大日本史番外編 「 朝鮮の巻 」
北朝鮮の国家犯罪 日本人拉致と麻薬


Link 虚偽まみれの北朝鮮と正念場の拉致問題  --->  救う会全国協議会

2002年10月15日北朝鮮に拉致されていた5人が20数年ぶりに帰国した。行方不明になった当時から警察などの捜査によって北朝鮮に拉致されていたのではないか、と言われていたが多くのマスコミからは無視され続けてきた。北朝鮮シンパの者たちが、北朝鮮がやったという明確な証拠がない、日本人を拉致する必然性がないのででっち上げである、と言いつづけそれに左翼マスコミが同調していたのだ。しかし歴史を見れば、拉致は北朝鮮の伝統なのである。北朝鮮建国以前つまり日本統治時代に、共産主義者ら( 当時、共産匪と呼ばれていた )が間島地方を中心とする満州で、抗日ゲリラ闘争を展開していた時代から現地人を拉致していた前科があったのだ。これらの共産匪が北朝鮮建国にともない帰国して国家運営に参加したのであるが、ゲリラ時代の「 人さらい 」をやめることなく伝統として継承されてきたのである。
「 若き将軍の朝鮮戦争 」 白善○ 2000年 草思社(  ○の漢字は[火+華]  )( 灰色文字は注 )
( 著者の白善[火+華]( はくぜんよう )氏は日本敗戦時に満州国陸軍中尉、戦後は韓国軍陸軍大将、参謀総長をつとめる )

ゲリラとの戦い
白頭山を中心とする鴨緑江と豆満江の上流一帯( 朝鮮と満州の国境地帯 )は、ことに治安が悪いところであった。大森林地帯であり、隠れ家には事欠かない。測量ができないので地図が白く、白色地帯とも言われていた。日露戦争前後から、反日という政治的な目的を持った武装団体がこの一帯に入ったが、1920( 大正9 )年の間島出兵は、それに対する日本の最初の反応であった。1931年の満州事変以降、抗日ゲリラはこの一帯で最も粘り強く戦った。その中核になったは、中国共産党が主導する抗日連軍第一路軍と言われるものであった。中国人、満州人、朝鮮人の連合部隊で、司令官は中国人の楊靖宇であった。彼は1940年2月に日本軍によって射殺された。金日成や崔庸健といった、のちに北で権勢をきわめる人々の多くは、この抗日連軍第一路軍にいたと言われてている。彼らは、日本軍や満州国軍の討伐が本格的となり、また中国本土との連絡が途絶したことからソ連領に逃げ延び、1945年8月のソ連軍侵攻とともに韓半島に帰還し、ソ連軍の武力を背景に独裁国家を建設したわけである。
( 中略 )
ゲリラ戦と言うと、何かロマンチックな反権力の響きがあるようで、とかくゲリラが善玉で、討伐側は悪玉というイメージがある。さらには空想が飛躍して、ゲリラ活動は清く正しいものとされがちであるが、とんでもない間違いである。ゲリラはどのように行動し、住民はどんな生活を強いられていたのか。ゲリラはほとんど生産的な活動はしておらず、密営地と称する山間部の根拠地では食糧の生産すらできない。どうやって生きていくのかと言うと、「 補給闘争 」と称する略奪によっている。子供や婦女子を拉致して洗脳し、戦力化する。これでは住民はたまったものではない。それでなくても貧しい生活なのに、正規の税金を取られ、ゲリラの補給闘争の目標になり、婦女子のみならず成人男子まで労働力、戦闘力として連れ去られる。

元北朝鮮工作員安明進氏らの証言等から推定すると最低でも80名、あるいはもっと多くの日本人が拉致されている可能性があるということである。また日本だけでなく、韓国では政府発表で、朝鮮戦争中に8万3000人、停戦後に486名、実際にはさらに多くの人が拉致されているということである。


拉致には「 土台人 」と呼ばれる、在日コリアンや暴力団関係者による協力者ネットワークが関与しているケースが少なくないことも明らかにされた。「 特定失踪( そう )者問題調査会 」( 荒木和博代表 )では「 全国で最大5000人の土台人が存在する 」とみている。
親族人質にされた土台人  産経新聞_2003.2.11--
《 「 土台人 」関与か 》 親族“人質”の在日朝鮮・韓国人

