大日本史番外編 「 朝鮮の巻 」
森林の伐採


日本人が朝鮮の森林を伐採してはげ山にした

朝鮮半島の山々を甦らせた山林緑化事業
「 歪められた朝鮮総督府 」 黄文雄 1998年 光文社
1885年12月6日から86年2月29日にかけて、ソウルから北部朝鮮をへてポシェートに至るまで徒歩で踏破したペ・エム・ジェロトケヴィイチは、朝鮮( 李朝時代 )について
「 どこまでいっても禿山と赤土ばかりで、草も全て撚料のために刈り取られている 」、
「 山地が痩せていて、昨年も沢山の餓死者が出た 」、
「 ここは退屈極まりない土地で、山は禿山、植生は殆ど見られない 」、
「 朝鮮人たちは土地が痩せていると不満を訴えている。樹木は殆ど皆無で、燃料には藁と草が使われる 」、‥‥
( 「 朝鮮旅行記 」 )などと記述している。

朝鮮半島の林野状況については、統監府設置当時では、鴨緑江と豆満江流域などで原生林が見られる以外は、はげ山が多く荒涼とした景観となっていた。だから、はげ山といえぱ西にスペイン、東に朝鮮といわれたほどであった。ではなぜ朝鮮半島が、あれほどの山野荒廃、基岩露出、土砂流出という山河崩壊の惨状になったかについては、気侯や地質上の自然原因と人為的原因があったと考えられている。人為的原因については、乱伐といわれるものが原因で、冬季の薪材の需要と林政の不備、戦争災害もその原因の一つである。数百年来にわたる旱魃と洪水による悪循環によって、いっそう山河と大地は荒廃していった。朝鮮では古来、山林は個人所有を認めていなかったので「 無主公山 」といわれ、民衆は木を伐り、根まで掘っていくので荒廃していった。

朝鮮半島の荒廃した山野の復旧造林は、明治40年代から営林署の設立によって行なわれた。森林保護令、幼齢林の育成、民有林に対する造林補助、病虫害駆除、森林組合補助、林業試験場の整備、地方庁職員の増員を行なった。さらに愛林思想を育成するために、農林当局は1911年から毎年4月3日に記念植樹を行ない、それからの30年間で5億9000万本の植林を達成した。朝鮮半島の山河崩壊を緩和、阻止するために、禿山への植林と砂防工事が全国的に実施された。

『 朝鮮半島の山林 』( 土井林学振興会出版 )によれぱ、大正7年( 1918年 )以降から昭和17年までの施工面積は約17万7300ヘクタール、造林本数は6億622万4000本であった。