かなくなる。利用価値がなくなって粛清されたわけだろう。

また、いまは、観光客に人気の街だが、あの梨泰院( ソウルの繁華街にあるファッションタウン )は、もともと近くにある米軍第八軍団の基地を、あてこんだものだ。70年代初めに行ったときは、怪しげなパーが多く、混血の子を抱いた女を、見かけたものだった。まえにも説明したが、梨泰院( イーテウォン )は、かつて異胎院( イーテウォン )という文字を宛てられていた。つまり、外国との混血児を収容した場所だった。その伝統は、つい最近まで生きていたというわけだろう。もっとも、いまでは様変わりして、米軍は追い出されかけている。

「 立ち直れない韓国 」 黄文雄 1998年 光文社
朝鮮半島国家管理売春史の歴史歪曲

最近、朝鮮史の専門家まで、朝鮮の「 妓生( キーセン ) 」は、ただの「 踊り子 」や「 楽師 」、せいぜい日本の「 芸者 」のようなもので、「 娼妓 」、「 売春婦 」ではない、と美化する傾向がある。それは、朝鮮娼妓史に対する無知か、それとも知っていても、わざと歴史歪曲しているかのどちらかに違いない。朝鮮の妓生は、ただ詞をつくったり、詩を吟じたり、あるいは楽器を弾きながら、両班・貴族たちと酒を汲み交わしたりする、芸能人やら文学少女であったかのように美化することは、明らかに歴史歪曲の確信犯である。朝鮮半島の妓生は、それが官妓( 官庁に置かれたキーセン )であろうと、芸のみ売って、春を売らなかったという歴史認識は明らかに勉強不足だ。
( 中略 )
朝鮮の宗主国への営妓( 軍隊慰安婦 )、官妓の進貢は元の時代からすでに正史や野史に表われている。しかし統一新羅の時代から、唐軍に強制連行された高句麗、百済人は、婦女子が多かった。彼女らの運命は奴婢に、もしくは官妓、宮妓、営妓、私妓になることは、当時の社会背景からみれば推測できる。元の時代になってから、朝鮮半島は一躍、東アジア最大の宦官と貢女( 女の献上品 )の供給地となったことは、諸史に散見できる。また貢女や営妓の献上についての要求は、ベつに朝鮮半島とは限らず、すでにジンギスカンの時代に、征服された中央アジア諸国の国王は、競って美女と名馬を献上したので、高麗国王も貢女を要求された。それは処女を原則とし、しばしば国中の結婚を禁止して、要求に応ぜざるをえない場合もあった。もちろんそれは汗( 皇帝 )の宮廷に限らず、諸王や権臣もたびたび貢女を要求した。貢女には、宮妓だけでなく、官妓や営妓になるものもみられた。高麗が元に服属した後の元宗15年3月、元からの南宋軍人のために、高麗の婦女140名を要求したことがあった。高麗政府は「 結婚都監 」を設け、市井の独女、逆賊の妻、僧人の女を集めて、数を満たした。そのときは処女、童女ではなく、独身婦女や罪人の妻を強制連行して、1人の化粧代を絹12匹( 布地24反に相当 )で、モンゴル政府に売ったのである。これは政府という国家権力による人身売買と強制連行ともいえよう。その翌年の忠烈元年に、元は蛮子軍( 南宋の降人部隊 )1400人を高麗に送ってきたので、蛮子軍に営妓を売るために高麗政府は「 寡婦処女推考別監 」を設け、役人を諸道に出して婦女を推考、選別していたこともあった。
( 中略 )
教材として日韓の教科書に採用された幻の「 従軍慰安婦 」そのものが、はたして存在していたか、いなかったか、今日でも未決のままである。「 なかった 」派の主張によれば、「 政府が直接関与した例は一つもなかった 」である。しかし、韓国人からすれば、かつて朝鮮半島は宗主国の中華帝国諸王朝に貢女を進貢するアジア最大の貢女の産地であった。現在でも世界有数の国家管埋売春の国である。長い歴史文化と現在の「 状況論理 」からすれば、「 ( 従軍慰安婦は )存在したに決まっている 」と想像するのも無理からぬことだ。しかし、どうみても「 あったか、なかったか 」はっきりしないことを、無理やりに「 あった 」ことにして教科書で教え、相手に「 謝罪 」を強要することは、はたして良識にかなうものだろうか。そこにも「 正しい歴史認識 」が必要となろう。

「 いい加減にしろ韓国 」 豊田有恒 平成6年 詳伝社
妓生は”中国人接待担当”国家公務員

卑近な例をあげると、妓生というサービス嬢が、韓国に存在する。大方の日本人は、日本でいえば、吉原の遊女みたいなものだと思っているらしいが、大間違いだ。本来、妓生とは、外務省の儀典局の職員みたいな資格なのだ。中国からやってきた天使( エンジェルという意味ではない。天とは、中国という意味なのだ。つまり、中国の使者という意味 )を応接するために、存在している。詩歌管弦の道に秀でていて、中国語がぺらぺらで、頭もよくないと勤まらない役職なのである。しかも、接待する相手の中国人の好みに合わせて、美人でないといけない。たまたま使節の中国人が、旅の無聊( ぶりょう )を訴えれば、夜伽の相手もするというわけだ。いわゆる売春婦ではない。れっきとした国家公務員なのだ。現在はともかく、日本の遊女より、はるかに格が上なのだ。

