第二次日韓協約について;
条約と強制(1)法的側面



“第二次日韓協約の違法・無効説”の具体的反駁を行う。
ここで、海野福寿教授がまとめた論拠を再掲しておこう(『日韓協約と韓国併合』海野福寿 編集、4-22頁)。

1) 脅迫による協約締結
  a) 武力的脅迫
  b) 脅迫的言辞
  c) 不法行為

2) 協約の形式
  a) 大韓帝国皇帝による署名捺印
  b) 条約締結の全権委任状
  c) 批准の欠如

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1)脅迫による協約締結

これについて、海野福寿教授は、まずは以下のように述べる。

「『韓国併合条約』など、日本が大韓帝国と結んだとする諸条約が、その当初から無効とする論拠の第一は、植民地化の起点となった保護条約である『第二次日韓協約』(韓国・北朝鮮では乙巳条約、乙巳五条約という)の締結は、日本の脅迫により強制されたものであるから無効であり、したがってこの協約を前提として締結された『韓国併合条約』もまた無効である、という点である」
(『日韓協約と韓国併合』4頁)

そして、海野教授は、これに続けて以下のような国際法上の論拠を紹介する。

「条約法の法典化を検討した、一九六三年の国連国際法委員会に提出されたウォルドックの第二報告書は、条約締結行為において国家の代表者個人に対して強制または威嚇が行われた場合、国家が条約を廃棄することは一般に認められたことである、と述べたあとで、歴史的実例として『第二次日韓協約』をあげている。
今日では『条約法に関するウィーン条約』(一九六九年採択、一九八○年発効、八一年加入)において『国の同意の表明は、当該国の代表者に対する行為又は脅迫による強制の結果行われたものである場合には、いかなる法的効果も有しない』(第五一条)と明確に規定し、国の代表者個人に対する強制の結果、締結された条約は法的効果を有しない、とされている。
この原則は一九○五年当時、すでに定着していた国際法の常識である。韓国併合時の外務省政務局長倉地鉄吉は、日本法律学校第四期講義録『国際公法』(一八九九年カ)において、条約締結に際しての、国家に対する強制と、国家の代表個人に対する強制とを区別し、前者は必要に応じ容認されるべきであるが、後者は完全な合意とはいえず、条約は無効である、と次のように述べている。

『条約ノ締結ニ従事シタル者其レ自身ニ対シ強暴、脅迫等ノ行ワレタルトキハ、其者ノ発表シタル所ノ意志ナルモノハ、到底之ヲ真正ノモノト看做スコトヲ得サルヲ以テ、合意ノ完全ハ茲ニ破ラレタルモノト言ハサルヘカラス。従テ此ノ場合ニ於テハ、条約ハ決シテ有効ナルモノニアラサルナリ』

それにもかかわらず、『第二次日韓協約』は韓国代表者個人に対する『強暴、脅迫』を通じて締結された。」(同上、4ー6頁)

上は、正に恣意的な引用の典型である。まずは、”代表者個人”に対する強迫についてもっぱら問題にしており、”国家自体”に対する強迫についての記載が極端に少ない。また、「ウィーン条約」が採択されたのは1969年である。これをそのまま「第二次日韓協約」にあてはめても、全く意味がないのである。「ウィーン条約」ではこの条約の遡及適用はないと規定しているが、ただし国連憲章に違反するような手段で結ばれた条約についてはこの限りでないと判断・解釈されている。しかし、その場合でも、その効果は、もちろん国連成立以前に遡るものでは決してないのである。以上、海野教授の言説には、”代表者個人”に対する強迫に問題を限定し、法を遡及適用するという恣意的な要素がみてとれる(但し、その手法はかなり巧妙である。しかし、多少とも国際法の知識を有する者にとっては、簡単に底が割れる類のものではある)。
上の海野教授の主張を正確かつ適切に言いかえると、(「第二次日韓協約」締結当時においては)代表者”個人”に対して「脅迫」の手段を用いて無理やり締結させた条約は無効であり、他方で”国家自体”に対して「脅迫」が行われた場合は有効なのであったが、「第二次日韓協約」は、前者、すなわち代表者”個人”にたいして「脅迫」が行われたのであるから無効である、ということである。
「代表者”個人”に対して『強暴、脅迫』の手段を用いて無理やり締結させたものは無効であるが、”国家自体”に対して『強暴、脅迫』が行われた場合は有効である」というのは、当時の国際法の常識からいって全く正しい認識である。しかし、現在は後者、すなわち「”国家自体”に対して『強暴、脅迫』が行われた場合」も、その条約は無効であることが1969年の「(条約法に関する)ウィーン条約」で明確に定められている(これは、現在における戦争すなわち武力行使の違法化という流れを汲んだものであるが、下で、この点について解説する)。

ここで、上の海野教授の言説が成り立つためには、もちろん、第二次日韓協約が「”国家自体”に対してではなく、代表者”個人”に対して『強暴、脅迫』の手段を用いて無理やり締結させたもの」であったことが証明されなければならない。その場合、以下のことが問題になろう。すなわち、(i) 本当に「強暴、脅迫」があったのか、そして、「強暴、脅迫」があったとして、(ii) それは本当に「代表者”個人”」に向けられたものであったのか、さらに、「代表者”個人”に向けられた強暴、脅迫」があったとして、(iii) それは本当に条約を締結するために行われたものか、換言すると、それらが行われたが故に条約が締結されたのか、または、それらがなかったなら条約は締結できなかったのか、最後に(iv)その状況を理解・認識した上で、結局、韓国皇帝はその条約を承認したのか。
これらの点が確認・検証されなければならない。

海野教授は、上に続けて、条約を「代表者”個人”に対して『強暴、脅迫』の手段を用いて無理やり締結させた」ことの証拠として、以下のような(1)から(9)の事実を列挙している(『日韓協約と韓国併合』6ー10頁)。

ーーーーーーー引用開始ーーーーーーーーーーーーー
a)武力的脅迫

 (1) ソウル南山倭城台一帯に軍隊を配置し、十七、十八両日は王城前、鐘路付近で歩兵一大隊、砲兵中隊、騎兵連隊の演習を行い威圧した。

 (2) 十七日夜、伊藤は参内に際し、長谷川韓国駐剳軍司令官、佐藤憲兵隊長を帯同し、万一の場合ただちに陸軍官憲に命令を発しうる態勢をとった。『大韓季年史』によれば「長谷川好道及其部下各武官多数、歩兵・騎兵・憲兵与巡査及顧問官・輔佐員、連続如風雨而馳入闕中、把守各門・漱玉軒咫尺重重囲立、銃刀森列如鉄桶、内政府及宮中、日兵亦排立、其恐喝気勢、難以形言」という。要するに王宮(慶雲宮、のち徳寿宮と改称)内は日本兵に制圧され、その中で最後の交渉が行われたのである。