特定失踪者問題調査会の荒木和博代表は、失踪が拉致と疑われるケースについて、「 土台人 」といわれる在日朝鮮・韓国人が協力している可能性を指摘した。

「 土台人 」とは、工作活動の基盤や足がかりになる人物のことを指す。北朝鮮工作員は北朝鮮出身か北朝鮮に親族が暮らす在日朝鮮・韓国人の中から対象者を選定し近づき、その親族らの身の安全と引き換えに任務を強要して協力者に仕立て上げる。取り込まれた人々が、土台人となる。

主な任務は、
(1)工作員へのアジトの提供
(2)拉致対象の選定
(3)工作員の密出入国の手助け−など。

失踪者が消息を絶った地点は、日本海側など北朝鮮工作員が不法に出入りするための接岸ポイントに近いケースも多い。

拉致と並んで日本人に害を与え続けている北朝鮮の国家犯罪麻薬の製造密売もまた抗日ゲリラ時代からの悪しき伝統なのである。
「 朝鮮総督府回顧談 」 渡辺豊日子 昭和59年 友邦協会  ( 灰色文字は注 )
火田民対策反対運動の実情
( 総督府は、ハゲ山だらけの朝鮮半島の山林を再生するため荒廃の原因となっていた焼畑農耕の取締りを厳重にすることにした。しかしそのためには、貧しかった火田民( 移動耕作の焼畑農民 )の生活を援助し定住させることが必要であった。山林部長であった著者( 男 )は、国有地の譲与や衣食住の援助、植林事業での雇用などの施策を実行に移していた。 )しかし、これらの施策は朝鮮人側には不人気で、「 朝鮮日報 」が極端に反対したほか、例の安在鴻( 独立運動家で解放後朝鮮建国準備委員会副委員長、朝鮮戦争中北朝鮮に移る )らが先頭に立って、総督府の火田取締りは火田民をいじめるものだとの猛烈な反対がありました。
( 中略 )
火田民の取り締まりについては知識階級の人からの反対もあったが、最も極端な反対があったのは、地元の端川郡でした。配付したる桑苗を温突( オンドル )で焚いてしまう。山林の苗も焼く、農会の費用も納めないという状況で、何故そんなことが起こるのか警務局側でも認識不足で、山林部の取締りが余りにも厳重過ぎるからではないかとの見方もありました。

しかし時日が経つにつれ明らかになったのですが、この辺の者はほとんど共産化されており、警察の想像以上に共産主義が浸透し、警察などが部落に調査に行くと、山上に子供が立っていて信号するので、目ぼしい者は皆逃げてしまう程、女、子供に至るまで共産化されている状況であった。したがって山林行政が悪いというような問題ではないことが判ったのです。

咸南( 朝鮮半島北部 )の海岸の利原、端川、咸北の明川方面でも共産匪の活動が盛んで、警察が手を入れ、沢山の容疑者を収容したところが発疹チフスが発生し、却って警察官が大部分倒れてしまったという、有名な所謂「 明川事件 」というのも起こった程でした。咸鏡南北道の共産匪は以前から組織が出来ていて、それらと火田民とが密接な関係があった訳です。

火田民は山の中に入り火をつけて立派な山も焼き払ってしまい、そこで作るのが彼らの食物である馬鈴薯( じゃがいも )や燕麦( オート・ミールにする )であったほか、実は麻薬の原料となる罌粟( けし=阿片の原料 )であった。その罌粟が高く売れるためそこに目を着けたのが彼らであって、火田民に麻薬を作らせてこれを買取り、満州方面に高く売って活動資金にしていたものでした。したがって冒頭に申し上げた色々の反対運動も実は共産匪の活動の結果によるものではなかったかと思われます。

朝鮮の知識階級の人や独立運動をやるような人にとっては、むしろ( ハゲ山だらけの )南鮮の実情を考えると火田取締りは誰よりも諸手を挙げて賛成すべき筋合いのものです。

北朝鮮による国家ぐるみの日本人拉致や麻薬の製造密売だけにとどまらず、大韓航空機爆破・大統領夫人射殺などのテロ行為、ニセ札製造など北朝鮮の国家犯罪は枚挙に暇がない。こんな非道な国が自国民の大量餓死者を尻目に莫大な資金と人員を投入して核兵器開発を行っているのだ。ブッシュ米大統領は北朝鮮を「 ならず者国家 」と呼んだが歴史を見れば、ならず者供がつくりあげた国が“朝鮮民主主義人民共和国”なのである。


