大日本史番外編 「 朝鮮の巻 」
北朝鮮帰国を煽った進歩的文化人


進歩的文化人( 笑 )の大罪、北朝鮮賛美のプロパガンダ文集‥‥

行間を読むと北朝鮮マンセーという文字が見えてきます。 ( 笑 )
「 38度線の北 」 寺尾五郎 1959年 新日本出版社( 「 韓国のイメージ 」鄭大均 より )
 日本に帰って朝鮮の建設ぶりの千里の駒の勢いを話すと、強制労働ではないか、党の監視で泣き泣き働いているのではないか、と質間される。 こう質問する人は、または意識的にそういう中傷をしている人は、そのような言葉が朝鮮を傷つけ、ひいては自分自身を傷つけているのである。 誰が強制や圧迫であんなに無我夢中で働くパカがいるか、そういう質間や中傷をしている人だって、強制によってあんなに働かされたら憤然とするだろうし、時によっては、武器をとって叛乱さえおこすだろう。 人間は強制によって絶対に動かすことのできない存在である。
( 中略 )
 まして、あの気性の激しい朝鮮の北方の人々が、強制や監視で働き廻るものでもあるまい。 また、そんなに連日、精魂のかぎり働きつづけたのでは、息がつまってしまいはしないかとも質問される。 私もまた、現地の朝鮮でそう質問してみた。 答えは、「 とんでもない、面白くて仕様がないのですよ。 たまに休むと苦しくて息がつまりそうです 」というのだ。 どうも私たちにはピーンと来ない返事だ。 そうであろう。 食うために、金を稼ぎ出すために、イヤイヤながら働くという経験以外に経験のない社会に生きた人間にとっては、理解できないエネルギーなのである。 今の朝鮮人にとっては、仕事は労働であり、嗜好も労働であり、娯楽も労働なのである。 目に見えて成果のあがることをやっている時はどんな人間だって大張りきりに張り切るものである。

 事実、朝鮮では、一日々々の労働がそのまま、目に見えて、国家と彼自身とを豊かにさす成果をあげているのである。 労働が苦痛をともなわない喜びにかわりつつある。 だから私のような怠け者でも、箸一本、自分で生産したことのない人間でも、朝鮮にいると、あの大衆的雰囲気の中で、いつの間にか妙に体を動かしてみたくなり、力いっばい働いてみたくなるから不思議である。 労働意欲という病気に感染してしまうのである。
( 中略 )
 五ヵ年計画が完了した暁には、北朝鮮の一人当たり生産額は、鉄鋼を除くすべての分野で、日本の1957年水準を追い抜き、「 日本が東洋一の工業国を自負していられるのは、せいぜい今年か来年のうちだけである 」「 ソ連はアメリカを追い越し、中国は英国を追い越し、朝鮮はその北半部だけで目本を追い越すとしたら、世界はどう変わるであろうか 」、「 千里の駒が走りだし 」「 万馬が一斉に奔走しはじめた 」というわけである。
ウォッハッハッハッハッ まさに「 お笑い北朝鮮 」!


これってラブレターじゃないの?
岡本愛彦 「 チュチェの国 朝鮮を訪ねて 」 1974年 読売新聞社( 「 韓国のイメージ 」鄭大均 より )
 一つの国そのものが芸術の具現である国家、そうした国が何時かはこの地球上に生まれるに違いないと私は永い間考えつづけて来た。
( 中略 )
 芸術が真に人民のものであり、人民が創造した芸術によって人民が感動し、心を洗われ、勇気を得る社会は、当然人民が真に主権者である社会でなければならない。 特定の少数者の居ない社会でなければならない。 差別や貧困を許さない、人間の真の自由と解放をかち得た社会でなければならない。 永い間私の心を占めて来た理想としての「 芸術的な国 」像は、漠然とそんな像だった。