 (3) 十七日午前十一時、林公使は韓国各大臣を公使館に召集して予備会談を開いた後、「君臣間最後ノ議ヲ決スル」ため御前会議の開催を要求し、午後三時ごろ閣僚に同道して参内した。その際、護衛と称して逃亡を防止するための憲兵に「途中逃げ出さぬやうに監視」させた。事実上の拉致、連行である。

b) 脅迫的言辞

 (4) 十五日午後三時、皇帝に内謁見した伊藤は、恩着せがましく「韓国ハ如何ニシテ今日ニ生存スルコトヲ得タルヤ、将又韓国ノ独立ハ何人ノ賜ナルヤ」と述べ、皇帝の対日批判を封じた後、本題の「貴国ニ於ケル対外関係所謂外交ヲ貴国政府ノ委任ヲ受ケ、我政府自ラ代ツテ之ヲ行フ」ことを申し入れた。これに対し回答を留保する皇帝に向かい、伊藤は「本案ハ・・・断シテ動カス能ハサル帝国政府ノ確定議ナレハ、今日ノ要ハ唯タ陛下ノ御決心如何ニ存ス。之ヲ御承知アルトモ、又或ハ御拒ミアルトモ御勝手タリト雖モ、若シ御拒ミ相成ランカ、帝国政府ハ已ニ決心スル所アリ。其結果ハ果シテ那辺ニ達スヘキカ、蓋シ貴国ノ地位ハ此条約ヲ締結スルヨリ以上ノ困難ナル境遇ニ坐シ、一層不利ナル結果ヲ覚悟セラレサルヘカラス」と暴言を吐き、威嚇した。

 (5) 同席上、逡巡する皇帝が「一般人民ノ意向ヲ察スルノ要アリ」と述べたのをとらえ、伊藤は、その言は「奇怪千万」とし、専制君主国である韓国の皇帝が「人民ノ意向云々トアルモ、定メテ是レ人民ヲ扇動シ、日本ノ提案ニ反抗ヲ試ミントノ御思召ト推セラル。是レ容易ナラサル責任ヲ陛下自ラ執ラセラルルニ至ラン」と威嚇した。

 (6) 十七日夜、韓国閣僚との折衝の席上、「断然不同意」、「本大臣其衝ニ当リ妥協ヲ遂クルコトハ敢テセサル」と拒否姿勢が明確な朴斉純外相の言葉尻をとらえた伊藤は、巧妙に誘導し「反対ト看做スヲ得ス」と一方的に判定した。他の四人の大臣のあいまいな発言もすべて伊藤により賛成とみなされた。歪曲である。とくに協約署名者である朴斉純外相が反対者であることを認めなかった。

 (7) 同席を終始主導した伊藤は、韓圭咼(北の狼注;咼は当て字で、本当は咼の上に”ト”がつく)参政、閔泳綺度相の二人の反対のほかは、六人の大臣が賛成と判断し、「採決ノ常規トシテ多数決」による閣議決定として、ただちに韓国参政に皇帝の裁可をうるように促し、拒否するならば「予ハ我天皇陛下ノ使命ヲ奉シテ此任ニ........。諸君ニ愚弄セラレテ黙スモノニアラス」と同喝した。しかし、あくまで反対の韓参政は、「進退ヲ決シ、謹テ大罪ヲ待ツノ外ナカルヘシ」と涕泣しながら辞意を漏らし、やがて退室した。韓参政の辞任を恐れた伊藤は「余リ駄々ヲ捏ネル様ダッタラ殺ッテシマエ、ト大キナ声で囁イタ」という。肉体的・精神的拘束を加えたうえでの威嚇である。

c) 不法行為

 (8) 十七日午後八時、あらかじめ林公使と打ち合わせた計画に従って参内した伊藤は、皇室に謁見を申し入れ、病気と称して謁見を拒否した皇帝から「協約ニ至テハ朕カ政府大臣ヲシテ商議妥協ヲ遂ケシメン」との勅諚を引き出し、閣僚との交渉を開始した。これは韓国閣議の形式をとったので、閣議に外国使臣である伊藤、林らが出席、介入したことは不法である。もともと日本政府の正式代表ではない伊藤の外交交渉への直接参加も違法である。

 (9) 協約書への韓国側署名者は「外部大臣朴斉純」、調印は「外部大臣之章」と刻まれている邸璽(職印)であるが、その邸璽は公使館員らによりもたらされた。二十三日付け『チャイナ・ガゼット』によれば「遂ニ憲兵隊ヲ外務大臣官邸ニ派シ、翌十八日午前一時、外交官補浦沼ハ其官印を奪ヒ宮中ニ帰リ、粉擾ノ末、同一時半日本全権等ハ擅ニ之ヲ取極書ニ押捺シ」た、とのソウル発電報を掲載している。
『大韓季年史』もまた「使公使館通訳員前間恭作、外部補佐員詔(ママ)野、往外部、弥有勅命而求其印、須知分斯(スチーブンス)即与之、無数日兵環囲外部、防其漏失、日本公使館書記官国分象太郎、預待於漱玉軒門前、仍受其印、入会議席遂捺之、時十八日(旧暦十月二十一日)上午一点鐘也」と述べ、日本公使館により邸璽入手の経緯が詳しく述べられている。前間恭作は二等通訳官、沼野安太郎は外交官補、国分象太郎は二等書記官である。ハ
伊藤の復命書である「日韓新協約調印始末」では「朴外相ハ其官印ヲ外部主任者ニ持来ルヘキ旨電話ヲ以テ命シ」たとしか記してないが、前述の二資料の記述は具体的であり、日本人が強奪するようにして邸璽を持って来た事実は否定できない。
以上の諸事実は、いずれも韓国の代表者個人に対して加えられた脅迫的行為または強制である。それが条約無効の根拠となることを前述したが、当時もっとも権威ある概論書として流布した、東京帝国大学法科大学教授高橋作衛『平時国際法論』(一九○三年、日本大学)も述べている。