麻薬・覚せい剤を製造し日本人に売りつけている北朝鮮人は、良心にさいなまれながらも、食って行くためにやむを得ず悪に手を染めているのか? 答えはNOである。 同民族の韓国人の例が参考になる。
「 シャブ! -知られざる犯罪地下帝国の生態- 」 趙甲済著 黄民基訳 1991年 JICC出版局  ( 灰色文字は注 )
( 著者の趙甲済氏は韓国の新聞記者であった )1970年代、釜山で警察詰めの記者生活を送りながら、私は、シャブ( 覚せい剤 )がもたらす途方もない利ザヤに目がくらみ、灯火に飛び込んでくる虫のように密造・密輸に群がる数多くの犯罪者たちと出会い、興味を抱くようになった。そして、日本の組織暴力団が背後勢力としてからみ、国際的な規模と機動性をもったシャブ犯罪の取材に興味をもちながら取り組んでみて、初めて問題の深刻さに気づかされた。

私は1984年1月、シャブ問題を取材するため日本へ出向いた。当時、日本で流れているシャブの大部分は韓国から密輸入されたものだった。日本の警察はシャブ犯罪を最大の社会問題として考え、その対策に総力を傾けていた。わずか数十名の専従員をもって、数千人のシャブ犯罪者たちを追いながら、泥沼にはまりこみ、犯罪者たちの誘惑に乗ってもがき苦しんだりしている韓国の捜査の実情はあまりにも安易だった。当時、韓国の政府やマスコミは、シャブ問題を「 対岸の火事 」を見物するように見ていた。数百万人にものぼる日本の常習者たちが常用しているのは、ほとんど韓国で作られたシャブだったが、韓国では、常用者が少なく、日本への密輸出で多額の外貨を稼いでいるのではないかという安堵感が広がっていた。当時の韓国のシャブ対策はあまりにも心もとなかったのである。シャブ事件の被告人の弁護を担当して「 シャブ密造者は外貨を稼いでくる愛国者だ 」と語る弁護士さえもいた時代である。
( 中略 )
70年代の韓国社会でシャブ密造・密売が巨大な“犯罪産業”に成長した背景は何だったのか?( 中略 )次にシャブ犯罪に対する「 罪の意識の欠如 」をあげざるを得ない。70年代、釜山で社会部記者としての生活を送った筆者は、こんな話を大真面目に語る警察官や公務員と多く出会った。
「 率直に話そう。ヒロポンの密輸がなぜ悪いのか?日本の奴らに目いっぱいヒロポンを送りつけ、奴らみんなヒロポン漬けにすれば胸の内がスッキリするではないか 」
「 密輸といえば、密輸入を思い浮かべるのがわれわれの実情だ。だから、われわれも密輸出できるものをもっていれば自慢すべきことになるではないか。ハハハ。ヒロポンだって密輸出して貿易の不均衡を改めなければ 」
「 ヒロポン製造者愛国者論 」を展開する弁護士の例をあげるまでもなく、こうした考えをもった人々が当時相当いたことは否めない事実である。日本人が50〜60年代、対馬を対韓密輸基地として幇助・育成したことを思い起こせば、また、その対韓密輸のもとで育まれた韓国の密輸組織が、今度は逆に日本に向かってシャブをまき散らすようになった「 ブーメラン現象 」を確認するなら、そのことを内心、小気味よく感じる人々が現れもしよう。シャブ犯罪に対するこうした「 民族感情 」が犯罪者と捜査官の行動に相当な影響を及ぼした可能性がある。この「 民族感情 」は、シャブ犯罪者を庇護する人々の罪悪感を薄れやすくし、取り締まり自体をを緩慢にさせる要因にもなっているからだ。
( 中略 )
コリアン・コネクションの根本を掘り起こすのも今回の取材の重要な目標だった。田村研究員の背景説明はかなり説得力があった。すなわち、第一次シャブ乱用時代に、在日韓国人が数多く関係したという事実である。1954年のケースをみれば、検挙されたシャブ事犯のうち、韓国人は14%( 在日韓国人は日本の人口の0.5% )だった。密造犯のなかでは55%、密売犯のなかでは21%が韓国人だった。鄭銀宗ら多くの韓国人密造技術者たちが韓国に逃げ出し、密造技術を広めた史実は第一章で述べたとおりである。暴力団の世界にも韓国人は多い。民族差別の問題を刺激するおそれがあるため、詳しいことは書き控えるが( 中略 )彼らは親戚のある韓国によく行き来することができ、シャブの密輸ルートを構築するのに有利な立場にいたというのが田村研究員の説明だった。

北朝鮮の国家犯罪である日本人拉致や覚せい剤によって引き起こされ社会不安・人格破壊はテロ行為である。