 そして今、私がかつて理想とした一つの国家が、確実にこの地球上に誕生したのだ。 その国は若々しく、精気に充ち、常に躍動し、人々の顔は明るく、少年少女の笑顔は美しい。 常に「 自ら革命と建設の主人 」であり、すべての人民が「 芸術創造の主体 」である国、それが朝鮮民主主義人民共和国である。
自分の言葉に酔い痺れて‥‥‥‥‥


さすがノーベル賞作家は新婚初夜に考えることが違います。 ( 笑 )
「 わがテレビ体験 」 大江健三郎 ( 「 群像 」昭和36年3月号より ) 【「 こんな日本に誰がした 」 谷沢永一より】
 結婚式をあげて深夜に戻ってきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、スウィッチをいれる、画像があらわれる。 そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。

 それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る…。 このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というようなとりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。
現在でもアメリカやフランスに憧れている人はいますが、大江氏のように日本人であることを後悔する人はいないと思います。


「      … 。 」
「 二十歳の日本人 」 ( エッセイ集「 厳粛な綱渡り 」より ) 大江健三郎 文藝春秋刊・昭和四十年 【「 こんな日本に誰がした 」 谷沢永一より】
 北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と握手している写真があった。 ぼくらは、いわゆる共産圏の青年対策の宣伝性にたいして小姑的な敏感さをもつが、それにしてもあの写真は感動的であり、ぼくはそこに希望にみちて自分および自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見た。

 逆に、日本よりも徹底的に弱い条件で米軍駐留をよぎなくされている南朝鮮の青年が熱情をこめてこの北朝鮮送還阻止のデモをおこなっている写真もあった。 ぼくはこの青年たちの内部における希望の屈折のしめっぽさについてまた深い感慨をいだかずにはいられない。 北朝鮮の青年の未来と希望の純一さを、もっともうたがい、もっとも嘲笑するものらが、南朝鮮の希望にみちた青年たちだろう、ということはぼくに苦渋の味をあじあわせる。

 日本の青年にとって現実は、南朝鮮の青年のそれのようには、うしろ向きに閉ざされていない。 しかし日本の青年にとって未来は、北朝鮮の青年のそれのようにまっすぐ前向きに方向づけられているのでない。
高尚すぎて、凡人のわたくしめには何を言いたいのか理解できません。


小説「 キューポラのある街2 未成年 」 早船ちよ 1977年 ( 「 韓国のイメージ 」鄭大均 より )
 北朝鮮に帰還した金山ヨシエから、埼玉県川口市の中学校時代の級友ジュンとノブ子に宛てられた手紙には次の文面が挿入されている。

 「 わたし、あなたたちふたりに、ぜひ話したい、きいてもらいたいことで、いっぱいです。 帰国以来二年半のうちに、わたしたちの祖国がどんなに発展したか。 それは言葉では、よく伝えられそうもないので、きて見てほしいと思います。 それから、ヨシエが、どんなに成長し、かわったか。 わたしが、じぶんでいうのもおかしいほどなのよ。
 それよりも何よりも、もっと、びっくりするのは、父のかわりようでしょうね。 お目にかけられたら、それこそ、すっかり別人と見まちがいされることでしょう。
( 中略 )
 父は、戦時中に東京で徴用されて、墨田区向島の鋳物工場で焼玉エンジンをつくる下働きの経験があり、戦後は、川口の鋳物工場で、ミシン部品や機械鋳物をつくるのに、雑役をやらされました。 父は鋳物しごとなら、戦中・戦後のそれらの経験と見よう見まねで、何とかこなせる、と思いました。 しかし、こんどのように、工場のほんの一部分にしろ、自分の責任で任されたのは、生まれてはじめてです。 父は、少年が、プラ・モデルに熱中するみたいに、もう、まるで夢中です。 朝から晩まで、そして、帰ってからも、寝る時間がおしいように、しごとにうちこみはじめました。 川口にいたときの父とは、ぜんぜん、人間がかわってしまいました。
( 中略 )
 父は、新築の労働者アパートをもらったのがうれしくて、そうじと手入れ、まわりの植樹、そのほか、思いついたことは、どしどしやって、わたしをびっくりさせます。 わたしも、そのアパートに、独立したひとつの部屋をもらいました。 わたしが、自分自身の部屋をもつなんて、まあ、まるで夢みたいな現実よ。 見てください。 これが、わたしたちのアパート。 町の大通りに面して、堂々と立ち並んでいるでしょう。 この労働者住宅のあいだには、託児所、学校、図書館などがあり、街の中心に官庁があるのです。 それから、劇場も、映画館も。 買い物は、アパートの一階にある売店でします。 とても便利よ。 すべて労働者の生活単位に街づくりが考えられていて、便利で清潔で美しいです。
( 中略 )
 いつの日にか、ジュン! ノブ子!あなたたちと、ここに立って語りあえたら……と考えて、胸があつくなりました。 」
この美しい作り 話に感動した人はだまされやすい人です。