韓国で、有名な暴君の燕山君(在位1494〜1506 )は、名刹円覚寺を破壊して、その跡地に妓生の養成所を建てた。この場所が、今のパゴダ公園なのだが、韓国人は、このエピソードについては、あまり語りたがらない。パゴダ公園は、日本に対する3・1運動の発生地として有名だから、そっちの由来を紹介しておいたほうが、ジャパン・バッシングの役に立つわけだろう。対中国というケースでは、よりすぐりの美女に教育を施して、高級コールガールみたいなこともさせた。このように、中国に対しては、徹底的に卑屈になりきった歴史を、長いあいだ継続してきた。

妓生は、官庁に制度的に設置された朝鮮の伝統的な芸妓で、歌舞をもって遊宴にはべらなければならなかった。また、両班に侍寝するすることもあり、これを守庁といった。身分的には官庁の所有になる「 公奴婢 」であり、妓生の娘は「 奴婢制度 」によって母の身分を継承せねばならなかった。まさしく性奴隷といえよう。
「 醜い韓国人 」 朴泰赫 1993年 光文社
李朝時代には、両班、中人、奴婢の他に、妓籍( キジョ )という戸籍があった。妓生( キーセン )が妓籍に属した。両班であれば、もちろん金を払わねばならなかったが、妓生とはいくらでも寝ることができた。両班が妓生を呼びだして、一夜をともにすることを「 守庁 」( スチョン )といった。庁は役所のことである。役所を守るといって、妓生を呼んで家に帰らなかったのだから、ユーモアがあった。妓生側からは「 スチョントゥンダ 」( 官庁に入る )といった。夜、一人で役所を守るのは寂しいのだ。そこで妓生と役所で一夜を楽しんだ。役所では「 守庁 」は公認された。

妓生を愛人として生まれた子は、庶属( ソージョク )となった。庶属は常人扱いだった。両班は、妓生との間にできた娘が年ごろになると、親しい友人に贈ったり、自分の上司の長官に貢ぎ物として棒げた。「 肌の若いのがよいだろう。君、持っていって遊ベ 」というようなことを言って、友人に進呈したから、もう人間扱いではない。韓国は好色な文化である。

「 歪められた朝鮮総督府 」 黄文雄 1998年 光文社
なぜ韓国の国家管理売春で、日本人だけ非難されるのか

日韓併合後5年後の1916年、「 貸座敷娼妓取締規制 」が発布された。このことが朝鮮半島初めての公娼制度の全面導入であったという主張となっている。歴史を直視せず、都合よくつまみ食いするわけである。法治国家だから、売買春を中心とする「 水商売 」を取り締まるのは当たり前のことである。しかし、過去の「 慰安婦 」を国家犯罪として非難しながら、現在の国家管理売春を免罪とするのは異常である。

1970年代には、朝鮮半島統一運動勢力が進歩的文化人と手を組み、日本のマスコミを総動員して、朴大統領の売春親光政策の徹底追及に明け暮れていた。日本の女性問題運動家、市民連動家も競ってこのキャンペーンと呼応し、日本男性の買春旅行を国の「 恥 」として、同じく徹底的に追及し、マスコミを騒がした。考えてみれぱ、それは朴大統領のいわゆる「 国家戦略産業 」としての「 観光立国 」を潰そうとするキャンペーンだったのであろう。統一運動勢力は朴政権の国家売春政策を批判し、女性問題運動家も「 国辱として日本男性の買春親光を非難し、双方とも大義名分が立つ。アメリカの週刊誌『 タイム 』は、この日本人観光客のキーセン買春の狂態ぶりを報道し、世界的な話題ともなった。
韓国の国家管理売春は、写真付きの登録制で身分を保険社会部に登録して、証明書を所有し、定期検診を週一回行なうものだった。国家管理下の売春婦の数については、『 腐触する社会――公害と妓生観光 』( 朝鮮統一問題研究会編 )によれぱ、全国で20万人にものぼるという。

『 腐敗する社会 』によれば、韓国の「 妓生学校 」は「 時には有名人の講話を聞かせたり、現代韓国の経済政策、観光誘致の重要性について説教し、もっぱら外貨獲得のために献身する 」ことを勧めているという。日本人観光客を相手にしていたので、「 日本語学校 」を設け、観光客に安心して買える「 商品 」として高く売り出している )と述ベている。

