大日本史番外編 「 朝鮮の巻 」
北朝鮮帰国事業の批判


北の実態が明らかになるとダンマリを決め込む無責任左翼に対し、彼らと北朝鮮を批判する人々

「 ソウルと平壌 」 萩原遼 1989年( 「 韓国のイメージ 」鄭大均 より )
 日がたつにつれて、この国はとほうもないいつわりの国ではないかと感じ始めた。 いつわりを国家の政策として、国をあげてそれを遂行している恐ろしい国という認識がしだいに私の気持を支配し始めた。 そうでないものをそうだと言い張って人びとを信じこませる。 私も信じて、だまされた一人だったが。 使いたくない言葉だが、詐欺とよぶしか他に言葉がみつからない。 その詐欺の第一は、「 地上の楽園 」。 「 この世にうらやむものはなにもない 」という歌を北の人民はよく歌っている。 あるいは歌わされている。 明るく豊かな生活を享受する幸せな人民、それをもたらしてくれた偉大な金日成同志の肉親も及ばぬ配慮と、宣伝機関は終日くり返している。

 だが、すでにのべたように、私の狭い見聞からだけでも、宣伝とはほど遠い人民の生活である。 アジアの多くの国々にみられる貧しい人民の国である。 貧しさは罪でも恥でもない。 だが、この国が他のアジアの貧しい国々と根本的に異なるのは、この貧しさをあらゆる力で隠蔽し、美しく飾りたてることである。

 その努力が集中的に加えられるのが外国人の統制である。 とりわけ西側の人間を怖れる。 案内員と称するマンツーマンの監視人をつける。 二人つける場合もある。 一人では絶対にホテルの外に出させない。 どこにいくにもついてくる。 住民とじかに接しさせないためだ。 平壌市内の中心町は表からみれば整然とした町だが、アバートの中庭に入ると洗灌物も干してある。 黒ずんだ、ボロに近い下着が目に人る。 衣類も乏しく、石齢が不足していることをいやでも感じる。 それは貧しいなかでもけなげに生きていく人民の姿として私にはむしろ感動をもたらすのだが、北当局はそれを嫌う。 写真でもとろうものなら案内人がどれほど激怒するか。 そもそもアバートの中庭には入ってはならないのだ。 結局そうした貧しい実態が外にもれて、南朝鮮の連中の反共、反共和国宣伝に使われるというのである。

 その逆に、彼らの意にかなった「 いい記事 」を書いてくれる日本の商業紙記者などは下へもおかぬもてなしをする。

「 虚報の構造オオカミ少年の系譜 」 井沢元彦 1995年 小学館
北朝鮮礼賛記事の罪を問う ( 朝日新聞OB・作家稲垣武氏との対談 ) 

井沢 : 北朝鮮は近いうちに崩壊すると思いますが、そうなったら、北朝鮮を美化した朝日の提灯記事を信じて行った日本人妻たちや在日朝鮮人が帰ってきて、涙ながらにあちらでの窮状を語り始めるでしょう。
稲垣 : それを最も恐れているのは、北朝鮮迎合記事を書き続けていた朝日の親北朝鮮記者の代表である岩垂弘・元編集委員らでしょう。 北朝鮮に批判的な記事を書くと、たちまち朝鮮総聯の抗議行動に直面しますが、そんな時、交渉の窓ロ役を果たすのが親北朝鮮記者です。 北朝鮮ベッタリの記事を黙認するのも、そのメリットがあるからです。
井沢 : 北朝鮮へ行った10万人の中には、朝日がそう書いているんだから大丈夫だと思って決断した人が大勢いると思います。
稲垣 : 北朝鮮ほど日本の新間記者に対してアメとムチをうまく使いわける国はありません。 自分たちの気に入った記者しか呼ばない。 で、お仕着せのネタを特ダネに仕立てて平壌発の記事を打たせる。 少しでも批判的なことを書くと、二度とお呼びはかからない。 というわけで、批判的なことを書いたらいけないんじやないかという恐怖感から、オウム記者が生まれる。
井沢 : 北朝鮮当局の主張をそのまま繰り返すだけ。 情けないですね。
稲垣 : また北朝鮮へ渡った日本人妻や、日本から帰国した朝鮮人たちが差別されているという情報が亡命者から幾度も指摘されている。 ところが朝日は、確認できないという理由でほとんど報道しようとしない。 これは一種の悪しき現場主義ですな。
井沢 : 悪しき現場主義とは?
稲垣 : 北朝鮮は自由な取材ができないから、つまり現場を踏めないから報道できないという一種の口実ができるわけですよ。
井沢 : 自由な取材ができないといっても、子供たちにいつも「 金日成首領様のおかげです 」と歌わせていた事実は、記者が目の前で見ているわけですよね。 民主的とか何とかを問題にするなら、最も批判しなければいけない点だと思いますが。
稲垣 : そういう点に目をつぶるから、共産圏報道では虚報が生まれてしまう。