現職の東京都知事が北朝鮮を訪問し、金日成首相と会って感激したのか、ヨイショしまくってます。
美濃部亮吉 金日成首相会見記 「 世界 」 1972年2月号 ( 「 主席金日成 」 平成4年 より )
美濃部都知事: 一昨日からいろいろな所を参観しています。 工業農業展覧館、キム・イルソン総合大学を参観しましたし、昨夜は、歌と舞踊を見物しました。 わたしは、お世辞で言うのではなく、キム・イルソン首相の指導されておられる社会主義建設にまったく頭が下がるばかりで、感心しています。
金日成首相: ありがとうございます。
美濃部都知事: 美濃部都知事
私と一緒に来た小森君とも話したのですが、資本主義と社会主義の競争では、平壌の現状を見るだけで、その結論は明らかです。 我々は、資本主義の負けが明らかであると話し合いました。
これから残っている数日間に、できるだけたくさん見て回り、非常に困難な状況にある東京都の建設に我々が利用できるものは、できるだけ利用したいという考えを持っております。
1972年は札幌冬季オリンピックが開かれた年、大阪万博は70年、高度経済成長の真っ只中でした。 なぜこういう結論になるのでしょう?左翼連中の考えることはさっぱりわからん。


Link 左翼はこんなことを言っていた!  --->  北朝鮮礼賛集

これが朝日新聞など左翼メディアと大江健三郎ら進歩的文化人が『 地上の楽園 』と賛美し帰国を煽った北朝鮮の実態だ! 彼らの責任は重い。
( フランス言論の北朝鮮リポート )
人民は餓え死んでも 特権層は私腹を肥やす地上最大の伏魔殿 北朝鮮
朴 祥 俊 ( 韓国遊撃軍戦友会総連合会 名誉会長 )
 フランスに本部を置く「 国境無き医師団(MSF ) 」は、1995年から北朝鮮内で続けて来た医療支援活動を去る9月30日付で一切中断して撤収したと、最近公式に宣言した。
 これを契機に、フランスのリベラシオン(Liberation )紙をはじめとする主要紙は、同じ日付の1面から5面まで、何と5面全部を割いて、苦痛の中で呻吟している北朝鮮の惨状に対する衝撃的な報告を一斉に掲載した。
 一方、我国(韓国 )では朝鮮日報をはじめとして中央日報などがこれを引用し『 北朝鮮救援物資、軍部と権府に漏れている 』との見出しの記事を報道した。
 これに先駆けて、同和研究所では国境無き医師団の報告書を緊急入手し、「月刊同和9月号(9月1日発刊 )」に『 実存する地獄、朝鮮人民民主主義人民共和国その阿鼻叫喚の現状を証言する 』との特集を出して、読者たちを驚かせた。
 月刊同和に既に載せられた特集の証言と重複しない範囲で、ジャック・アマリック記者とローマン・フランクリン記者の報道を訳してみようと思う。
 リベラシオン紙は、私たちの耳目を疑わずには読めないくらい残酷な内容を詳細にレポートしているが、月刊同和9月号との重複を避けるために、二人の記者の序文報告要旨だけを訳す事で区別しようと思う。