「主権者ハ締結ノ全権ヲ有スル人ガ、強暴又ハ脅迫ヲ受ケ、為メニ条約ニ記名スルニ至リタルトキハ、該条約ハ有効ニアラス。斯ル場合ニ於テハ、国家ノ名ニ於テ条約ヲ為ス個人ハ脅迫ヲ受ケ、為メニ自由決定ノ能力ヲ失ヒタルモノナルヲ以テ、其条約ハ拘束力ヲ生スルモノニアラス」と。

ーーーーーー引用終了ーーーーーーーーーーーー

さももっともらしいことが羅列してあるが、以上をお読みになって、皆さんは如何なる感想を持ったであろうか?
第二次日韓協約は「代表者”個人”に対して『強暴、脅迫』の手段を用いて無理やり締結させた」ものであるとの思いを抱いたであろうか? でなければ、上に有効な反駁が加えることがおできであろうか?

・脅迫・強迫と条約

上について個別的な反論に入る前に、「脅迫・強迫」と条約の有効性について総論的に述べよう。

まずは、「脅迫・強迫」とは勿論法律用語である。「脅迫・強迫」は、条約の成立の可否を判断するための重要な要素であるから、その意味も曖昧なものではありえない。では、その法律的な意味は何か、参考までにみてみよう。

「脅迫;人に恐怖を生じさせるに足る害悪を加える旨を、言語、書面又は動作によって通告すること。加害の通告は、明確に文書で通告し、あるいは凶器を示すなどの動作でする場合のほか、先日付の出火見舞状を送るように、将来の放火の予告と受け取れる黙示の方法でも足りる。(中略)しかし、単なる警告やいやがらせは脅迫ではない。また、恐怖心をいだくまでにはいたらない威圧的言動は、威迫にすぎない」(『法律学小辞典』有斐閣)

ちなみに、「脅迫・強迫」のように、条約が無効とされるか、又はその効力が取り消されるような要件のことを(条約の)「無効原因」という。

条約とは国と国の”契約”であるが、では条約は国際法上(私法又は無効原因たる「脅迫」との関連で)どのようなものと認識されているのであろうか。

「従来、条約は契約類似的なものとして、その成立、効力、消滅等について多く私法原理、特に、契約に関する原理を類推して解釈してきた。条約と契約について、ロータパクト教授は、彼の著『私法原理と国際法への諸類推』の中で次のごとく述べている。即ち、『私法上の契約と国際法上の条約の法的本質は根本的には同様である。当事者の自発的意思が、契約でも条約でも法律関係の基本的条件であり、その意思は、法律関係が創設された瞬間から当事者の一方の任意的意思から独立なものとなる。私法の契約に客観的な拘束力を附与するのは国家の法律である。他方、pacta sunt servanda(合意ハ拘束スル)なる規則は国際法の基本原則の一つであり、それが国家条約の客観的な拘束力を附与するのである。法的に、この一方当事者の意思から独立な客観的な拘束力が、国内法では外部的力によって支持されているが、国際法ではそれがないというところに重要な相違がある。一般に、条約は国際法の分野における立法行為であるのに比して、私法上の契約は個人間の関係以上には出ないとする教義的陳述があるが、これにまよわされてはならない。例えば、法人設立のごとき私法上の合意は、立法のそれと非常に類似した方法で抽象的な行為則を規定するし、他方、国家間の条約の中にも、例えば、領域の購入や純粋な経済的地役を設定のごとく本質的に個人間の契約のそれと類似のものもあるのである』と。確かに、法発達の時期からも、条約の本質からも私法原理、特に、契約原理の類推適用は行われてきたし、今日もその可能性のあることは否定できないと思われる。しかしながら法はその社会の安定、秩序維持に仕えるものであり、国内社会と国際社会は全く同一のものではない以上、全面的な類推適用には大きな疑問がある。特に、二十世紀に入り、国際法の独自性を主張する学者が多く現われ、私法原理類推を制限しようとする傾向も見逃し得ない。もちろん、条約に契約原理を類推する場合も、当然、国家または国際団体を当事者とする条約と個人を当事者とする契約には、その限りで修正適用は当然に考えられなければならない。(中略)
もちろん、法律用語ーー専門用語ーーはその専門的意味で用いられるべきことは当然であり、私法から類推適用した錯誤、詐欺及び強迫の用語は、当然ながら私法で意味した内容で条約上も用いられることから出発したわけである。同様に、その効力についても私法原理に頼ろうとすることは認めなければならない。しかしながら、国内社会と国際社会の相違、特に、法体系の相違をも考えなければならない。不幸なことに、この面に関する国家間の実行、先例が乏しく学説と実行の一致を見い出し難い分野でもある。(中略)したがって、この問題を考えるに当たっては、現に在る法の解釈たる<成法論(lex lata)>と、在るべき法たる<立法論(de lege ferenda)>を厳格に区別しなければならない」(『条約法の研究』経塚作太郎、539ー541頁)

以上を簡単に言うと、一般に条約の成立や消滅に関しては私法(国内法)上の契約概念を類推適用するが、その場合には(ここでは特に条約の無効ならびに取り消し原因に関して)、国内法たる私法をそのまま適用するのではなく、国際法との違い(特に法体系)を考慮し、場合によっては私法原理を修正して適用しなさい、ということである。
従って、私法(国内法)の契約理論における「無効および取り消し」原因が、国際法上の条約にもそのまま同じ効果を伴って適用できるのかどうか、もし適用できないのなら、それは何故で、また私法原理をどのように修正して国際法に適用すべきかが検討されなければならない。

契約が契約として有効とされるための私法上の根本要素の一つに、契約者による固有の”自由な意思”の表明がある。そして、詐欺、錯誤、強迫はこの”自由な意思”を損なうものであり、よって、これらによって結ばれた契約はその契約を無効ならしめる原因とされるのである。国際法上も、これら詐欺、錯誤、強迫は、条約の無効原因とされてきたところであるが、もちろん、上で述べたように、私法上の概念・要件を国際法に適用する場合は、それが”そのまま”適用できるかどうかが検討されなければならない。
ここで、参考までに、私法概念上の「意思表示と契約の無効・取消」について説明を加えておこう。