文教部長、閔寛植は1973年4月、東京の「 韓国学園 」に教職員や民団幹部まで集めて、韓国女性が国家のための経済的建設に欠くべからざる外貨獲得への献身的努力をしていることに、最大級の賛辞を呈したとも伝えられている。

朴政権が非難されるのは、売春を国策として奨励し、「 美徳 」として外貨稼ぎに躍起になっていたということにある。
さらに彼女たちを「 特訓 」して、「 芸術使節団 」や「 芸能人 」として証明書を発行し、日本まで遠征させたことである。KCIAの対日政財界工作として、韓国の妓生は「 外交官用 」の旅券まで持ち、日本政財界の大物相手の専門家として踏んぱっていたのだ。いわゆる「 日韓癒着 」は、韓国の妓生が国家のために大きな役割を果たしていたから生じたともいわれ、彼女たちは、さらに対米議会工作にも使われているという。



ある従軍慰安婦の偽証 〜黄錦周の証言〜
以下の証言は、たった一人の従軍慰安婦を名乗る女性が発言した証言です。

高木健一著『 従軍慰安婦と戦後補償 』
「 生活は貧しく12歳の時100円で売られてソウルの金持ちの家で小間使い。1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時にその家の娘の身代わりとなって満州に連行され慰安婦となる 」

平成7年朝日新聞インタビュー
「 威興の女学校在学中の17歳の時1939年に国民徴用令で動員され軍需工場に行くと思っていたが着いた所は吉林の慰安所だった 」

TBS「 ここが変だよ日本人 」より
「 私は19歳で学校を卒業する25日前に日本軍に引っ張りだされ仕方なく慰安所に行ったんだ!日本人に便所と言われもうこれ以上我慢できない!やっぱりあの時死んどきゃよかったんだ!これ以上生きててもしょうがない!もう死んでやる殺してくれ! 」

【産経新聞】Sankei-editorial:「 河野談話 」の根拠揺らぐ 97/3/11
例えば、黄錦周( ファン・クムジュ )さんの場合、生まれた年が朝日新聞の記事(平成7年7月24日夕刊)では「 1922年(大正11年) 」だが、伊藤孝司氏編著「 証言 従軍慰安婦女子勤労挺身隊 」(風媒社、平成4年8月)では「 1927年(昭和2年) 」と書かれ、慰安婦にされた年も朝日新聞では「 17歳(昭和13年か14年) 」だが、伊藤氏の本では「 シンガポール陥落の年(昭和17年) 」とある。慰安婦訴訟原告団の一人、金学順( キム・ハクスン )さんのケースも、新聞記事や本の記述を読み比べると、慰安婦にされた年などが食い違っている。

[日韓社会科教育交流団韓国を訪問]1997.夏期
「 満18歳になった時のある日、男がやって来て村から娘を出すように伝達をしました。何をするのかよく分からなかったのですが、ソウルの工場か何かで働くのだろうと思っていました。姉は家から離れて生活していていなかったので、私が代わって出ることになりました。 」

[aml 23174] 「 慰安婦 」と教科書
「 黄錦周さんの証言を聞く会]2001.07.17 東京大学にて集会でハルモニは、「 14歳のとき、いわゆる「 少女供出 」で満州に連行され、皇軍兵士のセックスのはけ口にされたつらい体験を語りました。 」

国連・経済社会理事会 クマラスワミ報告 1996年1月4日
17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだと思いました。3年も働いたころ、ある日一人の日本兵が自分のテントについてこいと要求しました。かれは着物を脱げと私にいいました。たいへん怖かったので抵抗しました。私はまだ処女でした。しかし彼は銃剣の付いている銃で私のスカートを引き裂き、下着を体から切り離しました。そのときに私は気を失いました。そしてふたたび気が付いたときには毛布を掛けられていましたが、あたり一面に血が付いていました。

元日本軍「 慰安婦 」の証言を聞く集会 1997年12月5日( 金 )福岡市都久志会館ホ−ルにて
1912年扶餘生まれ。父の発病後家運が傾き、13歳のとき家をでて、奉公に出ました。村の班長( 日本人 )に「 日本の軍需工場に行けば、お金がもうかる。一家に一人は行かなくては 」と脅かされ、奉公先の娘たちにかわって1941年、20歳で国を離れましたが、ついた所は慰安所でした。

これが全て同一人物・黄錦周( ファン・クムジュ )さんの証言です。
この証言は、記憶違いとか言うレベルじゃねぇ〜よ!( 怒 )
一体、何回従軍慰安婦とやらになったのか…
これらの証言を信用できるという人!…もう一度小学生からやり直して下さい。

Link 日本ちゃちゃちゃ倶楽部
  --->  
日本軍は、アジア諸国の女性に対する強制連行や強制売春に当時の国策として加担したのか?

Link  --->  朝鮮における従軍慰安婦

動画 : 南京大虐殺、従軍慰安婦が朝日新聞によって捏造され外交問題に発展するまでの過程

朝鮮における従軍慰安婦