北朝鮮は飢餓と術策の伏魔殿

 リベラシオン紙のジャック・アマリック記者の報告を読んでみよう。

 『 鉄桶のようなスターリン主義世界の最後の砦である北朝鮮では、3年前から飢えの現象は極度に達し、飢餓状態は伝染病のように蔓延していた。 最も驚くべき事実は人口の急激な減少である。 推定に依れば、総人口が2,300万であったこの国で、1995年以後なんと300万名が餓死し、2,000万に減少したと報告されている。
 しかし、この国で食糧援助活動を繰り広げている非政府団体(NGO )及び国際機構は、共産政権の徹底した厳格な統制によって、制限された範囲内でしか活動できないために、公信力ある正確な統計を集めることは事実上不可能である。
 このような条件下でも、フランスの有力日刊紙リベラシオンは初めて、飢餓状態に陥った生々しい証言を入手することができた。
 この証言は、国境無き医師団(MSF )の委託を受けた研究者たちによって北朝鮮との接境地帯である中国側で、去る8月一ヶ月間に採録できたものである。
 道路周辺に散らばった死体、人肉を食べたと言う事例、軍隊がひそかに移した援助食糧など…。 この恐るべき飢えと餓死説の主人公は、言うまでもなく最も政治的に力の無い一般庶民たちに限られている。 すなわち、大多数の庶民たちだけがまさに飢餓の犠牲になって呻吟し、倒れて行っているという話だ。 閉鎖的な一社会主義国家のイメージを赤裸々に見せてくれている。
 MSFが今確信したところに拠れば、数十万名が餓えで死んで行っているという厳然たる事実である。 さらに、MSFは去る9月30日付で、北朝鮮での総ての活動を中断すると宣言した。 彼らによれば、北朝鮮での救護活動を続ける事は、一口で言って人道主義的倫理にこれ以上合わせる事ができないとの判断に従ったものだ。
 飢餓と独裁は、共に来る。 過去、歴史上の独裁政権下の飢饉、中国の大躍進時代の悲惨だった事実など、そして今回は北朝鮮の場合がまさにそうである。 しかし、根本的な差というのは、北朝鮮の飢餓死亡者の発生要因を見ると、平壌の狂人と為政者たちによって庶民階層に向けられた報復から起きた現象でなく、農村を荒廃させた構造的問題に起因しており、一方、軍需物資以外には他のいかなる物も生産できなくなった休業工場のおびただしい数の労働者への給食問題が台頭した。 休業勤労者たちを食べさせられない当局の無能力と無責任を、誰に追求しなければならないのか。
 また、北朝鮮のノーメンクラーツラ(特権層 )の行動様式は、根本的に中国や旧ソ連の支配者たちと区分される。 中国や旧ソ連は、一部親共性向の西側の人々を巧妙に利用し、嘘の証言を通じて真実を隠蔽するために様々な努力をしたが、金正日と彼の従僕たちは惨状のむごたらしさを隠したまま、事実の一部だけをひそかに流している。 状況を巧妙に利用する一つの手段だと言える。
 とにかく、このように真実のようでありながら真実でないような嘘をつきながら、彼らは既に数年前から、無視できない量の救援物資を西側世界から取り込む事ができた。
 しかし、この援助食糧は政権の高位層や弾圧勢力、そして受恵者の優先権を占めている密売業者たちの腹を肥やすのに使われていると見ても差し支えない。 これがまさに、去る95年から北朝鮮で活動をしてきた非政府組織であるMSFの確信でもある。
 さらに、MSFはこれ以上このような監視と統制下では活動できないので、撤収する事を決定し、この団体の責任者たちは自分たちが、これまでの間、平壌政権によって騙され愚弄されたと結論付けた。
 彼らだけが欺瞞の対象になったのではない。 何故ならば、北朝鮮当局は、彼らに残った最後の手段を極度に活用するにおいては、あえて従うものが無くなるくらい天才的である。 即ち、相手を煩わせる事はさすがに一番であると言える。 既に核の威嚇を通じて米国、日本、韓国そしてEUから二つの巨大な原子力発電所(軽水炉 )と年間50万トンの重油を自由陣営から強奪する事ができた。 それでも不足な彼らは、大陸間弾道ミサイルを持ち出して高価な駆け引きを企てている。 』