「一般的に、国内法上、ことに民法上、意思表示の無効とされる場合は以下の三つと説明されている。その第一は、心裡留保で、表示行為が内心的効果意思と異なることを、表意者みずからが承知してなす意思表示で、相手方がこれを知った場合および普通の注意をすれば知り得た場合にのみ、その意思表示を無効とする(民法第九三条)のである。第二は虚偽の表示で、相手方と通牒して内心的効果意思と異なる行為を仮装することで、このような行為も無効である(民法第九四条一項)。第三は錯誤で、内心的効果意思と表示上の効果意思との齟齬することを、当事者が知らない場合で、当事者に重大な過失がなく、法律行為の要素に錯誤があるときにのみ無効としている(民法第九五条)。以上は、通常『意思の決缺』と呼ばれる。無効な意思表示の効果は、表示の最初にさかのぼってその効力を失うことになる。(中略)
つぎに、民法は『瑕疵ある意思表示』を取り消し得るものと規定し、(1)詐欺(民法九六条一項)、(2)強迫(民法九六条一項)を掲げている。取消は、無効と異なり、取り消されるまでは有効とされることである。ただし、取り消されれば無効の場合と同様に、初めから効力を失うのである(民法第一二一条)(北の狼注;国際法上は、この『無効』と『取消』の区別が曖昧で、表現上は、概ね『無効』で統一されている)。(中略)
以上は、民法上の法律行為、ことに契約作成時の意思表示の欠陥に伴う無効・取消原因である。われわれは、一般に、条約と契約は類似の法構造をもっており、したがって、契約理論を条約理論に類推できるとしても、右のような契約作成時における無効・取消原因が、そのままの型で条約にも適用可能なものかどうかを検討してみなければならない。」(『続 条約法の研究』経塚作太郎、301ー303頁)

以下では、「第二次日韓協約」で問題になっている「脅迫・強迫と条約の有効性」についてみることにする。
民法では、強迫とは「故意に相手を畏怖せしむる行為をなし、畏怖に陥しいれる違法な行為」と定義されているが、強迫による意思表示(契約)は取り消すことができるというのが大原則である。取り消しの方法は、その意思を明確に表示すれば充分であるが、その意思が相手に到達しなければならない。
では、国際法上は「強迫による条約」の効力は、どのように規定・認識されているのであろうか。

「国際法上、多くの学者は、『国家自体に加えられる強迫の結果として結ばれた条約は無効とはされないが、全権代表個人に加えられた強迫は無効原因たり得る』と説明してきた。
全権代表個人に加えられる強迫は、それに基づいて結ばれた条約を無効ならしめることについては、過去においても、また今日も、ほとんどの学者の一致して認めるところである」(『条約法の研究』560頁)

では、その(当時の)「多くの学者」の見解を実際にみてみよう。なお、以下では古い文献については、カタカナを平仮名にし、句読点を挿入し、一部の漢字は現代書きに修正して引用してある。

「意思の自由
条約は国家間の合意なり。合意は其の性質上、自由意思を必要とすること個人間契約にも亦国際間の条約にも共に同一なり。従て、詐欺又は錯誤に基く意思表示は条約を有効ならしむること能わす。(中略)然れとも強迫、暴行は個人間に在りては常に契約の効力を失はしむる原因となるに反し、国家間の条約には原則上何等の影響なきものとす。故に、強迫、暴行に依るも、苟も其の要求にして過去の違法行為に対する救済を与え、又は将来の不法行為に対する担保を与ふる為め必要なる程度を超越せさるときは、自由なる意思ありと看做し条約の効力を妨くることなし。然るに独りホールは『暴行、強迫を用いて締結したる一国の独立を害すへき条約は、無効なりとす。何となれは、一国は他国に対して救済又は保障を与うるか為に自ら滅亡を謀るものと推定すること能わさるを以てなり』と云へり。然れとも此の説に賛成する者、甚だ少なし。盖し一般に独立権の行使を制限する条約を締結するも、一国主権の作用にして自由なりとせは、其の原因か暴行、強迫に依ると否とに依り其の有効・無効を区別すること能わさるのみならす、世間此の種の条約を締結すること決して尠少に非さるを以てなり。例えは講和条約の如きは戦敗者は多少意思の自由を欠くへきも、戦争を継続するか又は講和するかは全く其の自由の裁量に在り。故に不利益なる条件の下に講和するも、尚戦争を継続して滅亡するに優れりと判断する時に始めて講和すへきを以て、講和は更に一層の不幸を免れむとする手段なり。従て之を履行するの義務あること論を俟たす。保護条約亦多くは然り。
締盟国に対する暴行、強迫は条約の効力に何等の影響を及ほささるを原則とするも、条約締結の権限を有する人に直接加へたる強迫、暴行は、若し此なき時は条約を締結せさるへしと認めらるる場合に於て其の条約を無効とす。何となれは、此の如き場合には国家の名に於て条約を締結する人か真実に国家の意思を代表したるものに非されはなり。」(『国際法要論 平時部』遠藤源六、484ー487頁、明治四十四年)

「第三款 条約有効の要件
第三、 双方の合意に欠点あらさるを要す。即ち錯誤、脅迫或は詐欺に基きて意思を表示したるは、法理上無効とす。此等も大抵は民法上の契約と同一なれは、別に詳述するを須ひす。但、脅迫に就き国際公法上に於て一事の説明を要するものあり。即ち爰に所謂脅迫とは国家其者に対する脅迫にあらすして、主権者又は全権委員其人に対する脅迫なり。例へは某条約を結はすは汝を殺戮すへしと恐嚇して調印を了したる時、其調印は無効なるへしと雖も、若し条約を結はすは開戦すへしと恐嚇したるに止まる時には其調印は有効なるへし。戦勝国か戦敗国と講和する時其条約は脅迫に基くもの多し。然れとも其脅迫たるや国家其者に対するものなれは其条約は効力を生す。講和の場合に於ては或は戦敗国の元首が戦勝国の生禽と為りなから其条約を締結すとも之を無効とは看做さす。独仏戦争の際に奈翁三世は独逸の俘虜と為りしが、独逸の奈翁と講和条約を結はさりし所以は他に非す。当時、奈翁は革命の為めに已に帝位を奪はれたれは、独逸は之と講和する能はさりしのみ。」(『国際公法要義』千賀鶴太郎、337ー338頁、明治四十四年)

