大日本史番外編 「朝鮮の巻」
日立就職差別事件と左翼の介入


 日立就職差別事件、人権運動が左翼の介入で反日運動へ
「朝鮮人がなぜ 『日本名』 を名のるのか」 金一勉 1978年 三一書房

日立就職差別と糾弾闘争

 愛知県の一隅で生まれて、小・中・高校を一貫して日本名の新井鐘司を用いた朴鐘碩は、日立のソフトウェア戸塚工場の入社試験に応募した。 そのときも新井鐘司の名を用い、本籍地に自己の出生地( 愛知県 )を書き “日本人を装って” 受験し、7倍の競争率を突破して合格し、入社通知を受け取った。

 ところが、入社の直前に国籍が韓国( 人 )であることを会社側が知るや、本人に対して “あきらめろ” と連発し、採用を拒否した。 この時朴青年には “あきらめろ” の意味と、採用拒否の措置には疑問を抱き、青年らしい率直な気持ちから 『これは労働法違反ではないか』 と裁判所に訴えることを考えた。 動機はきわめて単純である。 朴鐘碩は、横浜駅前で入管法反対の街頭署名をしていた4人の日本人学生に、自己の事情を訴えて助けを求めた。 これら4人の学生は、朴少年に同情して支援することを約束した。 これら学生が <朴君を囲む会> をつくり、裁判手続きを進ませた。

 在日朝鮮人二世が、日立会社を相手に “国籍が韓国との理由で入社拒否は不当” と訴訟を起こしたことが報道されるや、広く話題を呼び注目を浴びた。

( 中略 )

 ところで朴君の日立裁判が知れ渡ると、在日朝鮮人の組織である総連も民団も、そっぽを向き、非難を浴びせた。 いうなれば、一片の民族精神も主体性も持たず、日本名を常用して日本人に化けて、日本企業に就職を試み、はねられると裁判に訴えるなんて、けしからん、それは結局 『同化につながる』、というわけである。

 これに反して 支援に駆けつけたのは日本青年学生達である。 日本各地の部落問題研究会員、日本人の教師、公共団体の新左翼、朝鮮問題学習者、一般市民達である。 一方、朝鮮人の支援者は、同化されかかった在日2世や3世の若者達であった。 かくて <朴君を囲む会> 事務局では、毎月一回の集会を催して日立糾弾の学習を繰り返し、闘争の連帯と差別社会の実情を訴えた。 そして参加者達の間に部落差別・在日朝鮮人・天皇制・アジア経済侵略などの学習熱が高揚し、日立闘争への意識も高まっていく。 こういう闘争過程で <囲む会> は7~800名の動員体制をもち、独自で 『関東大震災朝鮮人虐殺50周年集会』 を共立講堂で催した( 73年9月2日 )。 日本全国の日立の工場と出張所の所在地ごとに <朴君を囲む会> が作られ、多くの日本人の市民と、在日朝鮮人が集結し、地域ごとに日立を糾弾し、団体交渉が行われた。

( 中略 )

 日立への不買運動の火の手がヨーロッパに波及すると、ヨーロッパの新聞が風刺調に日立糾弾の記事を書きたてた。 いわく、在日朝鮮人の一青年が、日立のような大企業を相手に喧嘩している、これは実に歴史的な正義の戦いであると、書き、マンガをつけた。

 このように日立闘争は国際社会の支援連帯にまで拡大し、ついに日立は、原告朴鐘碩の要求( 入社および給与等 )を全部認めるに至った。 これと同時に、横浜地裁での判決も、朴君の勝利に帰した( 1974年7月3日 )。
 これが今日につづく在日と左翼による対決的な反日権利獲得運動のはじまりなのです。


 就職差別は、在日コリアンと左翼マスコミにより全て日本社会のせいにされてきましたが ……
「在日韓国・朝鮮人に問う」 佐藤勝己 1991年 亜紀書房

 日立闘争の中で、なにが困難であったかと問われれば、民族団体、なかんずく総聯が、我々の運動を、同胞を日本社会に同化させる 『ネオ同化主義』 の運動だとして 『非難』 したことであった。

 あらゆる運動がそうなのだが、運動にとって最も怖いことは、戦う相手からの攻撃よりも、本来味方であるべきはずの勢力からの攻撃である。

 『日立に勤めてどうする気か。 裁判をやって同化するなど正気の沙汰ではない』。 この意見は総聯をはじめとする、ほとんどの一世の人達の声であった。

 「朴君を囲む会」 の韓国人部会の責任者であり、在日大韓キリスト教青年会全国協議会の会長でもあった崔勝久氏は、二世である同協議会のメンバーから、日立にかかわることは同化に手を貸すものだという理由で、会長を解任されるという事件まで起きた。

 日本の地方公共団体から生活保護を受けるのも、公営住宅に入居するのも全て同化につながるといって総聯は反対した。

 筆者に言わせるなら、日本企業への就職の門戸開放に、さらに社会保障の適用に、最も強く反対したのが、1970年代前半における民族団体内部の一世達だったのである。 当事者が同化だといって反対しているのに、日本政府が進んで制度的差別を撤廃するはずはない。

( 中略 )

 日本企業への就職は同化であるとして、就職を拒む多数の同胞がおり、他方に、それをよいことにして、彼らを雇用しない日本企業が存在したというのが、日立判決が出た1974年頃までの就職問題の実態だった。
  マスコミがいかに偏った報道をしてきたか分かる話だ。