飢えと電力不足の生地獄

 ローマン・フランクリン記者は同日付け(9月1日 )の寄稿で、フランスの人工衛星スポット(SPOT )がとらえた北朝鮮の最近の夜景写真とかつての写真を比較して見た結果、夜間照明の値が75〜80%程度激減した事が分かるという。 これは言うまでもなく、この国がいかに深刻なエネルギー危機に立ち至っているかを端的に見せてくれる現象といえる。
 国境無き医師団は最終的な撤退を発表すると同時に、去る95年以後、北朝鮮の厳しい飢餓問題を助けるための自分たちの救援活動は、平壌政権によって徹底して欺瞞されたと結論付けた。
 彼らは破産したスターリン政権を手本としたのか、目的を達成するためには手段と方法を選ばず、国際的援助を引き込もうという北朝鮮当局の指導者たちは、この団体だけでなく、数々の救護機関と団体を受入れた。 しかし、平壌は日常的に接しているこの恐怖のカーテンの中で、わずか一部分だけを曝け出している訳だ。
 国境無き医師団は、3年以内に少なくとも数十万名の人々が飢餓と関連した疾病や栄養失調で死亡するであろう事に付いて、疑問の有り得ない事を確認している。
 検証できない他の集計によれば、1995年のこの国の人口は2,100万名と見られており、そのうち300万名がここ数年の内に死亡したと推定している。 北朝鮮当局は、昨年発表した飢餓と関連した疾病などで死亡した人の数を、134名と引き続き主張している。
 13名で構成されたチームで活動した国境無き医師団は、いろいろな地方に常駐し、彼らは人間がゆっくりできる最小限の基本的条件下で、自由に与えられた作業を遂行できるように要求したが、徹底した監視と統制下で、彼らはわずかに食糧や医薬品の補給役割以外のいかなる仕事もできない事を悟った。
 さらに、民間非営利団体は飢餓瀕死事態の深刻性に対する現実的な測定も不可能な事を知った。 政権当局の幹部要員たちから常に監視されるために、自由に意思表示する一般人たちに全く会う事ができなかった。 例を上げれば、地域の保健所を訪問しようとすれば1週間前に出張申請をしなければならず、かりに、この要請が受入れられたとしても、実際そこに行ってみると、総ての事が事前に演出された架空の集落を訪問したという印象を消す事ができなかった。
 咸鏡道地域で活動した4名の医療陣にによれば、医療施設は徹底した統制下にあって公開されず、おおまかな実状さえも把握するのが難しく、救護団体から提供された機資材を間違って使っている点を指摘して直してあげようとしたが、そこの医療陣に正しい使用法を教えてやる事さえも許されなかった。
 劣悪な医療実態の水準として、彼らが見せてくれたのは8年を経過したレントゲン写真くらいであり、たいして残っていない医薬品さえも、既に1986年に有効使用期間が過ぎてしまった北朝鮮産の薬品であった。 血清などはひどいもので、ビール瓶の中に保管されており、電力不足のために、輸血する血液などは大部分凝固していた。
 国境無き医師団の研究室長フランソワ・チャン氏は、自分の団体が標榜する人道主義論理と平壌政権の論理の間には、越えられない障壁がある事を悟った。 即ち、人道的救援活動は最も不遇な人たちに援助を提供することを目標としているのだが、この国に到着した救援物資は政府当局によって配給されたとはいうが、これを待ち焦れている庶民の実需要者たちの手には、何も与えられなかったという事実である。