「条約は相互の同意に成るものであるから、若し、此の同意なき場合には拘束力を失ふものである。従つて条約締結者は行動の絶対自由を有するものと云ふことが出来る。外部より来る脅威の下に締結したる条約若くは全権委任が酩酊の際、或は精神錯乱中締結したる条約は無効力のものとなることは明かである。乍併、戦敗の後若くは強国の弱国に加ふる威嚇の下に締結されたる条約は行動の自由に基かざるものとは解されないのである。抑も自由行動なる言葉は締結国の全権委員間にのみ限らるゝものであって、第三者より来る抑制に対して用いる言葉である。一国家が或る事情の下に屈辱的条約を締結したるにせよ、後日、行動の自由を抑制せられたるを理由として之を廃棄するの権利を有しておらぬ。尤も或る国家は政治的必要に迫られて、斯る条約の責任を廃棄せし場合もある。さら乍ら、此の行為は国際法違反となることを免れない。」(『国際法概論』泉哲、309ー310頁、大正一○年)

「意思表示と行為主体の真意思とがくい違つた場合は、行為者自身の欲したもの(虚偽表示、心裡留保)には、その表示意思に法的効果を生じ、行為者自身の欲しなかったもの(強迫、錯誤、欺罔)には、その表示意思に法的効果を生じない。......これらは、ほとんどすべて私契約に適用し得る一般原則が適用されるのであるが、一つだけ著しい相違があるのは、ここにいう強迫は、条約を締結(署名、批准或は加入)しようとする全権代表自身に加えられるものをいうのであって、一般に『強制された条約』というように、国家自身が敗戦の場合の如く、強制されて条約を締結することを指すのではない。国際法では、かかる強制(ディクテート)された条約も、当事国が自由に結んだ条約と同様、法律上有効なのである。」(『国際法講座 第二巻』176ー177頁、昭和28年)

参考までに、イギリスの国際法学者(ローレンス博士)の見解もみてみよう。

「条約の効果
条約に関し最後に論す可きは、条約が締約国を拘束し得る範囲に在りとす。条約の履行を保障する為め抵当及び人質を提供したる古代若くは中世の慣習は全く廃止せられ、現今行はるゝ条約履行の担保としては自国の権勢に依頼し利害を打算し、又は義務の観念を根拠として国際公法上其履行を促す可きものなり。条約の義務は其条約項に於て期限を定むるか或は賞金支払領土割譲の如き一時的行為のものに非ざる以上、永久的の性質を有す。若し条約にして権力に依り強制さるゝ場合には、其履行の義務を免る可き口実を発見する能はず。現今多くの平和条約は有勢なる国家が弱国を威迫して締結せるものにして、設令国家は随意に条約を破棄するを得べしと雖も、尚対外関係上自由に之を為し能わざる事情あり。又、条約にして主権者又は全権委員の身体に暴力威迫を加へて締結せられたる場合には、後日に到り之を破棄し得べきなり。」(『国際法原論(平時)』ローレンス、449ー450頁、大正三年)

「第二次日韓協約」を無効論とする最大の根拠の一つが、この”「強迫」による条約の締結”である(もう一つの根拠は、「批准」である)。
「第二次日韓協約」締結当時は、「国家自体に加えられる強迫の結果として結ばれた条約は無効とはされないが、全権代表個人に加えられた強迫は無効原因たり得る」というのが国際法の”常識”であり、このことは、冒頭で紹介したとおり海野教授自身も倉地鉄吉氏や高橋作衛氏の見解を引用して了解しているところである。これらの見解は、要するに、「全権代表個人に加えられた強迫は無効」というのは、私法原則(民法)を”そのまま”適用して何ら問題がないということであり、他方「国家自体に加えられる強迫の結果として結ばれた条約は無効とはされない」というのは、逆に私法原則をそのまま適用できないということである(ただし、現在は、1969年の「条約法に関するウィーン条約」で、原則として両者とも無効とされている)。そして、条約が有効か無効かの判断を下す場合、実は、この両者の区別(全権代表者個人に対する強迫か、国家自体に対する強迫かは)は非常に重要な点なのであるが、区別が難しい場合も少なくない。しかし、上でみたように、海野教授はその点について詳細な検討を一切加えることなく「それにもかかわらず、『第二次日韓協約』は韓国代表者個人に対する『強暴、脅迫』を通じて締結された」などと簡単に断定して論を進めてしまっているのである。
もちろん、この点(個人に対する強迫か、国家自体に対する強迫か)を明確にするためには、”事実として”朝鮮の全権代表者個人に対する強迫があったのかどうかを、史実や記録に基づいて検討しなければならないが、その前に、何故国家自身に対する強迫による条約が”当時”は有効とされ、何故”現在”はそれが無効とされるようになったのかみてみよう。これは「武力行使・戦争」に対する考え方、それを抑制する機構の有無、紛争の処理方法とは無関係ではない。

・戦争(武力行使)観と条約

今、ここに、ある国家とある国家の間に紛争(ないしは交渉事)が生じたとする。これを解決するため、(両国家間に国交があれば)当事者同士で話し合いによる交渉がもたれ、うまくいけば条約が締結され、紛争は解決することになるーーーこのことには、今も昔も変わりはない。

この直接交渉が決裂すれば、第三者の介入を求めなければならない。第三者とは、時には国家であり(居中調停)、また時には個人、または個人の集まりである団体(仲裁裁判、国際審査委員会、国際調停委員会)であり、これらの機構は国際連合の成立以前(19世紀)から存在していたものである。それらで解決をみない時には、現在では、国連の総会、安全保障理事会および(当事国の任意・自発的受諾があれば)国際司法裁判所に解決が委ねられることになる。このように現在の国連体制下では、紛争を解決するために「武力の行使や威嚇」を用いることは明確に禁止されており(「武力行使・戦争の違法化」)、国連に加盟している一国を武力攻撃したり国連の決定に従わないということは、その一国で他の国連加盟国全てを相手にするはめに陥りかねないのである。しかし、これは裏を返せば、そのような覚悟がある場合は、武力行使までいかなくても、国連の勧告に従わなかったり(実は、理事会が紛争解決のために当事者に与える指示は、拘束力のない勧告にすぎず、このことは国連憲章自体に明記されている)、国際司法裁判所に解決を付託しないこともありえるのである(当事国の任意・自発的受諾が必要)。そして、国連の勧告を強制的に受け入れさせたり、国際司法裁判所に解決を強制的に付託させる制度すなわち「国際社会の手によって、組成員間の紛争を、時には強制的に解決させる制度」というのは(現在においても)確立されているとは到底言い難いのであり、実は、この点においては、国連と言えども国際連盟に比べてあまり進歩しているとは言い難いのである。
紛争解決の制度がこのような段階にあるのは、もちろん、そこには「国」というものの意思が反映されているからである。すなわち「拘束力のある判決を下す機関に紛争を付託すれば、その判決がどれほど自国に不利であっても従わなければならないことになる。であるからこういう機関に紛争を付託するかどうかは各国の意志に任せることにすべきである。拘束力のある判決を下すのではなく、ただ勧告が自国にとって不利であれば、これに従わなくても違法の責めを受けることはない」という打算があるのである(『国際法 新版』田岡良一、75頁)。しかし、現在では武力行使の廃止、紛争の平和的解決が高らかに宣言されているのであり、このような国のエゴは棄て去られるべきものであると言えよう。そして、より完全な「国際社会の手によって、組成員間の紛争を、時には強制的に解決させる制度」を可及的速やかに確立することが、国際連盟の轍を再び踏まないための必要条件であろう。

また、余談になるが、現在、国連憲章で禁止されている「武力の行使や威嚇」とは、あくまで「国際連合憲章に規定された国際法の諸原則に違反する武力による威嚇または武力の行使」のみであり、それ以外(例えば侵略に対する自衛権の行使)の「武力の行使や威嚇」は禁止されているわけではない(これはカタチを変えた「正戦論」ともいえよう。「差別戦争観」とも称される)。従って「国際連合憲章に規定された国際法の諸原則に違反する武力による威嚇または武力の行使」の存在の認定機関や基準といったものが問題となるのであるが、実はこの点が現在の国連においても課題として残されているのである。例えば、常任理事国が拒否権を行使してこれの認定の受け入れを拒否すれば、理論的には国連自身はそれ以上何もすることができないのである。国際司法裁判所にしても、その判決の拘束力を最終的に担保してるのはやはり国連であり、判決に従わない国に対しては勧告を行ったり、とるべき措置を決定したりすることができる。しかし、1986年のニカラグアに対する軍事的活動事件の判決では、拒否権が行使されたのであった。このような状況をうけて、現在でも、勝訴国は、判決を履行しない国家に対しては、国際法上許容される範囲で”復仇措置”をとること、すなわち自助・自力救済が認められているのである。

以上のように、現在の国連体制下においても、その制度に数々の限界・制限・不備があるとはいえ、マスコミや国際世論の影響もあり、また孤立による経済的損失の考慮もあり、武力行使の原則禁止、紛争の平和的解決という精神は確実に根付いてきており、そのような状況を考慮ないしは期待して、1969年のウィーン条約では、「全権代表個人に加えられた強迫」に基づく条約はもとより、それにに加えて「国家自体に加えられる強迫」の結果として結ばれた条約も無効とされるようになったのである。

では、ここで話を遡らせて、国連が結成される前、正戦論の時代、そして無差別戦争観の時代における紛争の処理ついて話をしよう。
まずは、参考までに正戦論について説明しよう。

「正戦論((theory of) bellum justum); 戦争を正当な戦争と不当な戦争とに区別し、正当な原因に基づく戦争だけを合法と認める理論。正当戦争論ともいわれる。今日における差別戦争観に通じる。この理論を初めて科学的体系の形式で展開したのは聖アウグスティヌス(Aurelius Augusutinus、354ー430)で、それ以後スコラ哲学を経て中世の戦争論を研究した神学者に伝えられ、グロティウスを始めとする近世の自然法観念を軸とした国際法学者たちに継受された。戦争を区別することによって不当な戦争を放逐することを意図した理論であるが、理論であるだけに実定法上の基礎をもたず、19世紀以後の実定万能の時代には無視される傾向が強かった。しかし、この理論は、国際連盟が設けられて、その規約に禁止された戦争という差別戦争論(観念)が登場し、さらに、国際連合がこの観念を強化するに及んで、自然法に基づいて論じられてきたそれまでの正戦論とは区別された『実定主義正戦論』として、再び注目されるに至った。民族解放戦争の観念にも実定主義正戦論の影響があるといわれる。ケルゼンによれば、これまでも戦争から違法行為に対する救済や集団的安全保障による『正当』な戦争が区別されていたが、実施の組織と集中力(中核となる連合国)とから、これを実定現象として説明することが容易になったとする。この理論を徹底すれば、侵略者等の違法国側に交戦法規上の権利はなく、正当な交戦者との間にのみ、戦争法はいわば差別適用されることになる(戦争法差別適用論)。しかし、その場合でも、人道に直接かかわる法規は除外されるとする議論もある。戦争法差別適用論は、第二次大戦中の日本に対する核兵器の使用、国際軍事裁判などをその証拠とする。一方、日独占領地での徴発は違法とされず、朝鮮戦争等の国際連合の強制措置でも、ジュネーブ諸条約は対等に適用されていることから、戦争法の差別適用は、少なくとも一般的に承認されているとはいえない」(『国際法辞典』有斐閣)

正戦論は、一国が他国から攻撃をうけた場合、或は武力その他の方法によって違法に権利を侵害された場合、すなわち「正当原因」があれば、本来ならば違法とされる方法・実力によって相手国による侵害を排除し、権利の救済をはかる行為を正当とする思想・論である。そして、正戦論というのは「自衛権」「自存権」と密接に関連して、その権利を実力すなわち武力で行使することを正当化する背景となっているものである。
「戦争の正当原因」として、例えばグロティウス(1583ー1645)は「戦争と平和の法」で防衛、財産回復、懲罰の三つをあげているが、これらは国家の「自存権」とか「自衛権」とかみなされるものである(当時は、「自存」と「自衛」が明確に区別されずに使用されていた)。ヴァッテル(1714ー67)は、「自己保存」は国家の権利であると共に義務であるとし、「国家は自己保存の義務があるから、その保存に必要な一切のことをなす権利をもつ」としており、場合によっては戦争に訴えることも肯定しているが、この言説の背景にも正戦論があることはもちろんである。