何の対策も無く絶望的な現実

 数々の専門家たちを驚かした食糧配給基準設定を見ると、国民を大きく3個の部類に大別し、それを細かく分類し50の層に分け、その所属等級によった比率を適用して等差配給をするという事を知った。 たとえば、下位部類に分類された階層は、反革命分子の家族分類に属し、優待的高位層は北朝鮮政権体系の高位幹部の取り分である事は言うまでも無い。 これは、北朝鮮政府の最優先目標は政権の安定的維持であり、この政権延長に寄与しない平民たちは、飢えと死の危険に放置されるほかないのだ。
 現在の飢餓の主原因として指摘しているこの3年間の連続的な洪水は、事実上枝葉的なものに過ぎない。 フランソワ・チャン氏は、飢饉状態はほとんど政治的な問題から始まったと分析した。 即ち、この50年間維持された共産政権の政策の産物であると同時に、他の理由を上げれば、共産政権はこの貧弱な既存の食糧資源までも、政治的忠誠心と秤にかけ、国民を社会的、経済的利用価値判断に照らして等差配給したためだ。 従って特権層だけが住む平壌居住者たちと、党と軍の幹部たちは食糧配給の特恵を享受し、反面、出身成分や党性が良くなかったり戦略武器工場に勤務する事も無い人、外貨稼ぎに助けにならない場合、彼らは全く食糧配給を受けられないというのが嘘でない実態である。
 このような類型の飢餓事態は、地球上いかなる国でも探せず、これは戦争に起因したものでもなく、社会秩序の大変動を画策する狂気に満ちた革命と関連した事でもなく、構造的次元に伴う問題だというのが適切だといえる。
 これは、大部分の産業がたとえ破局に至っても、とにかく産業型の大多数都市化された国家で、これほどまでに不平等な事態が何のためらいも無く発生したという事実に注目する必要がある。
 最も深刻な事態に陥っている人々は、まさに政府や権力に対していかなる関心も見せず、破産してしまった国営企業で働いていた中小都市の勤労者と家族たちである。 従って、この飢餓事態は経済の総体的な破産の結果によるものと見なければならない。
 そうして、このような総体的破産状況が続出しても、近いうちに政権がまさしく崩壊につながることなく、こうした間に数千数万の善良な一般国民たちは餓死することは明らかである。

 このリベラシオン紙の特集報道は、国際救護団体、国連、米国、日本などが北朝鮮に提供した食糧及び救援物資の転用問題により、関係者間に大きな波紋を引き起こすものと見られる。
 善良な国民大衆に一日3食の飯さえ食べさせられない社会主義国家を、世界の目はどのように眺め評価しているのかを見分けるのに先立ち、北に居住している私たちの兄弟姉妹が餓えて死んで行く、この現実の前で手をこまねいている私たちの立場を嘆き、私たちはどのように対処する事が適切な方法なのか、今後の希望が持てないだけである。

北朝鮮中央通信「 全く根拠の無い戯言 」

対北朝鮮救援物資軍転用事実否認

 北朝鮮は9月9日、国際救援機構から支援された対北朝鮮救援物資が上層部と軍部に転用されているとの( 韓国 )国内一部言論報道と関連し『 全く根拠の無い戯言 』と、これを否認した。
 北朝鮮はこの日、官営中央通信を通じて『 ( 国際機構が送った )救援物資が上層部、軍隊に転用されているという戯言は、全く根拠の無い戯言 』だと一蹴し『 それは被害地域の人民たちに等しく届けられていおり、それを何に使おうと不正と言えない厳然たる事実 』だと主張した。
 この通信は『 現在、朝鮮で活動している人道主義援助機構は、自分たちが任された救援対象地域で特別な問題が提起されない限り、総て出かけて見ており、援助物資も該当地域にきちんと分配されている 』。 援助物資転用報道は『 我々に対する国際社会の人道主義的援助を遮断させようという、不純な企ての発露に過ぎない 』と報じた。
 中央通信は、国際支援団体である「 国境無き医師団 」( MSF )が活動上の制約のために、北朝鮮を去るほか無かったという報道と関連しても『 「国境無き医師団」の活動に対して妨害した事は無い 』として、言論報道を『 事実に合わない謀略宣伝 』と、非難した。