19世紀、より正確には第一次世界大戦前は、「無差別戦争観」の時代であった。

「無差別戦争観; 正戦論を否定し、戦争の正・不正やその正当原因などを問題とせず、いわば無差別に戦争をとらえようという考え方。そこでは、専ら戦争の開始から終了までの手段・方法等の規律(戦時法規、jus in bello)が国際法の任務とされ、戦争の正当原因の規律(jus ad bellum)は国際法の対象外の問題とされた。19世紀の実定法主義国際法の下で主流を占めたが、第一次大戦後の国際連盟規約と不戦条約、第二次世界大戦後の国際連合憲章による武力不行使義務の確立などによってその存在基盤を失った」(『国際法辞典』有斐閣)

『国際法辞典』(有斐閣)では、「正戦論」で「理論であるだけに実定法上の基礎をもたず、19世紀以後の実定万能の時代には無視される傾向が強かった」とあり、また「無差別戦争観」では「正戦論を否定し、戦争の正・不正やその正当原因などを問題とせず、いわば無差別に戦争をとらえようという考え方」などとあるが、単純に過ぎる見方であると思われる(ま、辞書という性格ゆえに、ある程度は単純な記載になわざるをえないのであるが)。
無差別戦争観の時代といえども、「戦争」を、国際法の執行手段、あるいは制裁方法としてみる正戦論的な立場を完全に放棄していたわけでは決してないのである。でなければ、20世紀に入って、第一次世界大戦という惨禍を経験した後といえども、国際連盟規約や不戦条約のような「正戦論」がいきなり復活するはずがないのである。
例えば、ケルゼン(1881ー1973)は以下のように述べている。

「一般国際法において、戦争は原則として禁止されている。戦争は、違法行為すなわち国際法で決定される特定の行為に対する反動としてだけ許される。このような行為、すなわち違法行為にたいして責任ある国家にむけられるときにだけ許されるのである。戦争は、国際違法行為にたいする反動として、違法行為の直接の犠牲国に許されているだけでなく、直接の犠牲国を援助する諸国家にも許されている。戦争は復仇と同様に、違法行為として特徴づけられるか、それとも制裁か、いずれかである。」(『中立制度の史的研究』石本泰雄、15頁)

ケルゼンのこの言説は、当時、正戦論が存続していたことを示唆するものである。
また、ホールは、その著書で以下のように述べている。

「法は紛争の当事者の一方に違法行為の責任の所在を宣言することができる。しかし決定を執行する実力が国際社会に存在しないために、戦争(war)に科罰(penalty)の性格を与えることはできなかった。国際法は紛争当時者が紛争解決の方法として『戦争』を選択するかぎり、その原因の正当性とは無関係に、それを受け入れる以外に道がなかった。かくして戦争の両当事者は同一の法的地位(identical legal position)にあるものとみなされ、従って平等の権利(equal right)をもつものと考えられていたのである」(W.E. ホール「国際法」、1924年ーー『武力の行使と国際法』広瀬善男より引用)

このホールの見解は、無差別戦争観を肯定したものであるが、しかし注意深くその記述を読めば分かるように、正戦論的な立場や主張を完全に放棄したものではないのである。つまり、無差別戦争観といえども、主権国家分立の国際システムの中では正戦論を現実の主権国家の行動へ適用することが困難であることを指摘したことにとどまるのであって、戦争を違法に対する自助(自力救済)の手段としてのみ肯定するという考え方(正戦論)は根本的に保持されていたのである。すなわち、国際法上、正戦論は”自然法”としては純然として存在していたのであるが、「現実の主権国家の行動へ適用することが困難である」がゆえに”実定法”的抑止効果は殆どなかったということである。もっとも、これはあくまで国際法上の問題であって、国内法上は、議会制民主主義の発展・浸透とともに、正戦論にも”実定”的な側面が充分あったのではないか。例えば、アメリカは第一次世界大戦に参加する際、「民主主義にとって安全な世界を創るために戦う」とか「聖戦」とか称して、国民や議会に懸命にアピールしてその了解を求めたが(『世界各国史8 アメリカ史』清水博編、257頁)、これは正に正戦論を地でゆくものである。また正戦論の歴史をみてみると、古くは古代ギリシャやローマ帝国の頃から戦争の正当原因が議論されているのであるが、これは周辺各国への配慮もあったが(国際法的側面)、むしろ自国の議会や国民に対する配慮・対策という観点がより重視されていたようである(国内法的側面)。以上、国内法的な意味での正戦論は、あくまで余談ないしは参考として。

国際法上、正戦論が、特に19世紀における国際権力政治のなかで”実定法”としての抑止力を持たなかったのは、交戦国のどちらが”正”で、どちらが”不正”かを決定する実力が当時の国際社会には存在しなかったからであり、従って、”不正”の側に科罰を加えることもできなかったのである。
しかし、正戦論といえども”自然法”のみならず、”実証主義的国際法思想”の下においても、「自存・自衛」という一定の原因があるならば、国家は戦争に訴えることができるという基礎が18、19世紀において定着していたのである。その根拠は有名な「カロライン号事件」(1837年)の判決である(ここでは、詳細を述べない)。
ただ、無差別戦争観の時代には、「戦争」に関してもう一つの重要な側面があった。それは、かのクラウゼヴィッツのいう「戦争は政治の手段」であるという側面である。この考えのもと、国策遂行の方法としての完全な戦争の自由観が横行していたのが19世紀という時代だったのである。

「ハイド(C.C.Hyde)は一九二二年の著作で次のように述べたことがある。『他国から政治的または他の利益を獲得するために国家が力を行使すること、場合によって戦争に訴えることはその国の権力内のこととして許容される』と。これをうけてオッペンハイム(L. Oppenheim)も次のように述べている。『戦争』はたしかに『法的権力』の防衛ないしは『侵害された権利』の救助のために、法執行国際機関が存在しない国際社会における自力救済の手段として認められている。これはたしかに中世以来の伝統的な『正当戦争』観の名残りを残すものといってよいだろう。しかし他面、右のハイドの言説のように、第一次世界大戦のいわゆる一九世紀的戦争観の中では、戦争は現行国際法上の権利に挑戦し、これを変更するためのつまり自国の政治的利益を促進するための強力手段としても『法的に承認された手段』として認められている。ここでは『正当戦争』と『不当戦争』との区別はすでに消滅しているのである。戦争にはそうした二面性がある。一九世紀から第一次世界大戦に至る期間に急速に発達した交戦法規、わけても戦争の両当事国に完全に平等で公平な立場を要求する絶対(厳正)中立の法規が完成したのもこれを裏付けるのである。従ってこうした中立の立場を国家利益的考慮から任意に放棄して交戦の一方の当事者に与し戦争に参加することも自由であったのである。そうした趣旨からいえばウェストレーク(J. Westlake)やコーラ(J. Kohler)がいみじくも言ったように『戦争とは国際法によって承認された制度ではないが国際法によって発見され規制される条件又は事実とみるのが妥当であろう』。このようにオッペンハイムはいうのである」(『力の行使と国際法』広瀬善男、52ー54頁)

このように、19世紀は、正戦論的な武力行使だけでなく、国家の重大な利益の保護のためには”国家政策の手段”として戦争を自由におこないえるという見方がかなり強かったのである。そして、第一次世界大戦という惨禍を経験して、この”国家政策の手段”としての戦争を放棄することを明文化したのが国際連盟規約であり、1928年の不戦条約(「一条 国家の政策の手段としての戦争を放棄する」)である。要するに、第一次世界大戦前の”「正戦論」+「国家の政策としての戦争」”から、第一次世界大戦後には後者(「国家の政策としての戦争」)が否定・消去されて、「正戦論」が残ったわけである(但し、ここでいう「正戦論」すなわち「正当な武力行使事由」というのは、中世のそれとは具体的内容が多少違うが。また、国際連合や不戦条約の試み、すなわち正戦論の実定化は、ほぼ完全に失敗したといってよい)。このように、無差別戦争観の時代といえども、正戦論は”自然法”として又一部ではあるが”実定法”として脈々として生きていたわけである。
上でオッペンハイムは正戦論と中立について言及しているが、実はこの中立法規の成立こそが正戦論消滅の有力な論拠の一つなのであるが、ここではこれ以上触れない。

以上、(多少の脱線とともに)長々と戦争観について述べてきた理由は他でもない。このような法的状況を背景として「国家自体に加えられる強迫の結果として結ばれた条約は無効とはされない」とされていたのである。すなわち、武力行使は、「自助」ないしは「政策」として、国際紛争の最終的解決のための合法な手段として一般的かつ実定的に認められていたのであり、従って国家に対する強迫による条約締結も合法と認められていたということである。当時、ある国による独自の武力行使が認められていたのは、もちろん(国内制度でいえば、国家権力すなわち警察権力・武力を背景とした司法制度のような)「国際社会の手によって、組成員間の紛争を、時には強制的に解決させる制度」が欠如していたからなのであり、従って国家間の紛争は最終的には国家の”実力”で解決するより他はなかったのである。当時、もし国際法がこの”現実”を無視して武力行使に大幅な制限を加えたとすれば、それは国際法自体の無視すなわち国際法自体の空文化・自殺を意味したであろう。誰も守らない法や守れない法なぞ存在意義は殆どないのであり、ましてや法の履行を強制的に確保する制度がなかった当時の国際社会ではなおさらである。もし、国際法が、国家に対する強迫による条約締結を禁止するなら、強迫すなわち武力行使にかわる有効な紛争解決手段を提示し、その原則を遵守させる強制力が必要だったのである。それなくしては、いかにその精神が崇高であっても残念ながら(国際)法としては実定的に機能しえないのである。

「国家自体に加えられる強制を中心に研究された小谷教授は、結論として『強制による条約の効力が各方面から一応の検討が試みられた。それによって、強制による条約を有効なものとする通説が維持されるべき事を知り得た。つまり、強制によって締結せしめられる条約に於ては、真の意思の合致をなすといい得ず、本来瑕疵ある条約としかみられないものであるが、之を絶対に無効とすることは現実に反する事となるし、又、之を取消し得るものとなす事は現在の国際法の下に於ては一般には不可能とされるにより、結局、有効なものと解するより外なきに至る。唯、それが条約として有効たち得るか、条約以外のものとして効力を生ずるかが問題とされるのであるが、他国の強制に対抗する自分の強制行使を抛棄することによって瑕疵を阻却するに至ると考える事によって、普通の条約として有効に成立し得るものであると解し得べく、しかも、之が対等者間の法としての現行国際法の本質に合致する所以であらねばならぬ』と述べられておる。強制に基づく条約の有効性の根拠として『他国の強制に対抗する自分の強制行使を抛棄することによって瑕疵を阻却』と理論づけられたわけである。....小谷鶴次『強制による条約の効力』(二・完)国際法雑誌 四○巻一○号、昭和十六年一二月、八六ー八七頁。」(『条約法の研究』571頁)

付言すると、「国家自体に加えられる強迫の結果として結ばれた条約は無効とはされない」とされていたもう一つの理由は、国家に対する強迫を違法とすると講和条約の有効性が保障できなくなり、従って多くの講和条約が無効となり国際社会における法的安定性が損なわれることになるからである。また、、国家に対する強迫を違法とする状況下では、一度戦争が起こってしまえば(そしてこの戦争自体が必ずしも違法ではない)、途中で戦争を収める有効な手段(すなわち講和)が確保されていないということになり、場合によっては戦争の結果というのは自国家の滅亡か、あるいは相手国家の完全な征服という両極端しかありえないことになってしまい、(強制であろうがなかろうが)条約締結どころかもっと悲惨な状況を惹起してしまうのことになりかねないのである。国家の滅亡か征服かという二つに一つの選択肢よりも、たとえ武力を背景とされた不利な状況であろうとも”(少なくともある程度は)国の自由な裁量”により戦争のいろんな段階で”有効”な講和を結べる状況の方が(双方にとって)好ましいことは多言を要しないであろう。
そして、現在は、国連という(不完全とはいえ)強制力と実行力のある機関・制度を背景とした武力行使の原則禁止の流れを汲んで、「国家自体に加えられる強迫の結果として結ばれた条約」が違法とされているが、もし、このことが”一般”に成り立つとすると、やはり現在においても講和条約は無効にならざるをえないのであるが、その点は「強迫」の意味を「国際連合憲章に規定された諸原則に違反するような武力の行使」と限定して、侵略国に対して国連憲章に基づいてとられる措置には影響を与えないとしている(ウィーン条約 七五条)。しかし、このことは「ウィーン条約」が法として完結していないということを意味するのであるが、これはしょうがないと言えばしょうがないことである。現実を無視しては、いかなる法も実定的な効果が期待しえないのであるから。